第3話〜4話

       3


 四時間目の国語が終わって昼休みを迎え、談笑する生徒たちの楽しげな声があちこちで聞こえ始めた。

 俺は、教室の後ろの窓際に沖原と佐々を招集した。二人とも、やや険しい顔をしている。

「あおいちゃんのありがたーいお話で、未奈ちゃんの知られざるヒストゥリーがつまびらかになり、俺は考えた。ただひたすらに、考えた」

 腕を組んだ俺は、重厚さをふんだんに加えた演説を開始した。「おう、考えて考えて、んで、どうなったわけよ?」と、佐々が何気ない口調でノってきた。

「考えて考えて、俺に足りないものは、スピードだっつー事実が判明した。弱小校のスピードスターにやられてたら、未奈ちゃんに追いつくなんて夢のまた夢だ。というわけで、佐々。いや、成政」

「その言い換えはイミフだけど、何だよ?」

「俺に、足を速くする方法を教えてくれ。Cじゃあ、お前がナンバー・ワンだから」

 佐々を凝視して、真摯に告げた。佐々の目が驚いたようにわずかに開く。

「おう、別に良いけどよ。弱点の克服みてーなセコい真似は、しねーんじゃなかったのかよ?」

「ああ、確かに俺の理想は、ブラジル流の小細工なしで相手を圧倒するサッカーだよ。でもな、物事には優先順位ってものがあんだよな。俺は、未奈ちゃんと結ばれるためなら、主義でも信条でも、なんっでも捨てられるんだよ」

「お前、良い顔しながらぶっ飛んだ台詞を吐くよな」眉を寄せる沖原から、呆れた声が飛んだ。

「わかった、教えてやんよ。そん代わり、見返りは要求させてもらうぜ」

「よいよい。見返りでもふかえりでも好きなだけ要求しなさいよ」

「1Q84、村上春樹かよ……。見かけによらず、読書家なんだな」沖原がぼそっと呟いた。

 俺は、ゆっくりと沖原に視線を移動させた。沖原も、俺から目を離そうとしない。

「あと、沖原。振り分け試験の時は、すまんかった。三試合目の、俺のオーバーラップが不用意だって意見は、冷静に考えると一理も二理もあるわ。点を取った相手選手を褒めんのは、譲れないけどな」

 沖原は、俺の心からの言葉に、「いや、だからって、俺が百パーセント正しいってわけでもないだろ」と、目を伏せて反省するかのようにもごもご話している。沖原は基本的に柔軟で、道理を弁えているやつなのである。

「女子Aとの聖戦だけどさ、未奈ちゃんを抑えるためには、俺らの連携が重要なわけだよ。だから、これまでの確執は華麗に水に流しちまって、気合を入れて練習してこーや」

 力強く述べた俺は、すっと右手を出した。沖原も右手をわずかに出すが、ゆるゆると引っ込めた。再び俺の目を見つめて、いや睨んで、口を開く。

「正直に話すとな。俺、昨日のミニ・ゲームで、お前を……、なんというか、尊敬するようになったんだよ」

「俺を? 何でだよ?」想定外の台詞に驚いた俺は、自分を指差した。

「俺は昨日、水池姉弟の桁外れの強さに、心が折れそうだった。六年間、サッカーをやってきてそれなりに得た自身が、雲散霧消していく感覚だった。そんな中でお前は、一見、へらへらしてたけど、その実、化物二人に挫けずに立ち向かってた。凄いって感じた。お前みたいなサッカーの取り組み方もありなのかもな、って思った」

 沖原は、自分の真の想いを口にしているのだろうけど、俺の頭には、クエスチョン・マークが浮かび始めていた。

 沖原、俺は、自分のやりたいようにやってるだけだぜ? そんな俺を、お前は尊敬するってのかよ?

 俺の内心の疑問に気づくはずもなく、真実一路って雰囲気の沖原は、言葉を紡ぎ続ける。

「俺は、お前と組みたい。お前と組んで、水池を封殺して、Bに上がりたい。だから、うまく言えないけど。うん、よろしく」

 静かに告げた沖原は、改めて右手を出してきた。俺は、沖原の手を思っくそ握った。

 かくして、沖星佐ちゅうせいさ三国同盟は成立したってわけだ。ん? 同盟の名称がこじつけ臭いって? あらゆる意味でスターな俺を文字の中心に据えた、イケてるネーミングだと思わない?

