プロローグ4 始まりの日
応接間に居たのは若い男だった。男は私が入室したのを見ると朗らかに微笑み、見事な一礼を行う。
「ジスタニア伯爵のご子息様でしょうか、突然の来訪でありながら丁寧な対応、痛み入ります。先代がお亡くなりになったという話は此方に来る時に聞きました。惜しい人を亡くしました、錬金術への造詣深く好奇心溢れる……貴族ながらも冒険心を持った愉快で溌剌とした方でした」
「そう言っていただければ父も喜ぶでしょう。お久しぶり……で良いのでしょうか?以前とは随分見た目が違うようですが」
何処か剣呑な雰囲気を持つ少年。見た目と話した雰囲気がまったく一致しない、王宮という悪意の坩堝で錬金術師の頂点を保ち続けた男ともなれば納得は出来るが……どうにも脳が理解を拒む。
「以前と体が違うので分かり辛いですが、何度かお話しておりますし覚えております。王宮に仕える身ともなれば、威厳のある外見を求められる事も多くあの姿を取っておりました故」
「あの白髭の長い姿の方が印象に残っているせいで、どうにも違和感がありますな」
「仕方の無い事ですね、一応、何か証明できる物を提示しましょうか」
そう言って彼は何処からともなく一つのスクロールを取り出し、開くと私の方へと向けた。
「我が王よりの感謝状です」
「なるほど、確かに」
これでもある程度あちらの言葉は読める。なるほど、本物だろう。王家の封蝋に質の良いスクロール、さらに言えばスクロール自体にも王家の焼き印を入れてある事から偽装である可能性は低い。
というよりも、感謝状を偽装するぐらいならばもっと良い物を偽装するだろうし、仮にバレれば相当な数の首が飛ぶだろう。リスクにリターンが見合うかと問われれば、確実に見合わない。
「立ち話も何です、どうぞおかけ下さい」
そう声を掛ける。一応は対等な立場で接した方が良いだろう、少なくとも彼個人を見下す気にはなれないし敬うのも彼は求めていないだろう。
「おや、これは失礼」
二人とも腰をかけたタイミングで、扉がノックされた。恐らくメイドだ。
「入れ」
「失礼します」
ワゴンに乗って入ってくる紅茶と菓子に、僅かに頬を緩ませたルベド殿。なんというか、確かに笑い方に面影がある。確かこの人は甘い物に目が無かった筈だ。
「いやはや、長旅で甘い物を中々取れませんでしたからね、ありがたい事です」
「ハハハ、確か甘い菓子はお好きでしたな」
「ええ、確か貴方と食べたのは……そう、果実のジャムを乗せたクッキーでしたか」
「よく覚えていらっしゃる」
「記憶力は良い方なので」
忘れたとも言い辛い雰囲気だが、確かに何か一緒に甘い物を食べながら話した記憶はある。ただその時は彼の話に夢中でそれ所では無かったか?ホムンクルスやゴーレムといった存在が戦場でどのように使われるのか、軽く講義を受けたがとにもかくにもそれが心をくすぐられた。
「あの時は私は話に夢中でしたね、ホムンクルスやゴーレムでしたか……此方の大陸ではまだまだ発展途上、いや、それ以前にどのように作るかすら皆目見当がつかない段階の技術です。偶に流れの錬金術師が作ったという話も聞きますが、軍事転用には今だ及ばない様子」
「覚えておいででしたか、今回来たのはそのお話もありましてね……お互い回りくどい話は無しにしましょうか」
「その前に、一つだけ確認させて下さい。貴方は何故ここにいるのか」
そう、彼は自分で大陸から出られないと言っていた筈だ。
「仕えていた王が内乱にて負けました。その際に私は前の体を捨て、この大陸に来たという訳ですね」
そう言って事も無げに紅茶を飲むルベド殿。なんというか、本当にあの老人と同じ動きで脳が混乱する。
「内乱で負けた、ですか」
「ええ、正しくは適当な所で切り上げた、でしょうか。あのまま続ければ勝てましたが、そうなれば諸外国に攻められ終わりでしたので」
「その為に偽装死を?」
「はい、全て私が悪いという状況証拠を作りました。あるいは……弟子が上手く後を纏めてくれれば我が王の首もつながるでしょう」
「そのような情報は全く此方には」
「情報統制を行っていたのはほかならぬ私と弟子なので、諸外国に情報が洩れるようなヘマはしませんとも」
「なるほど、恐ろしい。話し辛い事をお聞きして、申し訳ありませんでした」
「いえいえ、お気になさらず」
相変わらず物腰柔らかではあるが、恐ろしい事を口にする方だ。しばらくの間お互いに紅茶と菓子を楽しみ、黙する。やがて口を開いたのはルベド殿だった。
「では、本題に入っても良いですか?」
「ええ、とはいえある程度は予想できますが」
「貴方に後ろ盾になって頂きたい、此方は貴方が戦場で必要なホムンクルスやゴーレムを提供できるだけの知識と技術がある」
