第4章 『まだ姿を見せぬ海月リク君の行方』全20話。その18。

            18。



 時刻は夜の二十時二十分。


外はもう既に夜のようだがデパートの中で今も必死に悪戦苦闘をしている勘太郎はいつの間にか時間が急激に進んだことにかなりの焦りを感じていた。


 今回の狂人ゲームでは確かにタイムリミット的な物が設けられているのだが、それはあくまでも今回の狂人ゲームの終わりを告げる終了時間であり、時間が過ぎたからと言って今回は特にペナルティーを追うなどと言う話にはなっていないようだ。なら何故勘太郎はそんなにも焦っているのか? それは海月光子の苦悩とその切実な訴えを直に聞いてしまったからだ。海月光子の話ではタイムリミットの二十一時を過ぎてしまったら何処かに閉じ込められ監禁されている海月リク君が何らかの方法で殺されてしまうと言うのだ。その殺害方法がどんな物で、何処でその犯行が実行されるかは正直分からないが、梅塚幸子が今も羊野と抗戦しているのを見ると恐らくは自動式の何かで海月リク君が死に至る恐ろしい仕掛けが設置されているのかも知れない。そんな想像を軽くしてしまう勘太郎の脳裏には梅塚幸子の狂気じみた顔が記憶に残っていた。


 あの感じからして……梅塚幸子は最初から海月リク君を見逃す気は全く無い用だ。恐らくは殺人鬼として海月光子を散々利用した挙げ句に、彼女の息子を態と殺して海月光子を絶望のどん底に叩き落とすつもりなのだろう。そう考えるのなら今現在もこのデパート内の何処かに監禁されている海月リク君はタイムリミットが過ぎたら真っ先に死ぬ事になるのかも知れない。


 そんな悪い考えが頭から離れない勘太郎は同じフロアー内にいると思われる羊野と梅塚幸子の姿を懸命に探すが、このフロアー内にあるはずのブレーカーが未だに何処にあるのか分からないので、仕方なく手に持つ懐中電灯を照らしながら二人の行方を追う。


「くそ、どこだ。一体二人はどこまで移動したんだ。この狂人ゲームのタイムリミットは後四十分しか無いんだぞ。それまでに何としても海月リク君の行方を捜さないといけないのに、肝心な羊野の奴は一体どこに行ったんだ。まさかもうこのフロアー内にはいないのか。それに今も姿を見せない緑川の奴の安否も心配だぜ。海月光子の話では、三階のフロアーで西条社長を二人で捕まえて人質にしていた時に、三つ編みお下げ髪風の眼鏡を掛けた女性が社員専用階段の入り口の鉄のドアを開けて逃げ出す姿を見たと証言をしている。その際にその女性はかなり急いでいたのか自分のスマートフォンを床に落としていったらしいから、その特徴からしてその女性はまず間違いなく俺の後輩、緑川章子に間違いはないだろう。だからこそスマートフォンを途中で無くしてしまった緑川は、未だに俺達と連絡が出来ないのかも知れない。その緑川のスマホはどうやら梅塚幸子が手に持つ大木槌の一撃によって見事にたたき割られてしまったらしいから、みすみす逃げられたのが余程悔しかったのかも知れないな。本当に危険極まりない人物だぜ」


 そんな独り言を呟きながら百円ショップコーナーを離れた勘太郎は、注意深く回りを確認しながら飲食店コーナーへと足を向ける。その共同倉庫前を通り掛かった時、いつもは閉ざされているはずの倉庫内入り口の扉が全開に開いていたので、不審に思った勘太郎は、嫌な予感を感じながらも意を決して倉庫内へと足を踏み入れる。


 倉庫の中に入ると中には大小様々な大きさの段ボールが置かれ。中には食品や雑貨と言った類いの物が綺麗に並ぶ。そんな闇が広がる倉庫の奥の通路に、一人の男が仰向けになりながら動くこと無く倒れていた。


 その腹部には大きな包丁が深々と突き刺さっており、その刃先から流れでる赤い液体がこの場所で大惨事が起きていた事を軽く想像させた。


 人が倒れている。一体誰だ?


