この世界が終わる前に:エンドワールド・グレヴィラント
ミルクココア氏
第1章:手にした力
目覚め前、少女の軌跡
「ねえ聞いた?」
「こんな噂、知ってる?」
このあいだパパとママが死んだ。
「聞いた聞いた。黒宮ちゃん、ご両親が事故で亡くなったそうね。まだ小さい姉妹だけが留守番で家に残ってたらしいけど……」
「知ってる。あそこの奥さん、お腹に赤ちゃんがいたそうじゃないの。お気の毒に」
――時に、世界とは平和ではない。
人は自らが置かれている立場より過酷な環境が存在するという事を知れば、同じ『残酷な世界』というステージの上で比較し、無意識に優劣をつけているだけに過ぎない。
この場合の優性とは平和であり、劣性とは混沌である。
では平和とは、混沌とは何だ。
身の安全が保障され不安など微塵も感じないのが平和であれば、過酷で残酷で常に身に危険が迫っているのが混沌と思われる。
分かるであろう。
世界に住まう生命全てに言える事である、この世は平和ではない。
常に混沌に身を置きながら、比較する事で平和という盾に隠れている。
死が生命の終着点なのならば、混沌の最中でそいつは必ずこちらを見ている。
だから平和など無いのだ。
仮に平和というものがあったとして、あったのならばなぜ両親は死んだのだ。
――もう、考えるのは疲れた。
平和やら混沌なんかよりも、最後に交わした言葉や表情のほうがよっぽど大事だ。
まやかしの世界平和なんかよりも、両親といれるほうが自分にとってはよほど平和だ。
だから両親を失いし悲劇の少女は後に願う。
嘘吐きな世界なんていつか絶対ぶっ壊してやる。その為の力を誰でもいいからください。と。
◇◆◇
曇天の空、どこまでも果てしなく続く暗黒が世界を支配していた。
肌寒い空の下で親戚が集まっていた。
みんな黒い服を着ていて、今にも泣き出しそうな面持ちだ。
そのうちのひとりを掴まえて尋ねてみたことがある。
「あーしのパパとママ、いないの?」
「いーの?」
親戚を掴む自分、さらにその自分を掴む妹までもが疑念の声をあげた。
この世で一番愛を注がれ、愛していて、いつもいっしょにいて、とにかく早く顔を見たい。
この場に限らず、もう数日も姿の見えない両親の不在に胸が張り裂けそうなくらい苦しくて辛い。
おかえりと言って、パパにおんぶしてもらいたい。
好きと言って、ママに頭を撫でてもらいたい。
自分が裾を掴んでいたお姉さんがしゃがみ、自分と妹を抱きしめた。
そして両手でいっぱいにふたりの頭を撫で回した。
「なんでね、なんで神様はこういう事をするんだろうね……」
抑えきれなくなり、お姉さんは静かに泣き出した。
それを見た自分もなんだか悲しくなり、理由も分からずわんわん泣いた。
釣られて妹も悲鳴じみた泣き声をあげていた。きっとそれにも意味はない。
両親が既にこの世からいなくなっていたというのを知ったのはそれから少し後の事だった。
悲劇だったのだろうか。
当時はもう二度と訪れる事のない両親との時間、そればかりを想った。
◇◆◇
パパとママの写真がお花といっしょに笑っている。
いくら覗いたり睨んだりしても、その中に居る両親が自分の名を呼んでくれたり見返してくれたりする事は無かった。
「ま〜たここにいたのか」
両親を失った自分と妹を引き取ってくれたのは、名家である宮本だった。
母方の実家で、よく分からないがすごい事をしている大企業だったりする。
声の方へ振り返る。
「しのねぇ」
視線の先には、
『こんなのが大企業の跡継ぎ予定の令嬢とは……』
と、ものすごい勢いで失望されそうなワイルドな女性。いとこの宮本しのが二本のアイスキャンディを持って立っていた。
「ほらほら、忘れろとは言わんがな、ちったあ陰気臭い顔をやめてみろよ。食いな」
立ち寄ってきたしのはアイスの袋を開けると、閉ざされるゆづきの口にそれをねじ込んだ。
「んあ!冷たい」
口から落ちかけたアイスの持ち手をとっさに小さな手で掴む。
その時にはもうしのもアイスを食べ始めていたのでゆづきもチロチロと舐めた。
「まあほら、あんたらもいずれは自立してさ、お金稼いで結婚とかして子供できたりして大人ってモンを知るんだよ」
しのはバリバリとアイスを噛み砕き、早々に飲み込んだ。
そして再び口を開いた。
「あたしもまだ世間では子供扱いだけどさ、家だともう嫌ってくらいお前はもう子供じゃないんだぞ。って言われて、現実逃避も許されなくて困ってるんだ」
しのはスタイルが良い。
出るところは出て、引くところは引いている。
顔も声もカッコ可愛くて、本性を隠せば性格だって理想的。
勉強の成績がどうなのかは分からないが、運動神経がべらぼうにずば抜けている。
こんなほぼ非の打ち所がない立派な人だが、ただひとつダメな点を挙げるとすれば……
「そんな事よりまたお見合いの話が来てさぁ、これが最悪。あの聞き分けのない爺が紹介してきたのまた男だったんだよ」
男を好まないところ。
別に嫌いではないとの事だが、女の子のほうが素直で可愛いから好きという。
「しのねぇ、分からないよ」
暇なので、食べ終えたアイスの棒を噛み壊そうと試みるが子供の歯ではせいぜい浅く歯型をつけるくらいしか叶わなかった。
「あーうん。そっか」
これから溜まりに溜まった鬱憤をゆづきに聞いてもらって解消しようと想っていたのだろうか。
そんなしのの思いは、子供相手にはつまらないものでしかなく、あえなく撃沈した。
「……虫捕りでもするか?」
「うん。カブトムシさがそ」
「よっし、お姉ちゃんに任せな」
蝉の鳴き声が遠くに聞こえた。
ふたりはその蝉の近くにカブトムシがいるといいな。と思って夕方まで山に篭っていた。その時は嫌な事を忘れられて楽しかった。
だがそれでも、この心の中にある空洞が埋まることはなかった。
◇◆◇
「ねえ聞いた?」
「あの子、ちょっとなにかあるのかしらね」
うるさい。
やめてよ。
クラスの担任が淡々と言う、
「黒宮は今日も休みか」
クラスメイトが囁く、
「ゆづきちゃんずっと休んでるのズルいよね」
なんでまだ生きてるんだろうか。
自分は何のためにこの世に存在しているのだろうか。
道を見失ってしまった。
「お姉ちゃんこれ、溜まってたプリント」
もう何年みんなに迷惑をかけているんだろう。
両親を失ったと知ったあの時から、もうどれほど経つ?