「なるほど、非常に魅力的だ」
「錬金術師は工房あって初めてその力を発揮できる。しかし、今の私には工房は無く精々出来るのは手慰み程度のゴーレム作成のみ、とはいえ一国程度ならば問題無く消せますが」
その言葉に、僅かに鼓動が高鳴った。あの時に聞いた対魔術戦におけるゴーレムの有用性や運用方法は、いまだに覚えている。対策が出来ていない国程度なら軽く滅ぼせるであろうそれは、ある種神話の再来にも思える。
「ゴーレムの運用のお話、以前お聞きした時には心躍りました」
「で、あるならば一先ず、これをお納めしましょうか」
そう言いながら、1本のスクロールを取り出したルベド殿。
「これは……もしやゴーレムの!?」
「マスターピースとも言うべき、ゴーレム魔術の基礎となります」
「……っ!」
言葉に詰まった。今だその影すら踏めない技術の神髄が、今まさに目の前にあるのだ。鼓動が酷く高鳴るのを覚える。
「如何でしょうか?」
「————少し、考えさせてください」
今これを私が手に取らない事による利益と不利益全てを計算して尚、私は彼の誘いに乗ってしまうのだろうと何処か頭の中で理解しつつも、長い貴族生活がこの場での即答を拒んだ。
意味の無い引き延ばしである事は理解しているのだ、だがそれでも、形だけでも誰かに相談しなければ……自分がただ熱に浮かされているだけなのか、あるいはこれが夢ではないのかなんて馬鹿げた所から検証を開始しなければならない。
「構いませんよ、伯爵家ともなれば即答する危険性も重々理解しておられるでしょう」
分かっている、リスクよりもリターンがあまりにも大きい。その上で私に求められる所はどういった物になるのか、私は今だ理解しかねている。目の前のソレは劇薬だ。きっとこの大陸の争いを全て根本から変えてしまえるだけの力がある。
「貴方が私に求める所は、金銭及び工房の提供でよろしいですか?」
「後は、商店を一つ持ちたいと考えています。こちらの大陸では冒険者なる人々が生活基盤の一つを支えているとか、そういった人々向けに私の技術が答えられるのか、自らの力を試したいと考えています」
しかし、と続けるルベド殿。
「今の体では、信頼など得られる筈も無く」
道理である。しかし、そういった外見的不利益を考えたとしても、前の姿とは似ても似つかない姿を選ばねば完全に死を偽装できなかったのだろう。
「なるほど、其処を踏まえての後ろ盾と」
「そうなりますね、後はそちらから人手を出していただけると、双方にとって利ある話ではないかと」
暗に技術を盗んでも良いと言っている。確かに双方に利のある話だろう。ルベド殿は労働力を手に入れて私は技術を手に入れる……か。
「後ろめたい所は無いと?」
「ええ、出世し飽きましたので、余生はのんびり生きたいのですよ」
その言葉に、隠居を決めた父の言葉を思い出す。確かに貴族の生活は時に疲れると思う事は私とてある。王宮仕えの錬金術師の心労など、まったくもって考えたくもない。
彼の言葉も、聞く者によっては持つ者の傲慢であると捉えられても仕方ないだろう。しかし、理解も納得も行く。ゆるやかな余生の為に私を利用されるのは、日々忙しい身としては少々含む所も無い訳ではないが……リターンを考えれば笑顔で許せるという物だ。
忙しいのに目の前で態々ノンビリしてますアピールをしてこない限りは、だが。いやはや、なんとも小さい男だと自らながら思う。
「ああ、無論ですが戦争の際には私もお力添えさせて頂きますよ、こう見えても最後まで負けなしでしたので……いや、調略や政治面では負けておりましたかな?なんにせよ、直接的な殴り合いで負けた事が無いのは誇りの一つですよ、ホッホッホ……コホン、失礼、昔のクセが」
似合わない笑いに少し恥ずかしそうにそう笑って言う少年は、無い筈の髭を撫でようとしてハハハと更に笑った。思わず、つられて笑う。
「変わらず愉快な方だ、話し上手で引き込まれる」
「それに関しては弟子のお陰でしょう、我が王にも昔はもう少し棘があったと言われましたから」
「今だ、忠誠を?」
「いえ、だが……王と仰ぐのは彼一人で良いとは思います。此方の王には用が無ければ会う事も無いでしょうね、窓口はそちらにお任せ致します」
「なるほど、随分先を見てらっしゃる」
「一年ちょっと先の話でしょうな」
そう自信を持った笑いを見せる。ああ、やはりこの目の前の少年はあのご老体なのだ。不思議な魅力と知識があり、どこまでも自信満々なのに嫌味が無く、それに伴った実力を持ち合わせた……そんな魅力的な男なのだ。
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