 その男に近づきよ~くその男の顔を見てみると、その男の正体は勘太郎の依頼人でもある関根孝その人だった。

 勘太郎はその痛ましい現状と事実を見つめながら、ゆっくりとその場に跪く。


「な、なんだ。なんで、関根孝さんがここで死んでいるんだ。ついさっきまであんなに元気に、生きていたじゃないか。それに関根孝さんの腹部に刺さっている、あの包丁って……まさか、羊野の奴がいつもロングスカートの中に隠し持っている、あの打ち刃物の包丁じゃないだろうな。だとしたら関根孝さんを殺した犯人と言うのは……まさか……いや、あり得ない、これは何かの間違いだ。頼むから何かの間違いであってくれ!」


 そんな事をぼやきながら勘太郎が頭を抱えていると、死んだと思われていた関根孝の体が突然動き出し、その場であぐらを掻きながら目の前で驚愕している勘太郎の方を見る。


「く、黒服の探偵さんでしたか。良かった、ようやく助けが来ましたか。つい先ほどまで梅塚幸子さんがここにいたので、生きた心地がしませんでしたよ」


 血まみれになりながらも和やかに言う関根孝に対し、勘太郎は驚きの顔を見せながら関根孝の顔を凝視する。


「うわぁぁぁー、せ、関根孝さん、生きていたんですか。でもお腹は、包丁が刺さっているお腹は大丈夫なのですか?」


「包丁……?」


 関根孝は自分の腹部に深々と刺さっている包丁を自らの手で引っこ抜きながらケラケラと笑う。


「ああ、これですか。この六階に来る前に、お宅の探偵助手のお嬢さんに言われたんですよ。もしかしたら西条社長が人質に取られた時にこの方法で犯人の意表を突く事が出来るかも知れないとか言ってね。でもまさか梅塚幸子さんを相手にこの方法を直ぐに試す事になるとは夢にも思いませんでしたがね」


「その方法ってまさか、自分が殺された振りでもして相手の裏でも掻くつもりだったのですか。それは余りにも危険な行為だ。一歩間違っていたら貴方は本当に死んでいたかも知れないのに。なぜその事を俺に教えてはくれなかったのですか」


「いや、あの羊の姉ちゃんに言うのを止められていたからね。黒鉄さんはやたらと心配性で、この事を知れば問答無用で却下されるとか言っていたな」


「それは当然だな。そんな囮的な行為を認める訳にはいかないからな」


「黒服の探偵さん、あんたが2回目にあの水瓶人間と対峙した時に、お腹のシャツの中に分厚い雑誌を入れて水瓶人間の大木槌による一撃を凌いだとか言っていたから、その時のアイデアをヒントに羊の女探偵さんはこの保険的な計画を思いついたとか言っていましたよ。でもその羊の女探偵さんにお腹を刺された後はコロ良いタイミングを見計らって梅塚幸子さんの背後を取るつもりだったのですが……そんな都合のいいタイミングは中々来ず。その後は行き成り背後から現れた水瓶人間にその女探偵さんは痛々しく壁に叩き付けられて、そのままあっと言う間にのされてしまいましたからね」


「な、なに、水瓶人間が現れただとう? それにあの羊野がのされたのか。信じられん!」


 そう言いながら勘太郎は持っている懐中電灯を照らしながら辺りを見る。関根孝の話を裏付けるかのように勘太郎の直ぐ近くには白い羊のマスクが無造作に転がっていた。


「そんな馬鹿な。このデパート内にいる水瓶人間の正体は首謀者の梅塚幸子とそれに操られていた海月光子の二人だけだったはずだ。三人目の協力者がいるだなんて、俺は聞いてはいないぞ。それで、その水瓶人間に襲われたと言う肝心の羊野の奴は一体どこにいるんだ!」


「多分あの置くの通路にある女子更衣室の中に閉じ込められていると思います。俺は死んだふりをしてその場を何とか乗り切りましたが、あの女探偵さんが生きているのか死んでいるのかは正直まだ分かりません。探偵さんが来る五分前までは、その水瓶人間と梅塚幸子は二人で何かを話していて、その後はかなりもめていたみたいでしたからね」


「もめていた、一体何をだ」


「さあ、それは分かりません。俺も緊張の余り、二人に生きている事を悟られないように息を殺すのに必死でしたし、かなり緊張していましたからね。彼らの声は全く頭に入っては来ませんでしたよ。余りに怖すぎて、瞼も硬く閉じていましたからね」


