1日の終わり


 彼女を見失って改めて昼休みの出来事を振り返る。教室に彼女がいてほしいという願いも叶わずそのまま、授業を迎えることになった。

 いろいろな出来事を理解するのに午後の授業の時間を費やすことになった。



 そうして、転校初日の放課後

 そういえばペンダントをどこかで見たなと考えながら校門へ向かうとそこには彼女が立っていた。

 話しかけるべきなのだろうか。いや、わかっている。話しかけるべきなのだろう。しかし、考えてみて欲しい。無理だろう。こちらから能動的に動いたことは一度たりともないのだ。つまるところ、僕が起こすアクションは1つ。無視である。

「おい」

 逃がしてはくれないようだ。

「おや、どうしたんだい?橘さんじゃないか。こんな所で奇遇だね」

 声が裏返りまくった。テンションもおかしい。誰だこいつ。

「名前…」

 何?名前?橘さんじゃなかったのか。いや、流石にそんなことはないはずだ。僕は何故か誰にも話しかけられず暇で仕方のない休み時間で出席簿の名前を覚えたはずだ。出席番号23番、橘――橘瑛子で間違いない。


「えっと…何?」

「だから!名前で呼んでほしいの。昔みたいに瑛子ちゃんって」

 僕は昔橘さんのことを瑛子ちゃんと呼んでいたようだ。一切記憶にないが、正直には言い辛い。だが、だからと言って唯々諾々と従えるかと言われればまた別の話である。もし昔は気兼ねなく瑛子ちゃんと呼んでいたとしても、今となっては女の子を下の名前で呼ぶのは些か恥ずかしいものがある。では、呼ばないという選択肢は?それはそれで難しいだろう。相手は、ヤンキーだ。従わないとこの後どうなるかわかったもんじゃない。

「...瑛子ちゃん。」

 いざ口に出すと思っていたよりも僕は彼女の名前で呼ぶことに違和感を感じなかった。体が覚えているというやつなのか。しかし、そんなに呼んでいたのに記憶にないとは、僕は鳥頭になってしまったのだな。

 そんな悩んでいる僕を差し置き、彼女は僕に背中を見せ、その上両手で顔を隠している。やはり、昔呼んでいたからといって、馴れ馴れしく呼ばせたことを彼女は後悔しているのだろうか。



 どう話しかければいいかわからないのでとりあえず彼女を再度観察してみることにした。お世辞にも彼女はそんな初心な反応をする容貌には見えないので正直面くらってしまった自分がいることは隠そうとは思わない。

 しかし目の前にいる可憐な少女は確かに存在し、今も身をよじらせている。いや、そういう意味ではなく、文字通りに体をよじらせているのだ。誰だこいつ。

「ね、ねえ」

 あまりにも長い(体感)時間が過ぎていたので耐え切れず話しかけてみる。彼女は小動物のような瞳でこちらを見つめてきた。

 ・・・・・・・この子を悲しませてしまうと思うと悲しくなる。


「正直に言うね、僕は君のことが記憶にないんだ。」

 一秒に満たない刹那で、彼女の顔がだんだんと変わっていくのがうかがえる。先ほどの小動物は擬態していたらしい。そこにはまさしく鬼がいた。

「ちょちょちょ、待って親父ならわかるかもしれないから!!」

「おじさん?」

 そう言って彼女は少し思案して、くるりと踵を返した。彼女の背中が早く行こうと告げている。

 後ろから放たれる彼女の圧によって悪くなる空気を改善したく、洒落た言葉でも出そうと頭をフル回転させるが結果は出ず、玄関まで耐えることになった。

 自宅に入る際、彼女にまだ親父が仕事から帰ってないから待つことに不都合はないか聞いた。

 彼女は何も喋らず、首を縦に振るだけだった。

 何も出さないのは悪いと思い彼女を適当な場所に座らせて台所へ向かった。



 茶菓子と共に戻ると彼女はいつの間にか僕のアルバムを読んでいた。

「ど、どこから持ってきたの」

 彼女からの返答は鋭い眼光だった。

 僕は言葉が出なくなり、黙って彼女に従うしかなかった。

 数十分間、アルバムをめくる音が部屋中に響いていた。

 言葉を投げると睨まれ、口を閉じるとページを進める音のみ。なんだ?新手の拷問か?気まずすぎるだろ。

「ない…」

 そんな無の時間を享受しているといきなり彼女は独り言ちた。その顔は先程までの切れたナイフのような目付きではなく、少し物憂げな表情であった。いつものギャップにドキっとしている自分がたしかにいた。

