第5章 『喰人魔獣と呼ばれた犬達への思い』全25話。その25。

         25。



 十月二十日(晴れ)時刻は午後の十四時丁度。


 あれから一週間が過ぎた。


 平日でもあり、昼食を取る為に黄木田喫茶店に来ていたお客さんの激混みのラッシュは既に終わり、店内にいるお客は今は三~四人しかいない。

 何とか一段落ついたカウンターの中では、白い口髭がトレードマークの黄木田店長がティカップやお皿を磨きながら静かに後始末の仕事をしている。

 そんな黄木田店長と向かい合いながらカウンターの席に座る勘太郎は曲名の知らないジャズの音楽を聞きながらおもむろに新聞紙を取りカウンターに広げる。


 注文したカプチーノを淹れて貰い、そのコーヒーがカップに注がれる音を耳で聞きながら勘太郎はこの穏やかな日々の時間を楽しむかのように両手に持った新聞紙を徐に見る。


「あ、一週間前に起きたあの黒いライオンの事件の事が載っているな。さすがに円卓の星座の組織の事は載ってはいないが、城島茂雄がこれまでに個人で調教し育てて来た犬達を使って身勝手な欲望を叶える為だけにあの黒いライオンの事件を引き起こしていたと書いてあるな。その五年間の間に犠牲となった被害者達の調査も既に行われているらしいが、その死んだ人達の遺品でも見つからない限りは恐らくは身元は分からないかもしれないな。なにせ犠牲となった人達の全ては皆ライオンの胃の中に消えてその後は糞として排泄されているだろうし、そうなったらDNA鑑定やその場に落ちている髪の毛や指紋でそのライオンの檻の中にいたと言う証拠を見つける以外に探しようがないからな」


「本当に痛ましくて嫌な事件でしたね。でも黒鉄先輩が体を張ってあの暴食の獅子を追いつめたお陰で貝島浩一さんと犬飼剛さんんはどうにか助かったのですからよかったじゃないですか。それだけが唯一の救いですよ。これは紛れもなく黒鉄先輩の手柄ですよ」


 笑顔で勘太郎を褒めながら緑川章子は淹れたてのカプチーノを勘太郎が座るカウンターのテーブルにそっと置く。


「何がお手柄な物かよ。あの後俺は川口警部に呼び出されて(あの地下室で羊野瞑子に救出されたのならなぜ直ぐにその場を離脱して自分達の所に帰って来なかったのだと)こっびどく叱られているし、結局は城島茂雄を死なせてしまったからな。完全な成功とは言えないな。これであいつが今までに人をどんな風に、何人殺したのかと言うような情報は一切聞けなくなったからな。これも全てはあの羊野の奴が余計な事をしてくれたお陰だ。ライオンのいた檻の鍵をわざと開けて城島茂雄がその場に戻った際に作動する罠を仕掛けて置くだなんて、あいつのやった事はれっきとした殺人だからな、これはさすがに許す事はできないぞ」


「でも本人はライオンの檻の鍵は外してはいないと言っているんですよね。なら羊野さんではないんじゃないですか?」


「分かるものかよ。大体最後にあの地下室の地下二階に行ったのは羊野瞑子ただ一人だからな。その後にあのライオンが檻から出て、あの古民家の中にたまたま戻った城島茂雄を襲って食べているんだから、あいつが鍵を開けたに違いないんだ」


「でも確かにあのライオンの檻は古く腐食をしていてかなり老朽化が進んでいたそうですから何かのはずみでたまたま壊れただけかも知れませんよ。檻の内側から扉を破った形跡も確かにあるみたいですから、一概に羊野さんを犯人に決めつけるのはどうかと思います。だって彼女はそのライオンの檻の鍵を持ってはいなかったのですから、彼女にライオンのいる檻を開けることは不可能と言う事になりますよ。そうですハッキリ言って鍵無しではあの鉄格子の扉を開けることは絶対に無理です」


「いや、鍵が無くったってあいつならどうにかしてあの檻の扉を開けられるだろう。檻の扉は内側から破られていたらしいが何らかの方法を使ってそんな風に見せかけているに違いないんだ」