「その行き成り現れたという、水瓶人間の姿は見てはいないのですか」


「はい、見てはいません。て言うか回りは暗かったし、懐中電灯の明かりなしではここら一帯は何も見えませんよ」


「確かにそうですね。ならその羊野を背後から襲ったと言う人物がなぜ水瓶人間だと、関根孝さんは分かったのですか」


「あの梅塚幸子が、大声でそう言っていたんですよ。断片的になら、二人の会話を聞くことが出来ましたからね。でも大声で話していたのは梅塚幸子一人だけで、あの水瓶人間に至ってはポポポポーッと言う不気味な鳴き声だけしか声が聞こえませんでしたがね」


「そうですか。だがあの羊野が暗闇とはいえその水瓶人間に遅れを取るとはな」


「それは仕方がありませんよ。梅塚幸子はまだ幼い小学生くらいの少女を人質に取っていましたし、この俺を宛も無慈悲に殺したように見せかけて、その行為に狼狽している梅塚幸子に今正に飛びかかろうとしていた真っ最中でしたからね。だからこそその緊迫した状況に水を差すような形で現れた水瓶人間に、あの女探偵さんは意表を突かれたのでしょう。しかしそう考えると突然音も無く現れたあの海月光子さんも中々に恐ろしい女ですね。なにせ全く気配を感じられませんでしたからね」


「なにぃぃぃー、小学生くらいの女の子だとう。容疑者でもある梅塚幸子に人質に取られている小学生は海月リク君だけじゃないのかよ!」


「どうやらそうみたいですね」


 更なる情報にびっくりする勘太郎に対し、関根孝は辺りを気にしながらポケットから携帯電話を取り出す。どうやら携帯電話の明かりで視界を確保するようだ。そんな関根孝を見ながら勘太郎は考える。


 いや、その水瓶人間はそもそも海月光子さんではない。しかもあの羊野の背後を取ることが出来る人間だとう。そんな人物がこのデパート内にいると言う事なのか。それは一体何処のだれなんだ。気になる……とても気になるぜ。だが今はそんな事よりも先ずはその人質になっているという小学生くらいの女の子の安全を確保する方が最優先事項だろう。早く探し出してその小学生女子の安全を確保せねば。


「それで、その肝心な梅塚幸子と水瓶人間はその後は何処に行ったんですか?」


「俺は硬く目をつぶっていましたから音でしか聞いてはいませんが、暴れる梅塚幸子を連れて、その水瓶人間は何処かに行ってしまいました。恐らくは社員専用の階段の方に向かったのかも知れません」


 暴れていた……あの梅塚幸子が……。


「そうですか。と、とにかく話は後です。それで、その小学生くらいの女の子は一体どこにいるんですか」


「おそらくは女子更衣室に放り込まれた、あの探偵助手の女性と一緒の場所ですよ。その小学生の女の子もまた、同じように女子更衣室に入れられちゃいましたからね」」


「そうですか。なら先ずは女子更衣室の中に閉じ込められている羊野と、その小学生女子を早く助けに向かいましょう!」


 懐中電灯の光を当てながら女子更衣室に向けて走り出そうとする勘太郎を一人の人物の声が止める。


「その必要はありませんわ。黒鉄さん……」


 その勘太郎の行く手を止めた人物は、これから勘太郎が向かおうとしている女子更衣室の中から現れた羊野瞑子だった。


 羊野は激しく打ち付けた体と頭を押さえながら勘太郎と関根孝の前に現れる。その姿はいつもの元気がなく、フラつくその体はどこか痛々しかった。


 頭を押さえている手からはうっすらと血が流れる。


「だ、大丈夫か、羊野! どうやら怪我をしているようだな」


「私の事は心配は無用ですわ。ただの打ち身と脳震盪ですから。しばらく休んでいれば時期に歩ける程度までは回復しますわ」


「歩ける程度までって、お前。それじゃこれ以上の逃げた犯人への追跡はもう不可能と言う事か」


「少なくとも、今は黒鉄さんに協力は出来ませんわ。壁に打ち付けられた肩や背中がまだ痛いですし、頭だってまだくらくらしますからね」


「そんなに酷いのかよ。早くお前を病院に連れて行ってやりたいが、少なくとも後四十分は警察も無闇にこのデパート内には近づけないから、もうしばらくは我慢してくれ。勿論簡単な応急処置はするが、それまではここで待機をしているんだ。いいな、分かったな」


