第3話 『最終決戦、強欲なる天馬の逆襲』 全29話。その26。


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 時刻は明け方が近い四時〇五分。


 必死な覚悟で挑んだ勘太郎と羊野は、春ノ瀬達郎の裏人格でもある(いかれた神様おやじ)こと、強欲なる天馬の驚異的な身体能力の高さと棒術の技の数々に圧倒され、かなりの苦戦を強いられていた。

 素早さと猫のような敏捷性を持つ羊野の猛攻撃も三十分が過ぎた頃にはもうその動きに本来の切れは無く、息もかなり上がっていた。その間に勘太郎は四発もの強化ゴム弾の玉を強欲なる天馬の体に叩き込もうと後ろから狙撃したが、その全てが交わされたり棒ではじき飛ばされたりしながら背後から飛んでくる狙撃を全て交わしていた。


 まあ、普通に考えたらあの十メートル先から放たれる時速300キロは出ているであろう強化ゴム弾の玉を木の棒で防いだり避けたりする事は先ず人間には出来ないはずなのだが、この強欲なる天馬はそれらをいとも簡単にやってのけてしまう。その弾丸の速さを瞬時に避ける事が出来る驚異的な敏捷性とその動きを瞬時に見抜き打ち返せる程の動体視力が強欲なる天馬の本来のスペックの高さを更に強調させていた。

 そんな強欲なる天馬の強さを再確認した高田傲蔵和尚は両腕を後ろ手に縛られながらも驚愕の声をあげる。


「す、素晴らしい、素晴らしいぞい、強欲なる天馬よ。やはりお前はこのワシが作り上げた最強にして最高の神の化身じゃよ。その人ならざる天馬様の力で、この神をも恐れぬ不届き者達を殺し、早くこのワシを助けてくれ! それに、だれぞーっ、だれぞーっおるか。誰でもいい、ワシの声が聞こえている信者達はワシの元へと集まってくれぇぇーぃ!」


 天馬寺からの火災で皆が右往左往する中、高田傲蔵和尚の声を聞き集まった十数名もの信者達が次なる命令を待つ。


 そんな信者達に向けて高田傲蔵和尚は必死な声で命令を下す。


「天馬寺に火を掛けてくれたあのいかれた羊女とワシの両手を砕いてくれたあの黒服の探偵の二人を今すぐにでも血祭りにしてやりたい所だが、先ずは急いで天馬寺の火を消すのだ。あそこにはワシの大事な私物や全財産がある。だから信者達皆の力を結集して何としてでも天馬寺の火を消すんだ。いいな、わかったな!」


「は、はい、分かりました。高田傲蔵和尚!」


 高田傲蔵和尚の命令で数十人もの信者達は皆勘太郎達には目もくれずに、燃え盛る天馬寺の方へと足を向ける。その姿を見た勘太郎は内心ホッとする。今現在強欲なる天馬一人に翻弄され絶対的苦戦を強いられているこの状況で他の信者達など相手にしていられる余裕など今の羊野や勘太郎には当然ないからだ。恐らく高田傲蔵和尚の考えでは勘太郎と羊野の抹殺は強欲なる天馬一人で事足りると確信したからこそ他の信者達は皆天馬寺の火消しに全て回したのだろう。例え勝負に勝っても天馬寺が完全に燃えて全ての財産を失ってしまったら本末転倒だからだ。

 そんな高田傲蔵和尚の強欲と忖度に助けられた形になってしまった勘太郎は、この小さな希望とも言えるチャンスを何とか掴もうと考えを巡らせる。


 不味い、これは本当に不味いぞ。俺達の読みが完全に甘かった。まさか強欲なる天馬がこんなにも強いだなんて、それが一番の誤算であり、そして想定外の事だ。大体あいつ、羊野に感電攻撃を喰らって一度ぶっ倒れているはずだし。その後再び立ち上がり羊野に襲いかかろうとしていた所に俺が撃った強化ゴム弾の玉の一撃を背中にまともに受けているはずだから無傷でいられる訳がないんだ。なのになんであんなに何事もなかったかのように俊敏に動けるんだよ。大体時速300キロは出ている強化ゴム弾の玉を避けるとか棒で弾き飛ばすとかそんな漫画のような事は先ず人には出来ないはずなんだ。まず普通の人間はその速度に反応も出来ないからな。だけどあの強欲なる天馬は感が鋭いのか未来予知でも出来るかのように悉く俺が撃ち出す強化ゴム弾の玉を避けてしまう。ハッキリ言って理解できないぜ。それに身体能力の高さならあの羊野瞑子こと白い羊だって負けてはいないはずなんだが、なのにあんなに追い詰められると言う事は、やはり単純に(パワー)力の無さと(スタミナ)耐久力の無さがこの勝敗を分けたと言った所か。不味い本当に不味い。俺の手持ちの弾丸も残りは後一発しかないし、これ以上長期戦になったら本当に負けてしまうぞ。


