都合の良すぎる彼女の秘密
ごろん
都合の良すぎる彼女の秘密
OP
見上げれば、晴れ渡る空には小さなひび割れが穿たれていた。
五階建て校舎の屋上から見上げるからっとした梅雨明けの青空に、いったいいつの頃からあんな傷があっただろう。
気が付いたのは今朝だった。
梅雨明けのニュースを聞いて、登校ついでに見上げたのが最初。
何かと思えば、ほかの人は気にする様子もなく、学校でも話題にされることもなく。
もしかして、昔からの常識で自分が物を知らないだけなのだろうか。
もしかして、目や脳の病気で今朝になって症状が表れたのだろうか。
もしかして、本当に突然現れたから誰も気が付いてないのだろうか。
いやいや、どれも、特に最後はありえないでしょ。
誰かに聞いたりなんかしていない。それほどに、信用のある友人なんかいないから。
もやもやとした腑に落ちなさを抱えて、一日を過ごしたのだけれども、
「臼杵くん」
目下、それどころではないのだ。
眩しい青空を背景に、学年に咲く高嶺の花がはにかんでいるのだから。
彼女、
俺の語彙ではちょっと足りないくらい、完璧な子だ。
「
そんな彼女が、堅物の物理教師ですら目を逸らす胸囲を揺らしながら、俺の名前を呼んでいるのだ。
空になんかよくわからない傷があるなんて程度、ごみ箱にぽいですよ。
放課後の屋上に異性を呼び出して、なんだかもじもじしているなんて、だってもうアレしかない。
なんとなく漠然と、アレの結果を欲しいなあとは思っていた。だって思春期だもの。
だけど、そんな都合のいいことなんか……
「ずっと好きでした。つきあってください!」
……そんなの、都合が良すぎるだろう。
※
いやいやいやいやいやいやいや、待て待て待て待て待て待て待て。
俺はクラスでも目立たない奴だ。
中学時代は陸上部にいたから運動は得意なほうだが、勉強は平均より下だし、なにより消極的な性格から友人関係も狭く薄い。自覚は、これ以上になく。
そもそも、目の前の高嶺の花とは、今この時に初めて言葉を交わしたのだし。
そんな彼我戦力と戦況を鑑みれば、愛の告白を『される』ことなど、宝くじの一等を引き当てるくらいの確立だろうか。もしかすると、隕石に直撃する程度か?
ともかく、脳裏ではアラートが喚き散らしており、
「あ、あの……石長さん」
深呼吸だ! 大きく息を吸って、吐くんだ翔太! 冷静になれ!
これはアレだ!
毎日を痛快に過ごす、クラスカースト上位者たちによる暇を持て余した戯れ!
ただただ、テリトリー外の人間に的をかけて笑い物にするだけの遊び!
アレにみせかけた、アレごっこだ!
「どこにカメラあるの? それとも、誰か隠れてる?」
「……え?」
いわゆる告白ゲーム。こちらから『是』の回答を引き出す競技だ。
愉快な話題を提供するのもせいぜいが二週間という程度だろうが、煩わしいことは煩わしい。
だいたい、高嶺の花が手元に降りてくるなんて荒唐無稽な展開を信じられるほど、無邪気な脳味噌なんか持ち合わせていない。
「悪いけどさ、相手を間違えたよ。俺みたいなのが石長さんに告白されるなんて、現実味がないじゃんか。そりゃ、こうして身構える」
「え? あの、えっと……なんの話ですか?」
戸惑いに不安がるように眉尻が下がり、眼差しには真剣な疑問符が浮かびあがる。
ここまで言ったら、トラック競技で転倒したようなものだろうに。それでも競技を続行しようという姿勢は、なかなか根性が座っている。演技も真に迫っているし。
「そういう遊びなんでしょ」
「遊びって、どういう……」
「ごめんだけどさ、俺だってあからさまに開かれた鰐の口に飛び込む趣味もないし」
あ、と気がついたように口元をおさえると、瞳の色が誤解を訴える焦りに変わる。
……かわいいなあ。
こんなのいっそ、飛び込んで食いちぎられてもいいんじゃないか? なんて思ってしまうほど。
「違うの! あの、私は本当に……!」
「うん、ごめんね。すげー嬉しいんだけど」
本音を口にしながら、足は屋上の出入口へ。
嬉しいという言葉は真実だ。理想通りすぎる女の子に告白されるなんて、天に舞い上がって召しかねないほど高揚している。
ひとえに、遊びの渦中でさえなければ。
「じゃあ行くね、次は上手くいくように願っておくから」
スチールのドアを引き開けながら肩越しに振り返ると、
「待って!」
「え?」
いつのまにか駆け出していた彼女が、トップスピードに乗って迫っていた。
※
速度のある追跡者に恐怖を覚えるのは、本来は捕食される側であった人類の、本能的な恐怖なのだろうか。
走る姿勢は、素人どころか両手の振りが不自然な、いわゆる女の子走りだし。
トップスピードなどといっても、平均よりも遅い程度だし。
だというのに、ヒョェ、などと空気を漏らしながら逃げ出してしまったのは、ひとえに本能の成せる業だろう。
本能なら仕方がない。
だもんだから俺は、全力で放課後の廊下を駆け抜けている。終業時間から間もないこともあって、生徒の数はまだまだ多い。
これから青春を謳歌するための途上にある彼らは、まず例外なく、奇異な目をこちらに投げかけて来るのだが、
……やめてくれよ! その、誰だこいつ、みたいな目をよお!
