第17話 新たなる踏み出し

 街は建物の修復に勤しむ者や怪物との戦いの痕跡を一目見ようと集まった野次馬達によって騒々しくなっていた。そんな街の片隅にある古びた喫茶店で、セラムとジーナは少し温くなったコーヒーを啜っていた。


「遅れてしまい申し訳ない」


 そう言いながら彼らの前に座ったのは、フォレストとマイケルであった。怪物やあの下水道で遭遇した二人組の事について調べていたらしく、彼らの物と思われるバッグを始めとした証拠品の一部をテーブルに置く。


 セラムはその中にある一枚の写真を手に取った。四人家族の写真らしく、心優しそうな両親に肩を抱かれる二人の子供が写し出されている。それは間違いなくあの二人の少年であった。


「そこに写っている男に見覚えがあったから調べてみたんだ。彼は…この街のある工場で現場責任者として働いていたらしい。昔から彼は労働環境の劣悪さを改善してほしいと上に頼んでいたらしいが、取り合ってすら貰えなかったそうだ。でもそんな時、この街での過酷な労働が問題視されるようになっていた。当然、その工場でも調査が行われたんだ」

マイケルは物悲しそうに語りだす。フォレストもそれに続いた。


「工場を経営していた重役達は焦ったのでしょう。何しろ彼らもまた例外なく労働者達を苛め抜いていたわけですから。聞いた話では六歳ほどの子供にさえも、一日十二時間休み無く働かせるなどという事もあったそうな…そこで目を付けたのがこの男だったわけです。現場を取り仕切っていた男ですから…利用しない手は無い」

フォレストは彼が務めいていたという工場で起きていた問題の詳細を語る。


 話にはまだ続きがあるようだが、セラムとジーナはその後に何が起きたのかを言われなくとも理解した。


「その後、警察や役場によって調査が行われました。当然ですが、過酷な労働環境が認可されるわけも無く、経営者たちは問い詰められる羽目になった。しかし、なんと彼らは『子供への労働の強要や長時間労働は彼が独断で行った物であり、自分達は知らなかった』などと言ってのけたわけです。勿論管理をちゃんと出来ていないという事で彼らにもある程度の罰則が行ったようですが、さらなる批判の矛先はこの男に向いた。当然でしょう、事情を知らない人々にとっては独断でそのような指示を行っていた張本人という訳ですから」


 フォレストはそこまで言うと黙りこくった。その場にいた誰もが口を噤んでいたが、マイケルが一冊の厚手の本を渡して来た。ウェイドという人物が日記として使っていたものらしく、開いてみると殴り書きに近い様な文字で彼らの身に起こった経験を綴っていた。バッシングに耐えられなくなった父が自殺した事、街中の人々から「犯罪者の家族」と一方的に罵られ街から逃げる羽目になってしまった事、貧乏な中で元々体が丈夫ではなかった母が病を患いこの世を去ってしまった事、謎の人物から街でテロを起こしてほしいと頼まれて生物兵器を渡されたこと…そして最後の数ページでは、自身たちをこんな目に合わせた街に対する罵詈雑言で埋め尽くされていた。


 セラム達が無言で本を閉じると、フォレストは何を言おうか迷いながらも口を開く。


「職業柄、罪を犯した者には相応の報いが必要だとは思っています…ですが個人的な考えを述べさせていただくとするなら…彼らもまた…この街が生んだ被害者と言ったところでしょうか…正直、彼らを責める気にはなりません」


 散々迷った後に、フォレストは自身の彼らに対する同情の言葉を口から漏らした。マイケルも後悔や混乱しているという心情を顔に出しながらセラム達を見ていた。


「商工会を取り仕切っている身としては…もうどうすれば良いのやら…この工場に関してはとっくに潰れちまってるし、経営していた奴らの行方も分かってない。俺達が悪かったのか…仕返しをするにしてもこんな手段に出た彼らが悪いのか…謝りたくても、もう彼らはいないしな…」


 セラムはマイケルからの懺悔を含んでそうな発言を聞いていたが、特に何を言うわけでも無く窓の外を見た。街では破壊された道の補修、倒壊した公共物やらの立て直しなどに多くの人が駆り出されているらしく、多くの人々が頭に汗を滲ませながらも和気藹々と取り組んでいる。


