第2話 後悔しないで下さいね

「「「兄貴!!!お帰りなさい!!!」」」


 現在俺は住み処であるアルテン修練場に戻って来ている。

 先の闘技会が行われたのは隣国エスプレの中央にある貴族の所有地だったので、ここまで帰ってくるのに一日がかかった。

 ここアルテン領はヨーロピアとエスプレの国境付近、ヨーロピアの端に位置する領地だ。


 その端のさらに端、森の中に隠れるように建てられたここには俺の他にも数十人の剣闘士が住んでいる。

 当然、皆俺同様に裏の剣闘士であり、他の貴族に拾われた元奴隷や犯罪者上がりの者がほとんどだ。


 基本的におっさんしかいないここで俺が結構な古株だった事もあり、同年代の少年達には兄貴と呼ばれている。少し照れ臭いが。


 そして現在、修練場内の食堂にここに住む者が全員集まり、宴会を開いていた。

 先に帰っていたご主人様が、俺が学園に通う事を知らせてくれていたらしい。

 つまり、この宴会は嬉しい事に俺の送別会な訳だが、

「お前ら、揃いも揃って飲み過ぎだろ、いつから始めたんだよ?」


 これに答えたのは茶髪をオールバックに纏めた厳つい少年だ。

「実は兄貴を送り出した後、すぐに始まったんですよ。本当は準備だけして、兄貴が帰って来てから始める予定だったんですが」


 他の奴らが赤い顔で騒ぐ中、この少年だけは普段通りの落ち着いた口調で言う。

 少年の名はハイド。

 同年代の少年達の中では、俺の次にここに来た男だ。


「って事は、俺が学園に行く事、お前らは皆知ってたのか?」

「スミマセン兄貴。黙ってるのは悪いと思ったんですが、兄貴のご主人様からの指示だったもので」

 ハイドは申し訳なさそうに言う。


「いや、別に怒ってる訳じゃないよ。むしろ良かった。さっきまで皆に何て説明しようか迷ってたからさ」

「スミマセン兄貴。いつも俺達のせいで兄貴に負担かけてしまって」

 冗談めかして笑って言ったにも関わらずこの返し。そしてこの申し訳なさそうな表情。

 こいつはいつも真面目すぎて心配になってしまう。


「いつも言ってるけど負担に感じてなんてないから。それにせっかく送別会を開いてくれたんだから、そんな悲しそうな顔じゃなく、笑って見送ってくれよ」

 言ってハイドに杯を持たせて、酒を注ぐ。


「スミマセン兄貴……」

「だから、笑ってくれっての。はい、俺にも注いでね」

 ハイドに酒ビンを渡し、自分でも杯を持つ。


「失礼します」

 とハイドに注いでもらって、

「ありがとう、じゃあ、って自分で言うのも変だけど、俺の魔法学園入学を記念して」


「「乾杯」」

 チンッ、と掲げた杯を合わせ、それを一気に飲み干した。


 酔うとヤバいタイプのハイドにはあまり飲ませたく無いのだが、こんな日くらいは良いだろう。

 周りも既に酔い潰れてグロッキーだし、今日はそこまで怪我人は――――――――、


 ドン!!!!!!!!!