「それは一体どの様な方法なのでしょうか?」


「その方法はいくら考えても俺には分からないけど、絶対にあいつがあのライオンをあの檻から解き放って逃げてきた事だけは事実だと俺は思うけどな」


「でもその檻の扉をどうやって開けたのかが分からない以上羊野さんが開けたことにはなりませんし、警察のお偉方さんもその事で羊野さんの事を深く追求するつもりはどうやらないみたいですから実質上その件は闇に葬られるのではないでしょうか。その証拠に羊野さんが本庁に呼ばれたのは最初の一回だけでその後は未だに警察には呼ばれてはいませんからね」


「そうなんだよ。どうやら警察の上の連中は城島茂雄の死の真相をうやむやにして闇に葬るらしい。まあ、死んだのは円卓の星座の組織の犯罪者だし、今後も円卓の星座との戦いは続くんだからこんな事で羊野瞑子を失う訳には行かないと言うのが警察上層部の判断かな。物凄く闇深い事なんだけどな」


「まあ、その現場を見たわけでもないですし、証拠不十分と言った所でしょうか」


 そう言いながら緑川章子は何やら複雑そうな顔をしながら苦笑いを浮かべる。そんな緑川の話と入れ替わるかのように今度は黄木田店長が勘太郎に向けて言う。


「羊野さんから聞いた話では一週間前に黒鉄さんは、犬達に体の至る所を噛まれたそうですが、あれから体の方は大丈夫なのですか」


「ええ、噛まれた所は何れも大した怪我ではないですし、血液検査でも異常は見られませんでした。なのでおそらくは大丈夫です」


「そうですか、ならまずは一安心ですね」


「ええ、もう大丈夫です。黄木田店長、それに緑川、心配をお掛けしました」


 手で噛まれた腕の傷口をさすりながら、勘太郎は深々と頭を下げる。


「黒鉄先輩、頭を上げて下さい。黒鉄探偵事務所の関係者でもある私達も出来る限りの協力はしたいと思っていますから一人で悩んだり勝手に暴走したりはしないでくださいよ。私達は一つのチームなのですから」


「フフフフ、そうですね。まあ、私もこの喫茶店と並行してでしか協力は出来ないので対して役には立ちませんが、後方支援の方は任せて下さい。大体のことは出来ると思いますので黒鉄さんは安心してこれからも黒鉄の探偵としての探偵稼業を続けて下さい。あなたを陰ながら見守ることは今は亡き友人でもある……あなたの父親でもある黒鉄志郎の願いでもありますからね」


「ええ、二人には大いに感謝をしています。まだまだ至らぬ点もあるかとは思いますが、これからもどうかよろしくお願いします!」


 二人の有難い気持ちに湧き上がる勇気を貰った勘太郎は改めて深々と頭を下げる。


 そうだ、自分にはこんなにも頼れる仲間達がいる。だから何も心配はいらないじゃ無いか。 惜しみなくその力を貸してくれる仲間達の為にも、俺は二代目・黒鉄の探偵としてこれからもその責任と責務を全うして行かなければならない。


 円卓の星座の首領の狂人・壊れた天秤を追い詰め、そして捕まえる。その日まで……。


 まあ、それが出来る可能性は、例え羊野瞑子がいたとしても限りなくゼロに近いのだが、それだけ円卓の星座の狂人と呼ばれる者達を率いる狂人・壊れた天秤は絶対的なカリスマ性と強大な力を持つ狂人として高く認知され、そして皆に恐れられているのだ。

 だがそれでも俺は絶対に諦めない。自分で言うのもなんだが俺は頗る往生際が悪い正確なのだ。

 そんな事を考えながら勘太郎はカウンターの上に置かれたカプチーノを一口飲むと、一週間前に川口警部と赤城文子刑事がライオンを射殺したその後の出来事についてを思い返す。


            *


 自分自身が飼っていたライオンに食べられてしまった城島茂雄の元に駆けつけた勘太郎・羊野・ゴロ助の三人はライオンの前まで来るとそのライオンの足止めをし。その後に現れた赤城文子刑事と川口大介警部の二人は、城島茂雄の肉をバリバリと食っているライオンに向けて二発の銃弾を浴びせ見事にライオンの射殺に成功する。

 その後のいろんな後始末を赤城文子刑事と川口警部に任せた勘太郎は羊野と共に古民家から外へと出ると、そこで他の刑事達を引き連れて現れた西園寺長友警部補佐と直に対面をしてしまう。


