第32話 邂逅

 仲間たちとの連絡が途切れた事こそが、彼女にとって凶報である事は疑いようがなかった。ゲルトルードは倦怠感の残る中で体を動かす。身を隠しながら再び無線でジェシカに呼びかけたが、今度は応答が無かった。既に三人とも始末されてしまったのかもしれないという最悪の予測が、彼女の中で焦燥感を掻き立てていく。


 ゲルトルードは証拠の隠滅で躍起になっているであろうネビーザにすぐさま連絡を取った。


「ゲルトルード…何があった?」


 ネビーザはせわしそうにしていたが、ただ事では無さそうな気配を感じ取ったのか険しい口調で問いかけた。


「出来るだけ早めに逃げて。あいつら…思っていた以上に厄介よ」

「仕方がない、アレを使う…お前もすぐに避難しろ」

「…ありがとう」


 そうして連絡が終わると、他の仲間やネビーザへの申し訳なさで顔を歪めながらゲルトルードは、到着した下っ端の兵士達と共に立ち去った。


 敵との戦闘の後、シモンは先ほどジーナ達と別れた場所に辿り着いた。膝に手をつきながら息を整えていると、二人も遅れて現れる。セラムは顔に擦り傷のあるシモンと服や顔に切り傷のあるジーナを交互に見た。


「苦労したんだな」


 笑いながらそう言ったセラムにカチンと来たのか、二人は心の中で思い思いに彼を罵った。そんな三人に向かってネスト・ムーバーが突っ込んでくると、ギリギリのところで停車する。


「シモン!無事だったか!」


 ネスト・ムーバーに取り付けられている銃座からロバートが顔を出し、手を振っていた。その後、ロバートはレイチェルやルーサーと共に降りてくると、三人の元へ駆け寄って来る。連れ出した女性の姿が見当たらなかった事をセラムは不安がったが、どうやら既に安全な場所へ連れて行ったとの事だった。全員が再会を喜ぶと、改めて街の最果てにあったレストランに目を見張った。邪魔者はもうおらず、いつでも入り込める。


「さて、じゃあ今度こそ調査開始だ」


 シモンがそう言って歩き出そうとした時、レストランの前に自分たちの使っている物よりも遥かに頑丈で、無骨な形状をしているネスト・ムーバーが停まった。兵士たちが周囲の警戒をしていると、レストランから老齢のザーリッド族の男が現れる。こちら側に気づいたのか、睨みつけながら叫んでいた。


「貴様ら程度の蠅共が生き残った事は褒めてやろう!褒美としてくれてやるには惜しいが…楽しむといい!」


 そう言って何かのスイッチを押した後に老人は笑った。そのままネスト・ムーバーに乗り込んでいく彼を止めるためジーナ達は動こうとしたが、付近にいた兵士達に牽制されてしまう。兵士達が全員乗り込んだ後、走り去って行くネスト・ムーバーをジーナ達はただ見送る事しか出来なかった。


「ネビーザ様、子供の方は良かったんです?」


 ネスト・ムーバーの車内で兵士の一人が話しかけた。


「今はあのガキの事なんぞどうでも良い。生き残ってれば捕まえ、死んでいれば、くたばっているボディーガード達が命令を無視して勝手にやった事にしておく…それより連絡はしたか?研究の内容が漏れたとあれば一大事だ」

「ハイ、既に」


 一方、取り残されたジーナ達は彼を追いかける者と、中に入って調査をする者達で別れるかどうかを話し合っていた。だが間もなく、付近で振動を感じた直後にレストランが音を立てて崩れていくのを目撃した。


「…そんなのアリ…?」


 ジーナの声が僅かに震えていた。崩れ行く瓦礫の隙間から顔を出し、触手で構成された腕で周囲にある物を片っ端から掴み、破壊し、飲み込んでいきながらそれは姿を現す。生まれたての赤ん坊の様な拙い這い方で建物から出てきた巨大な怪獣は、到底産声とは呼べないようなおぞましい叫び声をあげる。目が存在せず、あるのは裂けているのではと思ってしまう程にデカい口であった。全身から少しづつ飛び出ては蠢いてる触手達や、どこかあどけない動きが不気味さを一層強い物にしていく。


「あんなヤツどこに隠してたのよ今まで…」

「たぶん地下だろう…さっきの女が操ってた化け物といい、行方不明者がどうなったのかが大体分かったな」


 ジーナとセラムは戸惑いながらも、怪獣の出所を二人で話し合っていた。そして街に巣食っていた謎の答えを推測していく。怪獣はレストランを壊しながら這い出てくると、そのままこちらに向かってくる。見境なしにあちこちを壊しながら進む姿に畏怖したのか、ひとまず退避しようと全員でネスト・ムーバーに乗り込もうとした時、何かが飛来して来た。咄嗟に伏せたものの、その先にあるネスト・ムーバーにぶつけられてしまったのは、建物の瓦礫であった。


