ゴーマ軍の脅威

「……いいのですか? 私が光の船に……」

「ああ。いいから乗れよ」


 エリウはタクシーの助手席側のドアの前で困惑した表情を浮かべている。あ、そうか、こいつドアの開け方がわからないんだ。

 俺がタクシーの助手席を開けてやると、エリウはありがとうございます、と言い、おそるおそるシートに座った。なんか現世にいた頃を思い出しちまうなあ。ドアを開けただけで感謝されるなんてことはなかったけど。タクシーの運転手に対して横柄な態度とるやつっているよなあ。ま、それはタクシーに限らず、客商売全般に言えることだろうけどさ。


 ヒトミはそそくさと後部座席に乗り込み、俺は運転席のシートに座る。ドアの開け方すら知らなかったエリウには、シートベルトの着け方も教えてやる必要があった。革の胸当てを着けているのが残念だ。エリウの乳のサイズでなおかつ薄着なら、見事なパイスラが見られるはずだったからだ。あの胸当てさえなければ……。

 ま、ドライブぐらいならいつでも行けるし、パイスラを見る機会はこれからいくらでもあるだろう。


「お客さん、どちらまで?」

「……え? お客さん……とは……? あ、あの、カムロヌムの町まで……」


 エリウがきょとんとした顔で答えた。バックミラーには、俺達の様子を見てクスクスと肩を揺らすヒトミの姿が映り込んでいる。人を乗せたら行き先を尋ねる、タクシードライバーとしての習慣が無意識のうちに出てしまったのだ。ああ、恥ずかしいったらありゃしねえ。


 俺はタクシーのエンジンをかけ、アクセルを踏み込んだ。

 何故俺たちがタクシーに乗っているかって? 偵察だ偵察。

 エリウが攻略対象のカムロヌムとかいう町を偵察しに行くと聞いたヒトミが、タクシーを足に使ったらどうかと提案しやがった。エリウと共に偵察に出るつもりだったらしいラスターグ王子は強硬に反対したが、ヒトミが無理矢理俺のところにエリウを引っ張って来やがったから、やむなく車を出したというわけ。ヒトミのやつ、余計な事をしやがって。


「速いのですね、光の船は……」


 エリウがぽつりと言った。スピードメーターは時速五十キロを指している。


「そりゃあ、馬車よりはな」

「今朝は申し訳ありませんでした。あの、お楽しみのところを……」

「別に気にしてねえよ」


 そう適当に応じると、突然運転席の後ろからガツンと衝撃を受けた。どうやら、俺の返答に不満だった後部座席のヒトミがシートを蹴飛ばしやがったらしい。バックミラーを睨み付けると、そこに映り込んだヒトミの唇が『あやまれ』と動いていた。っあ~もう、面倒くせえなあ。


「いや、俺のほうこそ悪かったな。気が利かなくて」

「あの……ずっと気になっていたのですが、救世主さまと巫女さまは、どういう間柄なのですか?」

「どういうって、そりゃ、セフ……」


 レ、と言いかけたところで再び後ろから衝撃。いやいや、他にどう言えってんだよ!

 ヒトミは見るに見かねた様子で会話に割り込んできた。


「あ、あのね、あたしと運転手さんは別に、恋人とかそういう仲じゃないから。男と寝るぐらいあたしは慣れっこだし、運転手さんのことなんか別に何とも思ってないし、流れで何となくそうなっちゃうっていうか、うん、あたしたちが元いた国は、とにかくそういう文化なの。夜中に男女が二人きりになったらやるのが普通。スポーツみたいなもんよ」

「は、はあ……そうなのですね……スポーツ、とは?」

「あ、うーん、えーと、運動? みんながみんなそうだってじゃないけど、あたしたちの国では別に珍しくもなんともないんだよ。エリウちゃんたちと違って貞操観念が緩いの……まあ、あたしや運転手さんは、向こうの国でも特に緩い方だとは思うけどさ」