 ここは労いと社交辞令を兼ねてすれ違いざまに軽く「どうも、西園寺刑事、ご苦労様です」と挨拶をした勘太郎だったが、その後ろを歩いていた羊野が何かに気付いたかのように突然とんでもないことを西園寺長友警部補佐に向けて笑顔で言ってしまう。


「あらあら、西園寺長友刑事、何だか股間の方が随分と濡れている用ですが、まさか余りの恐怖と恐ろしさにお漏らしをしてしまったのですか。そう言えば暴食の獅子から二回もその体に電流を流し込まれて……しかも凶暴な犬達にも囲まれてかなりビビっていた用ですから溜まらずおしっこを漏らしてしまうのは仕方がない事ではありますが、もしもこの場に換えのズボンとパンツがあるのなら早く取り替えた方がいいと思いますよ。お漏らししたままだとさすがに汚いですし、股間の辺りも匂いますからね」


 その羊野の発言に周りにいた殺人班の刑事達が皆一斉に西園寺長友警部補佐のズボンに注目し、その謎の液体で汚れている股間の部分に注目する。

 その一斉に向けられる他の刑事達の視線に顔を真っ赤にした西園寺長友警部補佐はかなりあたふたしながらも、これは真っ赤な誤解である事を懸命に弁解する。


「な、な、白い羊、お前一体行き成り何を言い出すんだ。これは、これは明らかに違うだろ。そもそもこれはお前が誤って私の又にペットボトルの水をこぼしたのが原因じゃないか。それをお前は!」


「フフフフ、ああ、そう言えば、そうでしたね。私としたことがついうっかりしていましたわ。ここはそう言う事にして置くんでしたよね。それはオシッコの漏れでは無く私がつい水をうっかりこぼしてしまった……ということにしてくれと言っていましたからね。それで西園寺長友警部補佐の名誉とメンツが守られるのですから、私はいくらでも嘘を言ってのけますよ。西園寺長友警部補佐はお漏らしはしてはいません。それはただの水です。これでいいんですよね。西園寺長友警部補佐……さん」


 そう言うと羊野は少し大袈裟に西園寺長友警部補佐から離れると軽く会釈をし、鼻を両手で押さえながら急いでその場を後にする。


「ち、違うぞ、違うぞ。俺は決してお漏らしなんかはしてはいない。絶対に違うからなぁ。これはあの羊野瞑子が俺にくれた水がたまたま俺の股間の部分にかかって濡れてしまったんだよ。そうだよな、黒鉄の探偵!」


「は、はい、そうです。西園寺長友警部補佐は嘘は言ってはいません……」


 西園寺長友警部補佐の焦りとその迫力に少し戸惑いながらも勘太郎は他の刑事達に向けてそう言葉をつけ加えるが、勘太郎も西園寺長友警部補佐の圧力でそう言っているだけに過ぎないと考えた他の刑事達は皆西園寺長友警部補佐に疑惑と哀れみの目を向けながらただ無言で勘太郎の言葉に頷くだけだ。

 そうもうこの段階では西園寺長友警部補佐がいくら懸命に弁解をしようと彼のお漏らし疑惑を払拭する事はできないのだ。


 何故なら西園寺長友警部補佐が自分の無実の罪を必死に訴えれば訴えるほど西園寺長友警部補佐を見る他の刑事達の疑惑の目は強まり、西園寺長友警部補佐のお漏らし説の疑惑は信憑性を増す結果となってしまうからだ。それで無くとも西園寺長友警部補佐は一人であの暴食の獅子と対面をし、その後は気絶までさせられていたのだからその後不覚にもお漏らしをしていたとしてもおかしくはないのだ。そしてあの羊野の西園寺長友警部補佐のお漏らしを隠すかのような(実際には隠せてはいないが)言葉と、勘太郎の微妙な表情から差した他の刑事達は皆、もしかしたら口止めをされていると勝手に邪推をしてしまう。勿論自分の上司に向けて『そのお漏らしの話は本当ですか』とは例え口が裂けても言えないので、他の刑事達は皆それぞれ勝手に想像を膨らませながら西園寺長友警部補佐の言葉に一応は理解をしたかのように頷いてみせる。


「分かりました、西園寺長友警部補佐……あなたがそう言うのならそう言うことにしておきます。俺達はそのお漏らしのことは絶対に外には口外はしませんので、どうか安心して下さい!」


