第78話
「表……?」
今まで、同じ部活、同じクラス。
たまに遊んだりもした。一緒にご飯食べたり、ゲームセンターで笑い合ったりした、あのスポーツ刈りのアイツが。
愛菜之の、許婚?
「……おっと、急用だ。君も一緒に行くぞ」
デジタルの腕時計を一瞥した社長が、愛菜之母にそういって席から立ち上がる。
愛菜之母は狼狽えつつも、ため息を吐いて社長の背中を追っていく。
「ごめん、また後で」
「あとは若い衆で話し合ってくれ」
愛菜之母は申し訳なさそうに、社長はいかにもなおじさん臭い軽口を。
重い扉が、重い音を立てて閉まる。後に残されたのは、静寂と俺たちの三人だった。
「……知ってたのか?」
口を開いたのは俺だった。というより、気が気じゃなかった。問いたださないと、気が済まない。
知っていて黙ってたのか、それとも知らなかったのか。お前は、どっちだ。
「知ってたよ」
「……本気か?」
「本気本気。俺、モテるけど彼女作ってないし」
軽い口調が信じられなかった。言ってることは分かる、話も通じるのに。コイツは本当に、俺と同じ種類の人間か?
コイツは本当に、あの表なのか?
「じゃあ、知ってたのに俺と愛菜之が付き合ってるのを黙って見てたのか?」
「そういう指示だったからさ」
「社長の指示か?」
「そういうこった」
……ここまで聞いても、理解できない。黙って見ていた、そういう指示だから仕方ない?
許嫁が、知らない男と付き合って、毎朝腕を組んで登校しているのを。教室の中でも人目を憚らずにイチャついていたのも。
黙って、見ていたんだ。
「お前、愛菜之のことは好きか?」
「そりゃ好きだろ」
「友達としてじゃない、一人の女性として?」
「許婚なんだから好きに決まってるだろ」
「……お前、頭おかしいよ」
好きな人が、別の男とキスして、体の関係まで持って、昼には一緒にご飯食べたりしていたのを。
指示があったからって黙って見ていた。
もう、俺は表が分からなかった。
「まぁ、もういいだろ? 決まったことだし、さっさと社長の言うこと聞いといた方がいいって」
「は?」
「社長、こえーぞ? つか、一年半は愛菜之さんと付き合えたんだし、充分だろ」
「……ぶん殴っていいか?」
「無理だろ、お前ヒョロいし」
嘲るように笑う表に、俺は感情のまま腕を振り上げた。もう、コイツの姿形も、声も何もかもを感じたくない。
気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い。消えてくれ、頼むから。
「……フッ!」
「ぐぶっ!?」
拳を繰り出す前に、表は俺の顔面にストレートを打ち込んできた。
もろに食らった俺は、体をくの字に折り曲げながら膝をつく。
「晴我くん!?」
それまで黙っていた愛菜之が、慌てて俺に駆け寄る。手をぷらぷらと振りながら、表はなんでもなかったかのように愛菜之に話しかけた。
「元運動部に勝てるわけなくね? なっ、愛菜之さん……あーいやっ、愛菜之」
「気安く呼ばないで。許婚だかなんだか知らないけど、今ので田之嶋くんのこと嫌いになったから」
「結婚するんだから仲良くしなきゃじゃないか?」
「しない! 私は、晴我くんと結婚する!」
愛菜之は俺の鼻にハンカチを当てがい、背中をさすってくれる。彼女の前で喧嘩に負けるなんていう、情けないところを見せてプライドもへったくれもない。
その上、愛菜之に気安く話しかけて、挙句に名前まで呼んで。これ以上、愛菜之を汚すな。
「なんでもいいよ、どうせ俺と結婚するしさ」
「……お前、社長の指示ならなんでもすんのかよ」
俺の負け惜しみに、表は首を傾げながら返す。
「するよ? しないと詰みだからな」
「は?」
「俺の親がさ、会社やってんだよ。んで、最近危なくなってきてんだけど、俺が言うこと聞けば社長が手助けしてくれんだってさ」
「……んだよ、それ」
結局、全ての元凶はあの社長か。憎む相手は、目の前のスポーツ刈り野郎じゃなかった。
殴られたおかげか、頭に登っていた血も下がってきている。落ち着いて、憎む相手を選び直すんだ。
「俺ぁ、羨ましいよ。宇和神は、なんにも考えずに愛菜之とイチャイチャしてさ。そんで好きなことして、テキトーに生きてて」
「……何が言いたいんだよ」
「俺だって、普通に愛菜之と会ってさ。普通に付き合って、普通に結婚したかったんだぜ? 運がねぇよな」
「私、晴我くん以外と付き合う気ないから」
「たられば話だよ。マジな反応すんなって」
ガハハ、といつもの笑い方をする表。本当にコイツは、表なんだと変なところで実感してしまう。
何が言いたいんだ。俺のことが羨ましいだとか、なんだとか。テキトーに生きてる? 好き勝手言ってくれるな。
「宇和神ってさ、運だけで付き合えたようなもんだろ? 羨ましいよ、マジで」
「それ以上、晴我くんを侮辱しないでくれる?」
「ホントのことだろ。そんな怒んなって」
愛菜之は俺から離れ、ぬらりと立ち上がる。スッと表に近づくと、拳を表に突き立てようと───。
「愛菜之!」
「……うわっ、許婚にひどいことしようとすんなよな」
俺が声を張り上げると、愛菜之は手をすんでのところで止めた。手には、愛菜之がいつも持っているカッターナイフ。
愛菜之が、俺のために犯罪者になるのは嫌だ。けれど、殺す相手が表みたいなやつなんて、もっと嫌だ。
「羨ましいよ、ホント。本気で怒ってくれる人がいてよ」
「黙れ」
愛菜之がギリギリと歯軋りをする。腕は震え、抑えているのがよく分かった。
それでも表は、口を閉じなかった。
「羨ましいよ、本気で人を好きになれて」
「……黙れ」
「俺は許婚だとか言われてさ、自分の好きって気持ちもよく分かんねーままだよ」
「知らないっ、そんなこと」
「あー、羨ましい。マジでっ! 羨ましい!」
荒げた声は、よく響いた。元運動部なだけあって、声がよく通るもんだ、なんて考えていた。
いつも笑っている顔の表が、初めて見る顔をしていた。泣きそうなほどに顔を歪めているのに、口元だけは笑顔を保っていた。
「まだサッカーやりたかったしさぁ! 好きな子に正直に好きって言いたかったしさぁ! そんで好きな子から好きだって言われたかったよ!」
溜まっていたものを吐き出すように、最後の頼みを唱えるように。
表の口から、願い事が紡がれていく。
「お前はいいよな! 好きな子に好きだって、心の底から言えてよ! こっちは遊びたくもねぇクラスメイトと遊び行ったり、やりたくもねぇ部活入って真面目に仕事して! バカみてぇ!」
ズカズカと大股に、表は扉へと歩いていく。少し上下の早い肩、ドアノブを持つ手は、腕の筋が見えるほどに力を込めていた。
「この際だから言えること全部言っとくよ。もう宇和神とは関わんないだろうし」
扉を開けた表は、扉の隙間から俺を見つめる。その眼に籠った感情は、分からない。けれど、表は言葉ひとつで伝えてくる。
「宇和神。お前のこと、嫌いだわ」
その言葉と共に、重い扉は閉まっていった。
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