第9話~第10話

       9


「ああ、あったあった。ちゃんと片付けてくんなきゃ見つからないっての。お母さん、相変わらず整理が下手よね」

 水池家のリビング、木製のチェストから絆創膏の缶を取り出した未奈ちゃんが、困った感じで呟いた。対面に位置するソファーベッドにいる俺に、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 白を基調としたリビングはシック感じで、テレビ、本棚、木製机、カーペット、ソファーベッド。どれを取ってもごく普通だった。

「ありがと。後は自分でやるよ」絆創膏を受け取るべく、俺は左手を差し出した。

 だけど未奈ちゃんはフィルムを剥がしつつ、それをスルーした。未奈ちゃんは絆創膏を傷に当て、両サイドの接着部分をぐっと押さえる。

「未奈ちゃ……」「うだうだ言わずに黙ってろ。とっとと終わらせるから」

 直立する未奈ちゃんはつまらなさそうな調子で、俺の言葉にかぶせた。傷に目を遣る未奈ちゃんを、俺は見つめ返す。ふんわりと、女の子特有の甘くて優しい香りが鼻をくすぐる。

 数秒後、未奈ちゃんは離れた。わずかに細めた目で、俺の顔の傷のあたりをじっと見ている。

「亘哉くんはやっぱ凄いね。今日は亘哉くんが日本の宝たるゆえんを、まざまざと見せつけられた感じだよ。俺とはやっぱモノが違う。悔しいけど、厳然たる事実だね」

 静かな気持ちで思いを吐露した俺を、未奈ちゃんは揺れない瞳で凝視し続けている。

「いつになく悲観的ね。そんな自分を卑下する必要はないわよ。高いモチベーションに素直な姿勢。人間出来てるし、あんたは絶対上に行く。今は単なるカス選手だけどね」

 初めて耳にした率直な賛辞に、俺は耳を疑った。

「未奈ちゃん、やっぱり俺のこと……」

「あー、やめろやめろ。あんたはほんっと、すーぐそっちに話を持ってくんだから。ったく、たまに褒めたらこれだもの。柄にもないことはするもんじゃないわね」

 かわいらしく照れる未奈ちゃんを見ながら、俺の心は暖かくなり始める。

 サッカーへの思いの強さ故にむちゃくちゃ言うこともあるけど、やっぱり未奈ちゃんは基本的に面倒見の良い女の子だ。今日もきっちり手当してくれたしね。

 ほら、「愛の反対は憎しみじゃなくて無関心」って言葉があるじゃんか。ほんとにどうでもいい相手には、何にも言ったりしないって。

「あと未奈ちゃんって、皇樹のことが好きなんだよね」

 俺は超真剣に秘密事項を口に出した。

 未奈ちゃんが固まった。「な、なんでそう思うのよ。いったいどこにどんな証拠があって、私があのただのサッカー馬鹿を好きだって……」身体全体で慌てている様の未奈ちゃんは、ごにょごにょと言葉を濁した。

「今はそれでいいんだよ。でもこれだけは知っといてね。俺は世界中の誰よりも未菜ちゃんが好きで、誰よりも大切にする自信があるよ」

 俺の真摯な宣言に、未菜ちゃんの挙動不審が止まった。表情は静かなものとなり、俺たちは再び見つめあう。

 その後? 別に何もなく帰ったよ。絆創膏は当然、家宝認定、クリアケースに入れて永久保存したけどね。


       10


 亘哉くんとの初練習の六日後の昼、午前練を終えた俺たち男子Cは、吉田サッカー公園にいた。J1のサンフレッチェ広島対J2の山口フログモスの練習試合が、午後二時からあった。

 吉田サッカー公園はサンフレッチェの練習場で、北側には自然公園もある。小中時代は、俺もよく家族と来てたよ。

 俺はCのメンバーと一列になって、サッカー・コートと、コートを囲むフェンスとの中間で、体育座りをしていた(客席がないからね)。

 試合は一般公開されているので、俺たちの周りには、楽しそうな雰囲気の家族連れや、両クラブのユニフォームを身に着けたファンの姿があった。

 しばらくして、両チームのスタメンが、コートに歩いて入り始める。サンフレッチェの面々の中には、皇樹の姿もあった。背番号は、18。大人である他の選手に負けない、堂々たる体躯である。

 整列、円陣が済んで、選手たちはそれぞれのポジションに着いた。サンフレッチェのフォーメーションは4─2─3─1だ。

 トップ下に入った皇樹は、右を向いて人差し指を差し、何やら大声を出していた。目付きは鋭く、迂闊には話し掛けられないオーラが出ている。

 しばらくして、ボールがコートの中央に置かれ、フログモスの選手の二人がセンター・サークルに集まった。ホイッスルが鳴って、試合が開始される。

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