第17話〜18話


       17


 ロング・ホームルームも終わり、休み時間になった。十二組のクラス員のほぼ全てが残る教室では、あちこちで、初対面同士のぎこちない会話が展開されている。

 委員決めの結果にホクホクの俺は、教室のアイスをブレイクすべく、立ち上がろうとした。幸せは、お裾分けしないといけないからね。

 しかし。ダンッ! ふいに現れた人物の両手が、俺の机を力強く叩いた。

「星芝くーん、ちょっーとお話があるんだけど、お時間頂けるかしらぁ。」

 にっこりスマイルの未奈ちゃんが、俺を見下ろしていた。ゆっくりとした声は、妙に甘ったるかった。

 突然の急接近にドギマギしつつ、「い、頂けますよ。いっくらでもどうぞ」と、ぼそぼそと返す。

 俺のセリフが終わるや否や、未奈ちゃんは俺の右手の袖をガッと引いた。俺は転倒を避けるべく、未奈ちゃんが力を掛けるほうへ進む。

 俺たちは、教室、廊下と、周囲の視線を集めながら歩いていった。未奈ちゃんの歩行速度は異常に速く、引っぱられる俺については、「歩く」より「よろける」が正しいけれど。

 人のいない階段を通り過ぎ、トイレまで達する。通り過ぎようとした未奈ちゃんだったが、ふいにストップ。男子トイレの中を覗き込み、ずんずんと侵入し始めた。

「ちょ、ちょっと未奈ちゃん。ここ、男子トイレだよ! 女人禁制だよ!」

「うっさい、あんたは黙ってなさい。女子トイレに連れ込むわけにはいかんでしょーが」

 イライラしたような返答をした未奈ちゃんは、そのまま俺を引いていき、掃除用具入れへと入った。扉が自然に閉まって、未奈ちゃんと向かい合う。

「さーて、楽しい楽しい尋問タイムの始まりよー。どーして連行されたかわかってるわよねぇ。あんたさー、さっきの委員決め。私が手ぇー挙げたのを見て手ぇ挙げたでしょ」

 未奈ちゃんの眼差しは、ビームが出そうなほど鋭い。うん、これはこれで可愛いな。新たな魅力発見。いやいや。そんな場合じゃないんだって。

「ちょっと未奈ちゃん。ぜんっぜん違うよ。早とちりしてもらっちゃー困る」

「ふん。早とちりも何も、あんた存在そのものがとちってんでしょ。で、何がどう違うのよ? 言ってみなさいよ」

「俺の手が挙がったのは、ほら、あれだよ。シンクロニシティ。ユング大先生が提唱した概念だよ。愛の集合的無意識で繋がった俺と未奈ちゃんの動作が、神秘の高次元で共鳴を起こして……」

 バン! 怒り心頭の未奈ちゃんの左手が、俺の背後の壁を叩いた。未奈ちゃん〈蛇〉に睨まれて、俺〈蛙〉は固まる。

 ……こ、これが、噂の壁ドン。こんなに鬼気迫る状況でなされる物とはね。まったく、世界は広いぜ。

「おふざけもその辺にしときなさいよー。どー考えても、あんたは私に合わせて手を挙げたのよ。ってかあんた、空しくないの? ぜっっったいに振り向いてもらえない相手を追っ掛け続けてさー。フッラフラフラフラ、お好み焼きに乗ってる鰹節じゃあないんだからさ」

 口を歪めた未奈ちゃんの表情が、呆れと怒りに染まり始める。

「いやいや、わかんないよ? 未奈ちゃんも俺と一緒にいたら、予想もしてなかった魅力を発見して、好きになっちゃうかもしれないし。人生何が起きるか、一寸先は闇なんだよ」

 俺の理詰めの説得を聞いた未奈ちゃんは、だんだんと真顔になっていった。

「……わかった。じゃあ、賭けをしましょう」

 落ち着いた語調の未奈ちゃんに、「賭け?」と聞き返す。

「明日の自主練の時間、ミニ・ゲームをするの。そっちは、あんたに十二組のCチームの二人を加えて三人。こっちは私と、私の出身チームの小学生選手の二人。あんたたちが勝ったら、あんたとデートをしたげる」