「ない?何がないんだい?」

 そんな、青臭い動揺を気取られまいと意識したが案の定と言うべきかその言葉はいつもより早口で声も大きかった。しかし、彼女は僕のことを気にもとめずアルバムを捲り続けている。

「なんで写真がないの」

頬に汗を垂らしながら焦っている様子の橘さんは必死に何度もアルバムを見直していた。

「なんで、なんで無いの…」




そう言って諦めるようにアルバムを閉じた橘さんは少し泣きそうな顔をしていた。

僕は悩んだ。あの女の子とのツーショット 写真が彼女の捜し物かもしれない。その写真はアルバムに戻すのが面倒で、僕の部屋に置きっぱだ...しかし、そこに映っているのが彼女でない場合、彼女をもっと悲しませ、その後こんな僕にあんな態度をしたことで、羞恥心でいっぱいになるだろう。知らぬが仏という諺もある。

 だが、本当に彼女が映っていたなら、僕がツーショット写真をアルバムに挟まず、自分の部屋にキープしていると、彼女は思うかもしれない。掴みきれない性格の彼女がどんな反応をするか、わからないけど、今後このことでいじられるのは嫌だ。

 ここは、父を待って真実を知るべきか...

というか僕は何故あの写真だけ気にかけているのだろうか。

 父に見せてもらったあの時、何も感じなかったというのに…

「ねえってば!!」

「はぅあ!?」

「はぅあって…引くわー。」

「大声を出すのが悪いんだろ!」

 見れば彼女は少し元気になっていた。いや正確には違うのだろうが表面上では少なくともそう形容できた。

「おじさんはいつも何時頃に帰って来るの?」

「うーん…正直わからないね。帰ってくる時間はバラバラだから。早く帰ってくる日ならもうそろそろかな?」

 時計を見ながら答えた。時刻はちょうど19時だった。ちょっと気持ちがいい。

「そう…。突然だけどいい?」

「どうぞ。」

「お腹空いた。」

 真顔で、彼女は異性の僕になんの躊躇もなく言い放った。



 そんなこんなで彼女の為にキッチンに立っている。正直親父が遅い時なんかは自分が調理するから別段問題は無い。……横からの視線がなければの話だけど。

「おぉ…」

なんか感動してるし。

「ねえ…。あんたはハンバーg」

「楓」

「へ?」

話をぶった切ったから彼女は目を丸くしている。

「あんたあんたって言われるよかマシだから。」

 実際はねえ、がほとんどだが。

 正直に名前で呼んでくれなんて言えなかった。

「………。」

「…………無言は勘弁してください。」

死んでしまいそうだ。

「ん、楓はハンバーグ好き?」

「え?好きだけど。」

まあ好きだから今も作ってるんですけどね。

「そっか。私もだよ。」

ニッコリと、彼女は笑った。それは心から嬉しそうに見えた。

夕飯の支度が終えたころ

「ただいま、誰か来ているのか…瑛子ちゃん?」

 父が帰って来た。あの反応から鑑みるに親父は覚えているようだ。

「ご無沙汰です。お父さん」

 何言ってんだこいつと思いつつ父の方を見るといつになく真剣な顔をしていた。

 しかし、それは一瞬のことで

「いらっしゃい、ずいぶん会わないうちに可愛らしくなって。積もる話もあるだろうけど先にご飯にしよっか」

と、いつもの父親に戻っていた

 夕飯を食べ終えて橘は父に質問し、僕は食器の片付けに移った。

 父は橘の「なんで楓、私のこと覚えてないの?」などの質問に対して「こんな可愛い子のこと忘れるとか、息子は馬鹿だなぁ」みたいに真面目に答える様子はなかった。

 一通りの片付けを終えたら時間は9時になろうかとしていた。

 すると父が、

「もう夜も遅いし車で送っていくよ」

「いえ、そんな迷惑をかけられません」

「女の子一人で夜道を歩くなんて危険だし、なにより久しぶりに君の親子さんに挨拶したいんだよ」

「そこまで言うならと…」

 父と橘は玄関へ向かい、それに付いていこうとすると

「おまえは明日も学校あるし、今日一日で慣れないことが沢山あっただろ早めに寝なさい」

 あまり父には逆らえない僕はそれに従い、留守番をした。四十分ほどしたら父は帰って来て、

「昔のように仲良くしろよ」や「キレイになった瑛子ちゃんをものにしろよ」など仲を深めるように促してきた。

 その事にあまり疑問を持たず、僕は明日を迎えた。

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