「…責任の所在なんか気にする必要はない。少なくとも今はな」

「え?」


 セラムの呟きにマイケルとフォレストは少し驚いたように反応した。ジーナは、コーヒーを一気に飲み干してカップを受け皿に置く。そしてマイケルに対して静かに語り掛けた。


「あんまり、人の事を言える立場じゃ無いとは思ってるけど…過ぎた事をいつまでも後悔するより、二度とこんな事が起きないようにするにはどうすれば良いのかを考えるべきじゃない?」


 内心ジーナは、自分の柄では無い事を言ってしまったと少し恥ずかしくなっていた。しかしマイケルは、凛とした顔で彼女の話を聞くと、頷きながら顔に笑みを浮かべた。


「自分でも分かっていたさ…もしかしたら、間違っているのかなんて思っちゃったもんだから…誰かに後押ししてもらいたかったのかもな。何にせよ今回は本当にありがとう。街を代表してお礼を言わせてもらうよ」

マイケルは一切の曇りが無い表情でジーナ達に感謝を伝えた。


「街の人々には早いうちに真相を伝えると上層部も決定したそうです。二度とこのような出来事が起こらないようにするには、街全体の意識を変える必要がありますからな…私からも警察を代表してお礼を言わせてもらいます。報酬については既に他のお仲間の方に渡していますので心配なさらず」


 フォレストもまた感謝をしつつ今後の決意を語った。セラムとジーナは会釈をして軽く挨拶をすると店を出で行こうとする。


 その時、ジーナは聞き忘れていた事を思い出し、慌てて振り返った。


「忘れてた。ねえ、あの怪物はどうなったの?」


 ジーナからの問いにフォレストは溜息をついて首を横に振る。


「驚かずに聞いてください…蒸発してしまったのです。あの後、どうにか保存をしようと考えていたのですが…突如、まるで何かが焼けるような音と共に煙を吹き出しながら溶けてしまい、遂には跡形も無く消えてしまったのです!」


 フォレストの回答にジーナとセラムは驚愕した。だが、セラムはすぐに落ち着き払って理由を考え始めた。


「アレが日記に記されていた兵器だとするなら、おおよそ情報流出の阻止や証拠を残さないための仕様みたいなものだろう。後でシモン達にも伝えておこう」


 セラムが出した結論に賛同するかのようにジーナは頷くと、二人で仲間たちの元へと戻って行った。


 ネスト・ムーバーではレイチェル達が出発の準備をしていたが、シモンだけはソファに座り込みながら天井を仰いでいた。


「あんのクソジジイが…」


 シモンはそんな風に文句をブツブツと言いながら、ひたすらにだらけ切っていた。少なくとも機嫌が良さそうには見えない。


 荷物を積み終わっても尚、その状態であったシモンに対してルーサーとレイチェルは困り果てた様に顔を見合わせた。


「まーだ拗ねてるの?子供じゃないんだから切り替えて行きなよ」


 痺れを切らしたレイチェルはシモンに言うが、それで何とかなるのなら苦労はしなかった。


「うるせえ…散々体張ったってのにクロードの野郎、何が爆薬代だよ…二千万の内、手元に残ったのがたったの三百万だぞ?これで落ち込まない奴がいるんなら連れてきて欲しいね」


 シモンは恨み言をつらつらと述べながらソファで横になった。お手上げだと思った二人は、何も言わずにそのまま準備を再開する。


 ネスト・ムーバーに戻ってきたセラムとジーナはそんな状態のシモンを見ると、腫物の様に扱いながら出発の準備を手伝った。ようやく準備が終わると、エンジンをかけながら次の目的地について相談を始める。


「次はどうするの?」

ルーサーは三人に聞いた。


「ひとまずは内陸に向かわないか?…一人、気分転換が必要そうな奴もいるしな」

セラムはシモンをしかめっ面で見ながら言った。


 レイチェルもまた、内陸に向かった方が良いと提案をした。


「今回みたいにテロリストが大きめの都市を狙っているとするなら、内陸の田舎の方を巡っていくようにする?この辺りと違って私たちの事を知っているって人も少ないだろうし」


 情勢や他の地域に関して疎かったジーナは他の皆に任せると言ってさほど意見を言わなかった。ルーサーもまた同様であった。


 一通り会話が終わると、四人はソファに寝転がっている中年の赤毛男に視線を飛ばした。

「…好きにしてくれ」


 それが彼の答えであった。そのままレイチェルが運転席に向かい、他の者達は椅子に座ったり、夕飯の準備を始めるなど次なる目的地への到着まで暇を潰し始めた。



 ――――時刻が夜の零時を回った頃、ネスト・ムーバーは、平原のど真ん中に出来ている公道をひたすら走り続けていた。ドリンクホルダーに置いておいたコーラを飲みながら、レイチェルは終わりの見えない道を欠伸も交えつつ運転し続ける。ふと背後で物音がすると、上着を脱いだジーナが運転席に手をついていた。