 そんな勘太郎の不安な気持ちが伝わったのか羊野は、強欲なる天馬の棒術の技の攻撃を何とか交わしながら大声で叫ぶ。


「ハア、ハア、ハアーッ、流石は円卓の星座の中でも五本の指に入るほどの武闘派の狂人ですわね。正直直接的なまともな戦闘では私に勝ち目は無い用ですね。それは現実として素直に認めなけねばなりません」


「ほ~う、以外と素直ではないか。ではもう諦めて大人しく死んでくれるかな。白い羊よ。持っている武器を捨ててくれたら我も鬼ではない、苦しまぬように楽に殺してくれようぞ」


「ほほほほっ、それは流石に遠慮して起きますわ。確かに貴方とまともに戦ったら私に勝ち目は無いかも知れませんが、それはあくまでもまともに戦ったらの話です。これは試合でも勝負事でも無いのですから、生死を賭けた単なる殺し合いです。だから例えどんな手を使ってでも最後に勝てばいいのですよ」


「カカカカカッ、もっともな意見だな。我もそう思うよ。だが今のお前に一体何が出来ると言うんだ。三十分にも渡る我との長期戦でお前の疲労は溜まりに溜まり、あと少し攻めれば今にも倒れそうではないか。その我との戦いの前にはあの色情馬や馬鬼獸とも戦っている。その披露は隠し切れまい!」


「そうですわね。今の私は正直疲労困憊ですし、息もかなり上がっていますわ。でも内心あなたもかなり焦っているのではありませんか。なにせあと少しだけ時間を稼げば日の出が待っているのですから」


 その羊野の言葉に強欲なる天馬の体は震え、怒りの雄叫びを上げる。

「ヒヒッイイイイーン! 己白い羊、やはりそれが狙いか。日の出まで何とか時間稼ぎをして我が消えるのを待つ算段だな。だがそうはさせぬぞ。お前とあの黒服の探偵と……そして春ノ瀬桃花を殺し、全ての証拠を消し去ってくれるわ。警察などその気になったらいくらでも言い逃れが出来るからな!」


「ほほほほっ、何も逃げる必要などありませんわ。何か勘違いされているようですが今私は至福の喜びを肌で体でめいいっぱい感じているのですから。この生と死のギリギリの戦いこそがまさに快感なのですわ! 私はこの体に伝わる痛みや苦痛すらもこの瞬間は幸せに感じますからね」


「カカカカカッ、全くいかれた羊の嬢ちゃんだな。どうやらお前は筋金入りの狂人のようだな。正直怒りを通り越してあきれたわ。だがお前の時間稼ぎに付き合う義理はないからな。そろそろ手っ取り早く勝負を決めさせて貰うぞ」


「ええ、こちらもそのつもりですわ」


 そう言うと羊野は両手に持つ二双の包丁を地面に捨てると長い白銀の髪をかき分けながら背中から大きな何かを引っこ抜く。その両手に持つ柄には羊野の上半身程もある長く大きな大鉈がしっかりと握られていた。


「フン、まだそのような武器を隠し持っていたとはな、懲りぬ奴め。今終わりにしてくれるわ!」


 そう言葉で余裕をかますと強欲なる天馬は、大鉈を振り回しながら突進してくる羊野を迎え撃つ。


「くらえ、上段突き! 中段突き! 下段突き! 横凪! 袈裟凪! 回し後ろ突きぃ!」


 カキン! バキン! ガッツン! ドッスン! ゴッキン!


