第5話 少女達の抱擁に感動

「助けて頂いてありがとうございます。…………それで何ですが、あの、え~と……確か、ココアさんでしたっけ?」


 残念ながらまったく心当たりが無いので、取り敢えず茶色い毛並みの犬につけられそうな可愛い名前で呼んでみた。


 しかし、と言うか当然と言うか、顔を上げた少女は明らかに落ち込んだ表情で、

「誰ですかそれ?……私の事、本当に忘れてしまったんですか?」


 ダメだ。顔を見ても全然分からない。

 目尻が垂れた眠たそうな、どことなく色っぽい顔立ちをしているのだが、

「もしかして……チョコさんだったかな?」


「アッシュさんは誰と勘違いしているのでしょう。それとも私が食べ物に見えるのでしょうか」

 言葉同様、勢いよく振られていた尻尾の動きも心無しかゆっくりになってきた。


 食べ物の名前関連じゃないとすると……と犬っぽい名前を脳内検索していると、突然部屋に明かりが灯り、また後ろから別の声がした。


「ちょっとフーコ、その辺にしときなさいよ~、アッシュさん困ってるでしょ~?」


 間延びした、どことなく暖かい声の方を振り返ると、

「オッス~。久しぶりだね~アッシュさん!」


 またもや別の、こちらは猫っぽい耳と尻尾が生えた獣人の少女がいた。

 明かりが灯ってハッキリと様子が分かる。

 人懐っこそうな、小柄な少女(猫耳付き)だが、やはり見覚えは無い。

 ちなみに彼女も赤マント、同学年だ。


 俺が固まっていると、フーコと呼ばれた犬耳少女は立ち上がり、

「もう、アッシュさんはあとちょっとで思い出せるんだから邪魔しないでよミャーコ!」

 と猫耳少女に向けて叫ぶ。


 ふむ、犬耳の方がフーコで、猫耳がミャーコ。

 だが、やはり名前を聞いても心当たりは無い。


「ハイハイ、分かったから落ち着いてね~」

 こちらに近づいて来たミャーコは言いながら、自分より幾分背の高いフーコをなだめるように抱き締め、頭を撫でる。


「にゅにゅにゅにゅ……」

 俺と話していた時とは違い落ち着いた様子で、フーコの尻尾がパタ、パタ、とのんびり動く。


 二人の耳付き少女達の抱擁に感動していると、不意にミャーコが言った。

「ごめんなさいね~、アッシュさんは覚えてなくて当然なんですよ~」


「は、はあ」

 俺の気の無い返事にも、ミャーコは人懐っこい笑みを崩さずにさらりと言う。

「私達、アッシュさんに助けて頂いた元奴隷なんですよ~」


「は?」

 元奴隷??

「多分三年くらい前だと思いますけど~、私達カンダの奴隷小屋にいたんです~」

「あぁ、なるほど。そういう事だったんですね。道理で分からない筈だ」


 カンダ、とはこのヨーロピアから西に離れた犯罪都市だ。

 犯罪者達の巣窟のような場所で様々な禁制の品や盗品、奴隷が当たり前のように売買される。

 かく言う俺自身、カンダの奴隷小屋で売られていたのだ。


 そこでご主人様に拾われ、俺は裏の剣闘士になった。

 何故ご主人様が当時何の力も無かった俺を買った下さったのか、何故ご主人様があんな場所にいたのか、それは分からないし、俺にとってどうでもいい事だ。


 とにかく、裏の闘技会で優勝すると掛け金とは別に莫大な賞金が手に入るのだが、ご主人様はそれを全て自分の為に使え、と言って受け取ってくれないのだ。

 そんな訳で、俺はその金を使って過去の自分と同じ奴隷の解放や、孤児印への寄付を行っている。


 勿論、買った後の世話までする余裕は無いので、少しの金を渡せば後は自分一人で生きていけるような、そんな者達だけを買って、別の街、もしくは余裕のある孤児院まで避難させていた。


 優勝ではないが、始めて賞金を手にしたのが12の時、三年前と言えば丁度その活動を始めた頃と一致する。


 三年も経てば成長して人は変わる。それが若い体なら尚更だ、と言っても彼女達は俺の事をきちんと覚えていてくれたようだが。


「無事に成長出来たみたいで自分も嬉しいです。今ここにその制服を着ているって事はお二人も生徒なんですよね?貴族の養子になったとか、もしくは二人共お綺麗ですし、どこかのご子息と婚約なされた、とかですか?」


