第28話

 風の音が大きくて、時折ビュウビュウと窓の隙間から音を立てる。

 雨が家を叩く音がする。パタパタと屋根を叩く雨の音。

 台風がやってきて、俺たちは家に二人でいた。インドアの俺は雨が降るとテンションが上がるタイプだが、世間の反応は違うようで。

「台風……恨む……」

 愛菜之はぶつぶつと恨言を言いながら、俺の背中にしがみついていた。




 というのも、今日はちょっぴり遠出をして美味しいパンケーキでも食べに行こうと話していた。

 だが、台風のせいで電車は止まるわ、そもそも雨風が強くて外に出れないわで散々だった。

 ソファに座って止むのを待っているが、止む気配は一向にない。そんな天気じゃ、愛菜之の機嫌が直るわけもなくて。

「……ぎゅうして」

「うすっ」

 自分から甘えるなんて、相当キてるらしいな。おいたわしや、姫様……。普段から甘えてる気がするけど。

 リハビリの甲斐あって、今は愛菜之に触れるのに鼻息荒くしたりはしない。荒療治ではあったが、効果はバツグンだったらしい。

「いい匂いする……」

「気のせいかと……」

 俺の匂い好きだよね。好きな人の匂いって安心するらしいが、だからっていい匂いかどうかまで分からない。まぁ、愛菜之の匂いはいい匂いなんですけどね。

 しかし、こうまでテンション下げ下げになるとは思わなかった。

 前まで、俺には外の世界を二度と拝ませないとか言ってたし、外に出れないのは愛菜之にとって好都合なんじゃないかって思ってたんだが……。

「前は愛菜之、俺に外出るなって言ってたろ? 台風のおかげで外に出なくて済んでるじゃん?」

「それは、あの女がいるから……」

 ……なるほど? 裏愛がいるから外に出ないで欲しかったけど、夏休みの今は会うこともなさそうだし、外デートをしたかったと。

 さて、この可愛すぎる彼女さんをどうしましょうか。緊急晴我脳内会議、はじまります。


 ……脳内会議の結果、いっぱい甘やかしてあげることになりました。

「まぁ、今日はおうちデートってことでさ。ココアでも淹れるか?」

「……口移し」

「はいよ」

 口移しは必須なんですね……。よっこらせとソファから立ち上がろうとしたが、体が動かなかった。

 下を見てみれば、愛菜之の腕ががっちりと俺の腹をホールドしていた。

「……愛菜之さん?」

「離れちゃやだ」

「ほんっとに……」

 ほんっとにそういうとこ、可愛すぎるからな。

 本人、無意識でやってんのかね。狙ってやってても天然でも恐ろしいが、可愛けりゃなんでもいいか。

 愛菜之の腕の中で180度回転する。向かい合う形になって、今度は俺から抱きしめる。

「ほら。ぎゅってしたまま、キッチン行こうな」

「……うん」

 嬉しそうに微笑み、俺の胸に顔を埋めて匂いを嗅ぐ。もうクセになってるんだろうけど、毎度毎度恥ずかしいからやめてほしい。クーラーをガンガンに効かせているとはいえ、人間は汗をかくものなのだ。

「あったかい……すきすき……」

 子供っぽい言い方に、思わず微笑む。けれど、愛菜之から溢れる色気というか、魅力はとどまることを知らない。

 最近になって、愛菜之がまた一段と魅力的に見えてきた。なんというか、女性的な魅力の面で。

 体つきも前よりこう、女性っぽくなった。胸が大きくなったし、触るとこ全部が柔くて、気持ちいい。

「晴我くん?」

 きょとん、とした表情で俺を見上げる。無邪気な顔をしているのに、着ている部屋着のTシャツがズレて、白い肩が露わになっていた。

 俺の歯形が、いまだにくっきりと残っている。あの時のことを思い出してしまって、思わず肚が熱くなる。

「……愛菜之のこと、好きだなって考えてたんだ。ココア淹れような」

「好き? えへへ、私も好き」

 そういって、また一段と嬉しそうに笑う。

 抱き合っているから、二人してカニ歩きで移動する。側から見てみりゃ変人二人だろうが、今は俺たちの邪魔をする存在なんていない。

 二人して踊るような足取りで、キッチンまで歩いていった。



 