 残りの全ての体力を使い切るつもりで挑んで来ているせいか羊野は追い詰められた手負いの猛獣のような動きと殺意を込めた気迫で、強欲なる天馬が繰り出す棒術の技の数々を全て大鉈で叩き落とす。

 先程まで持っていた二双の包丁では軽過ぎて強欲なる天馬が持つ木の棒を切り落とす事は出来なかったが、今持っているこの大鉈ならまともに受けてしまったら今の羊野の力でも薪を割るような感覚でその木の棒は真っ二つに折れてしまうだろう。なので強欲なる天馬は羊野と間合いを図りながら武器同士の接触はなるべく避け、その体に叩き込む会心の一撃を冷静に待つ。


「さ、こい、白い羊よ。もうお前には正直次の一撃を放つ体力しか残されていないはずだ。ならこの我もお前の最後の勝負に付き合ってやるぞい。お前の最後の一撃を正面から打ち砕いて完全なる絶望と敗北を与えてくれようぞ!」


 じりじりと少しずつ間合いを詰める羊野に強欲なる天馬は意識を集中していると背後から行き成り一人の男が音も無く木の棒を叩き込んでくる。その一撃を寸前の所で防いだ強欲なる天馬は何事かと勝負の邪魔をしてくれた男を凝視する。そこに立っていたのは頭から血を流しながらも立つ早見時彦修行僧だった。


「お、お主、生きていたのか」


「この馬の化け物め。石階段の先にいるから橋桁を下ろしてくれと警察から連絡が合ったから俺と有田道雄修行僧の二人で橋桁を降ろしに行ったら行き成り後ろから木の棒で頭を殴打しやがって、正直もう駄目かと思ったぜ。なんとか意識を取り戻したら近くの荷物置き場の中に入れられてるし。隣に倒れていた有田道雄修行僧はもう既に事切れているし。何が何だか分からないままにここに来たんだが、どうやらとんでもない事になっている様だな。有田道雄修行僧が持っていた橋桁を降ろす鍵がなくなっていたから、もしかしたら奪ったのはあの俺達を背後から襲った馬人間だと思って襲われた場所へと戻って来て見たんだが、まだこの場にいてくれて本当に有難いぜ。出なければ俺達が受けたこの落とし前は返せないからな。だから俺は白い羊の姉ちゃんに加勢しているんだよ。後俺の頭に受けた恨みと、有田道雄修行僧の無念もついでに晴らす為にな!」


「ぬぬぬー小賢しい、小賢しいぞ、早見時彦とやら。お前もあの有田道雄のようにおとなしくあの世に行っていれば良い物を」


「お前があの……時々この天馬寺の周辺に姿を現し、事もあろうか天馬様を名乗り悪さを働いている馬人間か。今までは信者達が勝手に作り上げたただの噂話の都市伝説だと気にもしていなかったが実際目にしたらその凶悪性が嫌でも伝わってくるぜ。しかし……馬の姿をした化け物とは……これは俺に対する何かの嫌がらせか何かか。だが正直これはいい機会だ。自分の過去のトラウマを克服する為にも、今ここで鍛え上げた棒術の技の全てをこの馬人間にぶつけて過去を乗り越えてやるぜ! 高田傲蔵和尚、見ていて下さい。この天馬様を語る偽物は俺が倒して見せますから」


「お前は一体何を言っているんだ。やめろ、やめるんだ。天馬様の邪魔をするんじゃない。この馬鹿者が!」


「何を言っているのですか高田傲蔵和尚、奴のせいで俺は頭に大怪我をおい、有田道雄修行僧に至っては奴に殺されているのですよ。同じく厳しい修行を乗り越えて来た仲間が何の理由も無く無残にも殺されたのですから、敵を討とうとして当然でしょ! どうやら橋桁を降ろさせない為に俺達を襲い鍵を奪ったようだが、本格的に警察がここに乗り込んで来る前に俺の手でこの馬人間を警察に突き出してやるぜ!」


「ふざけるでないぞ、早見時彦修行僧。とにかくあの天馬様に対する敵対行動は直ぐにやめるんだ! あと一息、あと一息なのだ。あと一息であの邪魔くさい白い羊と黒鉄の探偵を倒せると言うのに邪魔などしおって……許さぬ……許さぬぞ。それに後もう少しで日が出て朝になってしまう。そうなっては全てが終わってしまう。こうなっては仕方が無い。強欲なる天馬よ、お前の行動の邪魔をする者を全て殺すのだ!」