 セックスがスポーツ。まあ、たしかに言い得て妙かもしれん。性欲と恋愛感情はイコールではないし、男のほうからしたって、とりあえず性欲を解消するために好きでもない女と寝ることはある。

 つーか、もう三十超えると、そもそも恋愛感情って何だっけ? って状態になっちまうんだよな。みんながみんなそうじゃないけどさ、絶対この女だ! って相手に出会わずに年だけ食っちまった男は、大体そうなんじゃないかね。


 集落を離れて平原に出ると、昨日の戦闘でエリウの聖剣アランサーが作った二筋の地割れが、未だにくっきりと刻まれていた。広大な大地に忽然と谷のような深い溝が表れ、聖剣の威力を改めてまざまざと思い知らされる。


 エリウのナビゲートを受けながら平原を一時間ほど走ったところで、前方にぽつりと町らしきものが見えてきた。東側から西側へ流れる川沿いに、石造りの家が身を寄せ合うように集まっている。町の背後には鬱蒼とした森が広がっていて、森を切り開いて作られた町であることが察せられる。

 しかし、何よりも目を奪われるのは、町の前に数十基並んだ投石機の列。俺たちはそこで一度車を止め、外に出て様子を窺った。


「あれがゴーマ人の戦略兵器、オナガーです」

「え? オナニー?」

「違います、オナガー」


 下ネタの通じないエリウは俺のボケに対してクスリともしなかった。後ろのヒトミは呆れたような視線を俺に向けている。


「ゴーマ軍は、我々の軍と比較して遠距離からの攻撃手段が多彩です。あのオナガーは主に攻城戦の際に用いられるものですが、野戦での先制攻撃や防衛戦でも威力を発揮します。また、ゴーマ兵は戦闘の際、まず投げ槍による攻撃を行います。中距離からの投げ槍は単純に相手の戦力を削ぐ狙いもありますが、接近戦に入る前に相手の盾を無効化する狙いもあるのです。槍の突き刺さった盾を接近戦で使うわけにはいきませんからね」

「サンガリアには遠距離の攻撃手段はないのか?」


 エリウはゆったりと首を横に振った。


「我々サンガリアの民は何よりも勇敢さを重んじます。ゴーマ軍が主に鎖帷子を身に着けているのに対して、サンガリアの戦士は軽装で、防具も装着しない者が多い。それは、防具などで身を守るのは臆病者のすることだと忌み嫌われているせいです。戦闘においても、基本的にはとにかく相手めがけて突撃していくことを好みます。ですから、我々の軍はチャリオットや騎兵などが発達し、機動力ではゴーマ軍を上回っていました。しかしそれも、馬を失った今となっては……」

「へえ……」


 まさに野蛮人だな、と言いかけて、俺は口を噤んだ。エリウの表情があまりに悲壮で、軽口を叩けるような雰囲気ではなかったからだ。


「斧や大剣に小盾を持つのが我々の基本兵装なのですが、ゴーマ軍の長い投げ槍を盾で受けると、槍が刺さった盾は取り回しがきかなくなるので、その場で捨てざるを得ません。盾を失った相手に対して、ゴーマ兵は革製の大盾を構えた密集隊形で襲い掛かる。敵ながらあっぱれの戦術です。奴らの先進的な武器と秩序のとれた編隊の前に、我々サンガリアをはじめ、多くの国が苦杯を舐めさせられました」


 現代の価値観で考えれば、投げ槍や投石機が先進的な武器と言われると失笑を禁じ得ないが、サンガリアの民レベルの武装が一般的な世界であれば、確かにあれは脅威となるだろう。


「正攻法では損害が大きすぎますし、アランサーでは町ごと破壊してしまう可能性がある。まずは、どうにかしてあのオナガーを無力化しなくてはなりませんね」


 あの投石機から繰り出される岩をくらったら、この光の船ことタクシーだって無事では済まないだろう。たしかにこれは難題である。俺たちはしばらくの間、カムロヌムの町を眺めながらその場に佇んでいた。