「ええ、お言葉に甘えて、そうさせて貰いますわ」


「それで、その小学生くらいの女の子は、あの女子更衣室の中にいるのか」


「ええ、中でメソメソと泣いていますわ。怪我をして倒れている私の傍でずうっと泣いていましたから、流石に鬱陶しかったですわ」


「倒れているお前の事を心配して泣いていたんだろうぜ。だからそんな事は言うなよ、本当に血も涙もない女だな、お前は」


「いえ、血も涙も普通にありますけど?」


「お前が冷たい人間だと言っているんだよ!」


「体温は常に平温ですよ」


「もういい。それで、梅塚幸子とその悪魔の水瓶は一体どこに行ったんだ。関根孝さんの話では、梅塚幸子の激しい罵声と口論の後に、その後は水瓶人間に引きずられるような形で梅塚幸子は何処かに向かったらしいんだが。一体二人はどこにその姿を隠したんだ?」


「恐らくは海月リク君のいる所に向かったのかも知れません。一つお聞きしますが、黒鉄さんは海月光子を取り押さえ、その後は拘束する事に成功したんですよね」


「ああ、その通りだ。俺に挑んできたあの水瓶人間は、海月光子さん、その人だったよ。ならお前の背後に近づき、そしてダメージを与えたその水瓶人間は一体何者なんだ?」


「余り考えたくはありませんが、もしかしたらこのデパート内には今回の事件に関わる第三者の人物がいるのかも知れませんね。おそらくは本家本元の悪魔の水瓶が関わっているのかも……知れません」


「そんな事は流石にないだろう。もし仮に本物の悪魔の水瓶がこのデパート内にいたとして。なぜここにいるんだよ。梅塚幸子の依頼を降りた時点でその悪魔の水瓶の殺しの依頼はもう既に取り消しになっているはずだ。だとしたら少なくともこの狂人ゲームにはおそらくは関わってはいないはずだ!」


「確かにそうなのですが、円卓の星座の狂人達も決して一枚岩ではありませんし。もしかしたら勝手に悪魔の水瓶の姿とそのトリックを使われた事を心良く思ってはいないのかも知れません。ですがこれは壊れた天秤が勝手に決めた狂人ゲームですし、闇の組織のリーダーが決めた事にいちいち逆らう事は、悪魔の水瓶と言えど、まず出来ません。なので彼女はこの狂人ゲームの最後の顛末を見るために敢えて何処か遠くからこのデパート内の様子を見ていたのかも知れませんね。彼女がわざわざ現れる理由なんてそのくらいしか考えられませんわ。自分とは考えが合わない、いけ好かない過去の依頼人をわざわざ助ける為に出て来たとは流石に考えにくいですからね」


「何処かに隠れて、様子を見ていたか。お前の話では、その悪魔の水瓶と言う狂人は小さな子供だけは決して殺さないと言う信念を持った変わった狂人なんだよな。なら梅塚幸子が人質に取っていたと言うその小学生の女の子の事ももしかしたら見過ごせなかったのかも知れないな。だからこそ敢えてお前の前にその姿を現したんだ。お前に人質救出の全てを任せていたら、本当にその女の子の命を軽視するかも知れないと彼女は考えたんだろうぜ」


「そんな事はないですわよ。私だって精いっぱい努力はしていたんですよ。でも現実とは残酷な物です。運悪く助けられなかったら、それは仕方がない事ですよね」


「その姿勢だよ、その姿勢。その小学生女子を助け出そうとする強い思いをお前からは感じられなかったから、悪魔の水瓶は静観をやめて仕方なく助けに入ったんだよ」


「まあ、私はその水瓶人間にボコボコにされましたがね。不意を突かれ油断していたとはいえ彼女の接近に気付かなかっただなんて、ハッキリ言って不覚ですわ。かなりの屈辱ですわ。それに何が一番頭に来たかと言うと、この私を殺す絶好のチャンスがあったにも関わらず、この私にトドメを刺す事はしなかった。まるで今回の件で私に貸しを作るかのようにね」