「元よりそのつもりだ!」


「行くぞ、天馬様を語る馬人間!」


 早見時彦修行僧は低い体制から繰り出す変則的な移動術で翻弄しながら強欲なる天馬に中段突きの連打を浴びせるが、その突きすらも強欲なる天馬は余裕で躱す。そんな攻防が繰り広げられている中、羊野はチャンスとばかりに息を整えながら残された体力を出来るだけ貯める。それは勿論あの強欲なる天馬に最後の決定的な一撃をお見舞いする為だ。その為にはあの早見時彦修行僧に出来るだけ時間稼ぎをして貰わなければならない。


 その数分後、激しい激闘の末、荒い息を吐きながら早見時彦修行僧が後ろへと下がる。


「ちくしょう。なんだよあいつは、ここまで攻めたてているのに一向に疲れないのかよ?」


 そんな憎まれ口を叩きながら早見時彦修行僧は、仁王立ちで目の前に立ち塞がる強欲なる天馬を脅威の目で見る。


「……。」


 真っ正面に羊野。真横に早見時彦修行僧。そして後ろには黒鉄の拳銃を構える勘太郎と、三人に囲まれた強欲なる天馬は皆が一斉に仕掛けてくるそのタイミングを集中しながら静かに待つ。

 時が止まっているかの用に感じる長いその数秒後、その均衡を破ったのはついに意識を取り戻した春ノ瀬桃花だった。


 まだおぼつかない足取りで静かに歩み寄って来る春ノ瀬桃花は、瞼を擦りながらその場に固まっている四人を見る。


「皆さん、天馬様を囲んで一体何をしているんですか?」


 とぼとぼと近づいてくる春ノ瀬桃花につい体をのけぞらせた強欲なる天馬の行動を羊野・早見時彦・勘太郎の三人は見逃さなかった。


 最初に口火を切ったのは勘太郎だった。


「くらえ、これが最後の一撃だ!」


 ズッギュウウウーゥゥゥン! と言う独特な銃声音を鳴らしながら黒鉄の拳銃から放たれた強化ゴム弾の玉の一撃は強欲なる天馬の背中をとらえるが、その球を強欲なる天馬は両手に持っている木の棒で素早くそして正確に弾き返してしまう。だが、その動きに平行して早見時彦修行僧は低い体制から手に持っている木の棒を強欲なる天馬の腹部に目がけて突き入れる。

 だがその弾いた玉の起動をわざと狙ったのか、はじかれた球は間近まで接近していた早見時彦修行僧の左の肩へと当たり、その衝撃で早見時彦修行僧は溜まらず後ろへと吹き飛ばされる。


「ぐわああぁぁぁぁーっ。か、肩が!」


 その入れ替わりのタイミングに合わせて羊野が繰り出す上段からの渾身の一撃を寸前の所で持っている木の棒でしっかりと防いだ強欲なる天馬は、大鉈の刃を木の棒に半分食い込ませたその事実を確認しながら高笑いを上げる。何故ならもう羊野には一撃で木の棒を叩き割るだけの体力はもう既になかったからだ。


「フン、大鉈で真ん中からへし折られないかと本気で心配したが、白い羊自身に一撃で我が丈棒を叩き割るだけの腕力はもう既になかった様だな。そんな訳でこの勝負は我の勝ちの様だな。ではさらばだ、死ねえぇぇーぇ!」


 大鉈をはじき返しながらすかさず横凪で羊野の頭を無情にも吹き飛ばすが、吹き飛ばされたのは羊野の被っていた白い羊のマスクの方で、当の羊野の方は下に倒れ込むような形である物を強欲なる天馬の眼前へと投げ付ける。その前にあったのはバスジャック犯などの鎮圧で良く使用されている、相手の視界を奪い、強い光と閃光で無力化すると言われている閃光弾だった。


 その閃光弾が強欲なる天馬の眼前で炸裂する……はずだったのだが、強欲なる天馬は物凄いスピードでその目の前に投げつけられた閃光弾を木の棒で捉えると、勢いよく頭上へと吹き飛ばす。


 強欲なる天馬の頭上で物凄い閃光を発する閃光弾はどうやら羊野が持つ最後の隠し武器だった様で、全ての武器と体力を使い果たした羊野は力なくその場へと倒れ込む。


「カカカカカッ、残念だったな、白い羊よ。最後の悪あがきには正直肝を冷やしたが、あの手持ちの閃光弾が最後の切り札だったようだな。もう立ち上がる体力もないのだからこれで終わりと言う事かな。この我をここまで追い込んだのはおぬしらが初めてなのだから誇りを持ってあの世に行くが良いぞ!」


