第46話 ちっ、違うんだ。当たらないんだ

<八重橋元気(やえばし げんき)視点>


 俺、八重橋元気(やえばし げんき)は高3になった。先輩が卒業して、俺は私立修学館高校ボクシング部キャプテンに選ばれた。キャプテンになって最初の仕事は新1年生の獲得だ。


 高等部の新入式も終わり、高等部用の体育館に集められた新1年生の獲得を巡って勧誘活動がおこなわれていた。部員の数と大会の成績で生徒会からの予算が変わる仕組みになっている。俺が二年生の時に高校ボクシング、バンタム級で全国優勝したことで大会の成績は問題なかった。が、しかし、部員数5人の弱小部であることは変わりなく、俺が来年卒業したら廃部が噂されている。


 俺たちボクシング部の5人は、体育館の片隅に設置されたかざりっ気のない折りたたみの机の前に座って、人気部の様子をうかがっていた。俺たちの後ろの壁には、全国制覇の横断幕が飾ってあるが誰一人として見向きもしない。


「ちっ。バスケット部やサッカー部はあんなに集まっているのに。全国大会の成績なら俺の方が上なのに一人も集まってこない」


 俺の言葉を受けて2年生の後輩が答えた。


「そりぁそうです。あっちは学園の花形なんですから。それに比べてこっちは野蛮な殴り合いです。まあ、人数を集めるのは無理ですから少数精鋭ですね」


 俺は精鋭を求めて体育館の中を見まわす。


「おい、あいつ西宮陽(にしみや よう)じゃないか!」


「誰ですか、それ?」


「小学校の後輩で『神童』と呼ばれていたやつだ。俺、ちょっと行ってスカウトしてくる」


「キャプテン。大丈夫ですか。ひょろっとした弱っちい1年にしか見えませんけど・・・」


 俺は心配する部員たちを残して、文化部の前をうろうろする彼のもとに向かった。


「よう、そこのキミ!西宮陽くんじゃないか?」


「えっ。どちら様ですか」


「小学校の先輩の八重橋元気だ」


「はあ。僕に何か用ですか」


 西宮陽はまるで精気のない返事を返してくる。


「キミ、ボクシング部に入りなさい」


「へっ。ボクシングなんてやったことありませんが。それに痛いのはちよっと」


「・・・?キミ、小学校で『神童』と呼ばれていた西宮陽くんだよな」


「『神童』なんて呼ばれていたのは小学校までで。あんまり買いかぶらないでくださいよ。先輩」


「そんなことないだろ!俺にはわかる」


 一見、細身に見えるが、背も高く体格は悪くない。ブレザーの下に隠された筋肉を想像させる。俺は西宮陽を試すために、寸止めするつもりで軽くジャブを打った。


んっ?


 打ち込んだ俺の左手の先に彼の顔はなかった。やっぱり才能を隠している。彼の顔を追うように、続いて右手を繰り出す。寸止めせずとも軽く首を振ってよけられた。


おっ!こいついけるかも。


 数発、連続でパンチを繰り出す。西宮陽は体をわずかにずらすだけで俺のパンチの軌道からことごとく逃れた。高校ボクシング、バンタム級全国優勝。将来を有望視されている期待の新人、八重橋元気のパンチをだ。つい、ムキになってしまう。気が付くと手加減なしでパンチを放っていた。


 ボクシング部の仲間たちも駆け寄ってくる。何事かと文化部の女生徒たちも集まり、二人の周りに人垣ができていた。


「元気さん。止めてくださいよ。素人相手に素手で戦ったら大けがですよ」


「ちっ、違うんだ。当たらないんだ。俺のパンチが・・・」


 俺は激しく動揺していた。何度、打っても俺のパンチがかすりもしない。それどころか西宮陽は息一つ荒げずに俺のジャブを見切っている。こんなはずはない。全国大会優勝のこの俺のパンチが、通用しないなんてことは絶対にあってはならない。


「先輩、しつこいですよ」


 しまったと思った瞬間、俺は大会レベルの渾身のストレートを西宮陽の顔面に向けて打っていた。グローブもはめずに。当たったら即死間違いなしのパンチだ。


ガギン!


 その瞬間、俺のあごに衝撃が走った。西宮陽の伸ばした拳が俺の下あごをとらえていた。体重を乗せてパンチを繰り出したため、あごに加わる反動も半端ない。いわゆるカウンターパンチってやつだ。俺の体が後ろに弾け飛ぶ。


ドスン!


 俺は体育館の床に倒れて崩れ落ちた。あごが熱い。遠のいて行く意識の中で俺は初めて敗北を認めた。西宮陽、俺を倒した唯一の男。

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