妹はすでに上を向いて前進しているというのに、自分はまだ立ち直れていない。
情けない。
宮本家は、自分の好きなように生きなさいと言っている。
放任されているわけではない。むしろ手厚く養ってくれている。
働くのに困るのならここで働けばいい。
従業員としては少し難しいかもしれないが、宮本家の使用人としてなら問題は無い。
なんて言われたこともある。
生きた心地がしなかった。
生きている実感が欲しかった。
暗い部屋のベッドの上、左の手首は傷だらけ。今もこうして右手の刃物を走らせる。
滴る血液。シーツはもう何日も洗っていなく、赤茶色のシミが点々と固まっている。
暗く、狭く、辛く苦しく、空っぽの心は静かに闇で覆われていった。
どれだけ泣いてどれだけ絶望しても、報われなかった。
父の背中が恋しい。
母の微笑みが恋しい。
一度でいいから両親に会いたい。
そうすれば全て解決する気がする。
この闇も晴れて、自分も上を向くことができる。
昔しのが言っていたように、自立して結婚して子供ができたりして。
そうしていれたらいつか死んで、幸せだったなって笑顔でさよならができる。
ベッドから降り、机の上に置いてある包帯を左手首に巻く。
「生きる。目的……生きがいを、見つけないと」
もういつ死んでも構わないが、それだと宮本の人々や妹に迷惑をかけてしまう。
だから、生きないと。
扉を開く。
光が部屋に差し込み、誰かに見られたらまずい物々が一瞬だけ露わになる。
だが周囲には誰もいなかった。
自室のある廊下のずっと向こう側で、使用人がせっせと業務に勤しんでいる。
その音が、この耳に久しぶりの仕事を与えてくれた。
◇◆◇
宮本しのはかつて、周囲の大人よりその表向きの性格を形成された。
愛想が良く、誰にでも平等にして、お淑やかで男ウケも女ウケも非常に良かった。
社長の座に就いてからは、容姿端麗で質実剛健な女社長だと社会的な注目も浴びていた。
そんな宮本しのにゆづきは教えを請うた事がある。
色々あった。
趣味を作らされたり、体験したり、感情を表に引っ張り出されたり。
そのおかげで上を向けた。
明るい道が見えた。
「――ありがとうしのねぇ。これでわた……あたしも少しはマシになれたよ」
「うん、ゆづきの手助けが出来たのならあたしも頑張った甲斐があったってもんだな」
しのはビールをグビッと流し込んだ。
「ぷはぁー!……んで、話があるんだろ?言ってみ」
急な話の切り出しに驚いてしまった。
「できればあっちに帰ろうかなって思ってて」
「ほお?」
「それで、もう少しだけ手助けをしてもらえたらな。って思うの」
◇◆◇
冬の終わり頃、黒宮ゆづきとはづきは、かつて住んでいた町にふたりで暮らす事を決意した。
幼少の頃に手放した実家はまだそこにあり、宮本家が手配した諸々に頼って帰ってきた。
数ヶ月が経った。
この地での学校は楽しかった。
懐かしい名前や顔が見えたり、昔に戻れたみたいで充実していた。
だがその感情がいけなかった。
昔を思い出すという事は、頑張って突き放した過去の自分へ自ら歩み寄る行為。
そうすれば必然的に恋しくなってしまう。
唐突に失ってしまった両親が。
また、この心に根ざしてしまった。
封印したはずの左手首にまた線が刻まれた。
失意の日々が、再び訪れてしまった。
そんなゆづきを支えてくれたのが妹だった。
ずっと、いついかなる時でもいっしょにいてくれた。
時にはゆづきの欲望に任せた行為すらも許容してくれた。
「――お姉ちゃん。好きだよ」
愛だった。
このどす黒く闇に覆われた心を浄化してくれたのは、妹――唯一の家族――から向けられた愛だった。
また、明日を生きていいんだ。
上を向いても大丈夫なんだ。
一歩足を踏み出すと景色が瓦解した。
希望に満ちた光がそこにはあった。
温かく、優しい。
世界が広がっていく。
「あたしはあたし。わたしはわたし。もう、過去に帰って。そして二度とここに来ないで。わたし」
自分の胸に手を置いて語る。
まるで目の前にもう一人の自分がいるような錯覚を覚えて。
『イヤだね』
「……え?」
返ってくるはずのない返事が返ってきた。
目を見開き、その存在を確認する。
小さな人型の影が、虚ろに身構えていた。
次の瞬間には、ゆづきは影が持っていた、見覚えのある刃物に左腕を深く抉り取られていた。
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