 しかし次の瞬間、サイドミラーに複数の黒い影が映り込み、状況が一変する。振り返ったエリウが叫んだ。


「はっ、あれは、ゴーマ軍の騎兵隊です!」

「なにっ」


 背後を見ると、ゴキブリのような黒い影が十騎ほど、蹄の音を轟かせながらこちらに駆けてきていた。


「おそらく哨戒に出ていたのでしょう。お二人とも、下がって!」


 そう叫ぶや否や、エリウはすかさず聖剣を抜き放ち、騎兵隊の方向に振り下ろした。昨日大地を切り裂き、奴らの大軍を追い返したあの斬撃。


「破ッ!」


 ヒュッ


「……あれ?」


 しかし、聖剣は光ることも唸ることもなく、空気を切る音だけが虚しく響く。直後、騎兵隊から射かけられた矢の雨が、俺たちの頭上に降ってきた。


「救世主さま、危ない!」


 エリウは俺とヒトミを庇い、その体に数本の矢を受けた。


「うぐっ……」

「エリウちゃん!」

「ちっ……おい、急いでエリウをタクシーに乗せろ! ずらかるぞ!」



i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i



 この世界の文明レベルでは最高の機動力を誇る騎兵隊といえども、車のスピードには到底敵わない。タクシーを飛ばして追手をまいた俺たちは、集落に戻るとすぐ俺たちの小屋にエリウを運び込み、治療を行った。まあ治療っつっても、俺が優しく傷口を撫でるだけなんだけどな。

 幸い今回の矢には毒が塗られていなかったらしく、集落につく前に死んでしまうようなことはなかった。体に刺さった矢を抜き、毛皮の敷布に横たわったエリウに対してヒーリングを施すと、傷口はすぐに塞がった。

 今回は別に何もエロいことをしてないのに、エリウはかすかに頬を赤らめて恥じらいの表情を浮かべている。


「……よし、と。ほら、治ったぜ、エリウ」


 声をかけると、エリウはゆっくりと体を起こした。ヒトミはさっき見てきた町の様子を集落の連中に伝えに行っており、つまり、この小屋にいるのは今、俺とエリウの二人だけだ。


「あの騎兵隊はおそらく、戦わずしてゴーマに降伏した部族の民だと思われます」

「へえ、そういう奴らもいるのか」

「はい。併呑した部族の兵を、ゴーマ軍は機動部隊として利用しているのです。周辺の部族の中でも強い勢力を誇っていた我々サンガリアが敗れたことで、ゴーマの力に恐れをなし、降伏した部族はいくつもあります……それにしても、本当に不思議なものですね、救世主さまの力は。あんなに深い矢傷が、あっという間に塞がってしまうなんて」


 傷のあった場所をさすりながらエリウが呟く。


「まあ、救世主だからな」

「救世主さまの、この手が……」


 エリウはやおら俺の手を取り、愛でるように撫で始める。


「本当に、不思議……」


 潤んだ目で俺の手をじっと見つめるエリウの横顔、そのあまりの美しさに、俺はすっかりタジタジになっていた。なんか、やっぱり調子狂うな、コイツ……。

 その時突然、エリウの腰に提げられた聖剣アランサーがカタカタと音を立てて震え始める。


「まあ、アランサーが……」

「なんだ、今頃騒ぎだしても意味ねえんだよ、このポンコツソードめ」

「いえ……もしかしたら」


 エリウは俺の手を握る指の力を僅かに強めた。


「もしかしたら、救世主さまの力がなければ、アランサーは真の力を発揮できないのかもしれません」

「は、はあ? そんなデタラメな……」


 しかし、そんなことを言い出したら何もかもがデタラメだ。トンネルの向こうが異世界だったことも、俺の超能力も、エリウの聖剣も。

 唸り続ける聖剣のカタカタという音を聞きながら、俺たちはそのまましばらく見つめあった。

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