「ち、違うーぅぅぅぅ。俺は本当にお漏らしなんかはしてはいないんだ。信じてくれぇぇぇぇ!」



「……?」



 その後、この話を一体誰が漏らしたのかは知らないが、この事件で西園寺長友警部補佐が恐怖のあまりにお漏らしをしたという噂と説が広まり、しばらくはこの話題で警視庁内が噂でざわついた事は言うまでも無い。



            *



 そんなことを思い出しながら勘太郎は深く溜息をつく。


「やはり羊野がわざと西園寺長友警部補佐のズボンに水を零した時点で羊野の悪戯を西園寺刑事に教えてやれば良かったかな。なんだか少し可哀想なことをしてしまったな」


 哀れみの言葉を小声で口にしながら、勘太郎は再度徐に新聞の記事に目をやる。


 記事によれば、その後古民家と牛舎は徹底的に調べられ、今までその敷地内で起こっていたその狂気の全貌が皆明るみとなる。

 古民家や牛舎の周りを調べた結果、多くの犬の死骸に加え、人間の体の一部もいくつか混じって見つかったことがわかった。


 その後全ての捜査が終わった後で衛生面の観点から屋敷の周りは綺麗に洗浄され、厳しい状況下で飼育されていた大型犬の犬達も皆トラックの荷台に乗せられ何処かへと運ばれていったとの事だ。

 その恐ろしい見た目と比類無き凶暴性からあの喰人魔獣と呼ばれていた犬達は皆人知れず保健所に送られてその後は殺処分になるのだろうと勘太郎は少し悲しい気分になる。あの城島茂雄にさえ運悪く巡り会っていなければこのような悲しい結末には絶対にならなかったはずだからだ。


 その悲惨な喰人魔獣達の運命にやるせない思いを抱いていると、いかにも疲れ切った顔をしながら赤城文子刑事が喫茶店のドアを無造作に開けて中へと入って来る。


「こんにちは勘太郎・緑川さん・黄木田店長、やっと仕事から解放されたわ。黄木田店長コーヒーを、取りあえずコーヒーをちょうだい。それとお腹も空いているからサンドイッチも作って下さい。お願いするわ。三日間ほど徹夜してあの事件現場へと通って被害者に繋がる証拠となる物を探していたからもう体がクタクタよ。そして解放されたのが今日の午前の十時過ぎだからかなり眠いんだけど、今日と明日は非番だから自分のマンションに帰ってくるついでにここに寄ってみたと言う訳よ。勘太郎にも丁度話があった事だしね」


 そうぶっきらぼうに言う赤城文子刑事に黄木田店長は笑顔で「はい、今コーヒーをお淹れしますね。席について待っていて下さい」と言いながらコーヒーを淹れる。

 

 そんな疲れ気味の赤城文子刑事に勘太郎はねぎらいの言葉を掛ける。


「あ、赤城先輩、お疲れ様です。俺に話って一体なんですか?」


「あの古民家の中であなたを守るかのようにライオンに立ち向かっていた、あの黒いライオンのような大型犬の喰人魔獣の事よ。確か56号だったかしら。あの薄汚いライオンが射殺されたその直ぐ後にあの喰人魔獣はその顛末を見届けると、直ぐに私達の視界からその姿を消してしまったわ。まるでこの後自分の身にも何かよからぬ事が起こる事を最初から分かっているかの用なそんな行動だったわ。つまりあの喰人魔獣の行方だけが未だに分からないし、一体どこに逃げたのかも謎のままなのよ。だからなにか手がかりとなる些細な事でも知っているんじゃ無いかと思って勘太郎にいろいろと聞きに来たんだけど、どうなの勘太郎、あの喰人魔獣の事でなにか分かることは無いの。どんな小さな手がかりでもいいから教えてくれるとかなり助かるんだけど」


「やけにあの喰人魔獣一匹にこだわりますね」


「それはこだわるわよ。あの一匹の喰人魔獣だけがなぜか行方不明なのよ。ライオンの本革を被りながら野に解き放たれただなんて、あの凶暴凶悪な喰人魔獣が人々に危害を加える前になんとしてでも捕まえないと多分近いウチに関東中が大変な事になるわ。だからこそあの魔獣を警察の総力を上げて探しているんじゃない。一体あの魔獣はどこに逃げたのかしら?」