「生かしておいてやるから、早く海月リク君を探し出して保護しろと……そう言っているのか。あの悪魔の水瓶は……」


「あの悪魔の水瓶、今度会ったら絶対に八つ裂きにして差し上げますわ!」


「それで、その海月リク君の監禁場所は分からないのか? もうタイムリミットまで三十分しか時間はないぞ」


 かなり焦りながら話す勘太郎に向けて、羊野は壁に体を預けながらゆっくりとした口調で話し出す。


「さっき私達が梅塚幸子さんと海月光子さんと対峙した時に、梅塚幸子さんが海月光子さんに向けて言い放った言葉を覚えていますか」


「いいや、そう言えば二人で色々と何かを話していたようだが、緊張の余り何も頭には入っては来なかったよ」


「そ……そうですか、なら仕方がありませんね。梅塚幸子さんは海月光子さんを再度脅す為にこんなことを言っていたのですよ。『海月光子、あんたの息子が水を鱈腹飲んで溺死してもいいのかしら』と。その言葉から推察するに、海月リク君はおそらくは水が大量に満たしてある場所で溺死させられる物と思われます」


「それを自動式でやるのか。梅塚幸子は。だがもしそうだとしたら、このデパート内で水を大量に満たせる監禁場所は物凄く限られて来るぞ。水が出る何処か密閉された部屋だ。例えば動物がいるベットコーナーや生活用品売り場に設置してあるお風呂場コーナーとか、社員専用のシャワールームと言う事も考えられるな。それとも、もしかしたら厨房かな。このデパートの地下一階には食堂コーナーと肉・野菜・魚の加工室があるから、それらを処理する厨房があるはずだ。そしてこの六階フロアー内にあるレストラン街の厨房もそれに該当はするかな」


「確かに大きめのキッチンの流し台やお風呂のような水を溜めれる浴槽があれば、まだ小さい小学生なら、縛って浴槽や業務用の大きなキッチンの中に入れて。その上から板で蓋をして重石でも乗せれば、水を直ぐにでも流し込める即席の密閉空間が完成しますわね。その隙間にホースを入れて時間で作動する水を流し込めば、この溺死の仕掛けは完成すると言う事です。まあその考えが当たっていたらの話ですけどね」


「注意する事に越したことはないさ。それにあの梅塚幸子の行動から察するに、このまま事が終わっても海月リク君を海月光子さんの元に返すとはどうしても思えないんだ。最後の最後にまだよからぬ仕掛けが隠されてあるんじゃないかとつい考えてしまう」


「確かに、その確率は極めて高いでしょうね。私が代わりに関根孝さんを殺して見せた時も、梅塚幸子さんはかなり動揺し、怒っていましたからね。その男はこの私が直接殺さねばならないんだとか言ってね」


「その動揺を誘って梅塚幸子の裏を掻くつもりだったんだろうが、お前はやり過ぎだぞ。もしもその作戦が失敗して関根孝さんの身に何かがあったら一体どうするつもりだったんだ」


「別にどうもしませんわ。ただ失敗したのだと関根孝さんにはその命を諦めて貰うしかありませんわね。こちらも命がけで犯人に挑んでいるのですから、それくらいの覚悟と協力はして貰ってもバチは当たらないと思いますよ。それに結果的にはその死んだふりのお陰で関根孝さんは助かったのですからね」


「それはどう言うことだよ」


「あの時私に刺されて死んだふりをしていなかったら、関根孝さんは間違いなくあの悪魔の水瓶に殺されていたと言う事です。梅塚幸子さんは論外として、あの悪魔の水瓶が幼い子供を助けたからと言ってそのついでに関根孝さんを助けると言う事は先ず無いと言う事です」


「まあ、確かに、特に生かして置く理由はもう無いからな。殺されるかもな」


 その勘太郎と羊野の話に今度は関根孝が衣服についた血のりを気にしながら口を開く。


「その事なんですが、梅塚幸子とその水瓶人間がもめていた原因は、どうやら羊の女探偵さんとその小学生女子を何故今直ぐに殺さないのかと言う話からでした。その事で梅塚幸子さんはかなりキレていましたからね。なぜ自分の絶対的な命令に従わないのかと。その事で海月リク君が死んでもいいのかとも言っていました」