「アレ一台でいくらしたと思ってんだあのデカブツ…!」


 修理費を想像しながらシモンは怒り心頭に立ち上がり、悪びれも無く進行してくる怪獣をの方を見た。もし、先ほどの投擲がわざとでは無いのなら、恐らく逃げ切るのは難しい。何より関係の無い他の住民達を巻き込んでまで助かろうと思えるほど、その場にいた者達の面の皮は厚くなかった。


「マズいと思ったらすぐに逃げて。出来る?」

「で、でも…皆は?」

「信じろ。レイチェル、ロバート…後は頼んだ」


 ジーナからの指示にルーサーは躊躇いを見せたが、シモンは彼を簡潔に説得した。残りの二人に少年を預け、三人は一斉に怪獣の元へ向かった。動きがノロいと見たシモンは、すぐさま残るライフルやアルタイルの銃弾を片っ端から撃ち続ける。すぐさま触手を伸ばして怪獣が攻撃を仕掛けてきたが、ジーナがそれを受け止めた。そしてその隙にセラムが忍び寄っていく。触手達による妨害もあってか苦戦していたが、背に上るために瓦礫を足場に跳躍し、ゴツゴツとした背中に乗ることに成功した。


 トゥーノステシティで遭遇したベヒモスに比べ、非常に引き締まった体をしているなどとセラムは思いつつも、首を切り落とすために背中を駆けようとした。しかし怪獣は背中でウロチョロする鼠に気づいたのか、振り払おうと体を軽く揺さぶった。不安定な場所であったため、踏ん張るために膝を着いた直後、予想もしていない方角から巨大な拳を叩きこまれた。


 間一髪刀で防げたが、そのまま吹き飛ばされ地面に叩きつけられた。遠くからそれを見ていたジーナ達は、怪獣が脇腹辺りから新たに腕を生やしているのを目撃する。


「何でもありかよ…クソっおまけにアルタイルとライフルも弾切れ。見かけの割に強靭だ」

「私がどうにか気を引き付ける。左腕で何とかできない?」

「やってみよう」


 互いにそれで納得すると、シモンは出せる限りの触手を解き放ち、左腕を包み込ませていく。巨大な腕を作り出し、それで一発やり返してやろうという算段であった。ジーナは攻撃をタウラスで防ぎつつ、時折カウンターを放った。多少の反動や衝撃が体を痛めつけるものの、大事には至らない。つくづく恐ろしい代物を受け取ってしまったものだと、ジーナは少し身震いした。


 怪獣が腕を振り下ろして来ると、ジーナはそれさえも受け止めた。地面が衝撃と重量のせいで陥没し、恐ろしく体に負担がかかったが辛うじて受け止め、持ちこたえてみせる。その隙にセラムが腕に切りかかって行った。刃渡りの都合から切断は出来なかったものの、かなりの深手になったらしく怪獣は慌てて千切れかかっている腕を抑えながら叫んだ。ようやく準備が終わったのか、シモンは大きく変形した左腕を構えながら近づいていくと力任せに、そして槌の様に怪物の脳天に叩きつけた。


「すげえ…人間でも頑張ればあそこまで張り合えるもんなんだな」

「いや、たぶんあいつらがおかしいだけよ…シモンに関してはもう人間って言って良いのか分からないし」


 そんな戦いを物陰から見ていたレイチェルやロバートは呑気にそんな事を駄弁っていたが、しばらくすると、ルーサーの様子がおかしい事に気づく。頭を抱えてうずくまっている彼を慌てて支えながら、壁に寄りかからせた。


「ルーサー、大丈夫!?どうかしたの?」

「頭が…痛い…」


”人間…か…いや…これは………貴様は…何者だ…?”


「誰…⁉」

「…何言ってんだ坊主?」


 自身に語り掛ける声に思わず反応したルーサーだったが、当然誰もおらず、心配そうにしているレイチェルとロバートがいるだけであった。


”我々…が…封印されていた…空白…の時…世界は…こうも…変わった…か”

”聞こえる…息吹……絶望の…狼煙…”

”我ら…動かねば…”

”この…者…が…新たな……主”

”だが…主は…守護…者と…共に……危機…に瀕して…”

”なら…ば…我が…参ろう”


 言葉がそこで途切れると、頭痛は激しさを増した。それだけではなく、体が燃えるように滾り、熱を持った。両目の瞳が息をのむほどに青く変色し、目元の血管が浮き出てくる。レイチェル達が安全な場所へ彼を運ぼうと、肩を貸しながら大通りへ出たその時、ロバートの元へ連絡が入る。


「ロバートの旦那、た、大変だ!!そっちの歓楽街の方にで、で、デカい怪物が!!凄い速さで走って行った!!」

「はぁ?」


 仲間達の狂言に首を傾げていたロバートだったが、すぐに仲間達が慌て、怯える理由を味わう事となった。ふと後ろを振り返ると、先ほどネスト・ムーバーで自分達が通ってきた道から何かがこちらへ向かってきているのが目に入る。思わず瞬きをした直後、爆風が顔に直撃したかと思うと、目の前に佇んでいたのは、獣…の形をした何かであった。仕草や体系から動物の様だと形容は出来たが、この目の前にいる怪物もまた、触手に覆われていたのである。だがシモンやこれまで遭遇してきた化け物の持つ触手と違い、青みがかっており美しささえ感じるものであった。


