二人セゾン
@smile_cheese
第一話【Saison de printemps ~春の季節~】
僕は道端の雑草と同じだ。
みんな満開の桜にばかりに気をとられ、踏みつけている雑草には気がつかない。
仮に気がついていたとしても、その雑草の名前を知る者はいない。
この街で暮らし始めて2週間になる。
幼い頃に住んでいたらしいけれど、その時の記憶はほとんどなかった。
ただ、あの頃に習っていたクラシックバレエは今でも時々踊っている。
目的もなく外をふらふらしていると、クラスメイトが数名、正面から歩いてくる。
僕は思わず目を伏せる。
すれ違い様に肩が少しぶつかったが向こうは気にもしていない様子だった。
そう、僕は道端の雑草と同じだ。
この街では、家族以外に誰も僕の名前を呼んだりはしない。
父親の仕事の都合で何度となく転校を繰り返している内に、僕は自然と独りで過ごすことを選択するようになっていた。
色々なことを諦めた方が楽だから。
そう僕は自分に言い聞かせて、毎日下を向きながら歩いていた。
こんなところに公園があったのか。
少し歩き疲れた僕はベンチに座って休憩することにした。
すると、ベンチには一匹の三毛猫が座っていた。
僕はうざったそうにこちらを見ている先客に軽く会釈をしながらベンチに腰かけた。
目の前では赤い体育帽を被った少年たちが楽しそうに鬼ごっこをして遊んでいる。
ふと視線を逸らすと、少し外れたところで青いシャツの少年が一人で砂遊びをしていた。
青いシャツの少年は羨ましそうに赤い帽子の少年たちのことを見つめていた。
僕はなんだか自分を見ているようで居たたまれない気持ちになり、寝息を立て始めた三毛猫を起こさないよう静かに公園を後にした。
明日からまた学校が始まる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昼休みのチャイムが鳴ると、僕はいつものように屋上に逃げ込んで、好きな音楽の世界に閉じこもる。
イヤホンから聴こえてくる大音量の音楽はいつだって僕の味方だ。
太陽は雲に隠れてしまい、少しずつ肌寒くなってきた。
少し横になってうとうとしかけていると、誰かが屋上にやって来た。
僕は気づかない振りをして目を閉じる。
すると、その誰かさんは突然僕に近づいてきて左耳のイヤホンを外したのだ。
??「・・・・・まれ。」
今、何て言った?
僕は驚いて目を開けた。
??「あ~き~と~くん!」
見覚えのある女の子が人差し指を突き出しながらケラケラと笑っている。
確かクラスメイトの、えーと、誰だったか。
??「私のこと覚えてる?」
駄目だ、思い出せない。
秋冬「ごめん…名前が出てこない…」
??「えー、ひどい!けど、仕方ないか。もう10年くらい経つもんね。」
ん?10年?
??「春夏だよ、小池春夏!春と夏が入れ替わる季節に生まれたから、は、る、か!」
春夏…確かにその名前には聞き覚えがあった。
春夏「あなたは秋と冬が入れ替わる季節に生まれたから秋冬。そうでしょ?随分と雰囲気が変わってたから最初は気がつかなかったけど、名前の漢字を見たらすぐに分かった。」
そうか、彼女とは幼い頃に会っているのか。
だけど何も思い出せない。
秋冬「ごめん…あの頃のことはあんまり覚えてないんだ。」
彼女は少し悲しそうな表情を浮かべたが、すぐにまた笑った顔をみせた。
春夏「じゃあさ、バレエ教室は?秋冬くん、よく通ってたよね?友香はもう辞めちゃったけど、詩織は今も通ってるんだよ!」
その二人についても思い出すことができなかった。
確かにバレエ教室には通っていたけれど、10年も前のことだ。
踊り方は体に染み付いていても、教室に誰が居たかまでははっきりとは覚えてない。
いや、もしかしたら転校を繰り返す内に僕自信が記憶に蓋をしてしまったのかもしれない。
僕は首を横に振った。
春夏「本当に何も覚えてないんだ…」
秋冬「うん、ごめん…」
僕は謝ることしかできなかった。
春夏「ううん、いいのいいの!こっちこそいきなりごめん。お昼休みの邪魔しちゃって。秋冬くんはこの時間はいつも屋上にいるの?」
僕は静かに頷いた。
春夏「そっか。じゃあ、明日から私も一緒にここでご飯食べてもいいかな?」
秋冬「…え?」
僕はひどく動揺した。
彼女のその意図が分からなかったし、何より独りではなくなってしまう。
独りじゃないということは、そこに自分以外の人との思い出が生まれてしまうということ。
また引っ越すかもしれない環境に置かれている中、思い出は増えれば増えるほど後で辛く伸しかかってくる。
そういった後悔をしたくないから僕は独りを選ぶようになったんだ。
だけど、ここで断ったら彼女をまた傷つけてしまうかもしれない。どうしたら…
春夏「よし、決まりね!」
僕が返事する間もなく、彼女はそう言った。
もう断る余地は無さそうだ。
春夏「ところで、秋冬くんは『鳥居坂』の桜はもう見た?」
バレエ教室に通う途中にそんな名前の坂道があった気がする。
確かこの学校から近かったはずだけれど、引っ越してきてからはまだ一度も通っていない。
僕は首を横に振る。
彼女はそれを見て何かを考えていた。
春夏「うん、まだ間に合う。行こっ!」
そう言うと、彼女は僕の腕を掴んでそのまま引っ張りながら走り出した。
突然の彼女の行動に僕は抵抗することも出来ず、されるがままに後へと続いた。
階段を下り、廊下を走り抜け、上履きのまま僕たちは学校を飛び出した。
詩織「春夏と…平手秋冬?」
このときの僕はただ彼女に身を任せることに必死で、僕たちを追う視線には気づいていなかった。
彼女の足が止まると、そこは見覚えのある坂道だった。
坂を見上げると、辺り一面が満開の桜で彩られている。
こんな風に桜を見たのはいつ以来だろうか。
春夏「私ね、鳥居坂の桜が一番好きなの。」
そのとき、強い風が吹いた。
桜の花びらが空へと舞い上がり、雨のように僕たちに降り注ぐ。
いつの間にか再び太陽も雲から顔を覗かせていた。
頭に乗っかった花びらを手に取りながら、彼女はとても楽しそうに笑っている。
春夏「秋冬くん、おかえりなさい。」
太陽の光が眩しくてよく見えなかったが、彼女の頬に一滴の涙が流れ落ちていたように思えた。
春を名前に持つ女の子。
さっきまで名前を思い出すことも出来なかったただのクラスメイト。
それなのに、こんなにも心がざわつくのはなぜだろうか。
きっと、この気持ちを人は『春』と呼ぶのだろう。
第一話 完。
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