今から日本の航空機事故で最悪の事故となる日ノ本航空123便墜落事故を防ぐことはできるか?

 昭和60年(1985年)の8月12日、東京の羽田空港発、大阪の伊丹空港行の123便は不適切な修理が原因とされる、後部圧力隔壁が飛行中に破損したことで、垂直尾翼と補助動力装置が脱落して、油圧操縦システムも全喪失し操縦不能に陥り、迷走飛行の末に最終的に群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根へ墜落した。


 この事故で乗客乗員524名のうち、520名が死亡し、日本の航空機事故でも最悪の事故、そして単独機で世界史上最悪の死者数を出す航空事故となった。


 しかし、当時123便を捜索したロッキーC-130輸送機に搭乗していた元在日アメリカ軍中尉は、同機が事故現場を特定していたこと、米軍座間基地から飛び立った救難ヘリが現場に到着していたこと、そして日本政府がこの救難作業を断ったことを証言している。


 そしてこの事故は整備不良などではなく、事故報告書の後部圧力隔壁の破壊説はボイスレコーダーのコックピット内の状況から機内の気圧は安定していて、圧力隔壁が損壊した時の急減圧は起きていないことはわかっているし、起きていれば気温は6秒で65度も低下したと事故調は言うが、マイナス40度にもなったはずの機内にいた生存者には凍傷はないし犠牲者の走り書きにも寒いということは書かれていない。


 さらに、この事故の1年後の昭和61年(1986年)の10月26日に発生した飛行中のタイ国際航空機の爆発事件では、乗客の暴力団組員が手榴弾を密輸目的でマニラから持ち込んで、トイレで間違えて安全ピンを抜いてしまい、そのまま放置して逃げ出したことで手榴弾を爆発させて後部圧力隔壁が大きく破壊され、急激な減圧に乗客は鼓膜が破れるほど耳を痛めたが、日航123便よりも大きな穴が圧力隔壁に開き急減圧が発生しているにも関わらず垂直尾翼は破壊脱落しなかったし、日航機事故の生存者はだれ一人耳に痛みを感じていないのに尾翼が壊れたという不自然さもあって、そもそも整備不良で簡単に尾翼部分が脱落するほどジャンボジェットはやわにできていないはずなんだ。


 最もアメリカン航空587便墜落事故では副操縦士の不要で過剰なラダーペダル(方向舵ペダル)操作が垂直尾翼に設計時の想定を超える空気力荷重がかかり、胴体との接合部が破壊され尾翼が分離した例もあったりするが。


 だから垂直尾翼が落下したり全油圧系統が機能停止したの原因はおそらく整備不良ではないし、ボイスレコーダーに残る衝撃音2回の後、7秒ほどでスコーク77という最優先緊急信号を出しているのも普通ではない。


 機長はオレンジエアという言葉をボイスレコーダーに残していてそれは自衛隊が演習用装備に塗られている色のことで、墜落から1時間も経たずに現地に到着していた自衛隊員が、救助活動よりもオレンジ色の金属の残骸の回収を行っていたらしいなどと言われるのも不自然だ。


 この機体には「TRON」の技術者が17人乗っていたとか、小型の核燃料が載っていたとかも言われているんだが、そこまで来ると陰謀論になってしまうだろう。


  ただ恩賜園では悪質な児童虐待が発覚してからも、園長が免職されることもなく6年間以上虐待は続いていたし、水俣病は1959年には、原因物質は有機水銀だと工場責任者に報告しているが、チッソは「工場で使用しているのは無機水銀であり有機水銀と工場は無関係」と主張し、結果としてその後に大量の水俣病患者を生みだし、その代償にチッソにとっても甚大な経済損失を生んだ例もある。


 実際事故機には、多量の医療用ラジオアイソトープが貨物として積載されていたようだし、機体には振動を防ぐおもりとして、一部に劣化ウラン部品も使用されていたため、これらの放射性物質が墜落によって現場周辺に飛散し、放射能汚染を引き起こしている可能性があったため、捜索に向かっていた陸上自衛隊の部隊は、すぐ現場へ入らずに別命があるまで待機するよう指示されたともいう。


 墜落から約1時間後の19時54分に、救難・救助のため見切り発進した百里基地救難隊のKV-107ヘリコプターは、46分後の20時42分に現場上空に到着した、しかし、当時のKV-107救難ヘリは、夜間の救難作業は可能だったが、赤外線暗視装置などの本格的な夜間救難装備がなかった。


