不戦の誓い

早起ハヤネ

第1話 木を切る男


 森にザクッ、ザクッ、と音が響いている。空には数羽の飛び立つ鳥たち。草むらではウサギの親子が耳をぴくぴくさせている。シカが男の姿を見かけると身を翻して森の奥へ消えた。

 メキメキッ、と音がした。直後、ガサガサッ、と激しい音がしたかと思うと轟音が起こった。

 オルヴィスは額に浮いた汗つぶをぬぐい、オノを出来たばかりの切り株に立てかけた。

「…ふぅ」息をついた。「きょうは、なかなか手強かったなー」

 広々と切り開かれた空き地に、マツが一本倒れている。倒れた衝撃で無数の穴から驚いたケムシやカミキリムシが顔を出していた。周りには他にも切り倒されたマツが何本も整列して並べられてあった。いま切り倒した木は、なかなかの難敵で、一ヶ月ほどかけてやっとの事で倒すことのできた。

 ここはオルヴィスの作業場だった。

 彼は十五歳。木こりとしてはもう独り立ちしている年齢だった。木を切ってからもまだ大変な作業が残っている。

 のこぎりでマツを十等分にして切る。木を切り倒すのもしんどいが、のこぎりで切り分ける作業も手間がかかる。額から浮いた数粒の汗が頬を伝い、あごから滴り落ちた。しばらくはこの作業が続くだろう。

 一本を切り終わっても、まだ終わりではない。

 今度は、切り株の上で、ナタを使い、まきにする。薪にしたものをすべてロープでぐるぐる巻きにして、市場へ売りに出かける。ここまでが木こりの仕事だ。村の商人が代わりに市場へ売りに出かけてくれるが、その際には商人に報酬を出さないといけないので、オルヴィスはできる限り自分で売りに出かけることにしている。丸太一本切り終わった頃には、すでに薄暮だった。



 山道を戻り、街道へ出た。なにか様子が変だ。

 街道沿いで、幼なじみのフリーダが、顔のよく知る二人のクソガキどもにメイプルの棒や竹箒で身体を叩かれリンチに遭っていた。顔は泥まみれだった。離れたところでニヤニヤしながら見ているクソ女が一人いる。

 この三人は、コリン、マグというクソガキと、ダンスという名のクソ女の三人だった。いつもつるんで、フリーダをよくイジメている。ダンスの手が真っ黒だった。おそらくアイツがブリタニカの顔に泥を塗ったのだろう。

「オマエらァ! やめろッ!」

 オルヴィスはオノを片手に駆け出してゆく。薪が背中からバラバラッと落ちた。

「あ、やべ! 卑賤民ひせんみんをかばうバカがきた! 逃げろ!」

 この村の村長の息子でリーダー格であるコリンの掛け声で、三人は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 オルヴィスが地面に落ちていた石を手に取り、彼らに向かって投げつけようとしたら、フリーダの手が、がっちりとオルヴィスの手をつかんだ。

「なんだ、やめろってーのか? アイツら、オマエを寄ってたかってイジメてたヤツじゃんか」

「…ダメ。投げたら、同じになる」

 一見すると聞こえるか聞こえないかの呟き声だったが、芯の通った強い意思があった。

 夢中になっていて気づかなかったが、街道沿いの草むらに、人間の遺体があった。肋骨がむき出しになっていた。はらわたはなかった。なにか獣のようなものに食い荒らされたような痕跡だった。

 服装から察するに、旅の僧侶といったところだろうか。

「フリーダ。なにがどうなってる? これはクマの仕業か?」

「わたし、この死んだ人を、しゃがんで、じっと眺めていたの。ホントにクマの仕業かな、って気になったから。そしたら、あの子たちが通りかかって石を投げてきたの。卑賎民野郎は、人間の遺体も解体して食うのか、って」

「なるほどなー」

 賎民というのは、この仙ノ国せんのくに身分階級カーストにも入らない最下層の民のことを言う。フリーダはその卑賎民と呼ばれる身分の子だった。

 十四歳。長い髪はほとんど手入れされておらずボサボサ、身につけているものもボロボロ。履き物も紐が切れかかっている。

 オルヴィスは平民だった。平民の上は、商人、その上には僧侶、その次は武士、さらにその上には大勢の武士を束ねる将軍様がいる。

 平民の中でも、林業をしているオルヴィスのような者から、狩猟、農業を生業としている者たちなど細かく分類される。

「…オルヴィスもわたしみたいな子と一緒にいたら、穢れちゃうよ」

「ばーか。オマエと一緒にいて穢れるかよ。つーか、どうかしてるぜ。人間、誰しも同じ痛みを感じるし、同じ血だって流れるし、死なねー人間もいねえ。それを身分なんかで分けてるなんざバカバカしいったらねーぜ」」

 賎民は穢れている、と差別され他の身分の者たちから忌み嫌われている。そもそもこの国は血や死というくさいものに、穢れとしてフタをしている。遠ざけている。そのため、そういう汚れ仕事はすべて卑賎民にやらせているのが現状だ。

「さっきの食い荒らし方。やっぱクマだよなぁ? あぶねーから、家まで送ってくよ」

「いいよ。だいじょうぶ。わたし、ひとりで」

「だーめだ。人の味を覚えたクマだぞ。オマエみたいなやせっぽちのちんちくりんに食う場所があるとは思えねぇが、万一ってこともある」

 村から離れた谷あいに、卑賎民の暮らす集落がある。

「…なーんか、めっちゃ、視線がいてぇな」

 長屋の戸や窓からこちらをじっと見つめてくる目、ささやき声。あちこちから豚や牛の声が聞こえてくる。鼻の曲がりそうな異臭もする。皮革の臭いだろう。

「そりゃそうだよ。平民のオルヴィスがこんなところに来ているんだから」

「なんだよ。フザケんな。俺はオマエを送りに来ただけだ」

「…ありがとう」

 ボソリ、と聞こえてくるささやき声。

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