彷徨える放浪の民
「クソッ! クソクソクソッ!」
マイタクシーを走らせながら、俺はその二文字を数百回は繰り返していた。せっかくいいところだったのに、邪魔しやがって!
しかも、肝心のヒトミとも離ればなれになってしまった。これじゃわざわざ異世界にやってきた意味がねえだろうが!
この何もねえところを一人寂しくドライブし続けろってか!?
冗談じゃねえよ。ヒトミとよろしくやるためにはるばる異世界まで来たようなもんなのに、あの女……。
蔑むような女剣士の視線がフラッシュバックする。俺の腐った性根を見透かしているみたいで、思い出すだけでムカムカしてきた。
「そんな目で俺を見るんじゃねえよ……『曲がらねば世が渡られぬ』だ、大体お前が庇った女だって彼氏がいるのに金持ちの愛人になってるようなクソビッチだぞ? なんで俺ばっかりこんな目に合わなきゃならねえんだ……クソクソクソクソ!」
しかし、いつまでもクソクソ言ったところで状況が変わるわけじゃない。俺はこの世界から抜け出す方法を考え始めていた。ヒトミ? 知らねえなそんな奴は。
女剣士との遭遇によって、まず一つわかったことがある。それは、この世界にも人間がいるってことだ。しかも、言葉が通じる。あの女剣士は日本人の顔立ちでも東洋風の顔立ちでもなかったが、何故か日本語が通じていた。異世界ファンタジーではお約束の設定か。まさかこの広い世界に人間があの女剣士一人ということはあるまいし、探し回ればもっと多くの人間から話を聞けるかもしれない。
これはとても大きな収穫だった。もちろん、すぐに目当ての情報、つまり異世界再転移の手掛かりが得られるとは限らないし、全ての人間に日本語が通じるかもわからないが、少なくとも情報収集できる可能性はあるということだ。人の住んでいるところを探して情報を集めれば、いつか元の世界に戻る方法がわかる……はず。
わざわざ異世界までやってきてドライブだけして帰るってのも癪だが、こうなってしまったものは仕方ない。
俺はとにかく車を走らせた。舗装されていない草原は振動が半端なく、一時間も走っていたら、すっかり腰が痛くなってしまった。こんなところに長くいたら車もすぐに悪くなってしまいそうだ。車のためにも、早く元の世界に戻らなければ。
気付けば、頭上にはプラネタリウムみたいな満天の星空が広がっていた。
都内での生活で星空を見上げることなんてそうそうない。どうせ星なんてほとんど見えないし、猫の額みたいな空を眺めてもしようがないからだ。俺はタクシーの速度を緩め、柄にもなく、暫くの間ぼんやりと星空を見つめていた。前方不注意じゃないかって? 対向車も交差点もガードレールもないから、ぶつかるようなものがないんだよ。
今日の探索はこれぐらいにして、そろそろ休もうか、久しぶりの車内泊だなあ、トホホ……と覚悟を決めた直後、突然右手前方に明かりが見えてきた。目を凝らすと、森の切れ間の開けた土地に、掘っ建て小屋やテントみたいな粗末な建物の集落が見える。
明かりといっても、ネオンとか蛍光灯とかそういう文明的で賑やかな光ではない。篝火や松明の淡い光に照らされて、無数の人影が動いていた。
おいおい、キャンプファイアか焼き芋でもしてるんですか? この世界の文明はどうなってるんだ? 遺跡レベルじゃんこれ……。
『我が主よ、あの集落に向かうがよい』
「はっ!?」
突然謎のイケボが車内に響き渡り、俺は慌てて周囲を見渡した。が、当然ながら、車内に俺以外の人間の姿はない。バックミラーもサイドミラーも見てみたが、やっぱり何も映っていなかった。カーナビの音声とも違う。この世界に来てからラジオもスマホも一切使えなくなっているし、他に音声を発するようなものはないはずだ。
なんだ今の声? 幻聴か? 幻聴だよな? この上幽霊とか勘弁してくれよ……。
それはさておき、どうしよう。あのみすぼらしい集落に行ってみようか。いや、しかしとんでもない野蛮人だったらどうする? いきなり襲い掛かられたりしたらたまったもんじゃねえ。でも虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言うし……ってな具合に悩んでいると、
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅ
と、腹の虫が窮状を訴えた。そういえば、こっちの世界に来てから何も口にしていない。
向こうの世界から持ってきたペットボトルのお茶があったから、水分だけは辛うじて取れていたが、固形物は全くとっていないのだ。背に腹は代えられない、腹が減っては戦ができぬ、というではないか。とりあえず人のいるところに行ってみれば、何か食べ物を恵んでもらえるかもしれない。
空腹に耐えかねた俺は、前方に広がる遺跡のような集落へと車を走らせた。
掘っ建て小屋は少なく見積もっても百か二百はあり、ちょっとした村ぐらいの規模はあるかもしれない。
集落に近付き、近くに車を止めて外に出ると、既に集落の住民らしき人影がいくつか、頼りない焚火の明かりの傍から影を伸ばしてこちらを見つめていた。いずれもボロきれのような汚れた服を身に着けており、ド貧民の悲哀を感じさせる。タクシー運転手の制服なんぞで優越感を覚えることはほとんどないが、制服姿の俺がこの貧民窟に紛れ込めば、身なりの整ったひとかどの人物に見えるだろう。
しかし、俺は別の不安を抱き始めていた。こいつら、俺に分け与えるだけの食料を持っているんだろうか?
ここから見えるのは大半が老人や女、子供で、皆貧相な体格をしている。仮に食料を持っていたとしても、なんだかねだるのが気の毒に思えてしまうような連中だ。もし向こうの世界の街中にこいつらがうろついていたら、間違いなく浮浪者だと思われるだろう。いくら俺だって、浮浪者に食い物をせがむほど落ちぶれちゃいないつもりだ。
どうしたものかと考えていると、その貧民たちが頻りに何か口走っているのが聞こえてきた。
「光る船……」
「光る船じゃ……」
「あれが我らの
どうやらここでも日本語が通じるらしく、その点では一応安心したのだが、それにしても、光る船とは……?
もしかして、タクシーのヘッドライトのことを言っているのか。だが、
困惑していると、その群衆の中から、一際痩せ細った小柄な老人がこちらへ進み出てきた。このまま羅生門に転がしておいても違和感のなさそうな雰囲気の爺さんだ。
爺さんはしわがれた声で言った。
「預言に曰く、サンガリアの民に災い降りかかりし時、聖剣を振るう福音の騎士と光る船を操る救世主が現れ、民を救い導くであろう……」
「は?」
なんだこのジジイ、念仏でも唱え始めたのか? それとも痴呆か?
「光る船を操る救世主よ、迷える我らを導きたまえ!」
羅生門ジジイがそう叫ぶと、周りに集まっていた群衆たちも一斉に声を上げた。
「救世主! 我らの救世主がやってきたのだ!」
「これで俺達は救われるぞ!」
いつの間にか、野蛮人の群れに周囲を取り囲まれている。えええっ、俺が、救世主?
「おいおい、お前らちょっと……」
戸惑いながら周囲を見回す。騒ぎ立つ群衆の輪の向こうに、俺を遠巻きに眺める先刻の女剣士と、その隣に佇むヒトミの姿が目に入った。
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