最終話 至上の平穏

 ペーブシティのアジトでハト婆が相も変わらず煙草に火をつけていると、弟子がある人物を連れて彼女の元に戻って来た。


「御苦労だったねえ」


 ハト婆は一服し終えると灰皿に吸い殻を擦り付けながら言った。


「私に掛かればお安い御用です。出来ればもうしたくないですが」


 アタッシュケースを彼女の目の前に置いて、ベンは肩の力を抜いたまま彼女に所感を述べた。アタッシュケースを開けて中に入ってる書類や証拠物件を漁り、収穫した情報を前ににハト婆は頷く。


「情報は既に渡したのかい?」


 ハト婆はベンの口から状況を聞きたいと、静かな雰囲気で質問をぶつける。


「政府、そしてマスコミの関係者に必要な分は渡しています。報酬についてはいつもと同じ様にお支払いすると」


 ベンがそう言いながら彼女に小切手を渡すと、ハト婆は少し乱暴に受け取って額を確認した。どうやらお望み通りだったらしく、ニンマリと笑いながらハト婆はそれをテーブルに伏せる。


「あの守銭奴連中にしちゃ悪くない…提案された時はどうかと思ったが、お前さんが”モグラ”になってくれたおかげで何をするにしても余計な手間がかからずに済んだ。良い仕事をしたね」


 珍しく人を褒めるハト婆にベンは軽く微笑み、会釈をしながらそれに応える。


「さて、次の仕事に取り掛かるよ」

「…出来れば休暇を頂きたいのですが」

「休みなんかあったら商売あがったりだよ、私らの世界は」


 ごねるベンを引っ張る様に連れながら、ハト婆は次の仕事について説明をするためにアジトの奥へと歩いていった。不機嫌そうだったベンであったが、仕方がないと割り切ってついて行く中、どうすればサボれるかに思いを馳せ続ける。




 ――――ジーナは父の墓の前で、近況報告と全てが終わった事を伝えて笑みを浮かべた。墓地を後にした彼女は、スーパーマーケットに向かう途中で様変わりしつつある街の景観を見渡した。あの一連の騒動とそれに伴う旅から二年が経とうとしていた。テロリストや協力者だった政治家、資産家、そして企業が芋づる式で検挙された後に、連邦政府は各地で大規模な開発を行う事を公表した。各地で取り掛かられていた制作は当然この田舎であろうと例外ではなく、あちこちで新しい建物の建設や交通機関の設置を行っている真っただ中であった。


「や、やめてください!」


 ふと近くで若い男性の声が聞こえた。見ると華奢な体躯の青年が、壁際にて二人のならず者に囲まれて縮こまっている。


「ああ~ん?偉そうに言えた口じゃねえだろ。ぶつかっといて詫びもねえのか?」


 持っていたらしい荷物が散乱しており、拾いたそうにしている青年だったがならず者たちに阻まれている様子だった。気の毒に思いつつも立ち去ろうとしたジーナだったが、一瞬だけ迷うように立ち尽くした後に青年達のもとへと歩きだした。


「ねえ、目障りなんだけど」

「…んだと?女はお呼び…じゃ…」


 自分を止めようとする声の主に対して、ならず者の一人は少々侮蔑的な発言をしながら凄むように背後を振り返った。しかし、自身を上回る体格を持つジーナを見た直後、声が詰まったのか口を開けたまま黙ってしまう。


「おかげですっごい不快な気分になった。それに対して詫びは?」


 肩に置かれたジーナの手に重量感を感じた直後、ならず者は段々肩を掴む力が強くなっている事に気づいた。


「ア、アハハハハ…すいませんでした」

「消えて」

「ハイ!」


 その言葉を最後にならず者達が一目散に逃げだした後、ジーナは青年の荷物拾いを手伝って最後に一つである財布を渡した。


「ここに来るのは初めて?」

「はい。この辺りはどんどん発展してるし、田舎を飛び出して新しい仕事欲しさに来たんですけど…いきなり絡まれちゃって」


 ジーナが聞くと、青年は恥ずかしそうに答えた。いい歳をした大人が自分で尻拭いも出来なかった事を不甲斐なく思っていたらしく、目を合わせようとせずに俯いている。


「そう…別に良いけど、大事な物ぐらい守れるようにならないと苦労するわよ?最近はこの辺も治安悪いから」

「で、ですよね…ハハ」


 ジーナが軽い忠告をすると、青年は申し訳なさも含めたように賛同して引きつった笑い声を出した。そして彼女が背を向けた直後に、少し落ち込んだように小さく溜息をつく。その音がジーナの耳にも入っていた。


「…でも、まあ自分だけじゃどうしようも出来ない事ってあるわよね」

「え?」


 自分を助けてくれたノイル族の女性から発せられた言葉に、青年は顔を上げた。


「困ってる時にまた会ったら話ぐらいは聞くし、出来る範囲で助けてあげる。それじゃ」

「あの、ありがとうございました!」


 捨てるように言いながらその場を後にしているジーナに、青年は感激した様に礼を言った。彼女は振り返ろうとはせずに小さく手を振って去って行く。


 買い出しを終えたジーナは紙袋を抱えて帰路に就いた。父親と再会した時にぶつかった事を思い出した彼女は、一応ではあるが曲がり角を確認して住宅街に入る。かつて自分の実家があった場所には、他と比べて新品さと大きさが一際目立つ邸宅が建っていた。