「くそ、そうはさせるか。強欲なる天馬、俺が相手だ! まだこの俺がピンピンしているのだからまだ勝負はついてないぞ!」


 倒れている早見時彦の傍から木の棒を拾った勘太郎は必死な顔をしながら強欲なる天馬に挑むが、簡単にあしらわれ逆に棒術の技の一撃を左腕に受けて吹き飛ばされてしまう。


「ぐっわあぁぁぁっ!」


 豪快に後ろへと倒れる勘太郎を見ながら強欲なる天馬は嘲り笑う。


「カカカカカッ、お前など相手になるか。お前らはこの我に殺される運命なのだよ。いい加減に諦めぬか!」


 そう叫びながら倒れている羊野の背中を片足で踏み付ける強欲なる天馬だったが、そんな勝ち誇る強欲なる天馬に向けて羊野は思いも寄らない言葉を投げかける。


「私の切り札があの大鉈や閃光弾だとまさか本気で思っている訳じゃないでしょうね」


「ん、それはどう言う意味だ?」


「私の本当の切り札はもうそこにいますわ。私達が倒される前にギリギリ目が覚めて良かったですわ。私はあの春ノ瀬桃花さんに情報を吹き込んで天馬寺に潜入させましたが、特に心配はしていませんでしたわ。貴方は春ノ瀬桃花さんを殺さない事は分かっていましたからね」


「春ノ瀬桃花だと? まさか春ノ瀬桃花がお前の隠し玉だと言うのか。カカカカカッ、だとしたらとんだ勘違いだな。ワシはその春ノ瀬桃花を殺そうとしている主犯格だぞ!」


「本当にそうなのでしょうか。春ノ瀬桃花さんの話によれば、一ヶ月前の石階段での犯行の時に春ノ瀬桃花さんは夜空から信者の一人が落ちてくる所を見た目撃者になってしまいましたが、その時に石階段から離れた木々の中から現場を確認している馬人間を春ノ瀬桃花さんは目撃しています。その事実を二日前に貴方の主人格でもある春ノ瀬達郎さんに話た時から貴方は春ノ瀬桃花さんを抹殺しようと必要に春ノ瀬桃花さんに殺意を向けているみたいですが、そこに私は一つ引っかかりを覚えてしまったのですよ。貴方が春ノ瀬桃花さんを殺そうと思った動機は、天空落下トリックの殺しの現場にいた馬人間の姿を春ノ瀬桃花さんに見られたからだそうですが、そもそもなぜそれが殺しの原因になり得るのでしょうか。その正体が分からないように夜はその馬のマスクを被っているはずなのにね。おかしいですよね」


「フン、そんなのは簡単だよ。我は自分のこの馬の姿を見た者は例え誰であろうと殺す事に決めているからな。だから春ノ瀬桃花をも殺そうとしたのだよ。それのなにが可笑しいと言うのだ。神の神々しいお姿を見た者は死に至ると言う宗教観は十分に動機になり得るではないか。我はその姿を見られただけで見た相手を殺すと決めているのだ。だからこそ夜は信者達が恐れて無闇に出歩かなくなり、いつでも邪魔される事なく天空落下トリックを……人殺しの犯罪を行える環境を作り上げていたのだよ!」


