第2話

「僕、好きな人ができたんです!」




 すみません! と謝る勇者を前にわたしは悲しむでもなく、こんな時はどんな顔をしているのが正しいのだろうと考えていた。


全員が明らかにわたしを気遣って静まり返っているという状況はとにかく居心地が悪い。天気にまで気を遣わせたのか雨の勢いは弱まるどころか強さを増していた。




「あ、いえ。ほんとに大丈夫ですから、お気になさらず」




 物語に出てくる恋敵の悪役令嬢であれば、「ひどいわ、勇者さまっ!」とでも言って同情を買うなり「お相手はそこのお仲間の方なのね?」と言って恋の挑戦者へと変わるなり、はたまた愛情が裏返しとなって復讐に走るとかするのだろう。




実際、そんな話を聞いたりもする。そういうものを見聞きするとわたしはいつも感心していた。




物語なら悪役として登場し、一般的には単なるやられ役である彼女らには、正義という普遍的価値感によって存在している主役やヒーローなどよりも、感情を持つ人間の愛らしさや体温が感じられるからだ。




 少なくともわたしよりは人間的であるし、ある意味、善人的とも言えるかもしれない。そう言った意味では彼女らよりもよっぽどわたしは冷徹な悪役だった。




 雨音だけが響く中、わたしは誰かが何かを発言しようとする前触れのような雰囲気を感じ、では、と踵を返した。後方から皆の動揺する声が聞こえたが聞こえないフリをした。




そして、雨の降り続く屋敷への帰路では気に入っていたドレスが雨に汚れてしまったことを心配していた。











「サイテーですね」


 そんな男と結婚することにならなくてよかったです、と怒り心頭のフロリーナの反応が想像通りすぎて笑ってしまった。




「けれど、もとはと言えば父が無理やり話を進めたせいだから」


「そんなこと関係ないです。女の子と婚約して他に好きな子が出来たからやっぱりやめますなんて信じられません。やっぱり私の言う通りやめておけばよかったんですよ」




 そんなことを言いながら「雨だけど大切な日になるでしょうから」と、わたしのお気に入りのドレスを前もって用意してくれていたこの子は何だかんだ言って祝福してくれていたのだろう。


そう考えると本当に申し訳なくなる。




「本当にごめんね」


「な、なんでサイファ様が謝るんですか⁉ 悪いのは全部アイツですよ!」




 大きな目を更に大きく見開いて驚くフロリーナに




「なんでかなぁ」




 と、笑顔でおどけて見せた。


 不思議そうな顔をする彼女を見ながら、やっぱりわたしには早かったね、と心の中で自虐的に笑った。











「新品同然にお洗濯しておきますからね」




 翌日には雨はきれいに上がって絶好のお洗濯日和となっておりフロリーナはとても嬉しそうだった。




「気晴らしに大通りにでも行ってみたらどうですか」との提案に、一緒に行けないのかと聞いてみたが、とても悔しそうに「洗濯物が溜まってるんですぅ」と、涙を浮かべていた。




それなら終わった頃に一緒に行こうかなと思ったけれど、


「終わるまで待っていて下さるのであれば一緒に行ってサイファ様の新しい下着を見に行きましょう。なんなら『面白い』おもちゃを売ってる店も教えますよ」




少し興奮気味に言う彼女に身の危険を感じ、さっさと身支度をして屋敷を出た。




 屋敷を出てすぐに、「冗談ですってばぁー!」と、聞こえたような気がしたけれど、そのすぐ後に「おもちゃは今度にしますからぁー!」と、更に聞こえてきた気がしたので、わたしはやっぱり気のせいであると断定して振り返ることなく屋敷を後にする。






 外は気持ちの良い風が吹いていて、わたしは大きく深呼吸をした。











 屋敷からしばらく歩いたところに様々な商店の立ち並ぶ大通りがあり、大勢の人でいつも賑わっている。誰に命じられるでもなく流れている対向する人々の波は、力強い活気があり歩いているだけでも存外楽しめる。




 そこには人々の生活が詰まっていて、各々が自らの人生を生きる為に活動している。わたしの様な内向的なタイプはこう言った人込みを嫌いそうだと思うかもしれないけれど、案外わたしはここが気に入っている。


精力的に活動する人々に交じっていると自分も仲間の一人のように思えるから。




それにリラックスとはいえないけれど、独特の安心感がある。どんな存在でも許されている様なこの雑多さのせいだろうか。あからさまに不機嫌そうに歩く中年男や人目を憚らず大笑いしている若い女性。




わたしは人前で笑顔になることは苦手だった。しかし、ここでは笑顔であろうが泣いていようが誰も気にしない。


自然と口角をあげることができた。






「よう、嬢ちゃん」




 突然、左側から呼ばれた気がして振り向くとそこにはハットを深々とかぶり、黒いスーツに身を包んだ痩せ型の男性が口元をニヤリとさせながら壁にもたれかかるように立っている。彼の傍らには大きな革のカバンが置かれていた。




 明らかに不審なその男――なぜかわたしは新しい世界への扉を見たかのような、ほんの少しの期待を感じていた。

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自分に自信のない喪女な令嬢が一目惚れした腹筋女子を溺愛しつつも成長していくようです。 @ootora1011

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