 赤城文子刑事の話によると、四日前にとある発見者からの通報があり。ある駐車場のある山の裏手で、その体から器用に外されたライオンに偽装する為に身に着けていたと思われるライオンの本革が見つかったとの事だ。おそらくはなにかの拍子にそのライオンの本革が犬の体から外れてその場に置き去りにされた物と思われるが、人の手で外された可能性もあり、今もその大型犬を見たと言う目撃者を懸命に探しているとの事だ。

 その後も警察は最後の生き残りとも言うべき逃げた喰人魔獣の後を今後も追うつもりだろうが、狂人・暴食の獅子・城島茂雄が手塩に掛けて育て上げた黒いライオンもどきの猛犬・喰人魔獣はこの56号を最後に、世間の意識からその存在を直ぐに消しさる事になるだろう……と勘太郎は内心そう思っていた。

 これまでに亡くなった多くの名も無き不幸な犬達とその犠牲となった被害者達が生きていた証と共に。



 勘太郎はカプチーノを飲みながらなんだか切ない気持ちになっていると、突然「きゃああぁぁぁぁーっ!」という驚きの悲鳴が赤城文子刑事の口から聞こえて来る。


「な、何だ?」


 驚きの声を上げた赤城文子刑事に勘太郎は直ぐさま反応をするが、その驚きの原因となった物に対し勘太郎は『なんで出てきたんだよ』と言うような顔をしながら直ぐさま頭を抱える。


 なぜならそこにいたのは勘太郎が必死にその存在をひた隠しにしていたある生き物が赤城文子刑事の足下に自然と座っていたからだ。


 そうそこにいたのは紛れもなく一週間前に古民家の中にいた56号と書かれてある首輪をつけた喰人魔獣だった。


 勘太郎がゴロ助と名付けたその大きな黒い犬は震えてその場に立ちつくす赤城文子刑事を見つめながら、何かを期待しているような眼差しを彼女に送る。


 そんなゴロ助の眼差しにかなり怯えながらも赤城文子刑事は恐る恐るこの現状を隣にいる勘太郎に聞く。


「か……かか……勘太郎、この物凄く大きな犬は一体何なの。これってまさか、あの逃げて行方不明となっている喰人魔獣じゃないよね?」


「いいえ、違いますよ。こいつがあの喰人魔獣な訳が無いじゃないですか。うちの黒鉄のビルの屋上が空いていたのでそこで最近飼う事になったただの大型犬の犬ですが、何か問題でもあるんですか」


「これってあの一週間前に逃げ出したあの喰人魔獣じゃないの……」


 ゴロ助に無邪気に抱きつかれその中で必死に藻掻く赤城文子刑事は、戸惑いの顔をみせながらもその疑惑の目を勘太郎に向ける。


「ち、違いますよ、こいつはただの大型犬の犬でゴロ助と言う名前の犬です。昨夜に羊野瞑子の友人を名乗る人物からこの犬が送られて来たんですよ」


「友人……あの羊野さんにそんな友人がいたかしら? それでその友人からこの犬が送られて来たと言うの……」


「そ、そう言う事になりますね。まあ、生き物ですし、このままその友人に送り返す訳にも行きませんので、このままこの黒鉄のビルの屋上で飼うことにしたんですよ。本当に迷惑な話ですよ」


 そう言いながら態とらしく愛想笑いをする勘太郎に赤城文子刑事が厳しく詰め寄る。


「しらばっくれんじゃないわよ。これってどこからどう見ても一週間前に古民家と牛舎にいたあの最後の喰人魔獣よね。あんたこの犬がどれだけ恐ろしい犬かその身を持って分かっているはずでしょ。なのになんであんたがその犬を匿っているのよ。これは多分大問題になるわよ。確かにその大型犬は本物のライオンじゃないけど、その獰猛さは普通の大型犬の非じゃないわ。他の喰人魔獣達は一応は皆保護をしたみたいだけど、子犬の頃から人間を襲う用に調教された喰人魔獣達は余りの凶暴性から皆殺処分が決まったそうよ。そんな犬達の最後の生き残りを勘太郎……あんたはまさか本当に飼うつもりなの。いつかその野生に目覚めて、絶対に大怪我をする羽目になるかも知れないわよ。あの優れた犬の調教師でもあった城島茂雄氏が人をただ襲うためだけに育て上げたその喰人魔獣と呼ばれる犬達は非常に危険なのよ。分かるわよね、私が言っている意味が!」