「そんな無慈悲な貴方ですが、では何故貴方は一ヶ月前のあの夜だけに限って、あの春ノ瀬桃花さんを見逃したのですか?」


 その羊野の言葉に強欲なる天馬は動きが固まり、話を聞いていた勘太郎の顔は驚きを隠しきれない様だ。


「この我が、春ノ瀬桃花を見逃しただと……一体なんの事だ?」


「だって冷静に話を聞いていたら絶対に可笑しいじゃないですか。春ノ瀬桃花さんはあの日が沈んで暗くなった石階段で月明かりに照らされる馬人間の姿をうっすらと見たと証言していますが、反対に貴方の方が石階段にいた春ノ瀬桃花さんの存在に気付かない訳がないのですよ。なにせ春ノ瀬桃花さんのいた石階段の周りには丁度石階段を照らす明かりの電灯が立っていたのですから。そこに立っている春ノ瀬桃花さんをあなたが見逃す事など先ず絶対に考えられないのです。ならなぜあなたは春ノ瀬桃花さんを敢えて見過ごそうとしたのか。そこからある可能性を一つ考えて来ました。貴方が一ヶ月前に春ノ瀬桃花さんを敢えて見逃し。そしてその事が春ノ瀬桃花さんの口から主人格でもある春ノ瀬達郎さんに知られた時の貴方の気持ちです。そしてその気持ちはあなたが春ノ瀬達郎さんには絶対に知られてはならない事実であり、その娘でもある春ノ瀬桃花さんを殺そうと思いに至った本当の動機なのですよ」


「まるで我の心を知っているかのような事を言いおって。知らぬ、お前が何を言いたいのか、我には全然分からぬ!」


「なら私が思いに至った仮説をあの春ノ瀬桃花さんに言って聞かせて差し上げましょうか。もし違うと言うのでしたらあなたがその場で否定すればいいだけの話なのですから」


「よ、余計な事は何も言うな。春ノ瀬桃花には、何一つとして聞かせてはならん!」


 明らかに動揺を隠しきれない強欲なる天馬の様子を見ながら、羊野はうつ伏せで倒れながらも、まだ閃光弾の余波でしゃがみ込んでいる春ノ瀬桃花に聞こえるように話出す。


「まずあなたがこの天馬寺であの高田傲蔵和尚に協力するにあたり、貴方は一体なにを望んでいたかです。それは夜の短い時間しか活動出来なかったあなたが、春ノ瀬達郎さんの主人格に成り代わり自由になる事だったはずです。だからこそ貴方は五年前の夜にこの天馬寺で高田傲蔵和尚のカウンセリングを受けていた時にこの途方も無い計画を持ちかけた。そうではありませんか」


「ふん、どうだったかな。もうそんな昔の事など当に忘れたわい」


「いつの頃からか自らの自我に目覚めた貴方はとにかく自由に動ける時間がどうしても欲しかったはずです。なにせ五年前は夜の少しの時間しか自我を保てなかった見たいですからね。だからこそ貴方は少しでも長く活動できる時間を確保したかったはずなのです。なにせただでさえ邪魔な共存相手達が他にもいましたからね。それは自由には動けなかったでしょう。なぜ私がそんな考えに至ったかは、あの不浄なる天馬や野生なる天馬の言葉や行動を見ていれば大体の想像は付きます。だから貴方は他の人格達を押しのけて自分が主人格となり自由になる為にあの高田傲蔵和尚をだまくらかし、手玉に取ることにしたのです。約束された自由を勝ち取る為にはどうしてもあの高田傲蔵和尚の力が必要だと考えたのでしょう。その考えはある意味良くも悪くも別の形で貴方に危険なリスクと様々な副産物を与える形になるのですがね」


「危険なリスクと様々な副産物か。確かに高田傲蔵和尚に活動できる時間を延ばす実験と称して様々な危険な薬物の投与と精神的、そして肉体的な修行と言う名の人体実験を幾度も無く繰り返したからな。そのおかげで飛躍的に身体能力は上がり、他の人格達よりも活動できる範囲と時間を伸ばす事に成功したのだからな。実験の影響からか人格や考え方があの高田傲蔵和尚に似ていると言う影響はあるが、まあそれは対した事では無いから余り気にしてはいないがな」


「五年前、高田傲蔵和尚と出会うその前にあなたは、あの不可能犯罪を掲げる組織・円卓の星座の狂人候補生になっていますよね。つまりその手の関係者にでもスカウトされましたか」


「ああ、されたぞ。夜の町でチンピラ共と殴り合いの大げんかをしている時にな。黒一色のタキシードにシルクハットを被り。目にはサングラスに大きな黒マスクで覆っていたから顔は見えなかったがな。だが持ち手には両天秤の飾りが付いた杖を持っていたから如何にも胡散臭い印象的な爺さんだったと記憶しているがのう!」


「なるほど、つまりは円卓の星座の関係者ではなく、壊れた天秤自らが貴方の才能に気づき、自らスカウトしに来たと言う訳ですか。人の隠された潜在的な悪の性癖や才能を瞬時に見抜くとは、相変わらず恐ろしい心眼を持った狂人ですわね」