 と、まさにフラグ的思考をした瞬間、轟音と共に食堂入り口の扉が壁ごと吹き飛んだ。

 しかしながら、それはハイドが暴れた訳ではなく、この場に関係の無い第三者がもたらしたものだった。


「……」

 無言で立つ黒い鎧姿の剣士。

 竜を模した鎧を黒一色に染めた出で立ちのそいつは、

「こ、黒龍!!!」

 酔いつぶれている誰かが叫ぶ。


 まさに見たまま、黒龍の二つ名で呼ばれる彼もしくは彼女は、各地の裏闘技場で賞金を荒稼ぎする実力者であるが、その正体は全てが謎に包まれている不明の剣士だ。


 分かっている事と言えば、最推しの鎧議論において、あの黒龍の鎧は常に上位に位置する程カッコいい、という事だけ。

 常に無言のクールさ、冴え渡る剣技、正体不明のミステリアス。

 はっきり言って俺は彼(彼女)の大ファンである。

 出来たら男であって欲しいと思う。


 とは言え、この状況ではサインをねだる事は出来ない。

 多分、奴の狙いは俺。

 正確には俺との勝負、か。


「何しに来やがったテメェ!」

「兄貴の送別会と知っての狼藉か、陰気ヤロー!」

「お前みたいなネクラはお呼びじゃねぇんだよぉ!」


 ワーワー、と騒ぐ酔っぱらい達。

 普段なら我先にと襲いかかる彼らだが、今は立っているのでやっとなのだろう。

 出来たら大人しくしていてもらいたい。


「……」

 そんな騒ぎを無視して黒龍はこちらに歩み寄ってくる。

 抜き身の剣と鋭い殺気を放ちながら。


 そんな危険人物の前に、こちらも危ない男が立ち塞がった。

「オイオイオイオイオイオイ!!!

 誰の許可を得て入って来やがったボケ!

 兄貴はテメェなんかに構ってる暇ねぇんだよ!」


 スラリ、と背中の大検を引抜き凄むチンピラ、否、酔うと暴れまくるハイド君であった。


「……」

 黒龍は無言でハイドの喉元に切っ先を突きつけた。

「やる気かよ、イキリヤロー」

 ハイドは黒龍の兜、その中に光る深紅の瞳を睨む。


 体つきだけを見るならばハイドの方が二回りはデカイ。

 対して黒龍は鎧を着ていてもハイドの胸程しか上背はなく、細い手足をしているが、放つ圧力は段違いだ。

 ともすればハイドの方が小さく見える程、奴には強い迫力がある。


 しかし、一触即発のこの空気も歴戦の剣闘士酔っぱらい達には酒の肴にしかならない。

「やっちまえハイドー!!!」

「俺達の実力を教えてやれー!!!」

「兄貴の第一の子分の力!見せて下さいハイドさん!!」

 等々、外野が好き勝手に騒ぐ。


「ハハハ、見てて下さい兄貴!こんな奴俺がぶち殺してやります、よ?」

 そんな頼んでもいない事を言い終えた次の瞬間には、ハイドは床に伏していた。


 正確には「やります、よ?」の「ま」の部分で黒龍は剣を逆手に持ち変え、

「す」の部分で、剣の柄でハイドの胸を打ち、

「よ?」の部分でハイドは白目を向いて倒れ込んだ。

 恐ろしく早い攻撃、俺でなきゃ見逃しちゃうね。と言う程でも無いがやっぱり強いなこの人。


 倒れたハイドには目もくれず、黒龍は真っ直ぐ正面から俺を睨み、手にした剣を床に突き刺した。


 ズ、ズ、ズズ、ズズ、

 と剣が刺さった床、その下の地面から地響きが聞こえ出す。


 その音は次第に大きく、大きく膨れ上がり、数秒の内に部屋自体がひっくり返ってしまいそうな程の大地震になった。


「「「おげぇぇぇぇぇぇぇ……」」」


 そして実際、酔っぱらい達の胃の中身が逆流したようだ。最悪。


「……」

 黒龍はそんな様子にも目を向けない。

 全員が踞り声も出なくなると剣を引抜き、地震を止めた。


 あの剣は魔剣。

 黒い鎧と違い、刀身も束も柄も全てが焦げ茶色の操土の魔剣。それ自体が強力な土の魔力を宿しているが、そこにさらに黒龍自身の魔力を注ぐ事で剣士ながら一流の魔法使い並みの土魔法を使えるのだ。


