直樹とささみの冒険

第6話 魔法使いと猫の冒険

 今日は休日。家族揃って謎の森の探索だ!

 と、息巻いていた直樹だったが……


「今日はママ友の会合があるから。あっ、いけない遅刻しちゃう! それじゃ行ってくるわね!」


 まず妻に断られ、


「シズクちゃんと今度行く遠足のおやつ一緒に買う約束してるんだ! パパお小遣いちょーだい!」


 優衣には断られた上にお金もせびられる始末。

 しかし、直樹には最後の砦が残されていた。

 昨晩お風呂で一緒に汗を流し、あの森をじっくり探索しようと約束した息子が……


「ごめん。今野んちで新しく買ったゲームを一緒に遊ぶ約束してたんだった! そんじゃ!」


 バタンッ……。


 玄関のドアが閉まる音と共に、直樹は自分の心の扉も閉じてしまいそうになった。

 

「しょぼん……」


 直樹は肩を落としながら階段を上がり、2階の寝室の壁に立てかけておいた魔法の杖を手に取ると、リビングへ向かった。

 それにしても、昨日の夜あんなことがあったのによく気にせずいつもと変わらない日常を送れるもんだな……と、不思議そうに首を捻りながら廊下を歩く。

 誰も居ないリビングのソファに座り、昨日ここへ戻ってからずっと閉めっぱなしだったカーテンに目を向けた。

 涼坂家のリビングは、庭に面した窓に向かって左側の壁際に50インチのテレビが置いてあり、その向かい側にL字のソファが置いてあるのだが、窓との間に微妙な隙間があるせいで座ったままカーテンを開け閉めすることは難しい。

 そこで、直樹は魔法の杖のできるだけ下の部分を握りしめ、腕を思いきり伸ばしてカーテンに引っかけ、そのまま横にスライドさせることでサーッと開けることに成功した。

 

「おお……!」


 香織や子どもたちも素っ気なかったし、もしかしたら元に戻ってしまってんじゃないか……と心配していた直樹は、窓から見える景色が隣家の外壁では無く森の木々であったことに安堵した。

 いや、普通に考えたら、あれは単なる夢物語で元の風景に戻っている方が安心する場面なのかも知れない。

 しかし、ミステリー小説を少しでも読み始めてしまったら、絶対最後まで読み切って謎を解き明かさないと気が済まない性分の直樹にとっては、謎が謎のまま消えて行かないでくれたことに対する安堵感であった。

 ただ、この景色をひとりで見ていることが寂しくないといったら嘘になるだろう。

 歩斗と優衣がもう少し小さかった頃は、休日で朝から父親が家に居るとなるともうそれだけで大はしゃぎ。「どっか連れてって!」だの「何かして遊ぼ!」だのと2人で父親を奪い合って両腕を引っ張られ、勘弁してくれと直樹が呆れるほどだった。

 しかし、それぞれ小5と小4になった今となっては、当然のように父親よりも友達優先。

 おかげで休日は文字通りゆっくり休めるようになったものの、引く手あまただったあの頃の情景を思い出さずには居られなかった。


「……にゃーん」


 そんな気持ちを知ってか知らずか、いつの間にか直樹の足下にやって来ていたささみが、窓の外に向かって鳴いた。


「おお、ささみ! よし行くか! 冒険の旅へ!」


 直樹はリビングに自分とささみしか居ないのを良いことに、恥ずかしげも無く魔法の杖を振りかざしながら高らかに声を上げた。

 

「……おっと、ちょっと待っててくれ」


 その言葉をささみに、魔法の杖をソファに残し、直樹は駆け足で2階の寝室に向かった。

 クローゼットの奥から、子供たちの運動会に参加する際に揃えたポロシャツとハーフパンツを引っ張り出し、急いで着替えて下に降り、玄関のシューズボックスからスニーカーを取り出してリビングに戻った。

 この時期、半袖ポロシャツにハーフパンツの運動会ルックはかなり肌寒いものがあったが、それもリビングの中まで。

 

「よし、行くぞ!」

「にゃーん!」


 1人と1匹で仲良く窓の外に飛び出すと、温かい空気が1人と1匹を包み込んだ。

 

「やっぱ、これでバッチリだったな」


 木漏れ日を浴びながら満足げに頷く直樹。


「にゃ~ん」


 その足下で、春のような陽気に包まれたささみが気持ちよさそうに伸びをした。

 昨日は夜だったこともあって恐ろしげな雰囲気を醸しだしていた森の景色が一変し、緑鮮やかな木々たちは穏やかな温もりを漂わせていた。

 ただ、植物に疎い直樹の目にも、木の質感や葉っぱの形など細かな所に違和感を感じずにはいられない。

 日本の木々とも、テレビや写真で見る外国の木々とも違うのだが、かといって明らかにファンタジーの世界に迷い込んでしまったというほど劇的に違うわけでも無い、絶妙な"ちょいズレ感"だった。

 それは空気に関しても同様で、その場に立ってるだけで感じる肌触りの違い、鼻と口で吸い込んだ時の微かなクセなどあるにはあるのだが、かといって息苦しいわけでも、水の中にいるような重さを感じるわけでもなく、明らかに変な匂いがするわけでも無い。

