第3話 あたしのこと、下の名前で呼んでくれる?

 大盛りのフライドポテトが届きました。


 俺はケチャップをつけながらポテトをパクつくが、蜂楽屋さんはカバンの中からめんたいマヨネーズを取り出して、皿の端っこにニューッと出してからそれをポテトにつけて食べる。……マヨラーってのは知ってるが、めんたいマヨラーってのは初めて見た。


 蜂楽屋さんは、俺の携帯電話スマホをぎこちなく操作しながら、とんこつラーメン屋の情報を調べ、その結果を手帳にメモしまくっている。……余程とんこつの情報に飢えていたのか、手帳にメモしたとんこつラーメン屋のリストはすでに6ページに及んでいた。もう学校の近くどころか、この町全部のとんこつラーメン屋を調べたんじゃなかろうか。


 こうして観察していると、とてもじゃないが『ツンツン姫』なんて呼べないな。

 この上なく情熱的に、ラーメン屋の情報集めまくってるし……。


「山田くん」


「ん? どうした? そろそろ終わったの――」


「うどん屋も調べてよか!? 実は福岡は、ラーメン以上にうどんも盛んな土地柄なんよ! それも麺がやわやわの、やわらか~いうどん! おにぎりといっしょにうどんのスープをすするとが、あたしもーう大好きでからくさ!」


「……はあ、どうぞ、調べてください」


「ありがとっ。――あ、飯田橋に博多うどんの店がある! ここ行きた――うげっ」


「今度はどうした?」


「……山田くん。飯田橋に行くのに――電車の乗り換えを2回もせないかんっちゃけど!?」


 くわわ、と恐ろしい形相で、しかも微妙に涙まで浮かべて彼女は叫んだ。


「無理やし! こんな乗り換えできんし! だいたい東京は路線が多すぎるとよ! 福岡なんか市の中心部でも大牟田線とJRと地下鉄3路線しかないけん乗り換えなんかめったになかとに! 東京はあたしに厳しいっ! 好かん! いっちょん好かーん!」


 やはりクールどころか、むしろけっこうポンコツである。

 電車の乗り換えひとつでこの騒ぎだ。周囲の目が痛い。


「な、泣き止めって。みんな見てるから。乗り換えくらい、今度俺が教えるから」


「ほんとっ!? 山田くん、あんたそんなこともできるとね!?」


「ああ、電車なんか秋葉原アキバに行くために何度も乗ってるし大丈夫だ」


 親切心というより、周りのお客さんへの迷惑を考えて、蜂楽屋さんをなだめる俺であった。


「うわはははっ! やったあ、やったばい! 山田くんがついてきてくれるならもうあたしは無敵ばい! なんでんできる! ……あっ、でもちょい待ち……ふ、ふたりで電車に乗るって……男の子とふたりで――これ、これ、つまり、デー……どどど、どげんしよっ!? あたし勢い任せでちゃっちゃくちゃらなことば約束してしもうたんやないやろか!? あああああっ、は、恥ずかしかぁっ……!!」


 蜂楽屋さんは耳まで真っ赤になりながら、なにごとかをわめき散らしたわけだが、……やはり博多弁のためにいまいちなにを言っているのか分からなかった。……ちゃっちゃくちゃら?




 ブーン、ブーンッ――




「ひゃっ!?」


「あ、アラームだ」


 俺の携帯が震えはじめた。

 午後6時45分。そろそろ家に帰らないとダメな時間だ。


「ごめん、蜂楽屋さん。俺、そろそろ帰らないとヤバい」


 7時からテレビで始まるアニメを見たいのだ。

 録画もセットしているが、やはりアニメはできることならリアルタイムで視聴したいしな。ネットでオタ友と実況もしたいし。


「詳しい話は、また明日やろうぜ」


 なんて、言うには言ったが、さて明日も俺と彼女は口を利くのだろうか?

