隣領の伯爵、村の功労者を知る

「あんれ、伯爵様。エルム村長の事も知りたいだか? 人参の事とどっちを先に話せばいいだ……?」


「む……ぅ……。どちらも知りたいが――僅差で人参」


 ニジン伯爵は苦渋の決断という表情だが、多少なり余裕があるようだった。

 しかし、どこか照れくさそうに、どもってしまう。


「わ、私の人参愛が暴走しているわけではないぞ? ただ、エルムという人物はそこまで優先しなくてもいいかもしれないと思っただけだ」


「おや、ニジン様。もしかして、最初からエルムさんに何かあってのご来訪でしたか?」


「それは一通り村を査察してから語ろう。最後の判断は自分の目で見て決めたいのでな。さぁ、それよりも人参だ、人参!」




* * * * * * * *




 それからニジン伯爵は村人から畑とエルムの事を聞いたり、頑丈なレンガ作りの建築を見たりしたあと、ウリコの店にある酒場へ辿り着いて休憩中だ。

 年季の入ったテーブルを挟んで、ドカッとニジンは腰を下ろし、スッと副官が座った。


「エルムという人物は凄いな。畑の栽培方法は魔石を肥料として使い、建築技術も帝都以上だ。そのどちらも一人で叡智を授けたというのだから驚きだ……」


「まぁ、色々と雑ですけどね。エルムさんは」


 副官は、エルムから“普通”の村だと説明されたり、一ミリも役に立たないメモを渡された事を思い出していた。

 自らの観察力や上位魔族の常識などでミスをしたのは確かだが、それにしたってエルムの“普通”の認識もおかしい。

 いったい、いつの時代の普通だというのだろうか。


「私は少しくらい欠点のある男の方が好きだぞ。あ、そこの幼い給仕よ。このキャロットジュースを頼む」


「ご注文承りなのである! 今すぐ、手ずから絞ってくれようぞ! 手力てぢからー!」


「はは、転ばないようにな。そこなんて床が少し濡れているぞ」


 メニューを指差し注文をするニジンと、それに元気よく応えるジ・オーバー。

 メイド服をヒラヒラさせながら厨房の方へ走っていった。


「あと、エルムさんの相棒がこれまた凶悪でして……。絶対にアレは解き放ってはいけない類の何かで――」


 ついエルム関連で口を滑らせた副官。

 瞬間的に、どこかから不可視のエーテルが飛んできた。

 禍々しく、圧倒的な恐怖を与える最強の邪竜の視線。

 副官は錆び付いたオモチャのように首をぎこちなく動かし、そちらを向いた。

 赤くて昏いのに、不気味に光る眼。


(次にボク達の事を悪く言ったら、また地面にバラ撒くよ? 特にエルムの悪口は――)


「ヒッ!?」


 ニコッと邪悪に微笑んだ子竜は、また可愛く寝たふりをし始めた。

 副官は、上級竜種五千匹をけしかけられた事を思い出し、血の気の引いた顔で、人知を越えた速さの土下座。


「ん? どうしたのだ、フクカン殿?」


「いえ、何でも無いです。エルムさんはとてもとても素晴らしいという話をしようとしていたところです」


 注文を終えて振り向いたニジン伯爵の視線。

 それをシュバッと超スピードで体勢を立て直して普段通りの副官が微笑む。


「ほう、エルムの話か。聞かせて欲しいものだな」


「えーっと……」


 子竜の視線がある手前、下手な嘘は吐けない。

 しかし、本当の事も突拍子がなさ過ぎて人間に話すべきでは無い。

 板挟みで胃が痛い副官だった。


「わ、ワタクシは以前、村のダンジョンを狙う集団に属していました。副官というのも、その時の名残です」


「ここのダンジョンはSランク装備が出土するという話であったな。それを狙う集団……山賊の類か。フクカン殿にもそんな荒々しい過去があったのだな」


「ま、まぁ……山賊に近いといえば、近いですね」


 山賊呼ばわりされる魔王軍。

 その魔王が厨房でジュースを絞っていて、不在で良かったとホッとした。


「その襲撃に失敗して、三途の川を渡りそうになっていたところをエルムさんに助けて頂いたのです」


「三途の川を……? つまり捕まって縛り首になるところを、すんでの所で赦してもらえたというのだな。エルムという者は心が広い」


 ジ・オーバー以外の魔王軍は三途の川を渡りきって、完全に死んでいたところを脅威の広範囲蘇生魔法で助けられた。

 その殺魔王軍犯は――。


(ニコッ)