「梅塚幸子は、目の前にいる水瓶人間が海月光子さんだと思っていただろうからな。子供をダシにして脅しに入るのは当然か」


「でも話をしているうちに流石に気付いたのか、梅塚幸子さんは声を震わせながらその場から逃げようとしているようでしたが、でもその動きを見逃さなかった水瓶人間に難なく捕まえられたようで、そのまま二人で社員専用の階段の入り口がある通路の方へと歩いて行きました。当然フロアー内は真っ暗だったので、二人が歩き去る音を俺はこの耳で聞いていただけですがね。なのでもしかしたらその水瓶人間は梅塚幸子さんを連れて、何処かに監禁されている海月リク君の所に向かったのかも知れません。だとしたらもう海月リク君は無事なんじゃないのですか。その水瓶人間が子供を殺さないと言うのなら、その水瓶人間が助けているはずですから」


 その希望とも言える楽観的な関根孝の言葉に、羊野がすかさず水を差す。


「その梅塚幸子さんが悪魔の水瓶の脅しに屈して、簡単にその口を割っていたらの話ですがね。でもおそらくはそうなってはいない物と考えます」


「なぜそう思うんだよ」


「普通の人間ならともかく、あの梅塚幸子さんは精神をかなり病んでいるみたいでしたから、決して脅しには屈しないと思いますよ。例え自分が死ぬ事になっても、西条ケミカル化学会社に関わる人間は全て殺すという狂気的な信念のような物を彼女からは感じられましたからね。恐らくタイムリミット終了時には、海月親子はこの狂人ゲームが終わり次第に必ず殺されるでしょうね」


 羊野の無情な話に今度は勘太郎がすかさず話に割って入る。


「そこまでの覚悟を持ってこの狂人ゲームに挑んでいるのかよ。全てを殺したらおそらくはそのまま自殺でもするつもりだな。くそ、ならどうしたらいいんだ。この短い時間でこのデパート内の全ての水場を探すことは流石に出来ないぞ。そんな事をしている間に海月リク君の死が今も着々と進んでいるのかも知れない。ちくしょう、一体どうしたらいいんだ!」


「あ、そう言えば、こんなのは証拠になるかな」


 そう言いながら関根孝は何かを思い出したかのように包丁が刺さっていた腹のTシャツの中から分厚い雑誌を取り出す。その雑誌の真ん中の部分は半分ほどくり抜かれており、その中には小さな携帯用の赤いペンキ缶が隠されていた。どうやら羊野はそのペンキ缶を突き刺して、血が宛も大量に流れ出たように見せかけていたようだ。

 辺りは暗く当の梅塚幸子も思わぬ出来事で発狂し注意が散漫だった事もあり、どうやらペンキ特有のシーナーの臭いには気付かなかったようだ。それに関根孝が腹に隠し持っていた赤いペンキ缶は無臭のペンキ缶である。その為か臭いは更に軽減されていた物と思われる。


「無臭のペンキ缶か……今はこんな物も売っているんだな」


「あ、この雑誌流石に邪魔だな。それにもう必要はないな」


 そう言いながらその雑誌とペンキ缶を床に放り投げると、今度は赤いペンキ色で汚れたスーツの上着の内ポケットから一つの携帯電話を取り出す。


「あ、これです。これ」


 関根孝は何気にその携帯電話を勘太郎と羊野に見せる。


「こ、これは……まさか……」


 その画面が粉々に砕かれたスマートフォンを見た勘太郎と羊野は思わずはっとする。その携帯電話は緑川章子が持っていたスマートフォンと瓜二つだったからだ。


 勘太郎はそのスマートフォンを関根孝から受け取りながらその疑問を聞く。


「これをどこで拾ったんですか。緑川章子が落としていったスマートフォンを梅塚幸子がすかさず砕いたという海月光子さんの話が本当なら、このスマートフォンは間違いなく緑川章子のスマートフォンと言う事になるのですが、なぜ関根孝さんがこれを持っているんですか?」