 成り行きでこんなことになったけど、もとより俺は教室の片隅でオタ友と群れるカースト底辺グループの男子。

 蜂楽屋さんは、学校1のスーパー美少女。しかも学校では博多弁を隠している。……そんな彼女と俺が、明日以降、学校でしゃべることなんて――


「や、山田くん」


 蜂楽屋さんは、穏やかな声で俺を呼んできた。


「あ、あの。……ありがとう」


「ん? なにが?」


「夕方、佐藤くんからあたしを助けてくれたこともそうやし、ラーメンのことを調べてくれたことも、スマホを貸してくれたことも。全部、すっごく嬉しかったとよ。やけん、ありがとう」


「あ、ああ……」


 蜂楽屋さんの上目遣いは、それなりに強烈だった。

 三次元リアルのくせに、けっこうな戦闘力を肌で感じた。


 ……いやいや、俺はなにを考えている!? 俺には一生愛すると誓った嫁がいるじゃないか。『スクールメモリアル』の日野ヒカリとか、『蒼き鋼の恋愛学園』の紫優香とか、『モンスターズ・アビス』のルッカ・エドモンドとか『異世界を計算尺の力で無双する』のティアラ姫とか、あと他にも他にも他にも、


「山田くん。あのくさ、あ……明日から、ふたりのときは、あたしのこと、下の名前で呼んでくれる?」


 それは思考を中断するほど、艶やかな声音だった。


「え。下の名前、って」


「カンナ、って」


 いよいよドキッとした。

 なんだよ、そのセリフ。

 下の名前で呼んでくれ、なんて。




 それじゃ――それじゃあ、まるで――




「あたし、あんまり苗字で呼ばれるの好きじゃないっちゃん! 福岡にね、あたしの苗字とおんなじような名前の饅頭屋さんがあるんよー。そのお饅頭はすっごく美味しくて、福岡では大人気で、あたしも大好きなんやけどね! でもでもそのおかげであたし、子供のころに『まんじゅう』ってあだ名をつけられた、それ以来苗字で呼ばれるのは好かんくて――」


「そんな理由かよ!?」


 ちょっとでもドキドキした自分が馬鹿だった!

 持ち上げてから叩き落す高等テク!

 やっぱり三次元リアルの女は糞だわ!


「あ、そういえば山田くんも『メガネ』ってあだ名つけられとるよね。あれってなんでなん? それならあたしも、山田くんのこと『メガネ』って呼んだほうがよか?」


「山田がいいなあ!」


 間髪入れず、マジで答えた。

 メガネもかけてないのに、そんなあだ名がつくほうがおかしいんだって!





 ――ともあれ。

 俺たちは会計を終え、店の外に出た。


「それじゃ山田くん、また明日」


「ああ、またな。……カンナ」


「えへっ、えへへっ。……またね! バイバイッ!」


 ニコニコ笑って手を振りながら、彼女は走り去っていく。

 夜風がさあっと吹き抜けていった。星の無い空の真下でも、カンナの金髪は輝いて見えた。


「……まさかのまさか、だな」


『ツンツン姫』と、こんな関係になってしまった。

 ラノベでよくあるヒロインからの『名前で呼んで』イベントに――まさか饅頭屋が関わってくるとは思わなかったが。


「今日読んだラノベのヒロインも、出会うなり主人公に名前で呼んでって言ってたなあ」


 苗字が嫌いだから、なんて理由で呼ばせてたが。

 あれも、もしかして、饅頭屋とかあだ名とか――実はそういう事情があったり――


「するわけねえか……」


 そのときスマホが何度か震えた。

 開いてみると、オタ友からのメッセージだった。


『なんでSNS《ヒウィッター》にいないンスか!? もうアニメもう始まってるッスよ!? 今日は実況しないンスか!?』


「いっけね!」


 そうだった、アニメの実況しねえと!

 俺は慌てて駆けだした。――頭の中からカンナのことは、綺麗さっぱり消え去っていた。 




 金髪碧眼の博多女子、蜂楽屋カンナと関係を持ったことが、俺の学園生活にどれほどの衝撃を巻き起こすか。

 この時点での俺は、まだなにも、予想だにしていなかった。



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