夜明けの契り

みなづきあまね

夜明けの契り

一体、どこの国のいつの時代なんだろうか・・・。私はそう思いながら、ガラス製のテーブルに揺らめくキャンドルの灯りと、グラスになみなみと注がれたままのワインを眺めやった。


結婚前夜パーティー、所謂独身さよならパーティー。明日、私は数年付き合った彼と夫婦になる。


アメリカのセレブドラマとかで見て知っていたが、日本にもやはりこういう催しを好きな若者はいる。言い草から分かるように、言い出しは私ではない。


貸切プールで泳ぐ人や、お酒に興じる人、コーヒーや紅茶を片手に語らう人。どれも大切な友人には違いない。


だからこそ、こうやって集まれたのは嬉しい。反面、結婚しても皆と会えるのか、少なくともこうやって一同が会することは二度とないだろう。そう思うと、センチメンタルな気分になり始めた。


時計は21時を回っていた。私は落ち着かない気分を抑えるように、ガウンの胸元を抑えながら、席を立った。


その様子に気づいたゲスト達は、一斉に私を見た。そしてお喋りをやめ、笑顔や不安げな顔、真剣な顔、それらが入り混じった複雑な顔。それぞれの眼差しで、建物に入る私を見送った。


バリ島のコテージのようなリビングルームに入ると、テラスの喧騒は消えた。距離もあるので、視界には植物と夜空、そして暖かな室内の調度品しか見えない。


しばらくすると、ルームキーパーらしき女性がお盆にお茶と一枚の封書を載せてやってきた。


「ありがとう。」


私の反応を心配そうに彼女は眺めていた。私は受け取った封筒のシールをゆっくり剥がし、中に入っていた薄い紙を開いた。書かれた4文字に目を通し、元に戻した。


「2番目にも予定通りの方がいらしていますが、その方でよろしいでしょうか?」


彼女は軽くしゃがんで私に目線を合わせてくれた。不安と驚きとではやった鼓動を、ようやく抑えた。


「ここに書かれてる人、本当に来てるの?」


私は先ほど目にしたことが俄かには信じられず、再度確認した。


「ええ、先ほど仕事終わりのままいらっしゃいました。おっしゃる通り、生真面目な見た目で、焦る様子もなく。旦那様とも面会を終えられました。」


彼女ははっきりと言うと、準備をすると言い、部屋をあとにした。


“一体、どこの国のいつの時代なんだろうか・・・”


これは独身さよならパーティーに対してではない。「夜明けの契り」に対してだ。包み隠さず言うなら、「水揚」所謂女性版筆下ろし、大人になる儀式だ。


今時結婚前に昔の彼氏、婚約者、はたまた風俗で処女喪失している人は珍しくない。自分だってさすがに店の経験はないが、昔の彼氏や、婚約者とはもちろん何度も体を重ねてきた。


「夜明けの契り」は結婚前夜に、婚約者「以外」の男性と交わる。相手は女性が好きに選べるが、親族および見知らぬ人は禁止だ。所謂補欠も含め2名まで選び、世話役が選ばれた男性に依頼し、承諾されたら、当日の相手として封書が女性に届けられる。


いつからこんな宮廷に住む王族や貴族みたいな慣習があるのかは知らないが、昔のように初夜に初めてするならまだしも、現代にこの習わしが必要なのだろうか?


夫となる人とする前に、どんなことをするのか事前に試し、初夜に焦らないようにするためなのか、夫の仕方に落胆しないようにするためなのか。


選ばれた男性は断ることも出来る。女性は1人だけとしてもよければ、2人順番にしてもよい。ただし、所謂前戯は禁じられ、口付けさえ許されない。優しさやあらゆる好意を許されるのは、夫になる人だけと言う理屈らしい。また、契りの相手に感情を持たないためという側面もあるだろう。


この規則を考えると、夜明けの契りで些か乱暴な交わりをすることで、「男とはこういうものだよ」とある程度覚悟させることが目的なのかもしれない。夫がそれより優しければ嬉しいし、より乱暴なら、人にもよるが諦めというか、ああやっぱり、と何も知らないより悟れる。


