第26話 新しい戦争
知らない天井。知らない病室。しかしそれは見慣れないだけで、本当は見たことがあることを私は知っている。くるくると回る
故にこれは私であることを確信する。そして不可解に思う。なぜまだ生きているのだろうか。私の意識は消えゆく運命だった。自分の体が別の誰かになっているところを見ると、また意識の転写を実行したとみえる。問題はなぜまた意識の転写をしたかだ。私は同胞を殺し意識を失った生ける屍、或いは哲学的ゾンビであり、MI6ひいてはイギリスにとって最も危険な存在に成り果てた。意識が完全に消失した段階で始末するべきであり、間違っても意識の転写をしようなどとは考えてはならない。清潔なシーツに包まれた体を起こしてベッドの隣を見た。
「説明してくれ、エイダ。なぜまた私の意識を転写した」
そこには、悲哀、任務、運命で冷却されたハゼルの瞳。エイダが冷めた眼と、安堵の口角で私を見つめていた。
※
「ブロワール・ジャケドローだ。よろしく」
目覚めて間もなく、私はあまり立派とはいえない程度の設備のブリーフィングルームへ通された。そこには若さの残滓が漂う面持ちの青年がソファに座っており、男性にしては高めの声で名乗った。
「僕が誰かわかるか?」
「ジャケドローの末裔か」
「その通り。ちなみにあんたが世話になっている意識の転写装置は僕の技術だ」
「ジャケドローが私たちをここまで助けてくれた。おかげであなたの意識も安全に転写できたわ。ここもそう長くないでしょうけど」
日本で意識を失った私をエイダはジャケドローの助けを借りつつイギリスまで運んだらしい。細かな状況を知るために質問責めをする私にエイダは丁寧に答えてくれた。MI6が全力で私たちの行方を追っていること。おかげで私たちは追われる身であること。それはつまり、この先において私たちに平穏と呼べる時間はひと時もないことを意味していた。イギリスには優秀なトレーサーやスカウトが数多くいる。何をどう足掻いても私の命運はそう持たない。
「なぜ私をもう一度目覚めさせた」
「・・・君たちと、僕の祖先が始めたことを終わらせるため」
ジャケドローはそう言うと分厚い資料の束を机に投げてよこした。資料は二部に別れており、その2つともに題名が添えられていた。
”装甲化されたオートマタの大隊編成“
”機動死兵連隊構想“
思わず言葉に詰まった。どちらの資料も最新の技術を用いた軍事構想に関するもの。オートマタに装甲を施し、立体的な戦闘を余儀なくされる市街地戦において数で圧倒するための部隊編成費や必要な物資。死兵という死者を用いた兵士の部隊を編成し、高コスト化した歩兵を補充。大規模死兵での掃討作戦といった部隊運用の目的などが細かに記されていた。異様だったのが、どちらも兵数の多さに重点を置いているということだ。
「物量作戦とは・・・まるで一次大戦の繰り返しだな」
「次に起きる戦争の姿だ」
資料を睨んで呟く私にジャケドローはそう答えた。
「戦争はまた数の暴力へと戻る。そして・・・広大化した戦場が、再び世界を覆いつくす」
「装甲化されたオートマタの大隊編成はイギリスの極秘案件、機動死兵連隊構想はロシアの極秘案件だ。イギリスがなぜ今更オートマタを戦場に引っ張りだそうなんて言い出したか、昔からイギリスにいたあなたならよく分かるのでは?」
歴史に彗星の如く現れてそして消えていったオートマタの技術。かつての技術の名残りが再評価されるというのは何も珍しいものではない。
「あぁ。だが死兵連隊とは」
「その名の通りさ。死者を動かして大量の兵士を補充しようなんていうロクでもない代物さ。どうやって死者を動かすかっていうと・・・あんたにも使われている意識の転写を応用するのさ。死んだ者にもう一度意識を吹き込む。肉体の死を超越するほどに強力な意識をね。或いは脳を活性化させ足りない機能を補完する。方法は何でもいい。ジェイ、あんたの意識転写の技術も昔に比べて大きく進歩した。あんたが何度も意識を転写してくれたおかげで多くのサンプルを集めることもできた。もはやあんただけに用いられている特別な技術じゃない。脳と意識の研究は進み、人工の意識の作成なんてものもできるようになった。その人工意識をイギリスはオートマタに、ロシアは死者に転写しようって魂胆なのさ。分かるかい?僕の先祖が始めたオートマタと意識の研究、あなたがクラウディアのために始めた永遠の生。それらがここにきて恐ろしい事態を引き起こそうとしているんだ」