 それにしてもカッコよすぎる。

 裏剣闘士が酔っぱらいとはいえ五十数名いたのを一瞬で黙らせるとは。

 さすが黒龍さん、と言わざるを得ない。


 だが、そんな素振りは表には出せない。弟分達の前で、情けない姿は見せられないから。

「久しぶりですね黒龍さん。半年前の闘技会以来になりますか。今日はその時の約束を果たしに来たんですよね?」


 あの時の決勝の後。

 次は斬る、と文を受け取った。

 約束とも言えぬ約束だが、それ以外に理由が無い。

 本当は昨日の闘技会で当たればそれで済んだのだが、残念ながら黒龍は準決勝の相手、つまり深淵のマジョリーに敗れていたようだ。


 俺は黒龍が問いに答える前に腰の剣を引抜こうとした。

 何故なら答えを期待していない、それ以前に黒龍は喋らない。

 その筈だった、が、


「そうではない」

 一言、たった一言だが、

「こ、黒龍さんがしゃしゃしゃ喋った!?」


「何を驚いている。私とて人間。喋りもするし、飯も食う」

 兜の中からくぐもっているがそれでも女性だと分かる厳かだが、柔らかな声が聞こえる。


「こ、黒龍さんって女性……だったんですか?」

「……」

 黒龍はこれに言葉では無く行動で答えた。


「……うっ……そ……」

 思わず驚きの声が漏れる。


 何と黒龍が兜を脱いだのだ。

 その顔はやはり女性、それもとびきりの美女である。

 黒い鎧に反して髪は綺麗な白銀。

 切れ長の目は深紅に輝き、ショートカットの白銀と相まって狼のような、鋭い印象を受ける。

 凛々しい、美女なのだが……。


「……本当に女性なんですね」

 少し、いや正直かなりショックだ。

 しかし、ガッカリした俺とは対照的に黒龍は意外そうな顔をした。

「ほぅ、珍しいな。私の顔を見た男は大抵気味の悪いニヤケ面をするものだが、やはりあの噂は本当だったのか?」


「あの噂?」

「知らないのか?お前が主のマーガリン伯爵を溺愛する変態ホモ剣士だという噂は結構有名なんだが」

「嘘だろ!?」


 そんな噂は微塵も聞いた事がない。

 それにご主人様に対する気持ちは恋愛感情ではなくただの忠誠だ。

 誤解にも程がある。

 第一ご主人様は結婚しているのだから不倫になってしまうではないか。


「勿論、嘘だ。本命は伯爵の娘だろう?」

 自分で言った気味の悪いニヤケ面とやらを浮かべて黒龍が言う。

 何かこの人のクールなイメージがどんどん崩れて行くのを感じる。


「違いますよ。ご主人様もお嬢様も大切な主様です。それ以上でもそれ以下でもありません。

 きっちりと身の程はわきまえていますから」

「ふぅん、あの娘も難儀だな。こんな堅物が相手とは」

 黒龍はつまらなそうに言う。


「何の話です?」

「……いや、何でも無い。それより今日はお前に話があって来た」

 黒龍はそこで言葉を切り、ニヤリと犬歯剥き出しの笑顔で言った。

「二人っきりになれる場所に案内してくれ」


 美女に誘われた、と言えば聞こえはいいが実際は、狼に間近で睨まれている、そんな状況だ。


「分かりましたけど、後悔はしないで下さいね」


 剣での話合いがお望みらしい黒龍を連れ立って、俺は修練場内で一番広い訓練広場に歩き出した。


「そういえば黒龍さん、今更なんですが名前は何て言うんですか?」

 歩きながらふと気になったので聞いてみたのだが、

「……」

 答えは無い。

 いつの間にか兜もかぶって、完全に臨戦態勢だ。


 何だか分からないが俺も剣闘士の端くれ、売られた喧嘩はきっちり買わねば。


 食堂からしばらく歩き、一際大きい扉にたどり着く。

 この中、と言うか先がメインの訓練広場だ。

 扉を開ければ天井は無く、夕日に染まった空が見える。


 直径にして二十メートルの円形広場。

 闘技場と違って客席はないが、この人が本気でやるならむしろその方が都合が良いのだろう。


 満足気に頷いた黒龍は先に立って歩き、広場の中心で立ち止まる。

 そして振り返り、腰の魔剣を引き抜いた。


 鋭い長剣を片手で持ち、胸に当てる騎士然とした格好で名乗りを上げる。

「我は亡国ガテマの王女ヒステリア!

 貴殿の腕を見込んで頼み事をしたく参った!しかしこの頼み、貴殿の身の上で受けられるもので無し!

 然らば我が剣と打ち合い、その命と引き換えにそなたの身を頂きたい所存!」


「如何か?魔剣使い、生奪のアッシュよ」

 黒龍は赤い瞳を光らせ問うてくる。


 正直何言ってるか理解不能だが、ようするに黒龍が勝ったら命の代わりに自分のモノになれ、そういう事だろう。

「断る理由はありませんし、さっき言った事忘れてませんよね?」

「恩情感謝する。

 ……だが、後悔するのは」


「貴様の方だ!!!!」

 叫びと共に黒龍は操土の魔剣を地面に深々と突き刺した。

 直後、黒龍の背後の地面が盛り上がり、そこから現れた大口を開けた竜の顎が五本、俺を目掛けて一斉に襲いかかってきた。

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