 喰人魔獣を飼うと言い出した勘太郎の身を案じてか真剣な顔で言う赤城文子刑事に、勘太郎はゴロ助の頭をなでながら静かに……だがハッキリとした声で自分の思いとその意思を告げる。


「いや、こいつはもう喰人魔獣にはなりませんよ。あの城島茂雄に仕えていた喰人魔獣は、56号という番号と共に死んだのですから……今ここにいるのは喰人魔獣ではなく、新たに生きるチャンスとその名を与えられて生まれ変わったただの飼い犬、ゴロ助ですよ」


「そ、そうですよ。赤城さん、ゴロ助はもう立派な黒鉄探偵事務所の仲間です。それに物凄く頭のいい犬なんです。まるで人間の言葉を理解しているかの用に何でも出来るんですよ。私、正直言って驚いちゃいました。こんなお利口さんな犬は今まで見たことがないです。もう凄いんですから!」


 勘太郎の言葉に合わせるかのように緑川も必死にゴロ助の事を弁護してくれる用だが、そんな言葉にも赤城文子刑事はゴロ助に警戒の眼差しを向ける。

 それだけゴロ助は普通の犬とは比較にならないほど格段に凄い犬なのだ。


 く、今の言葉だけじゃ赤城先輩の心には届かないか。なら仕方が無いな。ここは更にゴロ助の有能さと安全性をもっと深く伝えてやらねば。


 そう思った勘太郎は赤城文子刑事を説得するべく更に言葉を続ける。


「そ、それにゴロ助は今まで一度も人を襲った事はないんですよ。それはあの元主でもあった城島茂雄が、人を襲わない犬は臆病者の失敗作の犬だと言って罵声を浴びせていたくらいの犬ですから、その信憑性は高いと思いますよ。城島茂雄の命令で俺を噛んできた時も本気で俺を噛んではいませんでしたからね」


 勘太郎の必死な訴えに目を閉じて話を聞いていた赤城文子刑事だったが、勘太郎を見据えながら真剣な顔で言う。


「勘太郎、あなたの気持ちはよ~くわかったけど、この事は警察に報告しない訳には行かないわ。その意味……分かるわよね!」

 

 その言葉に静まり返る店内で、二人のやり取りを黙って聞いていた黄木田源蔵が落ち着いた口調で話し出す。


「赤城さん、あなたの心配は分かりますし、あなたの言っている事は正しいのかも知れませんが、ここは黒鉄さんの思うがままにさせてあげてはどうでしょうか」


「な、何を言い出すの黄木田店長、あなたらしくも無い。もしあの喰人魔獣をこのビルで飼っている事が警察に……いいえ、世間に知られたら大変な事になるわよ!」


「ええ、確かにそうなのでしょうが、ここでこの犬の利便さを・いつか必要となる日が来た時に使えないのは余りにも惜しいと思うのですよ。この犬はあの暴食の獅子が作り上げた最高傑作の犬ですから、いつかあの円卓の星座の組織の秘密を暴くのに大いに役に立つ時が必ず来るはずです。その時が来るまでこの犬の……ゴロ助の力を利用したいとは思いませんか。幸いこの犬はかなり賢い犬のようで人の感情を・思いを表情から読み取り感じ取る事に長けている犬の用です。だから人が命令した通りのことが瞬時に出来るのでしょうね。人や犬達の感情を読んで行動する力は、あの犬達のいる牛舎小屋で生き残るには必要不可欠な力だったのでしょうね」


「利用する……あの喰人魔獣の力を。本当に出来るのかしら、そんなことが?」


「ええ、勿論出来ますよ。あの白い腹黒羊を飼い慣らしている二代目・黒鉄の探偵こと黒鉄勘太郎なら出来ますとも」


 頭を抱えて問う赤城文子刑事に黄木田源蔵は冗談めかしにニッと笑みを浮かべながらそう言い切る。


「それにゴロ助の力が円卓の星座の謎に迫れる一端になるのだとしたら、このゴロ助を黒鉄探偵事務所の仲間に加えた方がいいのではありませんか。おそらく壊れた天秤は今後は警察犬の導入は絶対に認めはしないでしょうが、あの暴食の獅子が飼っていたあの喰人魔獣が一体どんな形で黒鉄の探偵をホローするのかとそっちの方に興味が沸いてゴロ助の狂人ゲームへの参入を許してくれるかも知れません。あの壊れた天秤にしても実験とばかりに黒鉄の探偵と喰人魔獣との絡みは絶対に見てみたいと必ず思うでしょうからね」