 奴隷上がりの少女、そう言うと悲惨な生活が思い浮かぶものだが、この二人からそんな気配は感じられない。

 楽しく生きているようなので、暮らしを聞いても大丈夫だろう。


 そう思ったのは間違いではないようだが、しかし予想とは別の答えが返ってきた。

「ふっふ~ん、可愛い顔でお口も上手なんてやりますねアッシュさん」

「でもそんな事言っていいんですか~?アッシュさんの大切なお嬢様に言っちゃいますよ~?」

 と二人は抱き合ったまま言う。


 それで思い出す、今まで失念していたが、

「そうですよ!お嬢様を置いてきてしまったじゃないですか!早く戻らないと!」


 埃っぽい部屋に一つだけあるドアへ走ろうとした俺を、ミャーコが呼び止める。


「大丈夫ですよ~、会長はああ見えて優しい方ですから、アリアさんに手を出したりはしませんから~」

「副会長がいたら大変だったろうけどね」

 とフーコ。


 取り敢えず俺が心配しているのはあの、会長と呼ばれる氷結剣士の事でも、見知らぬ副会長とやらでも無く、

「お嬢様は魔法を掛けられているかも知れないんですよ!」


「「魔法??」」

 俺の叫びに二人は抱き合ったまま同時にきょとんと首を傾げて、

「「痛っ!」」

 頭をぶつけた。


 あぁ、もう可愛いな!