「やっぱり、やりすぎたわよね。これ」


 もう少し質素なくらいでも良かったのだが、別に良いかと気持ちを整えてドアを開ける。埃も無い澄み切った空気に新しい材木や家具の香りが乗って鼻を通ると、微かに気分が高揚した。


「ただいま、ってね」


 家族が迎えてくれてた幼少期を懐かしみながら、ジーナはふとそんな事を呟いた。そのまま廊下を抜けてリビングに入り、ギンガムチェック柄のテーブルクロスの上に買って来た物を置いた。


「はぁ…まだやってるの?」


 ジーナが呆れながら見た先では、シモンとルーサーが搬入し終えたピンボールを攻略しようと躍起になっており、失敗してはその場で二人して項垂れた。


「ちょっと待て…この穴にどうやっても入らねえんだよ。これ壊れてんじゃねえのか?」

「そんなわけないって。ジーナは入れてたじゃん」


 台の不備を疑うシモンに、ルーサーは根拠付きで反論した。心なしか、声色が変わってきており成長期かもしれないなどとジーナは考えつつも近くに置いてた新聞紙を丸めながら背後に近寄った。


「芝刈りと風呂掃除、終わった?」

「あ…」


 それぞれに振っていた役割の進捗についてジーナが尋ねると、終わったというルーサーとは対照的にシモンは声を出して静かに台から離れる。何かを察したジーナは笑顔でシモンの頭を叩いた。


「…年寄りを痛めつけやがって~」

「まだ三十八でしょ。早くやっちゃって」


 シモンが渋々中庭へ出て行くのを見送り、ルーサーと買ってきた食材を冷蔵庫や棚に入れていった。


「まさかさ、皆で一緒になんて思わなかったよね」


 ルーサーがふとそんな事を言いながらジーナを見た。


「一人寂しくこんな場所に住んでたら頭がおかしくなるわよ。それに、全員でお金払った時点で嫌な予感はしてた」


 冷蔵庫に酒瓶やバターを入れながらジーナが言い返すと、ルーサーもそれに笑った。連邦政府からの報酬やヘブラス・エンフィールドの遺産は想定以上の物であり、それぞれの分け前を手に入れた時だった。故郷で新しく家を建て直してそこで暮らす事を決めたジーナに対して、なぜかシモン達が唐突に自分達も払うと言い出し、土地の下見に同行した挙句に設計にまで注文を付け始めたのである。


 聞けば法の改正によって住所が不定である場合は、今後の旅の手続きなどが面倒になるのが原因らしかった。なし崩し的にジーナが受けいれた結果として、行く当てもなかったルーサーも交えて五人での同居が決まったというのが事の顛末である。この家を拠点として今後も便利屋稼業は続けていくとの事だった。


「そういえばさ。あの心の声というか…ターシテルドとはどうなったの?」

「何度か話してる。火口に出て来たあの怪物もだけど、本来だったら自分達やああいう連中がこの世界に入って来る事はまず無いんだって。二度と起きないとは思うけど…まあ、念のために今後も警戒をした方が良いって言ってた」

「気が気じゃないわね…」


 苦い表情で無責任な伝言を伝えるルーサーにジーナが文句を言っていると、リビングにセラムが戻って来た。


「帰っていたか。寝室の掃除はもう終わってる」


 セラムが二人に話しかけていた直後、レイチェルも背伸びをしながらリビングへ入り込む。


「設備の調整終わり~…ってセラム終わったの?」

「ああ」

「あの部屋の量を?早くトレーニングしたいからってデタラメ言ってない?」


 懐疑的な眼差しを向けるレイチェルに、セラムがそつなく対応しているとなぜかシモンまで戻って来た。窓から外を見ると芝刈り機を放置していたため、全員で詰め寄るが「夕方までにはやる」と言って聞かなかった。


「じゃあお昼にする?」

「賛成」


 レイチェルが呆れた様に聞くと満場一致の返答が部屋に響き、結局その日の作業は中断となった。食事をこしらえてから席に着いて日差しが照り付ける外を尻目に、全員でがっつく様に食べ始める。


 食事が続いている最中、こんな時間からワインが飲みたいと言い出したレイチェルに応じてジーナはキッチンへ向かう。一本だけ適当に取り出してから戻っている時、近くの棚に置いていた写真立てに目をやった。家が建った記念に仲間達と撮影したものが飾られており、いつになく余裕と満足感、そして達成感を感じられる表情をしている。


「ちょっと~まさか今更買いに行ってるなんて事は無いよね~!」

「はいはい、もう行くよ」


 やたらテンションの高いレイチェルからの催促にジーナはやれやれと首を振り、もう一度だけ写真を名残惜しそうに見てテーブルへと戻っていく。これから先に待つ困難や苦労の事など知った事ではないと言えば嘘である。しかし、その写真を見た瞬間に皆と協力すれば乗り越えていけそうだと思える様な希望を、ジーナは確かに感じとっていた。

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