勇者の末裔らしいんですけど、悪い魔法使いに目をつけられました。
瀬道 一加
1.森の暮らしと突然の危機
ガコンッ、
と音を立てて飛んで行った木片を、鋭い牙が縁取る大きな顎がバクリと挟んだ。
「うまいぞ、アリ!!」
僕は有能な助手に賞賛を送りながら、振り下ろした斧を持ち上げて肩に担ぎ直す。
今日の薪割りは、今のが最後だ。
額に浮いた汗を拭う僕のもとに、薪の一片をくわえたままのアリが誇らしげに戻って来た。
僕の仕事を手伝ってくれているのは、若い狼のアリだ。
怪我をしているのを助けたのをきっかけに、よく僕の元に遊びに来るようになった。
特に薪割りはアリにとっては楽しいゲームのようで、勢い余って飛んで行ってしまうものを、至近距離だろうが遠距離だろうが、物凄い剣幕で捕まえようとする。
素早く動くものは、何でも食いつかずにはいられないのだろうか。
目などを傷つけては危ないからと辞めさせようとした事もあるのだけど、言うことを聞こうとはしないので諦めた。
ちゃんと僕の足元に薪を持って来てくれるので、取りに行く手間が省けて有り難い。
もう終わりなのかとアリは不満なようで、くわえていた一本を離さずに、地面に伏せてガジガジと齧り始めた。
「しょうがないなぁ。ほら、最後の一本だよ。」
僕が既に十分小さくなっている薪を手にとって掲げると、アリは口を離してすっくと立ち上がった。
その尻尾は、ピンと天を向いている。
「せーのっ……」
僕は薪を軽く放ると、持っていた斧を振りかぶって、思いっきり振り切った。
カコーーーーンッ!!
と、乾いた音がして、薪はビュンと飛んで行く。
それと同時に、アリは風のように走り去って行った。
「ありゃ、結構遠くまで飛ばしちゃったなぁ……」
薪は森の奥に向かって飛んで行ってしまった。
が、アリはそれでも見つけるだろう。
どれだけかかっても、彼が獲物を諦めることはないのである。
「さて、と。」
僕は足元に散らばった薪を集める作業に取り掛かることにした。
これだけあれば、初夏に差し掛かる今なら暫く持つだろう。
夏であっても、高度の高い森の中は夜は冷える。
料理と暖房のために、薪は必須なのだ。
薪の束を担いで家に向かって歩いていると、その半ばでうねうねと跳ねる茶色い生き物が家から飛び出て来たのが見えた。
「ショーン?」
茶色い生き物は一目散に僕の元に駆け寄ると、キーキー鳴きながら一度僕の頭まで駆け上がって、また足元まで駆け下りる。
そして僕の周りをグルグル回りながら叫び続けた。
ショーンはイタチの一種だ。
赤ん坊の頃に僕が保護したので、野生に返すことが出来ずに僕と共に暮らしている。
昆虫や木の実を食べる雑食だが、たまに出るネズミも仕留めてくれるので助かるのだ。
普段はどちらかというと夜行性なのに、こんなに明るい内に大騒ぎするのは珍しい。
「ショーン、どうしたんだい?」
僕が声をかけると、ショーンは僕の前に立ち止まり、またキーキー鳴いた。
そして家に向かって走り出すと、途中で立ち止まってまた鳴く。
嫌な予感がして、僕は走り出した。
家の前で薪の束を放り出して、ショーンが器用に開けて半開きになっていた扉を開く。
嫌な予感は的中した。
「母さん!!」
テーブルの隣の床に、母さんがうつ伏せで横たわっていた。
僕は駆け寄って、彼女をゆっくりとひっくり返した。
母さんの顔と首は汗だくで、シャツは濡れて肌に張り付いている。
呻き声をあげるだけで、意識は無い。
僕は慌てて彼女を抱き上げ、寝室のベッドに運んだ。
キーキーと心配そうに鳴き続けるショーンが、僕に続いた。
一体どうして急に!
