第23話~24話

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 敵のコーナー・キック。ショート・コーナー(コーナー・キックのボールをすぐ近くの味方にパスすること)のボールは、静かだが凄まじい迫力を纏う未奈ちゃんに渡る。

「沖原ー、とりあえず、遅らせようやー」俺は、半ばパニックになりながら、沖原に指示を出した。我ながら超なっさけない声だった。

 極限の集中状態の未奈ちゃんが、左足アウトでボールを押し出す。何のフェイントもないドリブルに、沖原は為す術もなく振り切られた。

 突破後の隙を突くべく、俺は素早く未奈ちゃんに寄せる。だが未奈ちゃんは、ノー・ルック(パスする方向に視線を遣らないこと》でイン・サイド・キック。俺のマークだった7番に落とす。

 どフリーの7番は、左足を鋭く振り抜いた。低い弾道のシュートがネットを揺らす。二対三。

 ゴール・マウスの中でわずかに跳ねるボールを見ながら、俺は呆然と考える。

 何すか、このワン・サイド・ゲームは? 想定の外にも限度ってもんがあるでしょ。

 俺はこの一ヶ月、生活のぜーんぶをサッカーに捧げてきた。努力度だけなら、竜神の全運動部員でナンバー・ワンの自信がある。

 それに今回は大きいコートでのゲームだ。テクニックの比重が大きいミニ・ゲームでの惨敗とは質が違う。このままやられたら、ヤバ過ぎるんだって。

 ボールがセンターに戻り、試合再開。俺たちはゆっくりとパスを回す。だが最前列の佐々が、痛恨のトラップ・ミス。あおいちゃんが足を伸ばし、ボランチが拾った。

「あおいー、ナイス・ディフェンス。落ち着いてる、落ち着いてる」

 未奈ちゃんの、大きくはないがやけによく通る声が、俺の鼓膜を揺らす。

 立ち上がったあおいちゃんは、曖昧な笑顔を未奈ちゃんに向ける。

「ありがとね、未奈ちゃん。ちょっと冷静になれたよ。これ以上はやられないように頑張るよ」

 遠慮がちな声色だった。あおいちゃんも、今の状態の未奈ちゃんは、初体験と見える。

 ペナルティ・エリアの少し外で、沖原を抜いた未奈ちゃんと対峙する。再び、一対一。

 左にフェイント。左イン。左アウト。縦への突破だ。スライディング。

 しかし、未奈ちゃんは左インでボールを浮かし、ショート・バウンドをスルー・パス。追い付いた相手11番のシュートは、ぎりぎり枠を外れた。だが俺の焦燥は加速を続ける。

 ちょっと待ってくれよ。今日、勝てないと、俺は一生、追い付けないって。そんなの絶対に──。

「星芝ー! お前らしくないぞー! 気ぃ、詰め過ぎずに、やりたいようにやれよー!」

 ベンチから、柳沼コーチの冷静な怒鳴り声がする。

 やりたいようにやれ? そりゃ光栄っすわ。でも指示がずいぶん曖昧じゃあいないかい?

 俺はいったい何がしたい? 原点に立ち返ろう。そもそも俺は、未奈ちゃんを追って竜神サッカー部に入って──。

 閃いた俺は、稲妻の如き早さで立ち上がり呆然としている沖原に近づいた。

「沖原。俺、未奈ちゃんの専属マークになるわ。そんでもって今の神憑り未奈ちゃんを、脳内メモリにがっつり焼き付けるよ」

 返事も聞かずに、未奈ちゃんの元へと向かう。なんでか全然わからないけど、気分は最高だった。


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 女子Aはまたショート・コーナーを使い、ボールが未奈ちゃんに渡った。俺は、ターンした未奈ちゃんと向き合った。