「戦争がまた巨大な化け物へと変貌していく・・・か」
浮かんだのはフレイの身の安全のこと。皮肉にも私がクラウディアの安寧を願って始めたことが裏目に出ようというのだ。現代における戦争とはコンパクトにまとまっている。冷たく吐き捨てるように言えば、一部の国の一部の民族が争っているという形で事なきを得ている。しかしまた、物量が物量を支配する戦争となれば・・・フランスが大量の植民地を抱え、イギリスがドイツに踏み込まれていたあの悪夢のような時代がまた到来しようというのだ。
「僕の先祖、あんたも知っているグレッグ・ジャケドローはずっと悔いていたと聞いている。自身の意識アルゴリズムの研究と、あんたをその材料にしたことを。次の世代に大きな代償を背負わせることになると。だから僕はこの世代で僕たちの始めたことを終わらせたい。僕たちの罪は僕たちが背負うべきだ」
「事の経緯はおおよそ理解した。しかしどうやって?」
「意識アルゴリズムの研究に関係する一切の情報をこの世から消し去る」
「バカな。そんなことができるわけが・・・」
「できる。そのためにあんたを目覚めさせた。僕の家系が数世代の技術を積み重ねて作り上げた特別なウィルスプログラムがある。それでネット上の情報は全部破壊できる。たとえどれだけ高度に暗号化されていてもね」
「だが紙媒体の研究資料はどうする」
「現実、今の意識アルゴリズムは僕の研究チームを中心に回っている。紙媒体の資料はこちらでどうにでもできるさ。そしてその研究チームである僕が姿をくらませれば、オートマタの部隊と死兵部隊のぶつかり合いなんて悪夢は消える」
「ならそのウィルスを今すぐばら撒けばいい」
「・・・それがそうもいかない。ウィルスプログラムを秘密裏に構築するために3つに分断して隠しておいた。リスクの分散化は基本だろ?問題はその隠し場所。それは僕自身の罪。死兵連隊構想の礎になったイギリスの新設特殊部隊・・・
そうして次へと言葉を繋ごうとして、ブロワールは一瞬、口をつぐんだ。その姿は罪の告白を躊躇うかのようだ。
「ジャケドロー家に示された運命は、意識という深い宇宙の追求だった。僕の父も祖父も、そのずっと前からジャケドロー家はイギリス政府の庇護のもと日夜研究し続けた。あるとき、その意識の研究で培った技術を応用して死者をもう一度目覚めさせようという話があがった。僕は主任となってその術を研究。結果、強い意識レベルが刻み込まれた脳であれば可能だと分かった」
「強い意識レベル?」
「例えば精神異常者や犯罪者、もしくは悟りを開いた世捨て人のような肥大化し過ぎた自意識の保持者や、何かしらのトラウマを背負った人間たちのことだ」
「・・・ろくな奴がいないな」
私の皮肉も介さず、ジャケドローは淡々と続けた。
「そうした脳に強い衝撃や経験が刻まれた人間の意識を脳から呼び起こす・・・こうして誕生したのが
「私に死兵分隊と戦闘して武器を奪えと。わざわざ私1人のためにそのような特殊部隊を使うわけがない」
「君の抹殺は死兵分隊の試験的運用も兼ねている。そうなるように僕が裏で手引きをした。データ収集のために一人づつ、必ず君の前に現れるよ」
「それに・・・ジェイ・・・あなたもその死兵分隊の隊員なのよ・・・」
これまで無口を貫いてきたエイダがおもむろに紡いだ言葉は暗く、そして冷たい表面をはしる鉄にも似ている。私が死兵分隊の隊員であること。その一言にはあらゆる悲壮があった。私はMI6の諜報員ではなかった。私は生者ではなかった。私は既に死者であり、同時に精神異常者でもあった。エイダのその言葉は、それだけの意味を内包していた。水中を焦がす景色の目眩と地を失った足のような浮遊感。瓦解するアイデンティティ。冷静になろうと努め、そして冷静になればなるほどその言葉に絡め取られていく。私は既に死んでいる。私のオリジナルの肉体はとうの昔に腐り果てている。他人の体に間借しているこの状態がなぜ生きていると言えようか。どうして今まで生きているつもりでいたのだ。生きているという方が不自然じゃないか。1人の女性のために己の肉体を捨て、自由な未来すらも捨てた私のどこに健常な精神があると言えようか。
この世にしがみつく死兵。
