第16話
「……冗談でもそんなこと言っちゃダメだぞ」
裏愛は俺のことが好き。愛菜之が突然言い出した、絵空事に俺はそう言った。
いったい何を根拠に言っているのだろうか。俺のことを好きになるような変わり者は、愛菜之くらいしかいないのに。
「……晴我くんはそういう言い方をするんだ」
愛菜之の言いたいことがわからない。言い方? 何をどう言っているというんだろう。
「晴我くんがそうするなら、私もできる限りそうするね。でもね?」
愛菜之は俺から離れ、手を繋いできた。指の一本一本を大事そうに絡めていく。
「私だけの晴我くんなんだよ。私だけの、私以外に染められない晴我くんなんだよ」
これは愛の告白か、はたまた忠告か。
愛菜之の口調はいたって普通に戻っていたというのに、言葉に感じる思い。
暗く濁ったような感情が混ざっているのを感じる。ずっと一緒にいて、ずっとその思いに触れてきた。だからか、理解できる。
俺はその思いを、嬉しいと、幸せだと感じてしまう。
「他の女なんかに、想わせたりなんてさせない」
愛菜之の手に、少し力が入る。大した力を入れてるわけでもないのに、やけに力強く掴まれたように感じた。
「私の部屋に行こっか」
久しぶりに来たといえばそうなのだが、愛菜之の匂いがするからか安心してしまう。愛菜兎と愛菜之母はいつも通りいないようだった。
愛菜之はマグカップを二つ持って、部屋に入ってきた。ペアのマグカップは見慣れたもので、その中に入っているものも、俺好みのココアだろう。
「あの女と、どんなことをしたのか聞きたいな」
普段、俺の口からは愛菜之以外の女性について話そうとすれば愛菜之は止める。けれど今、愛菜之が自分から聞きたいと言い出した。
意図もわからず、困惑したまま俺は言われた通りに話した。
「大した出会いがあったわけでもないよ」
中学校の、武道館裏がお気に入りのスポットだったこと。そこで裏愛と知り合ったこと。
裏愛がバスケをしていることを知り、バスケをしている姿をたまたま見たこと。そこから、裏愛を応援するようになったこと。
裏愛は群を抜いて動きが違った。素人目に見ても上手いということがわかった。
裏愛の愚痴を聞いたり、たまには勉強を教えたり。そんないたって、普通の先輩と後輩の関係だった。
愛菜之はずっとニコニコしながら話を聞いていた。いつもなら苦しそうな、嫌そうな顔をしているはずなのに。
「私のことは覚えてないんだ?」
突然、そう言われた。けれど、俺は本当に覚えていなかった。愛菜之と中学校で出会ったらしいが、俺は大した中学生活を送っていない。それなら、愛菜之みたいな子に会えば絶対に覚えているはずだ。
なんで俺は覚えていない? なんで思い出せない?
なんでだ、なんで、なんで愛菜之を─────。
「いつっ……」
頭に何か痛みが走った。なんだこれ、なんでだ。
この痛みは、一年の頃に感じた。そうだ、入学式の時の……。
「晴我くん? どこか痛いの?」
愛菜之が心配そうに俺の顔を覗き込む。……わからない、中学校の時の記憶に照らし合わせても、俺は愛菜之に出会ったことがないはずだ。
「大丈夫だよ」
「本当に? キツかったらすぐに言ってね?」
愛菜之がまだ心配そうに俺を見つめる。どうにも雰囲気が悪い。いつもならゆったりとした空気で、二人でのんびり過ごしていたのに。
とはいえ、愛菜之のことを覚えていない俺が悪い。後輩のことは覚えている、というのも愛菜之にとって嫌なことだろうし、早々に思い出さないとな。
「私のせいで体調が悪くなったりしてない? ごめんね、本当にごめんね」
「……ハグして、なでてくれたら治る」
半分冗談、半分本気で言ってみる。好きな人に触れてもらう幸せを、俺は骨の髄まで知っている。
まるで小鳥に触れる子供のように、愛菜之は恐る恐ると俺に触れた。
「……あの女に、こんなことされてないよね」
「されたことも、したこともないな」
アイツとは健全な先輩後輩の仲だった。それこそ、俺とアイツの間には恋愛感情なんて存在していないくらいに。
だから、愛菜之の言ったことだってありえない。
「愛菜之だけだよ。俺を抱きしめてくれて、俺を撫でてくれて、俺を愛してくれるのはさ」
「ほんと?」
「本当だよ」
愛菜之だけが俺を好きだと、愛してると言ってくれる。バレンタインの時のあの子だって、裏愛だって、俺のことを好きだなんていうわけがない。
愛菜之だけが、俺のことを想ってくれるんだ。
「……治った?」
「治ったよ」
「そっか」
愛菜之のことよりも、裏愛のことを覚えていた。そんな自分が嫌になる。
なんで愛菜之のことを思い出せないんだろう。なんで愛菜之を忘れているんだろう。
俺を笑顔で見つめるこの子を、俺は忘れた。
罪悪感を拭うように、愛菜之の胸に顔を埋めた。
晴我くんを傷つけたかもしれない。私のことを思い出せないからって、すごく自分を責めてる。
晴我くんは頭痛がするみたいだし、このまま休ませてあげなきゃ。背中をぽんぽんってしてあげてたら、しばらくして晴我くんは寝息を立てた。
私のことを思い出せない。でも、あの女のことは覚えてる。
すごく悔しい、すごく羨ましい。
それでも、晴我くんの具合が悪くなるなら、昔のことは聞かないようにしよう。私のことなんて、晴我くんの健康に比べたら砂の粒よりも小さくて、どうでもいいことだから。
「ねぇ、晴我くん」
寝てる晴我くんの小指に、私の小指をかける。
「あの女のこと、絶対に忘れさせてあげるね」
私、晴我くんとの約束は絶対に守るからね。
「ゆびきった」
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