 今の未奈ちゃんは、神々しいまでに艶やかだ。こんなに近くで見られる俺は、本当に幸せ者である。

 未奈ちゃんは左アウトでちょんとボールを出し、間髪を入れずにインで切り返す。重心が一瞬右に乗った俺は動けない。

 右足の裏から回した左足でクロスが上がる。11番がヘディングで合わせるが、壁谷さんがミラクル・キャッチ。なんとか難を凌いだ。

 エラシコからのラボーナ・キックかよ。魅せてくれるじゃんかよ。こりゃあ俺も、お返ししないと、だね。

 やられたにも拘わらず気分爽快な俺は、仲間とともに上がり始めた。すると、沖原が小走りで近づいてくる。

「わかった、星芝。水池は、お前に任す。悔しいけど俺じゃどうにもならないし、お前なら何かやってくれそうだからな」

 真剣そのものな沖原は、声がとても重かった。

 沖原の信頼を感じた俺は、取り戻したいつもの調子を崩さない。

「おう、任された。ついでにサクッと未奈ちゃんを止めてやっから、乞うご期待」

 沖原の目を強く見つめてぐっと親指を立てた。

「ああ、わかってるよ。お前はずーっとそういう奴だよな。それじゃ、よろしく頼むぜ」

 唇を歪めて悟ったような台詞を吐き、沖原は俺から離れていった。

 沖原とも、ここまでわかり合えた。入部したては、まーったく仲良くなれる気がしなかったけど。

 沖原だけじゃあない。サッカーをする中で、たくさんの人と深く関われた。色々あったけど、竜神サッカー部に入ってほんとに良かった。

 俺はね、未奈ちゃんを含めて、莫大な数の人間の期待を背負ってるんだよ。だからさ、こんなところで、終わるわけがねーだろ?

 俺たちの攻撃。最前線の釜本さんにボールが収まる。

「沖原、俺、上がるよ。後ろ、お願いしちゃっていいかな?」

 ハイ・テンションを抑えもせずに、俺は沖原に尋ねた。

 沖原は、俺の高揚が感染したかのような、心底、楽しげな笑顔だった。

「ああ、とっとと行けっての! 遠慮はいらん! お高くとまった女子どもに、目に物見せてやれ!」

 沖原の上擦った声を聞いた俺は釜本さんに駆け寄り、「先輩!」と、どでかくボールを要求する。

 釜本さんからのパスをトラップすると、目の前にすっと未奈ちゃんが出現。ポジションなんかお構いなしだ。

 よく来てくれたね、未奈ちゃん。今から見せるプレーが、俺の全部だよ。

 ますます盛り上がる俺は、ボールを高速で大きく跨ぎ、左足で小さくエラシコ。未奈ちゃんを抜くべく、縦に持ち込む。

 しかし、未奈ちゃんは素早く反応。左足でボールを引っ掛け、近くにいた7番に繋いだ。

 俺は全力で引きながら、未奈ちゃんの後ろ姿をじっと見つめる。

 今の未奈ちゃん、マジで神。俗人には到達し得ない遙か天上に在しましている。教えてくれ。俺はどうすりゃ、そこに行ける?

 自陣の中ほどで、俺は再びボールを足元に置いた未奈ちゃんと相対する。相変わらずの神聖な佇まい。

 未奈ちゃんが動き始めた。俺の思考は止まる。と同時に、周りから音が消える。

 未奈ちゃんの身体が右に揺れる。まだフェイク。重心が反対に移っていく。左アウト。ここだ。右足を出す。

 左インで出したボールに、踵が掛かった。ボールを奪って前を見る。

 佐々が手を挙げている。足を振り被り、ミートの瞬間に止める。

 美しい弧を描いて飛んだボールは、ゆっくりとキーパーの手前に落ちる。狙い通りのバック・スピン。

 あおいちゃんと佐々が並走する。あおいちゃんのスライディングが、ボールを掠めた。

 ボールはキーパーに向かって転がるが、触れられる前に、佐々ループ・シュート。弾んだボールがネットを揺らす。三対三。

 ベンチにいるコーチたちが、立ち上がる。走る佐々が飛び上がってガッツ・ポーズ。

 味方の全員が歓喜に湧く中、俺はまだ不思議な感覚に包まれていた。

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