「確かにそうかも知れないけど、それは警察の上層部が許したらの話でしょ。そう考えたらやはり今回の件は恐らくは警察は絶対に喰人魔獣の事は認めないと思うわ。この黒鉄探偵事務所のビルの中であの獰猛な喰人魔獣を飼うだなんて、まずそんな事は絶対にあり得ないんだから!」


「喰人魔獣じゃないです、ゴロ助ですよ。赤城先輩!」


「黙りなさい。勘太郎、うるさい!」


 そんなやり取りをしていると店の玄関のドアが開き、そこから川口大介警部が入ってくる。

 川口警部は深々と黄木田店長に頭を下げると何やら緊張をした面持ちで喰人魔獣の事を話し出す。


「黄木田さん、お久しぶりです。黄木田さんに頼まれてた件、どうにか上の上層部に通りそうです。多分大丈夫でしょう」


「そうですか、ご苦労様です。無理を言ってすいませんでした。川口警部」


「いいえ、やめて下さい黄木田さん、あなたのたっての頼みなら誰だって断れませんよ。それに上層部の人達もあなたの名前を出したら、みんなあっさりと全員一致で決まってしまいましたから、例え警視庁をお辞めになってもあなたの影響力はまだまだ計り知れないと言う事です」


「まあ、別に恩を着せた覚えは無いのですが、あの上層部の幹部連中の中には私の仲の良かった同期やかつては私の部下だった者が多数いますからね」


「はい、黄木田さんが本庁にいた頃はこの私もあなたの部下でしたからね」


 そう言いながら川口警部は緊張をした面持ちで丁寧な敬語で言葉を喋る。それもそのはず、その昔、川口警部がまだ若かりし頃、勢力を伸ばしつつある謎の組織に対抗する為、警視庁は新たに特殊班と言う特別な所属チームを結成する。

 その特殊班にまだ新米だった川口警部が配属され、その面倒を見ていたのが、当時警視正だった黄木田源蔵その人だったのだ。その後は警視長・警視監まで出世するのだが、定年を気に警察をやめて黄木田喫茶店のマスターになった今でも警視庁の上の人達にはそれなりに結構顔が利くのだ。


 その黄木田店長に頭を下げていた川口警部が、今度は勘太郎や赤城文子刑事に向けて今の話の内容を語り出す。


「と言うわけで、その喰人魔獣は……じゃなかった。その犬は黒鉄探偵事務所の方に全てを任せる事になった。これは正式な上からのお達しだから、黒鉄の探偵、お前が責任を持って飼うようにな。わかったな!」


 川口警部の話を聞いて笑顔で喜ぶ勘太郎と緑川に、黄木田店長が話を付け加える。


「因みにこの事を川口警部に頼んで上の上層部の幹部連中にこの提案を願い出たのはこの私だが、この話を最初に持ち出したのはあの羊野さんだよ」


「羊野がですか」


 黄木田店長が出した羊野の名に勘太郎は正直驚く。


 羊野は犬なんかの為に絶対に動かないと思っていたからだ。


「羊野さんが言うには、黒鉄さんは絶対にゴロ助の命を助けたいが為にゴロ助を飼うことを決断するだろうから面倒な事になる前に飼う許可を警察上層部から貰って来てくれと私に言って来たのですよ。まあ、私も喰人魔獣と呼ばれている犬にはそれなりに興味がありましたからね、その話に敢えて乗って見る事にしたのですよ。恐らく羊野さんの方も私がそう決断すると分かっていたからこそ敢えて私にその話を振って来たんだと思いますよ。本当に食えない人ですよ」


 そう言うと黄木田店長は悪戯っぽくニッと笑う。


 だがこの話に納得の行かない赤城文子刑事が川口警部に噛み付く。


「ば、馬鹿な、こんな事になるだなんて、これは一体どう言う事ですか、川口警部。いくら黄木田店長が昔警察のお偉い関係者だったとは言え、こんなに早く上層部の人達が許可を出してくれるだなんて未だに信じられないのですが……」


