月の裏側
リポヒロ
第1話
ルナマイト
何の捻りもない命名だ。とは言え、わざわざ捻る必要もないのだが。
一世紀と少し前、地球の衛星であるところの「月」の裏側で発見された、超高密度の液体金属である。
発見直後から「夢の金属」とまで謳われるほどであり、既知の金属と同様に電気を扱う製品に使用されたり、堅牢さを求められる場面で使用されたりと、その用途は多岐に渡る。少々乱暴かつ煩雑な表現ではあるが、地球上のあらゆる金属の上位互換にあたる物質とも言える。
常温において液体でありつつも、水と上手い割合で混合することで徐々に凝固し、地球上の金属のいずれよりも優れた堅牢さを誇る……らしい。というのも、実のところルナマイトの性質やら応用方法やらに関しては、私の専門外なのである。
では何故専門外の分野について、大学講義の第一週目のような味気のない概論を滔々と述べたかというと、、、いやまずは私の専門分野から話すのが順当か。申し訳ない、いつも私を甘やかしてくれる優秀な人材に囲まれているもので、他人に分かりやすく順序立てて説明するという能力が衰えてしまったようだ。
眠くなるような話を垂れ流しておきながら仕切り直しを要求するのは、まこと申し訳ないのだが、大学のように“講義”に使える時間も無尽蔵ではないのだ。時間短縮の為、“講義”を最適化しよう。何か気になることがあれば割り込んで質問してもらって構わない。と言っても、そう簡単に質問できればこんな講義じみた真似などしなくて済むのだが。
まあ、とりあえず改めて自己紹介をするとしよう。私は倉田 清(くらた すみ)。この施設で研究員をしている。研究員といっても元々精神科のカウンセラーをやっていたところを妙なツテでここに引っ張ってこられたというところだ。専門は、元は心理学、今はルナマイトの精神波受容体としての応用だ。簡単に言うと、ルナマイトを使って人の思考や感情をモニタリングしよう、という話だな。
ん?あぁ、しまった。またしても話の順序を間違えてしまった。概論のところで説明しておくべきだったな。ルナマイトが地球上の金属の上位互換であることは既に話したが、実のところ、ルナマイトの価値はそれらとは別の性質、「精神波親和性」の異様な高さにあるのだよ。
この奇妙な性質は、数十年前のルナマイト調査時の凄惨な事故によって、否応なしに地球人に示された。一応ここら辺の話は義務教育の範囲にギリギリ含まれているはずだから、君も少しは知っているかもしれないな。ふむ、20年代生まれなら、えーっと、12、13、14、あぁ、そうだね、歴史か科学の授業で習ったんじゃないかな。
事故当時はそれはもう酷い有り様で、世界中が喪に服していたよ。今となっては信じられないが、「月」という単語が禁句になるほどだった。
まぁ、そんなことはどうでもいい。重要なのは、第一次調査隊の事故がどのように発生したかだ。
ところで、月というのは常に地球に同じ面、表側とでも言おうか、を向けているらしい。星には自転と公転があるというのに、都合よく地球に表側だけを向けるという事実に対して、何か意味深長に隠された意図があるのではないかと考えてしまうのが人情というものだ。
宇宙航行技術が発展するに連れて、地球人の「月の裏側を見たい」という欲求が高まるのは当然と言えば当然という訳だ。
月への航行が可能であると判明するや否や、すぐさま各国のあらゆる分野のプロフェッショナル達が集められた。数年にわたる厳しい訓練を耐え抜き、全地球人の期待を一身に背負った彼らは、意気揚々と月の裏側へ探索に向かった。
そして、誰一人地球には帰って来なかった。
探索の結果残ったのは、断片的な月の裏側の映像と、赤黒く染まる残骸と化した“地球人の希望”達だった。映像解析の末、月の裏側にある“何か”が調査隊員の肢体を、肉しか刺さっていないバーベキューの串のごとく一つ一つ貫き、その赤黒く染まった串の先端から血のスプレーを噴いたように、調査地点一帯を真っ赤に染め上げたという事が判った。
そして、その事故の数年後、月の裏側にある“何か”、今となってはルナマイトという名前がついているが、それの調査採掘と第一次調査隊の遺品回収を目的に、第二次調査隊として人型ドローンが月に送り込まれたんだ。彼ら……という言い方には深い意味はなくて、人型ドローンに魂は宿るか、というややこしい議論は今は置いておくとしよう。
今は便宜上“彼ら”と呼ぶが、彼らが回収した第一次調査隊の痕跡を調べたところ、どうやら第一次調査隊員の精神波、恐らく恐怖の感情に起因されたそれが、文字通り山のようなルナマイトを励起させ、針山地獄さながら隊員全員を残らず串刺しにしたらしい、ということが判明したんだ。……そう、ちょうどこのルナマイトと同じ具合にね。
自然と指が、保護ガラス越しに見えるルナマイト製のオブジェをなぞる。被験者の頭部付近に置かれたオブジェは、数十年前ニュースに延々と映し出されていた月のルナマイトにそっくりな攻撃的輪郭を保ったまま、妖艶に、しかし悍ましく蠢いていた。典型的な怒りと恐怖の感情による精神波励起反応だ。
手元のデバイスに観察結果を記録し、保護ガラスを隔ててすぐ傍に横たわる若い被験者の顔を覗く。何かから逃げているような酷く苦しそうな表情だ。もしかしたら月の悪夢を見ているのかもしれない。
研究の為とはいえ、自分よりひと回りも若い青年に辛い体験を思い出させる行為には胸が痛んだ。否、倫理委員会と世論に圧されて全ての被験者には定期的な記憶処理が施してある。彼が実際に第二次月面調査の凄惨な光景を脳裏に甦らせているはずは無いと、頭が心に言い聞かせる。
自分の心の内側には、一握りの倫理、或いは人間性の最後の砦が残っている。
自分のしていることを糧になり、彼らはすっかり悪夢など忘れていつか必ず目覚める。
そんな都合のいい可能性を妄信するフリをして、苦しそうにベッドに横たわる若者、第二次調査隊元隊員の人型ドローン【ND-3870】の収容室を後にした。
薄暗い廊下の窓から月光が差し込んでいる。思い出したように、宛先の分からない苛立ちが腹の底から沸き上がる。ジャケットの内ポケットに忍ばせたスキットルをひっ掴み、安いウォッカを一口含む。乱暴に高い度数で口内を焼き、一気に喉に落とす。同時に、煌々と厭らしい笑みを浮かべる月の表側にガンを飛ばす。
それくらいの抗議しか出来ない自分に嫌気が差し、もう一度スキットルを傾ける。そっと窓のブラインドを閉じ、仮眠室へと向かう。今夜は冷えそうだ。
月の裏側 リポヒロ @repohiro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます