大河ドラマの伊達政宗効果はでかいな。海外向けはサンシャインよりポケットサンシャインのほうが売れてるようだ
7月1日 - 1986年2月に調印がなされた単一欧州議定書が発効されECはEUへと変化し非関税障壁の撤廃などにより巨大な市場が誕生した。
さて、MHKの歴史大河ドラマ独眼竜政宗は大河ドラマ最大のヒット作とよばれる視聴率を記録している。
昭和59年(1984年)から、昭和61年(1986年)までの、大河ドラマは三年連続で近代路線シリーズだったが、徳川家康以来4年ぶりに時代劇路線シリーズの大河ドラマが復活した。
そして平均視聴率は40%近くに達し39.7%は、大河ドラマの歴代トップを誇ることになる。
そして九州三国志に引き続く歴史SLGとして伊達政宗を主人公とした伊達政宗の野望がパソコンとサンシャインで発売されるとこれまたヒット作となった。
そして大ヒットの結果、伊達政宗縁の地に観光客が殺到している。
一方で伊達政宗にとって最大の敵役となる最上義光があくどく描かれていたことなどもあって、山形県の関係者らからは不満が上がったのだが、伊達政宗の生誕の地である米沢主・田村清顕の娘、当時正室である愛姫の三春城があった郡山に隣接する三春町などなどへの観光旅行プランを北条先輩などがNRにプッシュしたこともあってそういった地域はそれなりに観光客が来ており、ついでに会津若松などへという観光客も居るようだ。
もっともまだ山形新幹線も山形自動車道も開通していないため観光客には山形県へのアクセスが悪かったから、もし最上義光の人気があっても山形県全体に観光客を仙台と同様に呼ぶことはできなかっただろう。
6月7日には小田原攻めが描かれたこともあって小田原へ行く観光客も居たりする。
凍り豆腐とずんだ団子なども名物となってかなり売れているらしい。
「伊達政宗効果でゲームも売れているし、福島の観光客もそれなりに増えているようで何よりだね。 そういえばチェルノブイリ原発事故が起きたあとの現地の取材とか、ソ連との交渉窓口を作るためにもポーランドとハンガリーにもゲーム販売やテレビの海外支局はどうなっているのかな?」
それについては足利さんが答えてくれた。
「ライジングの海外拠点として北米はアメリカ・カナダ、南米はブラジル・アルゼンチン・ペルー、ヨーロッパではイギリス・フランス・イタリア・ポーランド・ハンガリーに海外支局は設置済みです」
「おお、大分進んでいるな」
「とは言え海外では陣天堂とSAGAの据え置き機人気が高く、サンシャインは高すぎると言う意見が強いようです」
「それは現状では仕方ないか。
アメリカだと金を出せるやつはパソコンゲームをやるだろうし」
アメリカではアタリショックの前後にはテレビに接続するタイプの低価格パソコンも普及していて約5万円程度で買えるようになっていた。
日本で言うMSXのようなものだが、日本ではホムコンのほうがMSXより描画やサウンドで上回っていたのに対して、アメリカではアタラナイのゲーム機より低価格パソコンのほうが高度なゲームが実現できたうえに、ワープロや会計処理といった、ゲーム以外の用途にも使用可能であったこともあった。
それ以前にサンシャインのソフトは日本の環境に順応しすぎているというのもあるのだろうけど。
「その代わりにポケットサンシャインの売れ行きは好調です」
「それはいいことだね」
アメリカのRPGが細かいストーリーを持たないウインザード以外はほとんど日本では受けていないように、日本のRPGなどはおそらくアメリカのユーザーには合わないのだろう。
となると純粋なゲームとしての楽しさが海外でも共有されるゲームでないとなかなか売れにくいということになる。
アタリショックを引き起こした原因の1つはそれまでさほど売れていたわけではなかったハードがスペースエイリアンの移植に伴って急激かつ爆発的に売れたというのがある。
そしてその後に移植が開始されたパクパクマンはその当時のアタリのハードの販売数が600万台なのに1200万も予約製造されて販売本数が700万本を超えたところで、全く売れなくなり500万本ものソフトが売れ残った。
この時にゲームは質が大事だということをアタラナイの経営を乗っとっていたワーグナーが理解していればよかったのだが。
しかしアメリカやヨーロッパではゲームのプラットフォームとして低価格パソコンのほうが普及していたことがオンラインネットゲームの隆盛につながるが、日本ではゲーム専用のコンシューマーハードが大きく普及したことでネットゲームの普及が大きく遅れた原因にもなった。
「しかし、アメリカなどのゲーム市場の構成が日本とぜんぜん違うことを考えても、サンシャインのキーボード接続と通信機能拡張オプションをつけてパソコン通信と接続できるようにするか、YAMADAのMSXの16ビット化と簡単にパソコン通信を出来るようにするかをしたほうが良いかもしれないな」
「たしかに日本ではパソコンはまだまだ高いですからね」
「そうなんだよな」
性能がそれなりにあり、なおかつ比較的安く手に入るパソコンというものもこれからは重要になってくるだろう。
60年代前半には50万を超えていた電卓も、昭和45年(1970年)には10万円を切り、翌年の昭和46年(1971年)には5万円を切って、昭和47年(1972年)には12,800円、昭和50年(1975年)には5,000円を下回るようになった。
昭和46年(1971年)の価格低下は1つのLSIに機能が集約できるようになりキーと表示装置と電源をつけることで簡単に自作の電卓が作ることができるようになった事が大きく、PC/MT互換機パソコンの自作が可能になった後に価格が低下していったのに似ている。
せっかく教育に取り入れることにもなったのだから、パソコンは高価でマニアだけが買うものというイメージを崩していくのも大事だな。
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