 子竜からの恐怖の視線判定をスルーした。

 喜ばせすぎても殺されるし、もちろん小さじ一杯怒らせても殺される。

 そんな理不尽な存在に思えて仕方がならない。


「その後、エルムさんは、ここの領主から権利を譲り受けて村長となって、帝都で皇帝と謁見して立場を認めてもらったらしいですね」


「な、なんと!? シャルマ陛下と直接会って、認められていたのか!?」


「ワタクシは詳しくは知らないのですが、先の帝都で起きた帝都暗殺事件で皇帝と親しくなったということです。ため口――ではなく、対等に友のように会話をしていました」


「そんな出来事があったというのか……。くっ、私とした事が、情報伝達の遅れで誤った行動をしてしまった」


 エルム達は、飛翔するバハムート十三世の移動速度で帰ってきたので、まだニジン伯爵には帝都の事件などは伝わっていなかったのだ。


「あの、ワタクシがいうのもなんですが、この話を信じてくださるのですか?」


「信じるも何も、エルムという者が村でやった偉業を考えれば、それくらいは当然だと思えるからな。もちろん、後で証明となる書類などは拝見させて頂くが」


「……偉業。確かに、この村の水準は偉業と言えますね」


「それだけではない――」


 ニジン伯爵はグッと拳を握った。


「あんな素晴らしい人参を作る村人が、エルムという者を信頼しているのだ! それを信じないで何を信じる!」


「……はぁ、そうですか」


 副官は、ますます人間というモノがわからなくなっていった。

 しかし、どうであれエルムは隣領の伯爵から高評価を得たのだ。

 自身が任された案内役としては、ミッションを完遂したといっても過言ではないだろう。

 これで後は、エルムがダンジョンから帰ってきて、報告すれば無事終了である。


「ああ、そうだ。もしもの時に備えて、外の森に五百人の兵を待機させていたのだ」


「五百人も……いえ、たった五百人で強引な手段に出なかったのは賢明ですね」


「その通りだ。早とちりして、この信号弾を撃ってしまわなくて良かったぞ。金貨で“紫”の法衣を着た魔術師まで雇っていたからな」


(紫の法衣? まるでエルムさんの“紫”モードのようだが、タイミング的に帝都からずっと一緒にいたはずだ)


 一瞬、副官はあり得ない懸念をしたが振り払った。

 そんな事とはつゆ知らず、ニジン伯爵が取りだしたのは、希少な火薬を使った筒状の信号弾発射装置だ。

 これを空に向けて撃てば、今すぐにでも外から兵達がやってくる。


「ニジン様、そんな物騒なものはしまった方が……」


「なに、ここは屋根のある酒場だ。間違って発射してしまっても、多少眩しいだけだろうに」


 ハッハッハと余裕綽々で笑うニジン伯爵。

 その背後から、幼女メイドが勢いよく突っ込んで来た。


「キャロットジュースお待たせなのであ――あぁっ!? 濡れた床が滑ってぇぇぇ!!」


 ――激突。

 弾丸のように元気な幼女によって、信号弾発射装置が入り口の扉の方に吹っ飛んだ。


「おぉ? 大丈夫か、幼き給仕よ?」


 ニジン伯爵は宙に浮いてしまったキャロットジュースを受け取りながら、ついでにジ・オーバーも抱き抱えて確保していた。


「ご、ごめんなさいなのである」


「気にするな、幼き給仕よ。元気なのは良い事だ! 私の息子と娘もこれくらい元気が欲しいものだ! ははは!」


 人柄の良さがにじみ出るような会話に、副官は思わず微笑んでしまった。

 それと同時に気が付いた。

 ニジン伯爵の手に信号弾発射装置がない事に。


「あ……入り口の方にまで飛んでいってしまったか。暴発はしていないようだな」


 ニジン伯爵もそれに気が付いて、無事である事に一安心。

 あとは拾って回収して、ゆっくりキャロットジュースを飲んで、幸せな時間を過ごす未来が見える。


「よーっす、農家から野菜仕入れてきたぜー。もう倉庫に置いてきたオレ、さすがだぜ。……ん? なんか落ちてるぞ?」


 入り口の扉が開いて、顔を覗かせるガイ。

 落ちていた信号弾発射装置を拾って、観察し始めた。


「あ、ガイさん。それは――」


「ああ、わかってる。オレも馬鹿じゃねぇ」


 満面のどや顔を見せて――。


「査察に来てるって伯爵さんの歓迎用のクラッカーだろう! ちょっと試しに外に向けて撃ってみるぜ! 中だと掃除が大変だからな!」


「あ……」


 透明すぎる青空に、緊急という意味の黄色が打ち上げられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る