 話し合いの後、少しして、昼食の弁当が届いた。机を突き合わせた俺たち三人は、一緒に食事をした。決戦に関係するあれこれを議論しながら。大いに盛り上がったことは、言うまでもないよね。


       4


 午後練後、夕食を取った俺と佐々は、自主練の場所であるCのグラウンドに集まった。

 アップを終えて、俺は走る構えを取った。横では佐々が、俺の一挙手一投足を注意深く見ている。

 息を整えた俺は、ダッシュを開始。現状でのベストを尽くすべく、全力で足を回転させる。

 五十mほど走った俺は、次第に速度を落としていった。やがて方向転換し、ジョグで佐々の元へ向かう。

 佐々は、真剣なのか不機嫌なのか判別ができない顔で、「あー、だめだめ。全然だめだわ」と扱き下ろす。

「まず、お前さ、ガニマタなの。まっすぐ走れてねえんだよ。爪先は常に前を向くよう意識して、もっかい走ってみ。ゆっくりでいいからよ」

 俺は、「おう、了解」と端的に返事して、佐々の教え通りにダッシュし直す。なんとなく、走り易いように感じた。

 短距離の練習はこれまでほとんどしてこなかった。だから知らない間に、走り方が歪んでたわけだ。早めに矯正できて良かった。

 まっすぐに走る練習をしてからは、腰の捻りを意識しながら、その場で腕を振る練習に移った。「短距離は股関節が大事だから、普段の練習から意識してけよ」と、佐々はストイックな物腰で俺に命じた。

 自分の練習を終えた俺は、佐々に手本を見せてくれるよう、頼んだ。ロケットの如き佐々の全力ダッシュには、並々ならぬ気迫や力強さが感じられたよ。

 ダッシュ練の後、佐々の申し出で、俺たちは近い距離でのキック練習をした。

 佐々にはまだ、足を構えてからトラップをする癖が残っていた。素早い動作をするためには直さなきゃいけない。だいぶ上手くはなったんだけどね。

 佐々の練習も終えて、クール・ダウンに移った。

「そういえば、ちゃんと聞いてなかったけどさ。佐々って今まで、どんなスポーツをしてきたわけ?」

 座って開脚のストレッチをしながら、俺は佐々に尋ねた。伸ばした指は、ギリギリ足の爪先に届いた。

「小一から小三までは、ソフト・ボール。少年団で、強制的にな。他には、バスケとかバドミントンとか、嵌まったスポーツをダチと一日じゅうやってたぜ。俺、小学生の時、家の中で遊んだ覚えないかんな」

「マジかよ。筋金、入っちゃてんな。中学は何をしてた?」

「アイス・ホッケー部でバリバリやってた。三年の時には、県の選抜にも選ばれたんだぜ。凄くね?」

 低い声で嘯いた佐々は、百八十度に開いた脚の爪先に手で触れる。未奈ちゃん並の、身体の柔らかさである。

「ああ、すげーわ。たださ。県トレに入れるぐらい上手いんなら、高校でもアイス・ホッケーを続けりゃいいのに、って思わんでもないんだけど。サッカーは、何で始めたのよ?」

「中三のときの体育のサッカーで、サッカー部のエースと同じチームになってな。チーム・メイトのやりたいようにやらせてくれて、俺もガンガン走り回って、そこそこ点を取ってよ。んで、おもしれーって思って始めた」

 佐々からの返答は、憧れを語る少年のような口調だった。

「陸上はやってなかったの? 短距離も長距離も、凄まじいの一言なんだけど」

「俺のオヤジ、長距離の国体に出ててさ。ガキの頃から走る練習、やらされてたんだよね。んで、俺、徒競走とか、ずっと学年のトップだったんだけど、オヤジの練習の所為で小四で陥落しちまってさ。ほら、長距離をやり過ぎたら、短距離は遅くなんじゃん?」

「ああ、一般的には、そうだわな」俺はどっちも、ろくに練習してこなかったけどね。

「ムカついたから、RCに入ってる先輩に短距離も教えてもらった。アホみてーに練習して、すーぐに追い抜かしてやったけどよ」

 佐々の薄情かつ大胆な台詞に、俺は舌を巻く。未奈ちゃんに匹敵するスポーツ狂が、ここにもいた。

 身体を起こした佐々は、自分の前髪を右手で撫で付け始めた。

「竜神のサッカー部、めっさ人が多いって聞いてな。ちょっとでも目立つように、髪もこんなド派手にしたんだぜ。ま、プレーに支障が出んなら切るけどよ。──って、ホッシー。何、黙ってんの?」

 俺を不審げに見た佐々は、すぐに、意地の悪い揶揄うような笑みを浮かべた。

「おいおい。もしかして、俺の運動マニアっぷりに圧倒されちゃった系? ちんたらしてっと、追い抜いちゃうぜ。なんつったって俺は、運動センスの塊だからな」

 カチンと来た俺は、佐々への視線に力を込める。

「お前のセンスは認める。でも、サッカーはそこまで甘くはないよ。それに俺は、シックス・センスの鎌足だからね。中大兄皇子が有する五感とは、一味も二味も違うからね。抜けるもんなら、抜いてみろってーの」

「ははは、イミフにも限度があんだろが。相変わらずぶっ飛んでやがんな、ホッシーはよ」

 挑発的な遣り取りの後、俺は佐々と睨み合う。相手が誰でも、俺は負けない。

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