私がその部隊の隊員だとして、何を不思議に思えるのだろう。私という小さな意識は優しい絶望に身を委ね、深海の水圧の蓋に閉じられた、精神と物質の間にある時間の流れが曖昧な空間に幽閉されていった。ただ、幽閉されていくだけだった。
「死兵分隊は必ず君の前に現れる。その武器にウィルスが仕組まれているとも知らずにね。彼らの武器を奪ってくれ」
「随分と簡単に言ってくれる。私が殺されればどうするつもりだ」
「やるしかないんだ。失敗したら新しい戦争の時代が始まる。新しい地獄の時代だ。君にはそれを良しとしない理由がある。そうだろ」
ブロワールの強い眼差しが私を差す。まったくもってその通りだった。私には理由がある。そのためにずっと生きてきたのだ。たとえ死者になろうとも。異常者の烙印を押されようとも。ブロワールが語り終えると同時に、エイダは私に付いて来いという目配せをして出て行った。視線をブロワールに戻すと彼も追えという目配せをする。
「エイダは僕に反対している。僕もこの作戦を君に無理強いするつもりはない。だが覚えていて欲しい。戦争の姿は変わる。そして君はイギリスに、死兵分隊に追われ続けるとい運命がこの先にあるということを」
私はブロワールに答えることなくその場に立った。
※
エイダの足音は屋上の暗がりへと続いていった。
紅の光が建物群に乱反射する日暮れ。朱に染まるエイダのブロンドが凪に揺れ、殺風景な屋上を装飾を施す。私はエイダの隣に立ち、フェンス越しに街を見るエイダに並んだ。背の高い彼女の肩にブロンドの髪がそよぐ。
「私がもう一度あなたの意識を転写した理由はブロワールとは違う」
エイダの声は悲壮とも憂鬱とも言えない、絶妙な仄暗さを宿していた。その言葉だけでは彼女の真意は読み取れない。無言が問いとでもいうかのように私は言葉を鎖ざした。
「もう一度あなたを覚醒させたのは、あなたに選択の余地を与えたかったから。国に、ハイライン家に全てを捧げたあなたに、自分のことだけを考えられる時間を与えたかった。酒に溺れてもいい。ドラッグにまみれてもいい。肉欲の限りを尽くしてもいい。私にそれが務まるなら或いは・・・」
矢継ぎ早に言葉を繋ぐエイダの口元に私はそっと指を当てた。
「エイダ、私は確かに国の命令で動いてきた。だが、それでもそのどれもが自分の意思で選んだものだ。そこに後悔は無いよ。それに・・・魅力的なレディが安易なことを言うものではないな」
エイダは口元に当てた私の指を払いのけ、再度街並みを見下ろした。
「そう。それがあなたの意思だと言うのなら、私はそれを尊重するわ」
髪だけでなく、彼女の頬もまた朱に染まって見えた。
「けど忘れないで。あなたがどこかで気が変わっても、私はあなたに付いて行くわ。たとえあなたがどんな選択をしようとも必ずあなたに協力する。だからジェイ、あなたは懸命に生きてちょうだい。そのために私は、あなたをもう一度目覚めさせのだから」
私とエイダの並ぶ肩の距離は決して近くなかったが、それを遠くに感じることもなかった。その頼もしさが、強い歩みの踏みしめる流れへと背を押してくれる。ずっと前から知り合いだったような心地よさが彼女にはあった。
「エイダどうして君はそこまで私に尽くしてくれる」
エイダの朱に染まった顔をこちらに向けることもなく、ただ眼前に広がるコンクリートジャングルをその目に映す。
「君は私ではなくハイライン家に忠を尽くす家系の生まれだ。今ならまだ間に合う。ハイライン家に戻るといい」
「いいえ。私はハイライン家ではなく、あなたのサポートが任務。あなたが望む方へと力を添えるわ」
「・・・きっと私の先はもう長くはないぞ。殺されるか、意識が先に消滅するか・・・」
「覚悟の上よ」
「損な役回りだな。君も・・・だがエイダ、私はブロワールに協力する。不死者がこの世に居続けてはいけない。死者は全て地獄へ落ちるべきだ。次の世代に、負債を背負わせるわけにはいかない」
「死者は地獄へ・・・ね」
エイダは堪えきれず含み笑いをした。何が可笑しかったのか、笑い終えるのを待っていると、エイダはそれを察してか笑うのをやめた。
「天国に行く死者はいないの」
その返しに私も笑顔で答える。
「居ない。皆で仲良く地獄行きだ」
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