隣領の伯爵、ニジンはひたすらニンジンを食べる

『非常にまずい状況だ』


 ――二人の心境が完全にシンクロしていた。


 ニジン伯爵は、このボリス村が有するゴーレムの戦闘力に圧倒されていた。

 ゴーレムの身体は硬い岩か金属で出来ていて、しかも魔力で動いているのなら、魔術による防御があると考えるのが妥当だろう。

 物理的な剣、槍、弓がメインの軍では太刀打ちが出来ない。

 もし五百人の兵で奇跡的に勝てたとしても、被害は甚大。

 非常にまずい状況だ。


 一方の副官側としても、ゴーレムが戦えるところを見られてしまった。

 普通に村として過剰な戦力というのもあるが、最初に農業用ゴーレムだと説明してしまったのが更にややこしくなっている。

 悪手だった。

 知ったかぶりをすれば、バレた時に泥沼になってしまう。

 いくら上級悪魔とはいえ、今の立場では強者ではないのだ。

 謙虚に、慎重にいくしかない。もう間違えられない。

 非情にまずい状況だ。


「で、ではニジン様……ここまでの道のりでお疲れだと思いますし、宿でご休憩に……」


「ああ……。いや、待ってくれ、フクカン殿。さっきゴーレムがいた畑に植えられている作物。あれは人参だな?」


 宿屋に押し込んで封殺されようとしていたところ、ニジン伯爵は畑に興味を持った。

 畑のうねから顔を出す、緑色のピンと立った葉茎――人参である。


「……ご興味がお有りで?」


「うむ、うむうむ! 人参は私が幼い頃、苦労して栽培に成功した野菜だ。共に領地を盛り返した戦友。いや、我が子のように思い入れがあるのだ」


「なるほど……」


 副官は迷った。

 また先ほどのゴーレムのように、畑にもエルムが関わっていて大変な事になるのでは――と。

 安全な作戦としては、ニジン伯爵を宿屋の部屋に閉じ込めて封殺すべきである。

 しかし、チラッとニジン伯爵の顔を見ると、まるで少年のように瞳を輝かせているではないか。

 今までの外交とは違って完全に趣味丸出しのおっさんである。

 この手の好奇心は止める事ができないと、あの幼女で痛いほど知っていた副官は溜め息を吐くしか無かった。


「はぁ……わかりました。畑をご案内致します。ただし、ワタクシは詳しくないので、育てている村人に聞きましょう」


「フクカンよ、感謝する!」


 向かったのは何の変哲も無い農家――ではなく、建物は頑丈な竜骨レンガで作られた高度な家だった。隣領の建物より数段建築技術が上である。

 そちらもニジン伯爵に突っ込まれるかなーと思ったが、馬のように人参しか目に入っていないらしく平気だった。

 その周りにある畑で働いていた村人を呼び寄せた。


「んぁ? オラに何か用だか?」


「お仕事中、大変失礼致します。ワタクシ、エルムさんから村の案内役を任された副官という者でして……」


「ああ、エルム村長のとこの。道理で変わった格好だと思っただ。メイド服って言っただか?」


「……いえ、ワタクシのは執事服に御座います」


 ニジン伯爵はそれを聞き逃さなかった。

 エルムとは、村長の名前であると――。

 しかし、それよりもまず。


「オラぁ、土仕事の事くらいしかわからねぇけど、それくらいなら協力できるだ。あのエルムさんのためならいくらでもだぁ」


「――そうか! 助かる! 私はニジン伯爵! では、そこの人参について聞きたいのだが!?」


 人参を優先するニジン伯爵は、急に話に割り込んできた。

 目をまん丸にして驚く村人。


「う、うっわ……。開口一番、テンション高くて早口で怖いだ……。とりあえず一本食べてみるだか? いや、でも普通の野菜が伯爵様のお口に合うか――」


「是非にッ!!」


「えぇ……ホントだかぁ?」


「辺境の小さな村とはいえ、いかなる作物も生産者の愛情が込められている! 案ずるな、例え味が悪くても人参は人参だ! 出来の悪い子でも愛そう!」


 村人は畑からボコッと人参を引き抜き、ニジン伯爵に手渡した。

 葉っぱや土がまだ付いている。


「おっと、今洗うための水を持ってくるだ。その後にそのままガブリと……いんや、お上品な方にゃ、料理して出した方が良かっ――」


「では、頂く!」


 ニジン伯爵は、話を最後まで聞かずにハグッと人参にかぶりついた。

 村人と副官は唖然。