「水瓶人間と梅塚幸子が仰向けに倒れている俺の横を通り過ぎた時にこのスマートフォンを落としていったんですよ。最初は暗くて音だけで何が落ちたのか全く分からなかったけど。俺の手が届く範囲にそのスマホがあったから思わず上着の内ポケットにそのスマホを隠したんです。恐らくは海月リク君を探し出す何かの手掛かりになるかも知れないと思いましてね」


「梅塚幸子さんか水瓶人間のどちらかが、誤ってそのスマートフォンを関根孝さんの目の前に落としてしまい。更にはそのまま気付かずに行ってしまったと言った所でしょうか。おそらくは悪魔の水瓶と梅塚幸子さんが何かで揉めながら関根孝さんの横を通り過ぎた時にでも、たまたまそのスマホが関根孝さんの横に落ちたのだと思います。その二人はもしかしたらこの俺という援軍が来る事にかなり焦り、そして急いでいたから、緑川章子のスマートフォンが落ちた事にも気付かなかったのかも知れませんね。きっとそうだぜ!」


 途中から勝手な想像を入れる勘太郎の話を無視しながら、羊野が自分の見解を述べる。


「ふ、関根孝さんの横に緑川章子さんのスマートフォンが都合良く落ちていたのですか……ふ~ん、そうですか。あの女……舐めやがって……」


 一人で何やらぶつくさと言いながら羊野はその破壊された緑川章子のスマートフォンの起動ボタンを押して見たが、起動音は聞こえてこない。どうやらバッテリーパックその物をスマホ本体から抜かれているようだ。その光景を見た勘太郎は思わず溜息をつく。


「はあ、スマホは動かないし、緑川章子の奴は未だに行方不明だし、緑川の奴は本当に何処にいるんだよ。あの梅塚幸子や悪魔の水瓶にまだ捕まっていないのなら俺達の前に現れても良さそうな物だがな」


「彼女には彼女なりの理由でまだ私達の前にその姿を見せられない訳が、もしかしたらあるのかも知れませんね。でも今黒鉄さんが言っていた、海月光子さんが話していた、緑川章子さんが梅塚幸子さんから逃げ出す際に自分のスマートフォンを落としたという話を聞いて、もしかしたらという一つの考えが浮かびましたわ。この考えが正しいのなら、おそらくは緑川さんの居場所や、もしかしたらついでに海月リク君の居場所も分かるかも知れませんよ」


「なんだって、羊野、それはどう言う事だよ」


「海月光子さんの話では緑川さんは持っていたスマートフォンをついうっかり落としてしまった見たいですが、なぜ落としてしまったのでしょうか」


「なぜって、ポケットに入れていなかったからだろう」


「そうですね。ではなぜ入れていなかったのですか」


「何故って、スマートフォンを使っていたからか」


「なら、証拠を押さえる為に写真でも撮っていたのでしょうか。それとも私達に連絡を入れる為に電話をしようとでもしていたのでしょうか」


「その可能性も考えられるな」


「いいえ、私はそうは思いません。あの状況で写真を撮ったり電話で声を出すことはかなりのリスクがあるとは思いませんか」


「まあ、確かにな」


「それに緑川さんはもしかしたら梅塚幸子さんと海月光子さんの会話を盗み聞きして、有る可能性を推察したのかも知れません」


「ああ、お前がさっき言っていた、海月リク君を溺死で殺そうとしている話だな。だが今思ったんだが、あの悪魔の水瓶の汚染水トリックを使えば場所なんて何処でもいいんじゃないのか。それこそ狭い戸棚の中や個室の中でも十分に海月リク君を溺死させることが出来る訳だ。そこはどう考えているんだ」


「確かにその可能性も無いとは言い切れませんが、おそらくは悪魔の水瓶のトリックは海月リク君には使用はしていないと思いますよ。あのトリックは被害者が口から大量の水を吐き続ける姿を目撃者に見せてその恐怖を煽るのが目的のような所がありますから、特に目撃者に被害者が溺死する瞬間を見せるつもりがないのなら、水瓶トリックはそう無闇に使用はしない物と思われます。それにあのトリックは案外色々と準備する備品が多くてかなり面倒くさいですからね。そう何度も連発出来るトリックではありませんわ」