告白ごっこで吊るし上げられたくなかっただけなのに、こんな変な目立ち方をするなんて不本意にも程度があるだろう。
その原因となった追手の様子を振り返れば、思った以上に差は開いていた。
そりゃあそうだ。
元とはいえ、陸上経験者が本気で逃げているんだ。しかも必死で。
追いつかれたとなれば、恐ろしさもあるが、自尊心が叩き割られてしまう。
そうなると、自分の自尊心が思っていたよりもちっぽけで、なんだか泣きそうで、
……適当な教室に潜り込んできりあげよう。
続けていたら心が壊れてしまいそうだ。
角を曲がって向こうの視界が切れたところで、目についた科学室に飛び込む。
幸運にも鍵はかかっておらず、人気もない。
長テーブルに両手をつきながら、吐息に疲労を乗せると人心地がついて、
「翔太? なにしてんの」
「おひゃふっ!」
だからこそてきめんな不意打ちになったし、変な声だってだしてしまう。
「いやいや、驚きすぎでしょ」
腕を組んで呆れているのは小柄な同級生の女子で、
「なんだ、夏澄かよ」
中学時代からの友人で、
「何してるんだ、こんなところで。部活はいいのかよ、トラックのメスライオンは」
「もうあんただけだよ、そんな呼び方するのは」
俺と違って、現役陸上部員だ。体格のせいで長距離に転向したのだが、異常な瞬発力で短距離でも十分競える選手なのだそうだ。
中学時代の印象は小型な重戦車、だったのだが、高校になると学内ではアイドル扱いされているようで、いやはや世の中に物好きってのは多いんだなとしか。
「私は日直。で、そっちは?」
ああなるほど、と納得して、じゃあ俺は、と口を開きかけたところで、
……告白ゲームの的にされたとか、なかなか言いにくいなこれ。
※
「それ、なんかおかしくない?」
一通りの事情を説明し終わると、人の行き来が少なくなった廊下を、俺と夏澄は並んで歩く。
何はともあれ、二人とも自分の教室にカバンを取りにいかなければならないからだ。
「おかしい、って何がだよ」
「いやさ、そのゲームって、あんたからリアクションを引き出して、成功か失敗かみたいな遊びなわけでしょ?」
「たぶんな」
ローカルルールもあるかもしれないが、大まかにはそうだろう。
「じゃあ、なんで追っかけてくるわけ? 返答したから、ゲームは終わりでしょ?」
……確かに。
「確かに、って顔して……ちょっとは疑問に思わなかったの?」
「いや、いろいろ想定の状況から外れてて、全力でパニック起こしてた」
「胸を張ることじゃないわよ」
でもじゃあ、
「なんだってんだ?」
「あんたね……いや、ちょうどいいわ。ほら」
何がだよ、と彼女の指さす方を見やる。
そこには自分のクラスの入り口があって、
「……石長さん」
件の彼女が、所在なさげに指を組みながら、教室を覗きこんでいる姿が。
「本人に聞いてみなさいな」
旧友から肩を軽くたたかれて、気まずさが胃からせりあがってくるのを、どうにか抑え込むしかなかった。
※
さすがにまだまだ人目の多い教室階で、あれやこれやとするつもりにはなれず、石長さんを連れて、再び屋上に。
「あの、もしかして、宮さんとお付き合いしているんですか?」
「いや、違うよ」
きっぱりと言い切ると、すこし緊張がほぐれたようで、
「その、それでも良かったんです。追いかけたのは、誤解していたみたいだから」
「ゲームだって話?」
「はい、そのままだと、悲しかったから」
じゃあ、
「さっきの告白は」
「本当です、本心です」
「わかった。信じるよ」
「そうですか、よかった……」
「それで」
「はい?」
「俺の所業は、土下座程度で許してもらえるでしょうかね……!」
「え」
ガチの告白を嗤うように切り捨てて、あまつさえ全力逃走だ。
普通なら、その時点でおしまいまい。
「いや、あの、気にしてませんから……! 大丈夫ですから!」
「……本当に? 学年中に言いふらさない……?」
「しませんから! 安心してください!」
まじかよ、女神かよ……!
なんて感激していると、
「あ、それじゃあ、一つわがままを聞いてください」
「お手やわらにおねがいします!」
腰を折って誠意を見せると、彼女は少し寂しげに微笑んで、
「私が、臼杵さんのことを好きでいることを許してください。
それで、叶うならいつか私のことを好きになってください」
……うん?
と疑問が浮かんだが、確かに、自分はOKの返事をしていないではないか。
なにかこう、
……こんなの、都合が良すぎるだろう。
※
この時の俺は、浮つきと現実への疑いから、先のことなんか何一つ考えてなどいなかった。
まさか、命を賭して彼女を救いたいと思えるほどに、深く恋することになるだなんて。
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