 思わず拳銃を構えたレイチェルだったが、獣が平伏すようにルーサーの前にうずくまるのを見ると、敵意の無い不思議な気配に銃を下ろしてしまう。ルーサーは体中に迸る苦痛を堪えながら、ゆっくりと獣に近づいていく。そっと手を出し獣の足に触れてみると、纏わりつく様な冷たさと、何とも言えない触感が伝わってきた。


”我が名はフェンリル…力を貸そう”


 再びルーサーはそんな声をどこからか聞いた。しかし、周囲の反応からすぐに自分にしか聞こえていないことを悟ると、怪物の方を見た。恐らく声の正体は彼なのだろうと、ルーサーは勘付く。怪物はそんな事を知る由も無いのか、目や口が無く、触手で覆われている頭部を目の前の少年に傾けていた。


 自分達の背後で起きている戦いが激しさを増していたのか、怪獣の唸り声や多くの物が壊されていく音を耳にする。レイチェルが振り返ると、ジーナが怪獣の一撃で吹き飛ばされ、偶然設置されていたポストに叩きつけられていた。


 シモンも何とか立ち向かおうと再び左腕を振りかざそうとしたが、怪獣に掴まれてしまい身動きが取れなくなった。セラムもどうにか助け出そうと切りかかるが、咄嗟に皮膚を硬質化させたらしく、文字通り刃が立たなかった。すぐにそのまま体当たりを食らい、吹き飛ばされてしまう。


(あんなもの食らって動ける丈夫さも恐ろしいが、学習までしてやがるとは)


 そんな事を思いながらシモンはどうにか拳銃で抵抗するものの、焼け石に水であった。その一部始終を見ていたのか、突如フェンリルを名乗る獣は立ち上がり、凄まじい勢いで駆け出して行く。そして目にも止まらない速さで走って怪獣の顔へ飛び掛かったと思うと、前足の爪で怪獣の顔を引っ掻いた。セラムから攻撃を受けた際と同様に硬質化したはずであるにも拘らず、三本の掻き傷が深々と刻まれる。


 怪獣は思わずシモンを投げ捨てて悲鳴を上げた。ジーナがシモンをキャッチすると、二人して敵か味方か分からない謎の乱入者に戸惑いを隠さなかった。


「アレ…何?」

「俺に聞かないでくれ」


 二人がそんな風に話している最中であろうと、フェンリルは悲鳴を上げる怪獣に一切の慈悲を見せることなく次々と仕掛けていく。瞬く間に八つ裂きにしていくその姿は、見る者全てにまるで複数体いるのかと錯覚させてしまう程の速さであった。


 虫の息となりつつあった怪獣の正面に戻ってきたフェンリルは、自身の胴体から二本の触手を繰り出し、ボロ雑巾の様になっている怪獣を縛り上げ、空高く持ち上げた。そしてフェンリルの頭部が花の様に開くと、目が眩むほどの閃光と共に光線が発射された。光線は、動けずにいた怪獣に直撃したかと思うと、そのまま上半身を消滅させる。触手を解いて亡骸を地面に捨てると、フェンリルは用が済んだのかルーサーの方を一度だけ向いたかと思うとどこかへ走り去っていく。その場にいた者達は後ろ姿を眺めていたが、やがて巨大な落雷があったかと思うと、忽然と姿を消した。


「何だったんだ一体…」


 仲間たちの元へ駆け寄ったセラムも複雑な面持ちをしながら呟いた。それが分かれば苦労しないとジーナ達も言い返していたが、その直後にルーサーが力尽きた様に地面に崩れ落ちる。どうにか避難したかったが、そんな暇はなかった。先程老人が逃げた方角の通りだけでなく、道という道からネスト・ムーバーを始めとした軍用車両の群れが現れ、武装した兵士達が出てくる。だが大半の兵士は上半身の無い怪獣の死体を見るなり大声を出して騒ぎ、慄いていた。しばらくすると、狙撃銃を背負った兵士が一行の元へ近づいて来る。銀髪を持ち、凛々しい顔つきをしていた。


「ジーナ…こいつらグリポット社の連中だ」


 シモンは車両や彼らの服に付けられているエンブレムを見ると、万事休すと思っているのか、溜息交じりに言った。ジーナはルーサーを守る様に兵士の前に立ち塞がって睨みつける。


「おっと、ジーナ・クリーガァだな。そして…全員まとめて、さしずめスペンサー一味と言ったところか」


 少し驚いた銀髪の兵士はそう言って戦意が無いのを示すためか、近くにいた同僚に自分の武器を持たせて丸腰である事を強調しながら話しかけてきた。


「依頼で来たんだろ?ひとまず雇い主に事情を話して逃げろ…報酬は払ってくれるはずだ。それと伝言がある…サフィライシティに来てくれ。うちのボスと一緒に、ハト婆とかいう情報屋がお前達を待っているそうだ」

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