 ココアを淹れたマグカップを持って、ソファに戻る。

 湯気を立てるココアに口をつける。愛菜之に抱きしめられたままだったから、淹れるのに時間がかかった。だからか、ちょうどいい温度になっていた。

「えへへ、えへへへへ。晴我くんの口移しだ」

 俺が口に含んだのを見て、愛菜之は嬉しそうに笑う。

 そして俺の両方に手を添えて、まるで聖水でも飲むみたいに幸せそうな顔で俺に口を合わせた。

 こぼさないように、ゆっくりゆっくりと流し込んでいく。ココアの香りが、どんどん愛菜之の匂いに侵食される。

 口を離すと、とろけた顔をしている愛菜之が目に入る。瞳に映る俺の顔まで見えて、我ながらアホ面してるなぁ、なんて感想を抱いていた。

「おいし……」

「熱くなかったか?」

「大丈夫だよ。もっとちょうだい?」

 せっかちな愛菜之は、口にココアを含んでもいないのにキスをしようとしてくる。

 不思議なことに、そうやって求められるといじわるをしたくなる。俺はSじゃないし、どっちかっていうと愛菜之にグイグイ責められるほうが……これ以上はやめとこうか。

「……キスして?」

 俺に抱きつきながら、愛菜之は甘えるように俺にねだってくる。そんな姿が愛おしくて、また嗜虐心がでしゃばってくる。

「ココア、冷めちゃうぞ?」

「キス、キスしたい……。晴我くんの唾液飲みたい、舌いっぱい絡めて、キスした……」

 その先は言わせなかった。というより、このまま言わせ続けてたら、きっと愛菜之は抑えられなくなるだろう。

 今年は俺から色んなことをしてあげたい。愛菜之の願いを、したいことを叶えてあげたい。

「……どうして? どうして、軽いのだけなの?」

「まだココア、残ってるぞ」

「……いじわる」

 今のはいじわるのつもりじゃなかったんだが、愛菜之は頬を膨らませてしまった。俺はご機嫌を取るように、愛菜之の長い黒髪を撫でていく。

「ココア飲んだら、いっぱいキスしよう。俺だってしたいし、ようやく愛菜之とまともに話せるようになったしさ」

「……じゃあ、私が飲ませてあげる」

 愛菜之はマグカップを手に取り、ココアを口に含む。そして、俺にプンスカしている顔を向けてきた。

「んーっ」

 可愛いその顔がどんどん近づいてきて、そしてキスをする。

 この瞬間がとても好きだ。口から流し込まれていく液体……ココアというより、愛菜之の唾液。それが流し込まれていく。

 血肉に愛菜之が刻まれていく。それに悦びを感じてしまっている。

 それはたぶん、愛菜之もだろう。

「……私の唾液、おいし?」

「美味しい」

 素直にそう答えると、愛菜之は嬉しそうに笑った。

「これ、もういらないね」

 愛菜之はそういって、一息にココアを飲み干す。

 コクコク、と喉にココアが伝っていくのがわかる。それがなんだか、ひどく扇情的に見えてしまった。

「ぷはぁ」

 息を吐いた愛菜之は、チロリと唇を軽く舐める。一挙手一投足に色気が漂うのは、俺のフィルターのせいか、はたまた愛菜之の元来の魅力か。

「……晴我くんが淹れてくれたから、美味しい」

「そんな変わんないって」

「変わるよ? ほら、確かめて?」

 そう言って、愛菜之は口を合わせてくる。

 愛菜之の口から、甘いココアの味がする。味を確かめさせたいのか、愛菜之は唾液をいっぱいに送ってくる。

「……ぷあっ、美味しい?」

「ん、確かに変わるな」

 そんなことを言って、また確かめるようにキスをする。甘いココアの味と、甘い愛菜之の匂い。

 手首を指先で撫でて、手の甲、指へと降りていく。

 屋根を叩く雨の音も、窓に吹きつける風の音も聞こえない。


 キュッと繋ぎ合わせた手と手の間に、じんわりと汗が滲んだ。

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