 あまりにも違和感が大きければ恐怖が上回ってしまうところだが、その絶妙なズレ感こそがちょうど良い塩梅で直樹の好奇心をくすぐった。 


「そうそう。昨日ちゃんと見れなかったから、まずはそこを調べてみよう」


 直樹は足下のささみに声を掛けながら、右手に進んで我が家のサイド部分の様子を確かめてみる。

 すると、途中までリビングの窓を囲んでいるのと同じクリーム色で塗られた外壁が、途中から茶色い木の壁に変わっているのに気付いた。


「うーん……これはどういうこと? って、逆側は……」


 玄関側から回り込もうとした直樹の目に、さらなる意外な光景が飛び込んできた。


「こ、これは……」


 本来、玄関があるべき場所、つまりリビングの窓の真裏にあたる場所も全面木の板で覆われており、その中央部分には木製の扉がはめ込まれていた。

 もちろん、本来の玄関扉は木製ではなくスチール製だが、そもそも姿形がまるで違う。

 それでも、直樹は一応自分の家であるはずの扉の取っ手に手を掛けて、恐る恐る開けてみようとしたが、ガタガタと音を立てるだけで全く開きそうな気配はなかった。


「鍵か……」


 と、呟いてみたものの、取っ手の上に見える仰々しい鍵穴は、現代世界では至ってノーマルな、涼坂邸の鍵が使えそうな気配が全く感じられない。


「にゃ、にゃ、にゃ……」


 直樹と一緒に付いてきていたささみが両前肢で木の扉をカリカリしたが、やはりビクともしない。

 首を捻りながらとりあえずさらに歩みを進め、リビング側に戻ってきた。

 結果、直樹はマイホームを右回りにグルッと一周したというわけだが、家の半分が木の壁で覆われていることが判明。

 ちなみに実際の涼坂邸の外壁は白い漆喰で、木の板など一枚も張られていない。

 もう一度、直樹は反対側に回ってみた。

 こちら側から見た家は、『住宅街の一軒家』というよりは『山小屋』と言った方が、遙かにしっくりくるような面持ちである。


「そういや、こっち側も見渡す限り森って感じだな」


 直樹は周囲を見渡しながら呟いた。

 本来なら、玄関から出ると車一台通れるほどの小さな道路があって、その向かいに近所の家々が軒を連ねているはずなのだが、いまそこにあるのは木々の群れ。

 しかも、リビング側よりも木が密集して生えているせいか木漏れ日が少なく、見通しも悪かった。


「なんかこっちのが怖いな……向こうに戻ろう」

「にゃーん」


 直樹とささみは落ち葉混じりの土を踏みしめながらリビング側に戻った。

 家の様子を確認すれば少しは謎が解明すると思っていた直樹だったが、それどころかさらに謎が増殖した感に満ち満ちている。

 と言っても、それは大変だ……というよりは、むしろ楽しさが増えて嬉しいとばかりに直樹の目は輝きを増していた。

 月曜から金曜まで働きづめで心身共に疲れ切ってはいるのだが、休日にただ家でボケッと休んでいればそれが回復するのか、と言えば必ずしもそうでは無かった。

 直樹の仕事内容的に、心身の疲れの内、"心"の比率の方がかなり大きいからだろうか。

 楽しむことこそが最大の心の癒やしであるのを裏付けるかのように、謎だらけのこの状況下に置かれた直樹の顔に疲労の色は見えなかった。


「よし。結局何がなんだかよく分からないままだけど、とりあえず周辺を探索してみよう! 何かヒントが隠されてるかもしれないし!」

「ニャーン!」


 直樹は右手に持った魔法の杖を今一度強く握りしめてその感触を確認しつつ、我が家のリビングを背にして歩き始めた。

 そのすぐ後ろをささみが付いていく。

 RPG風に言えば"魔法使いと猫のパーティーによる最初の冒険の始まり"である。

 魔法使いの直樹がまず目指したのは、杖が入っていた宝箱を見つけた場所。

 そこに何かヒントがある予感がする……という思いもあったが、見渡す限り木々しか見えないこの場所で目標にするものがそれしかない、という至極シンプルな理由からだった。




「おっ、あったあった!」


 昼の明かりに助けられ、直樹はすぐに宝箱が置いてある場所にたどり着いた。

 もしかしたら昨日のとは別のやつなのでは……という淡い期待を持って蓋を開けてみたが、残念ながら空っぽ。

 しかし、別のものを発見することができた。

 

「……道だ!」


 直樹は嬉しそうに叫んだ。

 

「……にゃーん!」


 ささみもそれに同意する。

 夜の闇に紛れていたせいか昨日は誰も気付かなかったのだが、宝箱が置かれている場所からちょっとだけ先に行った所に、黄土色の道が左から右に真っ直ぐ伸びていた。

 こっちの世界で初めて目に飛び込んできた人工的なモノに期待と不安を膨らませながら、直樹とささみは道の方に向かってゆっくり歩いて行く。

 すると、道の少し手前

 茶色い地面に1枚の紙が落ちていた。


「こ、これは……!」


 その紙を拾い上げた直樹は思わず息をのんだ。

 古びたその紙に書かれていたのは、何かを現す絵と読めない文字列。

 所々、泥やシミなどの汚れがあって鮮明では無いものの、その絵は恐らく……


「地図……か!?」


 直樹の目は判断した。

 そして、


「にゃーん、にゃーん!!」


 と、ささみが何か言いたげに鳴きだす。

 

「おっとごめんごめん。ささみも気になるよなこれ。ほら、俺はたぶん地図じゃないかって思うんだけど……」


 直樹が腰をかがめて、ささみにその紙を見せようとしたその時。


「#$’#’%#”~#”%」


 突然、背後から意味の分からない言葉を喋る声がした。


「えっ!? だ、誰だ!?」


 直樹が振り向くと、そこには派手な格好をした外国人……と表現していいのかどうかわからないが、とにかく見たことの無い人間が立っていた。

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