 はっとした俺は、「え、マジで?」と聞き返した。

「その代わり私たちが勝ったら、あんたは私の言うことを、何でも一つ聞きなさい。どーお? 破格の提案でしょ? 女子選手とチビガキに三人掛かりで勝ったら、憧れの美少女とデートができるんだもんねー」

 未奈ちゃんの口調は、異常に間延びしていた。口角の上がった笑みは、俺を嬲るようだったが、俺のテンションは急上昇する。

 三対二で勝ったら、未奈ちゃんとデート? 心、踊りまくりなんですけど。

「お、おう。ミニ・ゲーム、受けて立つよ。未奈ちゃんは今日から、デートで何を着ていくかとか、いろいろ考えといてよ。一生ものの思い出にしたげるからさ」

「あんたは、ミニ・ゲームでどんな悪足掻きをするか、考えときなさい。一生もののぼろ負け試合にしてあげるから。時間は午後七時、場所はうちのフットサル・コート。コートの使用手続きは、私がしといたげる」

 自信マンマンで告げた俺に、未奈ちゃんはクールに吐き捨てた。すぐに振り返って、男子トイレから出て行く。途中で男子と擦れ違ったけど、完全に無視だった。

 未奈ちゃんの背を目で追う俺の胸に、疑念が渦巻き始める。

 いくら未奈ちゃんが凄いからって、竜神のサッカー部でそこそこやれてる三人が相手だ。勝機はないだろ? どういうつもりだ?

 ……そうか、ミニ・ゲームでの敗北を口実にして、俺とデートがしたいんだね。素直に好きって、口にできないんだ。大丈夫。俺、そーゆーところも好きだからさ。


       18


 未奈ちゃんと約束をした日の全体練習後、俺は、沖原と佐々に、三対二のミニ・ゲームについて話した。俺の都合で巻き込んだにも拘わらず、二人とも、二つ返事で承諾した。テクニシャン、未奈ちゃんとのミニ・ゲーム、得る物は多いからね。

 ミニ・ゲームの当日、新入生テストがあった。全教科を一日に詰め込んでいるため、午後四時過ぎまで掛かった。竜神高校の、進学校としての一面を垣間見た気がした。

 テストの後の全体練習を終えた俺たちは、すぐに移動を始めた。既に自主練の始まっている女子Aの芝生のグラウンドの横を通り過ぎて、フットサル・コートの扉を開く。

 コートは手前と奥に二面あり、周りは、四mほどの高さの柵と照明で囲まれている。既に日は没しているが、照明からの光は眩しく、コートの一帯だけ夜が切り抜かれているかのようだ。

 手前のコートでは、赤地の上にメーカー名の入ったシンプルなシャツと白のショート・パンツをお召しの未奈ちゃんが、俺たちを詰まらなさそうに目で追っていた。左足一本でリフティングをしながら、である。

「へー、生意気をかましてくれんじゃないの。いっちょ前に、まさかの巌流島作戦? あんたたち、宮本武蔵にはなれやしないわよ。二度と立ち上がれないぐらいに、ズッタズタのぼろぼろのぼろ負けするんだからさー」

 未奈ちゃんは、アラウンド・ザ・ワールドをしつつ、ロー・テンションの皮肉を飛ばしてくる。一応、時間には間に合ってるんだけどね。

 隣では、FCバルセロナのユニフォームを着た男の子が、ぴょんぴょんと両足ジャンプをしていた。身体は小さく、一目で小学校低学年だとわかる。髪型は坊ちゃん刈りを少し今風にしたもので、大きな瞳は純真さを感じさせた。

 うむ、俺にもあんな時期があった。まあ、今も純真なんだけど。

「ちょっと待っててー。すぐに準備するからー」

 やや早口で答えた俺は、柵の近くに鞄を置いてコートに入った。少し遅れて、沖原と佐々も続く。

 十二組のCチーム三人組と、未奈ちゃん&小学生男子は、一つのフットサル・コートを四分割して作ったコートの中央に集まった。広さは、二十m×十mくらいで、ゴールの代わりにコーンが二つ置いてある。間を通ったら一点って寸法だ。