 しかし当時の東京消防庁航空隊には、サーチライトを搭載したアエロスパシアル製救助ヘリコプターが2機配備されていて、事故当夜は関係省庁からの要請に備えていつでも出動できるように待機していたが、東京消防庁への出動要請はなく、のちに運輸省・防衛庁・警察庁ともに、このヘリの存在を知らなかったことが明らかになり、緊急時における縦割り行政の問題点が浮き彫りになった。


 もっともこの消防ヘリは、着陸灯を探照灯と間違えた可能性があるのであるが。


 また墜落から約20分後の19時15分ごろ、米空軍のC-130輸送機が群馬・長野県境付近の山中に大きな火災を発見し、航空自衛隊中央救難調整所に通報し、19時21分ごろ、航空自衛隊の百里基地を緊急発進したF-4戦闘機の2機も墜落現場の火災を発見し、この墜落現場の位置報告は正しい情報であったし、墜落から約1時間後の19時54分に、救難・救助のため見切り発進した百里基地救難隊のKV-107ヘリコプターは、46分後の20時42分に現場上空に到着し、20時33分になって、救難調整本部から航空自衛隊へ航空救難の要請が行われ在日米軍や航空自衛隊が把握した墜落現場の位置報告は正しい情報であったにもかかわらず、運輸省航空局東京空港事務所の「位置が確認できないことには、正式な出動要請はできん」という幹部判断や、運輸省から「レーダーから消えた地点を特定せよ」と何度も電話が入り、所管行政当局である運輸省などの地上での位置・地点特定に固執した混乱により救助作業は遅々として進まなかった。


 更にそれに拍車をかけたのが、群馬県警察・埼玉県警察・長野県警察が墜落現場の捜索にあたったが墜落現場のと思われる煙が見えるという通報があちこちから行われたことで誤報が繰り返され、これらの情報で余計に捜索は混乱した。


 遭難機のレーダー消失地点である「北緯36度02分、東経138度41分」は、御巣鷹山の近くであり米空軍や航空自衛隊の情報は信頼性が高いものであったが、根拠のない情報として「長野県南佐久郡北相木村」、「御座山北斜面」が付加されたことで地上捜索隊の活動に生かされることはなかった。


 で、事故当日には相模湾では護衛艦「あつゆき」が試験航行していて、ここではオレンジ色に塗られた無人標的機のファイア・ビーとそれを追尾していたこれまたオレンジ色に塗られた誘導ミサイルのチャカ2の実験演習が行われていて、ボイスレコーダーにも2回の衝撃音があったことから123便へ衝突したのはそのどちらもであった可能性が高い。


 じゃあ、なんでそんな事が起きたかと言うと横田基地周辺の横田進入管制区、通称「横田空域」と呼ばれる空域はアメリカ空軍や自衛隊の管制下にあり、民間航空機は基本的に許可を受けなければ飛行できないので、ほぼ全便が迂回する経路を取っているのだが、数少ない例外が羽田発大阪行きの航空機で、横田空域が通過可能となっている。


 つまり123便は軍事的な利用、すなわち軍事演習なども通常から行われている空域を飛行していたわけだ。


 これが羽田空港から西に向かう航空路の混雑を生み出し、航空機同士がニアミスを起こす原因にもなっていたりして、羽田空港を離陸した航空機がわざわざ東京湾上空を大回りしながら、太平洋に抜けてから西に向かうのもそのせいで、国際便が成田空港オンリーだったのもそういった理由だった。


 その後少しずつ軍事的空域が減少していったことで、羽田空港からの発着でも横田空域を迂回する必要性が減って国際線も飛ぶようになっていたが。


 そして自衛隊は123便を意図的に撃墜したのかと言うとおそらくそうではない。


 航空機の離発着は予定時間があってもそれが時間や日単位でずれることも多いからな。


 123便の離陸と誘導ミサイルの実証実験をしていた護衛艦「あつゆき」から無人標的機とそれを追うミサイルが発射されたのがほぼ同時刻であったのは悲劇的な確率による偶然だと思うが、それこそ針の穴に糸を通すような確率で123便には運悪く無人標的機のファイア・ビーとそれを追尾する模擬誘導ミサイルのチャカ2が衝突してしまったのではないか?