 と妙な感想を思い浮かべながら、手短に説明した。


 結果、

「もう、アッシュさんったら心配性なんですから~」

「それだけ大切なんですね、羨ましい」

 ミャーコはニコニコと笑い、フーコは瞳を輝かせて言った。


 どうやら俺の早とちり、勘違いだったらしい。

 遠隔で人を操る魔法にはそれなりの準備が必要で、尚且つ本人を見れば魔力の乱れで操られている、幻覚に掛けられている、等は分かるそう。

 さっき見た時何とも無かったと、フーコが言うので大丈夫なのだろう。


 確かにお嬢様はいつも通りだった気がする。

 慣れない学校で変になっていたのは俺の方だったようだな。


 誤解も解けて落ち着いた所で、改めて部屋を見回す。

 外観通り壁と天井は石造りだが、床は木製。

 10メートル四方の正方形とかなり広い部屋だ。


 しかしあまり使われている様子は無く、四隅に机と椅子が乱雑に積み上げられ、埃を被っている。

 ドア付近から中央のスペースだけが、今も人がたまに出入りしている事を感じさせる。


 外と通路側に向く壁には窓、前後の壁には黒板、これが噂の”教室”だろうか。


「ここは何室なんですか?物置きでは無いみたいですが」


 待ってましたとばかりに二人は妙なポーズをとって勿体つけるように言う。

「ふっふ~ん、ここが何の為の部屋か」

「知りたいですか~?アッシュさん」


 別にそこまで興味があった訳ではないが、二人共可愛いらしいドヤ顔を見せてくれているので、乗ってみる事にした。

「是非とも教えて下さい!この部屋は一体何なのですか!」


「クックック、そんなに知りたければ教えてやろう!」

「数ある使われていない教室の中から、選りすぐったこの部屋の真の名は~」


「真の名は!?」

「「ズバリ!対生徒会用作戦指令本部秘密基地with大島!!!」」

 バーン!と後ろに書き文字が見えそうな勢いで決めポーズを取る二人。


「た、対生徒会用作戦しれい、なんちゃらなんたらなんとか大島だって―――――!?!?」

 取り敢えず大袈裟に驚いたフリをすると、二人は一層顔を輝かせて言った。


「「略してT・I・N・K・Oよ!!!!」」


 ――――――――――――――――――――


 一方こちらは、アッシュがかつて助けた二人と遊んでいるその少し前、フーコの魔法でアッシュが連れ去られた直後の玄関前広場。


「ははは、逃げられたか」

 感情の読めない顔で声だけは愉快そうに、氷帝剣こと生徒会長のレイカは言う。


「え?あの子は?」

「ってか空飛ぶ円盤って?」

「逃げた?ここから?」


 アッシュの思いつきで空に目を向けていた周りの生徒達が、先程まで二人が対峙していた場所に視線を戻すと、そこにはレイカの姿しか無かった。

 困惑する生徒達に会長は手を叩いて言う。

「ごめんごめん。また達に邪魔されたみたいだから、決闘はまた後で。じゃあ、はい、気をつけて返ってね~」


 あの子達を指すのが、アッシュを連れ去った獣人の二人組である事は皆、承知している。


「えー面白そうだったのにな~」

「またアイツらかよ」

「会長さよなら~」


 等口々に言って、固まっていた生徒達は流れるように校門、または寮へとそれぞれ歩き始める。


 その中で一人、流れに逆らうように校舎の中に入ろうとするアリアの手をレイカは掴んだ。


「君の剣士ならその中にはいないよ、火天のアリア殿?」

「離して下さいレイカさん」


 言って、ブンと腕を振り、レイカの手を引き離すと同時に距離をとって正面から対峙するアリア。


「おっと失礼、痛かったかな?」

 紳士のように礼をするレイカを無視して、アリアは問う。

「この中に居ないって、じゃあアッシュ様はどこに連れて行かれたんですか?」


 レイカもアリアの質問に答えず、

「ウフフ、噂は本当だったんだね。アリア殿が溺愛する剣士がいるというのは」

 と、表情を緩めるレイカに対して、こちらは真っ赤になって、アリアが言う。

「なっ!?べ、別にレイカさんには関係ありません!それよりアッシュ様の居場所を早く教えて下さい!」


「うんうん、照れてる女の子は実に可愛いね。私もそんな表情が出来る恋とやらをしてみたいものだ」

「て、照れてませんし!それにレイカさんなら男女問わずにおモテになるのですから、恋なんていつでも出来るじゃないですか!」

 思いっきり照れ隠しと分かる叫びを上げるアリア。


「いや~そういう事でも無いんだが、君なら分かってくれるだろう?こう見えて私も乙女なんだ、それなら運命の出会いとかしてみたいってものだよね?」

 確かめるようにレイカは言う。


 この実は苦労人な氷の剣士が、顔では無表情ながらも、内心では実際に感情豊かなのを知っているアリアは、馬鹿にする訳ではなく、単純に乙女の会話として聞く。

「白馬の王子様に迎えに来て欲しいとかですか?」


 レイカは少し迷った素振りを見せて、

「う~ん、それも確かに魅力的ではあるが……やっぱり、自分がピンチの時にいつも助けてくれる、そんな英雄みたいな人がいいなぁ」


 この答えにアリアは、チャンスだ!と先のお返しをするべくあくまでも冷静に口を開く。

「それって、レイカさんのお兄様みたいな人の事ですか?」


「え?あ、うん。そ、そうだね」

 と一見余り動揺した風に見えないレイカだが、アリアは今彼女がかなり焦っているのを知っている。


「ですよね~。私も格好イイと思いますよインドラ様。なんと言っても氷の生徒会長様が溺愛する兄君ですもの、並の人物ではありませんよねぇ?」


「あ、あはは、そうだね。で、でも別に私は兄様を溺愛とか、そんな事は……」

 ゴニョゴニョと尻すぼみになっていき最後の方は聞き取れないほど小声になる。

 何故かその表情だけは変化しないのだが。


「も、もう!こんな話をしたくて引き留めた訳じゃ無いんだ」

「えぇ、ですから、アッシュ様の居場所を早く教えて下さい!」

「いや、そんな事より―――、!!」


 シュキイン!!!


 と、殺気を感じたレイカが振り返りに一刀を振るうと焦げ茶色の矢が数本、空中でバラけ、それはサラサラとした砂になって地面に落ちていく。


((この砂は!?))


 レイカは実際に観戦した時の知識から、アリアはアッシュに説明された知識で、二人はこの攻撃をもたらしたのが誰か瞬時に悟る。


 もはや自分達以外に人の気配がしなくなったこの校舎前に向かって黒い鎧を身に纏った剣士が堂々と抜身の剣を持って歩いてくる。


「……」

 何を言うでも無く、黒龍ことヒステリアは無言で紙を突きつける。


【さすがは噂に名高い雷霆の妹君だ。確か氷帝剣だったか?】


「そう言う貴殿は操土の黒龍殿ですね?ここは裏の世界とは無関係の学園ですが、何かご用ですか?」

 レイカは剣を構えたまま尋ねる。


 ヒステリアも剣を持ったまま、手にした紙に器用に台詞を書いていく。

【故あってそこのお嬢様、に仕える剣士に仕えている。そんな訳で、そこのお嬢様は私の上司の上司だ。悪いが返して貰うぞ】


「何か勘違いしているようですが、かと言って話を聞いてくれそうもありませんね」

 はぁ、とため息をついたレイカはアリアに向き直って言う。

「仕方無い、アリア殿。アッシュ殿は中等部の本館にある空き教室のどれかにいる筈だ。いいか?絶対に副会長に見つかってはならないぞ?」


「え?」

 と状況がよく分からないで困惑するアリアにヒステリアも紙を突きつける。

【ここは私に任せて、貴様は先に行け。】


「え?え?」


「さぁ、早く!私の事は気にせずに走れ!」

【心配せずとも直ぐに追いつく】

 二人はそれだけ言い残すと己の敵に向き合い、剣を構える。


「いや、ちょっと、あの二人共」


「行くぞ黒龍!氷帝剣の名が伊達では無い事、見せてくれる!」

【抜かせ小娘、二度と舐めた口が利けぬよう、我が魔剣の錆にしてくれる!】


 アリアの制止を無視して、勘違い剣士二人の、水と地の魔剣が火花を散らして交差する。

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