【落語】飯論法(めしろんぽう)
枡田 欠片(ますだ かけら)
前編
大工見習いの熊五郎は、六尺はある大柄な男で、人並みに食べてはいるものの、それでもいつも腹を空かせていた。
ある雨の日、仕事がばらけた熊五郎は、近所にある御隠居の家へふらりとよった。
「どうも、御隠居さま。こんにちは」
「おや、熊さんかい?どうぞ、おあがんなさいよ」
招かれるままに、部屋に上るも、熊五郎は肩を落としている。
「何だい、しけたツラして。何か悩み事かい」
「ええ」
「そうかい。助けになるか分からないが、話してごらんよ」
「ええ」
そう答えると熊五郎は、力なく話し始めた。
「いえね。ついさっき昼飯を食ったんですけどね」
「何だい?悪いもんでも食ったかい?」
「いや、昼飯自体は悪くなかったんですが…」
「だったら何悩んでんだ」
「いや、ですのでさっき昼飯を食ったばかりなんですが、もう腹が減っちまって、夕飯まで持ちそうにないんです」
「何だい、そんな事かい」
心配して聞いていた御隠居は、呆れてしまったが、図体の大きい熊五郎の事を考えて、直ぐに思い直し「餅でも食ってくかい?」と言い、火鉢にそれをくべた。
「しかし、お前さんも苦労するね。人並みに食べても、その図体じゃ足りないだろう」
「ええ、御隠居は体が小さいから、羨ましいです」
「嫌なこと言うね、この野郎は。でも、お前さんが言うのもわからんでもない。同情するよ」
「すみません。はぁ、何か腹いっぱい飯を食える方法は無いもんですかね」
熊五郎がひとりごちるのを、聞いて御隠居は、ある事を思い出したが、それを口には出さなかった。
だが、熊五郎はその顔を見逃さない。
「何ですか?御隠居、いま何か思い付きましたね」
「いや、何も思い付いては居らん」
御隠居は、とぼけるものの、熊五郎も必死に食い下がる。
「御隠居。何でもいいから教えて下さい」
熊五郎の必死な頼みに「いや、あまり良い方法とも言えんのだが…」とある話をし始めた
それは、お城の話。
「城に奉公している、森蔭之助(もりかけのすけ)という男。剣の腕は立たないが、算盤、帳簿が滅法強く、それでいて弁もたったので、殿様からも大層目をかけられていた」
「へえ」
熊五郎は、ぼうっと話を聞いている。
「話せと言うから話しているんだ。ちゃんと聞きなさい」そう言うと、御隠居は話を続けた。
「ある時、蔭之助が昼飯を頂こうとした時、そこに見た事も無い食べ物が置かれていた。賄い方に『これは何か?』と聞くと『これは麵麭(パン)です』と答えた」
「ぱん?何です?それは?」
「食べ物の話になると急に飛びつくねこの人は。ぱんと言うのは、私も見た事がないのだが、舶来物らしく、何でも小麦をこねて焼いたものらしい」
「はあ、小麦を…。うどんを焼いたようなもんですかね?」
「さあな。うどんを焼いたのは食べたいと思わんが。しかし蔭之助は、このぱんと言うものを、相当気に入ったらしく自分の分をペロリと平らげてしまった」
「ちくしょう。また腹が減ってきちまった。さては御隠居、飯テロかい?」
「何だいそれは?まあいい。蔭之助は、自分のぱんを食べ終わった後も、もう2度と食べられないかもしれない、このぱんをどうしてももう一つ食べたくなって、他の役人の分も食べてしまった。」
「何だって。ひでえ野郎だな人様のもんを食っちまうなんて。そりゃあ食われた方は怒っただろう」
「まあな、確かに後から来て自分の食事が無かった役人は怒り、蔭之助に詰め寄った。」
「なるほど、食っちまったもんに嘘はつけねえ、そのかけのなんちゃらって言うのは白状したのかい?」
「それが、蔭之助はこの問いかけを見事に乗り切ったのだ」
「乗り切った!?どう言う事だい?」
「ここからが、いわゆる本番だ。まずその役人は、最初にこう聞いた『お主、拙者の飯を食ったか?』と、すると蔭之助は『食っていない』と答えた」
「何だって?それじゃあ、嘘じゃないか。ふてえ野郎だな」
「いや、蔭之助は、嘘はついていない。つまりこうだ。自分が食べたのは〝ぱん〟であったわけでいわゆる飯、つまり米飯では無いと言うわけだ」
「はあ?何だいそりゃ、いや確かにそうかも知れねえが、それじゃあ納得いかねえよ」
「そうだろう。無論、その役人も同じ気持ち。状況から見て食べたのは蔭之助で間違い無さそうだ。そこで今度はこう聞いた『だったら何も食べていないのか?』と。それに対して蔭之助は『何も、と言われても、どこまでを飯と言っているかハッキリせぬと答えられぬ』とこう答えた」
「何だって、どう言う事だい?」
「つまり誰だって、生きている以上は何も食べないと言う事は無い。どこまでの事を聞いているかハッキリしないと答えられない。と蔭之助はこたえたのじゃ」
「はあー。なるほど。それで?そいつは諦めちまったのかい?」
「いや。役人の方もそう簡単には引き下がれない。だから今度はこう聞いた『だったら何か食べたか?』すると蔭之助はそれに対しても『何を聞きたいのかはわからんが、何かを食べると言う事は体を保つためにも大事な事だ』と返した」
「おっと。今度こそ認めたのかい?」
「いや、蔭之助は、自分が今何かを食べたと聞かれている問いに対して、世間一般的に食べる事は大事だと話をすり替えたのだ」
「ますます食えねえ野郎だな。そしてどうなっちまったんです、その役人は?今度こそ泣き寝入りですか?」
「まだまだ、役人の方もそれじゃあ徹底的に聞いてやると今度は『それじゃあ、米、白米は食べたのか』とひとつひとつ確認する事にした」
「なるほど、それじゃあ逃げられねえや。いよいよ年貢の納め時だ」
「ところが、蔭之助は『そのような問にひとつひとつ答える暇など無い。私は持ち場に戻る』と言ってその場を去ってしまった。結局その役人は泣き寝入りをし、それを見ていた周りの物が〝蔭之助の飯論法〟と伝えまわった。と言う話しじゃ」
「へぇー。勝ち逃げだ。いや、食い逃げか?」
「どちらでも良い。確かに見事にやり込めておるが、あまり褒められたやり方では無い。マネするものではないぞ」
「へい。だいたい、ぱんなんていう可笑しな物、食う事もねえでしょうし」
「それはそうだな。ん?おや?さっき火鉢に載せた餅がなくなってしまった」
「あ、頂きました」
「何だって?全部かい?」
「ええ、それじゃあ、ご馳走さまでした」
そう言うと、熊五郎はそそくさと帰っていった。
「はーぁ、驚いた。もぐもぐやってたのは見てたけど、あっと言う間だね。まあ、正直な分だけ良いのかね」
御隠居は、微笑ましく。熊五郎が帰っていくのを見送っていた。
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