「黄木田さんはそれだけ凄い人だと言う事だよ。そしてこの喰人魔獣を黒鉄探偵事務所で飼うと言う事はつまり、赤城文子刑事……お前が引き続き、白い羊こと羊野瞑子の監視だけでは無く、喰人魔獣・ゴロ助の監視も共にすると言う事だ。わかったな赤城文子刑事、引き続き白い腹黒羊と喰人魔獣の監視と、黒鉄探偵事務所とのつなぎ役に従事するように。わかったな!」


「そ、そんなぁぁぁ~ぁぁ、私……犬は……特に大型犬は苦手なのにぃぃぃぃ!」


 川口警部の無情な言葉に赤城文子刑事がまたやっかいごとが増えたと言いながらただひたすらに嘆く。

 そのショックの余りに再びカウンタに倒れ込む赤城文子刑事の隣の席では、器用に椅子に座りながらゴロ助が赤城刑事に出されたはずのサンドイッチをムシャムシャと勝手に一口で食べる。


 そんな姿を見て笑う黄木田店長と緑川章子、そして釣られて苦笑する川口警部を見ながら勘太郎は心の中で思う。

 ゴロ助がここに来て良かったと心の底から思ってくれるのなら、俺がゴロ助を新しい仲間として迎える事が出来た事に誇りと自信を持つことができるだろうと、今は素直にそう思う。そうこの出会いに何かしらの運命的な意味があったのだと勘太郎は勝手にそう思うことにした用だ。ゴロ助の今後の第二の人生の祝福とその願いを込めて……。


 そんな事を思いながら勘太郎はふと書庫となっている地下一階に続く階段に視線を向けると、長い白銀の髪を揺らしながら羊野が何やら不機嫌な顔をしながら階段を上って来るのが見える。そんなご機嫌斜めな羊野に勘太郎は不思議に思いながらもその原因を聞く。


「おい、そんな不機嫌そうな顔をして一体どうしたんだ。羊野」と勘太郎はすかさず声を掛けるが、羊野は白いロングスカートを揺らしながら真っ直ぐに近くまで来ると、大きく溜息をつきながら手に持つ一枚の紙切れを無言で勘太郎に手渡す。


「なんだこの紙切れは、何々……『友達の少ない羊の名を持つ友人へ贈ります。四日前に駐車場のあるとある山の裏手でこの大きな大型犬を見つけたので、羊野さん、友達の少ないあなたに贈ります。この黒い大きな犬をたまたま見つけたと言う中学一年生の少女は今は児童施設暮らしとの事なので犬の面倒は見れず。母と二人暮らしの私も当然目が不自由なのであなたにこの犬を託します。まあ、精々面倒を見てあげて下さい。ではあなたの愚行を知っている数少ない一人の友人より。あと黒鉄勘太郎さんによろしく言っておいて下さいね!』……誰だこの手紙の差出人は……この手紙の内容からしてあのゴロ助を送りつけて来た人物の用だが、少なくとも俺達の事をよ~く知っている人物のようだな。だがこの送られて来た手紙や伝票には、相手の住所や電話番号も名前も全く書かれてはいない用だ。ゴロ助をこの黒鉄探偵事務所に送りつけてきた人物とは一体誰なんだ?」


 そんな事を呟く勘太郎の隣で羊野が苦々しい表情を浮かべながら何やら意味ありげに汚らしい言葉を呟くのだった。


「あのくそ女がぁぁ!」と。



『これは人が持つ理不尽な狂気と殺意蔓延る現代においてその恐怖にあらがい、知恵と勇気で立ち向かう一人の探偵と、それに付き従う白い羊と呼ばれる狡猾な狂人との、犯罪と言う名の悪に立ち向かう物語である。』




______________________________________



 この後はオマケの26話が公開される予定なので、ついでに読んでくれたら凄くうれしいです。


 あの狂人・断罪の切断蟹を追う(今は中学一年生となった)一人の少女と、盲目の背の高い麗人が、傷つき倒れている喰人魔獣ことゴロ助と三つ巴の運命的な出会いを果たします。そんなお話です。

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