 フットサル・ボールを左足で地面に抑えた未奈ちゃんが、ドライな面持ちで口を開く。

「試合は、五点先取の時間無制限。キーパーはなし。ボールが外に出た時は、基本的にはサッカーと同じだけど、タッチ・ラインを割った時はキック・インでいきましょ」

「時間無制限? 小学生もいるのに? 長く続けば続くほど、俺たちが有利になるけど、良いの?」

 単純に疑問な俺は、即座に問うた。未奈ちゃんの口角がわずかに上がる。

「心配してくれてんだ? 優しいのねー。大丈夫よ。すぐに終わるから」

 断言した未奈ちゃんの静かな迫力に、俺たちは何も言い返せない。隣のコートからは、ボールを蹴る鈍い音が聞こえてきた。

「そんじゃ、賭けの条件を確認しましょーか。こっちが負けたら、私は、色呆け桔平とデートする」

 想定外の呼称に、俺は、「お、おう。望むところだよ」と口籠もる。『色呆け桔平』か。なんとなく、名前として成立しちゃってる感があるね。

「私らが勝ったら……。何だっけ? ああ、色呆け桔平が、私の言うことを百個聞く、だったわね」

「……み、未奈ちゃん? 水増ししないでね。一個だけだよ、一個だけ」

 未奈ちゃんは小声で軽く諌めた俺に、「そうだっけ?」と、きょとんって感じで首を傾げる。文字通り、桁違いの強かさである。

「んじゃ、とっとと終わらせちゃいましょうか。この初めから結末のわかっている予定調和のミニ・ゲームをね。ほらほら、さっさと散りなさい」

 未奈ちゃんのクールな毒舌を受けて、俺たちはダッシュで散らばった。ポジションは左から順に、沖原、俺、佐々である。

 未奈ちゃんはコートの中央にボールを置き、隣の小学生男子に、「コウヤ、遠慮は要らないわよ。最初っから、全力で飛ばしていきなさい」と発破を掛けていた。きつめだが、どことなく愛を感じさせる喋り方である。

 小学生男子の名前はコウヤか。なーんかどっかで聞いた覚えがあるけど、どこだったっけか。

 未奈ちゃんがボールを出して、試合開始。

 パスを受けたコウヤくんは、右後ろに大きく助走を取った。え、何をしてんの?

「佐々、当たれ!」嫌な予感がして、俺は命じた。次の瞬間、コウヤくんは右足でボールを蹴った。アウト・サイドで、ボールの左を掠めるようなキック。

 コートの時が止まった。全員の注目がボールに向く。

 俺と佐々の間を抜けたボールは、ワン・バウンドするや否や、進行方向を急激に左に変えた。

 ツー・バウンド、スリー・バウンド。ボールはどんどん右に曲がっていき、ゴールのコーン擦れ擦れを通過する。〇対一。〇対一?

「やった!」

 小学生らしく無邪気に叫んだコウヤくんが、身体の前でガッツ・ポーズをした。

 未奈ちゃんは、コウヤくんの頭を手でくしゃくしゃっとして、「ナイス・シュート。あんた、アウトも上手くなったわねー」心の底から嬉しそうな様子である。

「いやいやいやいや、何、今のキック。ネイマールかっての。未奈ちゃん。その子はいったい、何者……。ってもしかして」

 圧倒されながら突っ込む俺だったが、途中で一つの可能性に思いが至り始める。

 手を止めた未奈ちゃんは、俺たちに向き直った。既に笑顔は引っ込んでいる。

「ああ、私の弟の亘哉。自慢っぽくはなるけど、『超絶姉弟の弟のほう』よ。あんた、サッカーをやってて知らないの? バルサとかレアルとかマンCとか、有名なクラブからも注目されてるわね。こないだは、海外のスポーツ・サイトからの取材も受けたわよ。『ボールタッチが上手い世界のサッカー選手二十五人』って題目だったかな。悔しいけど、才能だけなら私より上かもね」

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