第一話 絶対落涙空間
一話 Aパート・チャプター1/クライベイビー・サキ
――――――その日。
貯金が趣味の人生がつまらない安い男、タカハシ・おさむは、いつものように、早朝三時からの仕事を終える。
非常にくだらない理由での軽度の残ぎょうを済ませ、他人のシリをふきにほん走したせいで少々イラつきながら、あのクソッタレが、などと頭の中でぶつぶつ文句を言って、つとめさきの工場を後にしたのは、午後の五時になろうかというころである。
もうやめようかな、仕事変えたいわ、ほんと、などと、ヨソの部署の知らない奴から身もフタも無くボロカスにしかられたこともあって、うすぼんやりと考えながら、肩を少々落して、駅前へとふらふら、たどり着き、東口のコンビニで売っているレモンの缶チュウハイを買って、むし暑い軒先でプルタブをあけ、のみながら、ぼうっと、午ごの陽のひかりを見て、近くの灰皿のそばでタバコに火を点け、呑みこんでいたタメ息を吐き出して、むねの中のぐちを消そうとやっきになってふと。
感じた事のない偏頭痛に襲われ。「いて、でで・・・・・・、」と、かるく目をつぶって知らずにこぼし、もったタバコをくわえて、頭に手をやり、あれ?やべえ、これ、あれ?と、考えながら、ひどい目まいにさいなまれ、ぐるぐる、脳がまわり。
ふいにいたみが消えるので、はっとして顔を上げ、見なれた退きん時の風景をめにうつして、とりあえず大丈夫だ、と、あたりをつけて、缶チュウハイの飲み口に唇をつけ、不審者感まる出しでまわりに視線をはしらせ、
あれ?と、感じたことのない疑ねんをいだいて、
ひと気がそっくり消えている事に気づき、
おかしいな、と、チュウハイをすすって、
唐突に噴き出している。
びたびたとアスファルトに汁気が飛び散ったのも気にとめず、
呆気に、取られている。
飲みものの味が、あきらかに変わっている。
具体的に示すなら、アルコールがすべて抜けている。
どちらかといえば、
のんでいたチュウハイが、いやに甘ったるくて、おまけにぬるい、
レモネード、に、なっている。
慌てて缶を見れば、
『+256℃ ヒー!ケツに煮レモン!』などと、書かれており、
精神的に疲れていたせいもあってちょっと笑い、
「いやいや、」と、ひとりで呟いて。
誰もいない、 いなくなっている、 ロータリーを眺めまわす。
あれ?と、タカハシ(27)は頭の中で、つぶやいて。
「どうやら、 あらわれたようね。」
と、唐突に路上から声を掛けられるので、眼を向ければ、
「ブラザー・トムの指示はいつだって正確、か」と、たそがれるにまかせてこぼし、
こちらを、キッと、睨んでくる、ちょっとかわいい顔をした、夏用のセーラー服を着たボブカットの女の子が、スカートの裾を微風に揺らし、車道に佇んでいる。
都内の物なのか、この辺りでは見かけないデザインであり、言動がアレなのは除いて、それだけなら普通だが、ただ妙なのは、ローラースポーツで使うような、白い肘当てと膝当てを付けて、ダサい指ぬきグローブを両手にはめているところで、
「あの、おれ?」と、タカハシ(27)は、きょろきょろしながら、訊ねている。
「そう」と、彼女はおもむろに腕を組み、断定する。
一瞬、沈黙があり。
「はぁ?」と、タカハシ(27)は曖昧に、首をかしぐ。
「来なさい、ランカー。片を付けましょう」と、彼女は言って、目配せして、背を向け、銀行の方へ歩き出すので、
後姿を見送っていると、
「ぼーっとしてないではやく!」と、ものすごい剣幕で怒鳴られる。
「えーっと?」と、答えて、タカハシ(27)は、無い人目をあらためて確認しながら、タバコの火をけし、ちょっとそわそわして、下心に衝き動かされ、後に続く。
「飛んで火に入るなんとやら、とはこのことね」と、先を行きながら彼女が言う。
「あのー、」と、苦笑して、挙動不審にタカハシ(27)は、後ろを歩く。
「この辺でいっか、」と、何げなく彼女が言って、足を止め。
少し離れて、タカハシ(27)も、ならって足を止める。
周りには住宅が密集しており、にもかかわらずやはり、ひと気は無く、不気味である。
「なぁ、」と、不安さから声を発して、軽く手を伸ばしかけ、
彼女がこちらに振り返り。
「わたしたちは・・・・・・、試されているのよ!」と。
どう考えても妙な、見ている方がなんだかざわっとする、わき腹とかツりそうな難度のたかいポーズで、夏用セーラー服の彼女が言う。もちろん、臆さず。全力で。
住宅街の、まん中で、である。
「……はぁ、」と、すでに疲れ切ったタカハシ(27)は、肩を落とし、投げやりに相づちをうっている。
きょろきょろ周囲を見回して。
「いやごめん、話しが見えないんだけど」と、当たり前の事を言う、タカハシ(27)。
「ハナシが見えない?バカね、」と、ポーズ固定のまま、ちょっと辛くなってきたのか、微妙にわき腹とか震えて、でも強がって笑って、「とんだおおバカね、バカ」と繰り返し彼女が言うので。
いやバカはお前だよ、とタカハシ(27)は思うが、口には出さず、「いやぁ、なにこれ?」と、訊ね返して、
「我が名はキキョウガオカ・サキ!」と、自己紹介される。「ランキングオブサイタマ4852位!ヒト呼んで、 クライ・ベイビー・サキ!」
沈黙。
「はぁ、」と、タカハシ(27)は笑ってしまいながら、相づちをうち。
ぼーっとしていると、
「ほらはやく!」と、怒られるので、
空気を読んで、「あ、え、タカハシです、」と、反射的にぺこっと頭を下げて言い、
ちょっとみつめていると、「何位か言え!」と、怒られるので、
「じゃあ、あのー、四十位くらいで、」と、声に出した拍子に、
「ウソ・・・・・・?!」と、がく然とされ、たじろがれてしまう。
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