薪割りを始める前まで、母さんに変わったところは無かった筈だ。
いつも通り朝食を僕と食べて、片付けたら洗濯をするのだと言っていた。
僕は取り敢えず、水と常備してあった風邪の薬を母さんに飲ませることにした。
水はカップからなんとか飲んでくれたが、薬は粉のままでは飲ませられそうになかったので、少量の水で溶いてスプーンで口に運ぶ。
「イサム……」
薬を飲み干した母さんが、始めて声を出した。
「大丈夫?母さん。今朝は気分が悪かったの?言ってくれたらよかったのに。」
「違うのよ。急に気分が悪くなって……貴方が運んでくれたの?」
僕が頷くと、母さんは苦しそうに喘ぎながらも微笑んだ。
「大きくなったのね……」
「こんな時に何を言ってるんだよ!」
僕は付きっ切りで看病を続けたが、夜が来ても母さんの具合は一向に良くならなかった。
毒蛇や食べ物が原因ではないかとも思って調べたが、身体に腫れているところはないし、吐いたり下したりすることもない。
ただただ、苦しそうだった。
「明日の朝、村に行ってお医者さんを呼んでくるよ。」
僕は母さんの汗を拭いながら言った。
村までは歩いて二時間はかかる。
走ったとしても、医者を連れて、しかも登りになる帰りは馬を借りたとしても同じくらいかかってしまう。
ここはそれだけ辺鄙なところなのだ。
だからこそ常備薬はたくさんあったのに、そのどれも効果があるようには見えなかった。
村に行っている間苦しむ母さんを一人にはしたくなかったが、僕にできることはもうない。
このままでは母さんの体力が限界を迎えてしまう。
せめて外からの侵入者からはアリとショーンが守ってくれることを祈って、医者を迎えに行くしか無かった。
◆◆◆
僕は一晩中、暖炉の薪を絶やさないことにした。
家の中央にある暖炉は、その反対側にある寝室も温めてくれる。
そこまで寒い訳ではなかったが、具合を悪くした母さんの為だ。
薪をくべ直して、母さんの水差しに水を足そうと台所に来た時、表の扉の外で獣の唸り声がした。
「アリ?」
あの後僕が飛ばした薪を回収して戻ってきたアリは、何か良く無いことが起こっている事に感づいたらしい。
いつもなら森に戻るのに、家の側から離れなかったのだ。
何に対して唸っているのだろう?
そのうち激しく吠え始めた。
僕は水差しを置いて、棚からベルト付きの鞘に入ったナイフを取り出す。
腰にそれを巻くと、ゆっくりと表の扉を開けた。
アリは扉の外を左右に行ったり来たりしながら、盛んに吠えていた。
その視線の随分先に、ぼんやりと小さな光が見える。
(ランタンの光?)
こんなところに、しかもこんな夜中に人が訪れて来るなんて信じられなくて、僕は困惑した。
村の誰かか?それとも賊か?
緊張を解かずにじっと伺っていると、小さく声が聞こえてきた。
「怪しいものではありませぬ!どうか一晩の宿を!!」
しわがれた、弱々しい老人の声だった。
◆◆◆
僕は今にも老人に飛びかかろうとするアリをなんとかなだめて、老人を室内に案内した。
「申し訳ありませんが、母が病に臥せっています。もしかしたら感染ってしまう可能性もあるかもしれません。」
「お気遣いなさらずに。ここで夜露をしのげるだけでもありがたい。」
僕が勧めた椅子にゆっくりと腰掛けながら、老人は言った。
山の反対側の村から、こちら側の村を目指してやってきたそうだ。
「私は旅の魔法使い。ニコルと申します。日暮れまでには村に着けると思ったのですが、私の足では間に合わなかったようだ。いやぁ、明かりを見たときは感動しましたよ。天の助けだ!!」
僕が出した水のカップを、僕に向かって掲げながら老人は言った。
どうやらとても気さくな方のようだ。
しかし水を飲みきってから、老人は神妙な面持ちで言った。
「して、お母様が床に臥せっていると?」
「はい、昼頃に体調を崩して、そのままなのです。薬も効かず、もうお医者様に頼むしか無いと……」
「ふむ。それは、本当に病気ですかな?」
「え?」
病気なのか、だって?
病気でなかったら何なのだ、と、僕は混乱してしまった。
老人は、テーブルに立て掛けていた大きな木製の杖を手に取り直して、あたりを伺うように見回す。
「どうにも先程から臭うのですよ。言ったとおり私は魔法使い。魔力の流れには、敏感なのです。」
「母の病が、魔法のせいだというのですか?」
「その可能性もありそうだ。随分と濃い、良くない魔力の匂いがする。」
「おじいさん!!」
僕はバン、とテーブルに手を着いて老人に詰め寄った。
「どうか、どうか母を診ていただけませんか!!お礼は弾みます!!」
果たして本当に母さんの病が魔法のせいなのか、そうだとして彼に治せるのか、そしてお礼にしたって僕が払える程度のものなのか、僕は全く解っていなかった。
それどころか、彼が本当に魔法使いなのかすら解っていたわけではない。
しかし僕は母さんを失いたくない思いで必死だった。
そのためなら、どんな怪しい呪術だって試したかもしれない。
「もちろんです。あなたは見ず知らずの私を家に迎え入れてくださった。私にできることなら何でもいたしましょう。」
老人は、しわくちゃの顔を更に歪めて、ニコリと笑った。
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