第88話

「そんなことがあったの……」


 色んなことがあった。巻き込んだ人と、巻き込まれた人と、行動に出た私たちと。

 ハッピーエンドにはほど遠い、これから先の未来が明るいだけじゃない世界。

 

「愛菜之たちのパパは、とりあえず私の家で待機中。刺激が強すぎるし、ちゃんと話ができるようになってから会おうってことになった」

「私は置いてけぼりだったんだけど……ま、おねぇちゃんが無事ならなんでもオケー」


 愛菜兎が両手でピースしながらそういってくる。そんなに軽い話じゃないけれど、そういってくれると不思議と心は軽くなる。


「それで、お祖父ちゃんは社長を降りた。表向きは後続に任せる、円満に退職ってことで、私と愛菜之たちのパパで継ぐことになったよ」

「……私たちのことは、どうなったの?」

「不思議な力で話が大きくはならなかったよ。学校側には、多少事故があったってことは話したけど……」


 どこまで力を持っているのか知らないけれど、うまく収めることができたんだ。大人たちが何を考えて、何をしたかは知らないけれど、あまり目立ちたくはない。


「お祖父ちゃんとお婆ちゃんは、二人で隠居するって。払うべきもんは払わせるつもりだけど……どうなるかは分からないや」

「そうなんだ……」


 私も晴我くんも悪くない。なのに、心にかかる靄は払われてくれない。

 これから先の、それぞれの人生がどうなるか。知る由もないし、知りたくもないけれど。それでも、他人事じゃいられない。


「そんな暗い顔しないで。愛菜之はいい子だから、色々考えちゃうかもしんないけどさ」

「私、そんなにいい子じゃないよ」


 そうだ、私はいい子なんかじゃない。私が一番気にしているのは、隣で眠る人のことだけ。

 晴我くんがもしも、このまま起きなかったら……。


「信じて待とう。それまでは、愛菜之にもやることがあるしさ」

「……そうだね」


 私の考えることは、晴我くんだけ。私がどうなったって、他の何かがどうなったって、晴我くんが無事じゃないなら意味がない。


「愛菜之が起きるまで、一カ月経ったんだ。勉強とか色々、やるべきことはあるんだよ」

「一ヶ月……?」


 私はそんなに寝ていたの? 晴我くんに比べれば、大した怪我もないのに。私がこんなに早く起きてしまっても、晴我くんが起きていないのなら、意味がない。

 全部全部、意味がない。


「一ヶ月間、生きた心地しなかったよー。てか、なんでおねぇちゃんは飛び降りたりしたの?」

「ああするしか、ないと思ったの」


 愛菜兎に聞かれて、そう答える。

 真相を突き止めたと思えば、大した種火にもならない。晴我くんは二択を迫られて、追い詰められていた。

 私が思いついたのは、命をかけてでも事を大きくする。職場体験中に学生が事故に遭うなんて、メディアが食いつくだろうと思った。

 晴我くんの命までかけることになるなんて、思わなかったけれど。


「なにか大きな事さえ起きれば、どうにでもなるって思った。思いついたのが、飛び降りるってことだけだったの」

「……まぁ、今度からはやめてよね。心配するからさー」

「うん、ありがとう。愛菜兎」

「やば、お姉ちゃんに久しぶりに名前呼ばれるの嬉しすぎる」


 愛菜兎が腕を組んで、しみじみした顔でそういっている。お母さんはそれを見て、ふふッと笑っていた。

 いつも通りの私たち。けれど、やっぱり一つが足りない。

 晴我くん。私のために、私のためなんかに命を危険に晒させてしまった。

 いつ起きるかも分からない、待つことしかできない。

 それでも私は、晴我くんを待ちたい。


「それと、表くんと裏愛ちゃんの兄妹。二人の親御さんの会社には、ちゃんと援助をすることになったよ」

「そっか……それは、良いのかな?」

「少なくとも、表くんと裏愛ちゃんが縛られることはなくなったから良いと思う。そう信じるしかないさ」


 正直なところ、二人のことはどうだっていい。晴我くんを殴った男と、私から晴我くんを奪おうとした女、それ以上でも以下でもない。

 ただ、私たちの血縁者が迷惑をかけていたのなら、無関係じゃいられない。向こうがどう思うかは分からないし、できれば、もう関わりたくはない。


「さっ、愛菜之。欲しいものとかある?」

「……特にないかな。あっ、スマホは?」

「あるよ。充電もバッチリ」


 良かった、これで晴我くん成分を補充できる。晴我くんが起きてくれるまで、晴我くんの声とか表情を、少しでも感じていたい。

 もしかしたら、短い待ち合わせになるかもしれない。長い待ち合わせになるかもしれない。

 どっちにしても、私にできることは待つことだけ。晴我くんが起きる準備ができるまで、そばにいることだけ。


「あんまり気張んないで、気長に待とう。宇和神くんも疲れてるだろうしさ」

「……うん。晴我くん、寝るのが好きだから」


 晴我くんは、お休みの日もゴロゴロしてるのが好きだったね。私と一緒にいれるなら、なんでも幸せって言ってくれたね。

 また、幸せだねって言い合える日がくるね。あの時、飛び降りた時も。最後の最後まで、私のことばかり考えてくれて、すごく嬉しいよ。


「妹にも構ってよねー」

「痛みが治ったらね」

「マジー? やったぜー」


 一人でバンザイしてる愛菜兎。私のために、ちょっと頑張ってくれてるんだろうな。そんなに気を遣わなくってもいいのに。


「お母さんたちはそろそろ帰るよ。明日も仕事だし、愛菜兎も学校だしさ」

「えー、サボるー」

「ダメに決まってるでしょ。さっさと行くよ」

「おねぇちゃんが寂しがるってー」

「大丈夫だよ、晴我くんがいるから」

「宇和神ー、覚えとけよなー」


 渋々といった感じで、愛菜兎とお母さんは病室から出ていった。

 途端に静かになる病室。あとは点滴の音と、機械の無機質な音だけ。

 窓の外はすっかり暗かった。そういえば、時間も何も分からないままだ。


 一人でこのままじゃ辛かっただろうけれど、私の隣には愛してる人がいる。愛してくれる人がいる。

 たとえ意識がなくても、存在は無くならない。

 

『愛してる』


 最後にくれた言葉。今までくれた言葉。


 全部全部、幸せをくれたから。


 ずっとそばに、いさせてね。

 

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