疑惑のイリーナ

 カムロヌムの屋敷のベッドの感触にもすっかり慣れたある日のこと。夜もすっかり更けた頃、俺の部屋に女がやってきた。まあ、俺の部屋には毎晩女がかわるがわる夜伽に来るから、そんなこたぁわざわざ一話まるまる使うほどのことでもないんだが、どうやら今夜の用はそれだけではないらしい。


「救世主さま、失礼します」

「おう、入れ」


 女がしずしずと部屋に入ってきた。今夜の相手は、この屋敷の美しい女主人、イリーナである。

 前にも述べた通り、イリーナはカムロヌムを統治していた駐屯軍司令官の元妻。その立場上、ゴーマ人奴隷の中で最も街の事情に精通しているため、奴隷たちを束ねる存在として大変重宝している。

 だが、全く問題がないわけでもない。イリーナは表向きには自分を捨てたゴーマを見限り、俺たちに協力していることになっている。しかし、サンガリアの民の中には、彼女が本当に心からサンガリアに忠誠を誓っているのか、疑念を抱いている者が多い。そんな女に奴隷の管理という重要な役職を任せてよいのかと疑問の声が上がっているのだ。

 まあ、無理もない。ついこないだまでイリーナはここの権力者の嫁だったんだからな。まだ密かにゴーマ軍に通じているんじゃないかと勘繰ってしまうのは止むを得ないことだろう。


 イリーナは堅苦しい表情を崩さぬまま言った。


「救世主さま、行商人たちの情報によりますと、近くゴーマの大軍勢がこのカムロヌムの再奪還のために押し寄せてくるとのことです」

「ふむ……それで?」

「……軍を率いるのは、前カムロヌム駐屯軍司令官、イーゴンのようです」

「へえ……ってこたぁ、それってつまり、お前の旦那じゃねえか?」


 すると、イリーナは緑色の目を伏せて、首を小さく縦に振った。

 奇襲を受け、イリーナを捨てて遁走した情けない前司令官。そいつが再び大軍勢を率いてカムロヌムを奪還しに来るという。どうせまたアランサーをブッパして撃退するだけの作業にはなるのだが、イリーナとしては複雑な心境だろうし、それはイリーナの表情にもはっきりと表れている。

 そんなイリーナの様子を見て、面白いアイディアが閃いた。

 うまくすれば、押し寄せるゴーマ人たちの心をへし折り、尚且つ敵軍に大打撃を与えられる方法。そしてそれは、自他共に認める下衆野郎である俺が最も好むタイプの戦法でもある。

 部屋の入り口に立ち尽くしたまま押し黙ったイリーナに、俺はある提案を持ちかけた。


「そうだ、いいことを思い付いたぞ。サンガリアの民の中には、お前が本当にこっちについたのか疑っている奴もいる。お前はゴーマ人の中でもそれなりの地位にいたんだから、そう簡単には信じられないんだろうな。そこでだ。お前はその疑惑を晴らすため、今度このカムロヌムにやってくるゴーマの軍に密かに手紙を送り、内通するフリをして罠に嵌めてほしい。細かい部分についてはエリウとの話し合いになるが、この作戦が成功すれば、お前にかけられた疑念は一気に払拭されるだろう。どうだ? やってくれるか?」

「そ、それは……」


 イリーナは即答を避けたが、俺は構わずにたたみかける。


「できないとでも言うのか?」

「い、いえ、そういうわけでは……」

「なら話は成立だ。ゴーマ人の軍勢の件はエリウに話しておくし、具体的な作戦についてはエリウの方と話し合っといてくれ。ぶっちゃけ、俺に言われてもよくわからんからな。そんなことより――だ」


 俺はベッドに腰掛け、佇むイリーナに手招きする。


「お前がわざわざこんな時間を選んで俺の部屋に来たのは、その話をするためだけじゃないんだろ? さあ、来いよ」


 とりあえず、イリーナに二重スパイをさせて、エリウに作戦を立てさせておけば、ゴーマ軍の大軍勢ぐらいは適当にどうとでもなるだろう。

 イリーナは白い絹の衣を揺らしながら、大人しく俺の隣に座った。


 今宵は長い夜になりそうだ、へっへっへ。

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