「隣、座っても大丈夫?」

「勿論、話相手になってくれるなら」


おずおずと聞いて来たジーナにレイチェルは嫌な顔一つせずに答えた。


 周囲を暗闇が包み、ライトの明かりしか見えない風景にネスト・ムーバーのエンジン音のみが響き渡る孤独な世界だった。


「私ってこれからどうなるんだろう…」


ジーナが漏らした言葉に反応したのか、レイチェルはジーナを心配そうに見た。


「どうしたの急に?」


 レイチェルはなるべく気さくに彼女に尋ねた。ジーナの顔にどこかぼんやりとした不安と迷いが垣間見える。


「トゥーノステシティで依頼をしてきた人達をつい思い出しちゃって…とんでもなく恐ろしい相手だろうとどうにかして解決しようって皆頑張ってたでしょ?それに比べて私はどうなんだろうって…なんかまるで復讐も果たせずに尻尾を撒いて逃げ続けている様な気がしてきた」


 ジーナは、かつての同僚たちとの記憶を頭の中でたどりながら、そんな事を口走っていた。マフィアという立場上、色んな評判や噂を立てられたりはしたが、彼女にとっては間違いなくかけがえのない居場所であったのだ。そんな居場所を奪われておきながら強さを見せつけられただけで反撃する勇気を失い、燻っている自分がどうしても惨めだと感じたのである。仕事や殴り合いをしている内は忘れる事が出来ていたのだが、暇になった途端にこんな自分に存在意義があるのかと自問自答を繰り返し続けていた。


 彼女なりに苦悩し続けているという事は表情からも見て取れた。レイチェルはコーラを一口飲んだ後、ホルダーに戻してから彼女に語り掛け始めた。


「でも、トゥーノステの人達は自分達では勝てないと考えた。だから私たちを頼った。違う?何でもかんでも一人で出来る奴なんかいない…出来るなんてほざく奴は、そう思い込んでいるだけ」


レイチェルの話にジーナは耳を傾けつつ、外の世界に広がる暗闇を眺めていた。


「まあ、要するに世の中は適材適所が大事って話。誰かが出来ない事を代わりに全力でやって、自分に出来ない事を誰かに頼む。あなたは自分では出来ない「クソ野郎への仕返し」を連邦政府に任せた。その代わり、あいつらがやりたがらない「要人の子守」を引き受けている。それだけの事。負い目を感じる必要なんかどこにもない」


 一気に捲し立てたせいか、レイチェルは少し疲れたらしく休息を取った。しかしすぐに話を続けていく。


「任せっきりも良くないけど、頼る事は何も恥ずかしくない。少なくとも現時点での私達とあなたは十分に持ちつ持たれつの関係だと思っている。そして、出来ればこれからもそれが続けばいいなって考えている…そういえばこうやって腹を割って話すのは初めてね」


 レイチェルはそう言うと、ジーナの方を改めて見ながら右手を彼女の方に差し向けた。


 ジーナはきょとんとした顔でレイチェルを見たが、レイチェルは笑みを絶やさず彼女の方を見ていた。


「あくまで同盟って事だったんだろうけど、個人的にはそろそろ「友達」としての関係も築きたいんだよね、どうかな?」


 ジーナは少し躊躇った。昔から交友関係がお世辞にも広いと言えない彼女にとって嬉しくないわけでは無かったが、今後自分の問題に彼女を巻き込むという可能性が、意思の決定を邪魔した。しかし、気が付けばジーナは彼女の手を優しく握っていた。


 握手をしたレイチェルは満足げな顔をしてから再び両手でハンドルを握りしめ直す。やってしまった物は仕方ないとジーナも少し苦笑しながら「よろしく」と一言だけ添えた。


「良かった、こういう仕事やってると同性の子と仲良くする機会が中々無くてさ…こちらこそ改めてよろしくってね。…そうだ、ところで籠手どうだった?ドタバタで作ってしまったから―――」


 仕事の建て前とは違う遠慮のない挨拶が終わるとレイチェルは唐突に自身お手製の武器の具合について相談を始めた。結局、夜明けまで長話に付き合わされる羽目になったもののジーナにとっては決して悪い気分ではなかった。

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