 洗う前の土が付いたままの人参を、領地を持つ貴族である伯爵が――食べたのだ。


「んん……!? これはただの人参ではない……!?」


 ニジン伯爵の口内に、今まで感じた事の無い野菜のジューシィさが駆け巡っていた。

 まるで煮込んだかのような熟した糖度に、細胞の泡沫一つ一つに蓄えられている水分。

 そしてそれだけではない、新鮮さの証明であるパリッとした歯切れの良さ。

 その全てが組み合わさって、シンプルな一言に集約された。


「……美味い」


 噛み締めるような、いや、実際に人参と土をジャリジャリと噛み締めながらの言葉。

 目尻から涙が浮かび上がり、ただひたすらに一本を兎のように食べ尽くしていく。


「な、なんだこの人は……」


 唖然とする副官。

 上位魔族としては、たかが人間の作る野菜一本で、涙する姿が理解できなかった。

 だが、村人は違った。

 生きるための手段として野菜と関わってきた、生粋の野菜人である。

 その感動も情熱も落涙も理解できる。


「良い食いっぷりだぁ。もう一本行くだか?」


「是非、頂きたい!!」


 今度は配慮して、水で洗ったものを持ってきた。

 表面がスベスベで、赤みが強い。これは良い人参だと一目でわかる。

 それを奪い取るようにして、ニジン伯爵がむさぼり食う。

 バリボリ、バリボリと良い音が辺りに響き渡る。

 しばらくした後に、ニジン伯爵は満足げに腹を叩いた。


「今まで食べた中で最高の人参だった。これをこの世に生み出してくれた事を感謝する。深く感謝する」


「ひっ、伯爵様、オラなんかに頭を下げねぇでくだせぇ」


 ニジン伯爵は九十度の直角で、深々と敬意を表す。

 その姿は嘘偽り奢り無く、愚直なまでの敬意という精神性によるものだった。


「いいや、感謝を表現しなければ気が済まぬ」


「ど、どうしてそこまで……」


 思わず副官は問い掛けてしまった。

 今まで読み合い等で互いに探りを入れていたような場だったのに、たかが人参一本によって一変してしまったのだ。

 ねじ曲がった互いの認識から、真っ直ぐな意思に。


「フクカン殿。若い貴方にはまだわからぬかもしれぬが、大切な存在に対しては常に真摯でありたいと思うのだよ。普段は背負ってるモノが多すぎる、この私のような愚者でも」


「ニジン伯爵の大切な存在……人参ですか?」


「ふふ、恥ずかしながらそうだ。好物というのは心を幼き日に戻してくれる。もちろん、人の親でもあるので、子供も同じくらい大事だがな。領地の民も」


 副官はその言葉を呆然としながら聞いていた。

 人間というのは意味がわからない。

 わからないのだが――何故か、ジ・オーバーの顔を思い出した。

 大切な存在に対しては常に真摯でありたい。

 副官にとって、それは幼き頃より仕えてきた――。


「そっちの執事服さんも一本どうだぁ?」


 ハッと気が付いて、手渡された人参を手に取ってしまった。

 目の前には、顔を土で汚しながらも、上級悪魔の副官に対して素朴で暖かい笑みを投げかけている村人。

 ただの脆弱で下等な一人だと思っていた人間。

 しかし、こうも簡単に状況を打開した、その人間一人の存在がとてつもなく大きく思えてしまった。

 ――そして、その人間達が――ただならぬ可能性を秘めた者達が数多く集まっているのがこのボリス村なのだ。

 過去行われた魔王軍の進撃。

 改めて自分がしてしまった意味と、自分を許してくれたエルム達の懐の深さに動揺してしまう。


「に、人参……後で野菜スティックにして頂きます……」


「ああ、美味しいだよぉ」


 ずっしりと身が詰まった重さ、いや、育てた村人の愛の重さだろう。

 副官はもどかしく、歯がみしながら受け取った。


「おぉ、フクカン殿も人参を嗜むのか! それで、そちらの村人に栽培方法などを良ければ聞かせて欲しいのだが――」


「ああ、はいはい。お答えするだ伯爵様。元は村全体が、何を作っても痩せこけた作物で不作続き。困っていた所をエルム村長が竜脈とかいうのをいじって、土の魔力っちゅうのを改善してから、こんなに美味しい人参が作れるようになっただ」


「エルム……!? 竜脈を操るとは何者なのだ!?」


 ニジン伯爵が声を荒げ、その場に緊張が走った。

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