 雫石衝突事故で、すでに叩かれてる自衛隊がまたしても民間機を誤射したとなったら、やはり日本には軍隊などいらないという声が強くなったろう。


 だから、残骸の回収を最優先にして、オレンジ色の飛行物体を見た客を見殺しにするため救助は意図的に遅らされて、整備不良による事故としなければならなかったんだろうなともされてるが、実際は民間から寄せられた多数の当てにならない情報に振り回されたり、確実な場所をとしつこく確認しようとして帰って捜索開始が遅くなった行政の判断ミスや縦割り行政による組織間の横の連絡の不備によるものが大きかったらしい。


 なお事故調査では事故機の製造者であるパオーイング社がその前に起きた事故の際に自らが行った圧力隔壁の修理にミスがあったことを認めたが、刑事裁判においては業務上過失致死傷罪での刑事責任追及されることを恐れた日米の関係者が全員黙秘権を行使し、事故調査報告書も墜落機のトラブルに至る詳しい経緯には踏み込んでいないため詳細な調査を求める声が日ノ本航空などからも上がったがそれは黙殺されている。


 パオーイング社が原因だったら遺族はバオーイングへ損害賠償請求はしたのか?」


 事故の原因をその機体が以前に事故を起こしたときのバオーイング修理が不完全だったためであるとしたが、遺族に対しての600億円の賠償金を払ったのはバオーイングではなく、日ノ本航空でありパオーイングは少なくとも遺族に直接は賠償金を払っていないはずだ。


 ミサイルが垂直尾翼にあたったにせよ、隔壁が壊れたにせよ、そもそも機体の構造的欠陥にせよこれを未然に防ぐとなると、まずはこの飛行機に修理ミスが有リ下手すれば構造的欠陥があることと、米軍や自衛隊の航空管制や実射演習を行っている区域に羽田から大阪に向かう民間航空機が飛んでることで、軍用機や無人標的機に対してのニアミスが起こってることをマスコミに流すのがいいんだろうけど、下手すれば日本に軍隊はいらないとか言い出すやつもいそうなのが頭の痛いところなんだよな……


 もっとも日本が円高を誘導すべきとした今年1月のG5の合意を、日本がまともに実行しようとする気配がなかったことから、これにはアメリカが関わってるという話もあったりするが、それもちょっとどうかと思う。


 だが、この事故を隠蔽したことでアメリカに弱みを作ってしまい、その結果9月にはプラザ合意に同意しなくてはならなかった可能性は高い気はする。


 まあアメリカ側としてもそれにより横田空域の存在が大きく報道されても困っただろうけど、最終的に生存者の証言をまるっきり無視し、急な減圧により機内はマイナス40度にもなったなどというありえないことも記載されている事故調査報告になったのはおそらく、日本政府が隠したいことがあったんだろう。


 それが何なのかは残念ながらはっきりはわからないのだが。


 やっぱ、この事故が原因でプラザ合意に至るっぽいのは見過ごせない。


 俺はあえて恩賜園事件の取材に来ていた新聞の記者やテレビ局員へと情報を渡した。


 ”パオーイングから納入された日ノ本航空のジャンボジェットは昭和53年(1978)年の6月、伊丹空港での「しりもち事故」で損傷した後部圧力隔壁のパオーイング社修理チームによる修理がずさんだったが、その機体の圧力隔壁がちゃんと納入時に点検修理されていないこと、下手すれば垂直尾翼などの構造に致命的な欠陥があること”


 と


 ”横田空域を飛行している羽田から伊丹行きの航空機に対してアメリカ軍や自衛隊の航空機は度々ニアミスしていて、このままだと厚木周辺で8月中に雫石衝突事故を超える、史上最悪の事故が起きる”


 ということを。


 新聞やテレビは日ノ本航空へ対して、ジャンボジェット購入時に圧力隔壁の点検をしているかを問い詰め、それが行われていないことが発覚して通常時も点検が行われる部分でない事もわかり、それによりパオーイングの修理がずさんであることが大々的に知られることになった。


 もっともこの時期におけるアメリカの航空機や乗用車などは同じような問題がよく起こっていたのだが。


 横田の方でも実際にミサイル訓練を行なってる事実も確認して、過去の雫石衝突事故が起きたにもかかわらず、民間航空機が飛行している空域で自衛隊が誘導ミサイルの実証実験をしていることが大々的に報道されて、国会でもそれが追求されて、防衛庁に大々的な抗議がはいった。


 厚生省が叩かれたばかりであることから、防衛庁は即座に対応して民間機の通っている空域での自衛隊の誘導ミサイルの実証実験は全て中止され、防衛庁長官の辞任騒動に発展した。


「これで……いいんだよな」


 ただ問題はこれで九条原理主義者が勢いづいてしまい、自衛隊は違憲だとなんとか言い出したことだ。


「いやいや、中国やソ連なんかの脅威から日本を守るには、絶対アメリカ軍と自衛隊は必要なんだがな……もっとも土地や建物や戸籍を買われるソフトな侵略も問題だが」


 ともかく123便の事故自体は防げ、アメリカに弱みを握られることがなくなれば、プラザ合意も日本は参加しないですむかもしれないのでできればそうなってほしいとは思う。

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