「ならお前が言っているように海月リク君が何処かの個室に閉じ込められているとして、それはどこだと言うんだ。緑川は一体どんな話を聞いて何を推察したと言うんだ?」


「おそらく海月光子さんを脅す為に、梅塚幸子さんはこの言葉を頻りに何回も使っていたのかも知れませんね」


「有る言葉だと……『海月光子さん、あなたのお子さんが鱈腹水を飲んで溺死してもいいのかしら』とか言っていた梅塚幸子さんの脅しの殺し文句か。この脅しの言葉で海月光子さんは水瓶人間になって犯罪の片棒を担いでいたんだよな。お子さんを人質に取って精神的に、そして肉体的にも追い込んでその人の人生まで破壊しようとするとは、梅塚幸子……まるで悪魔のような女だぜ!」


「おそらくはその梅塚幸子さんが吐いた言葉を聞いた緑川さんは私達と同じ考えに至って一人で水に関係する場所を探し回っているのではないでしょうか」


「あいつは一人でそんな事をしているのか。携帯電話を失って俺達に連絡するすべがないから手当たり次第に各階を探し回っているんだな。俺達には犯人の方を任せて、自分は海月リク君の居場所を探すか。流石は俺の後輩にして黒鉄探偵事務所の臨時の運転手係……緑川章子だぜ!」


「でも、死体はそこら辺に数多く転がっているんですから、その人達から携帯電話を拝借して私達に電話を掛けてくれればいいのに……」


「人の死体から無断でスマホを拝借するのは流石にいやだったんじゃないのか。それによしんばスマホを拝借出来たとしても、暗証ロックがかかっているかも知れないし、俺達の電話番号その物を知らないと言う事も考えられるぞ」


「確かに、その可能性はありますね。今のご時世、一度スマホの友達の電話番号を登録したら、その人の名前で呼び出せるので、いちいち相手の電話番号を覚えてはいないかも知れませんね」


「ああ、俺は全く覚えてはいないからな。へたおしたら自分の電話番号さえも忘れる時があるからな」


「黒鉄さん……それは流石にちょっと……」


「それで、お前の結論はなんだ?」


「電話も写真機能も使ってはいないのなら、後はネットワークを使ったとは考えられませんか。自分のホームページ内にはそのパスワードがなかったら、入れませんしね」


「そうか、黒鉄探偵事務所のホームページ。緑川章子のブログに何か書いてあるかも知れないな」


「そう言う事ですわ」


 そう言いながら勘太郎は羊野の持つスマートフォンで黒鉄探偵事務所のホームページを開くと、そこで緑川章子がその時間に書いた一つの記事を見つける。かなり急いでいたのか誤字脱字がかなり目立つが、その中で、もしかしたらここだと思われる。緑川章子が推察した、とある場所の可能性をその文章は示していた。


「ここか。緑川の奴はもしかしたらここにいるのかも知れないな」


「そうかも知れませんね。では一つの可能性が見えた所で黒鉄さんは急いで緑川さんと海月リク君の元へ行って下さい……」


「なんだよ、お前は来ないのかよ」


 その勘太郎の言葉に羊野は思わず苦笑をする。


「残念ながら……まだ体がそこまで回復してはいませんわ。もう少しだけ休ませて下さいな。ほら、こんな無駄話をしていたらもうタイムリミットまで後二十分しかありませんよ」


「あ、本当だ。いつの間にこんなに時間が過ぎたんだ」


「急いで下さい。黒鉄さんの考えが正しいのなら、もうそんなに時間はありませんわよ。私も体が回復次第、直ぐにそちらに向かいますから」


「わかった、行ってくるよ」


 そう言うと勘太郎は直ぐさま後ろを向く。その背中には必ず緑川章子と海月リク君を無事に連れて帰るぞという強い意志が感じられた。


「関根孝さん、羊野とまだ女子更衣室の中にいる小学生の女の子の方はあなたに任せます」


「分かりました。黒服の探偵さんも十分に気をつけて下さい。まだ梅塚幸子さんとあの水瓶人間がその辺にいるかも知れませんから」


 その関根孝の忠告の言葉を胸に勘太郎は一人で六階フロアー内にある社員専用階段の入り口の前まで歩いて来ると、大きく息を吐きながらその鉄で出来た重い扉を静かに開けるのだった。

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