手元のお茶を最後まで飲み、私はバスルームへ向かった。身分の高い人とかが昔やられてたみたいに、お付きのものが洗ってくれるとか大層なことはない。いつもより居心地がよく、馴染みの化粧品やちょっといいシャンプーなどがあるだけ。


1時間ちょっとかけて準備をし、リビングルームに戻った。ソファに彼が座っていた。私の相手たちと面談を終え、雑誌を読んでいた。


「お疲れ様、いよいよ明日だね。」


彼はいつもと同じ笑みでこちらを見た。世の中には寝取られることが好きな物好きもいるが、彼は違う。いくら儀式といえども、恐らく気分は良くないはずだ。

でも、その気持ちさえも見せない優しさに、私は惹かれたのだ。


だからこそ一層良心が痛む。


「うん、明日楽しみだね。」


そう返しつつも、後ろめたい気持ちもあった。


私は同僚を指名したのだ。普段はとりわけ仲が良いわけでも接点がなさすぎるわけでもなく、話せば時々立ち話もする。でも、彼は私に恋愛的な興味はないだろう。


甘い言葉はおろか、交際相手についてやプライベートについて聞かれることもないし、髪型を変えたり風邪をひいても、何も言われない。それは彼にとって私は、たくさんいる女子の1人でしかないという意味だろう。


これがお見合い結婚で、気持ちが通じ合っている男子と最後の逢瀬なら、なんて文学的で素敵な話になることか。


しかし、実際はなんの不満もない彼氏との結婚を控えているのに、振り向く算段もない男子に時代遅れな制度を利用して、体の関係を迫る女の話だ。


我ながら辟易した。


そんな気持ちを引きずりながら私は立ち上がり、彼は私の手をひくと、残酷なまでに優しく私の頭を撫で、二人で部屋をあとにした。


外廊下を渡り、暗闇の静寂の中、小部屋の前に立った。彼がドアをノックすると、間をおかずそれは開いた。そこには同僚がいた。


ああ、今からこの人とするんだ。


彼は私の手を離し、相手によろしくと伝えると、元来た道を戻っていった。それと同時に、同僚はドアを閉めながら、


「本当に俺でいいんですか?」


と私に尋ねた。


白いガウンを羽織った姿が、部屋の薄明かりに映えた。部屋は狭く、しかし、居心地よくベッドが整えられていた。


「大丈夫です。むしろ受け入れてくれて、ありがとうございました。」


私はそういうと、彼の腕に触れた。彼は腕に置かれた私の手を取ると、私を後ろ向きにさせ、そっとドアに凭れさせた。

すぐにふりほどける力だったが、抵抗することもなく、そのままでいた。


私の耳元に彼の声がした。


「すみません、もう耐えられない。」


その言葉の意味を、どんなに愛情がなくても生まれる、単なる性的興奮かと思いつつ、私は改めて正面を向いた。


今まで蓋をしていた気持ちが、出てしまいそう。


そこで見た彼の顔と、身体から伝わる鼓動の速さに、私は動揺した。


彼は優しく私のガウンを脱がし、自分のも脱いだ。引き締まった身体が現れた。私の頬から顎までの輪郭を指でなぞり、腕、腰とその手を下ろし、もう一度私を後ろ向きにさせた。


まもなく脂汗が出そうなほどの痛みがあり、私は唇を噛んで耐えた。ドアについた指先に力が入る。


「あっ・・・」


知らず知らずに口から吐息が漏れ、耳元では彼の息遣いが絶え間なく聞こえる。



彼を契り相手に選んだ理由。

「禁忌だとしても、彼と一つになりたい。」


そう願っていたから。


前戯もしていない。ただ、体に触れられただけ。なのに、普段彼とするよりも、何倍も感じていた。


終わってほしくない、永遠にこうしていたい。朝までずっと求めて欲しい。彼にとって私が、ただの契りの相手だとしても。


「聞き流してもいい、言ったところでどうにもならないけど。」


彼が動き、息を吐き、私を抱きしめ、呟いた。


「ずっとこうしたかった。一晩でいいから。」


彼の口から出た言葉に、私の喉からも言葉がするすると流れ出た。


ねえ、夜明けまで契りを交わそう?

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