「こ、壊れた天秤だとう!」


 その羊野の言葉に痛めた左腕を押さえながら勘太郎は驚愕の声を上げるが、そんな勘太郎を無視しながら強欲なる天馬は語り出す。


「その壊れた天秤の後押しも合ったからこそあの高田傲蔵和尚の心も動かすことが出来たのだがな。あの生臭住職は金さえだせば基本的には何でもやる人物だからな。短気で強欲で傲慢、自尊心も高く少しおだてれば直ぐに図に乗る。そんな野望の塊のような男だから互いの利害が一致するのは極自然な流れではあったのだがな」


「その後天馬様の神のご神託を聞き、悟りを開く事に成功したと豪語する高田傲蔵和尚は、自分の言葉の正当性を真実にするためにあなたを天馬様に仕立て上げたと言う事ですか。その身勝手な指令を受けて天馬寺のご神体となった貴方は、夜だけ現れる神の馬の化身、天馬様と名乗り。天空落下トリックで様々な奇跡と天罰で脱退して逃げようとする信者達や天馬様の奇跡に不信を抱き信じようとしない届き者達をことごとく無慈悲に殺して行ったと言う訳ですね。その様々な経験を得て、狂人・強欲なる天馬の人格は完成したと言う訳ですか」


「まあ、そう言う事だな」


「なるほど、あなたが高田傲蔵和尚に協力する動機は分かりましたわ。では次は何故あなたがあの春ノ瀬桃花さんを真の意味で殺そうとするのかです。理由その一、貴方は自分の存在を春ノ瀬桃花さんに知られる事を本当は酷く恐れているからです。理由その二、春ノ瀬桃花さんを殺す事によって主人格でもある春ノ瀬達郎さんの精神を殺し、自分が主人格になれると思っているからです。理由その三、他の危険な人格共を一層し、不甲斐ない主人格では愛する人を守れないと結論づけたからです。その三つの理由を組合わせると一つの結論に至ります。貴方は本当は自由を手に入れ主人格に成り代わり、真の父親として春ノ瀬桃花さんを見守り愛したかったからです」


「な、なんだその答えは、わからぬ、意味が分からぬわ。お前が言っている事は全てが的外れだわい! 我は春ノ瀬桃花を殺そうと何度もこの木の棒を叩き込もうとした極悪人だぞい。なのになぜそのような結論に至るのだ。理解できんわ!」


「ではなぜ貴方は春ノ瀬桃花さんの母親の死の真相を春ノ瀬達郎さんにわざわざ知らせたのですか? 夜に蠢く他の別人格達の存在を知られたら貴方自身も危険に晒されるかも知れないと言うのに。その答えは簡単ですわ。貴方は、母親を弾みで殺し、更には春ノ瀬桃花さんに危害を及ぼそうとしている他の人格達を許せなかった。そしてそれと同時にその危機に気づきもしない主人格の春ノ瀬達郎さんの事をふがいないと憤りを感じていた。だから貴方はそんな主人格に妻を死なせてしまった責任を取らせて罪の意識で少しでも悩ませてやろうと思ったのですね。つまり貴方は奥さんもその娘の春ノ瀬桃花さんも本当は愛していた。私はそう結論付けますわ」


「なにを、馬鹿な事を言っているのだ。我があの春ノ瀬達郎の妻を……その娘を……愛していただとう。あり得ぬ、そんな事はあり得ぬ事だ。ワシはただ、あの春ノ瀬達郎が、自分の知らない内に自分の妻を死なせてしまった事に嘲り笑ってやろうとビデオカメラで自らの言葉と真の姿を撮影して見せてやっただけだよ。あいつの苦しむ姿がどうしても見たくてな。ついやってしまったのだよ」


「そのお陰であの不浄なる天馬は、春ノ瀬達郎さんが自殺してしまうのではないかと冷や冷やしたと言っていましたけどね」


「ハハハハっ、あいつにはいい薬だろう。あの色情馬といい、馬鬼獣といい、あの家族や外の周りに余計な事をするから春ノ瀬達郎にバレるのだ。我としてはいい迷惑だぞい!」


「なるほど、だからですか」


「なにがだ?」


「春ノ瀬桃花さんは言っていましたよ。五年前、天馬寺に入信する以前は春ノ瀬達郎さんはいつも何かに怯えながらもいろんな病院に通っていましたが、特に目立って可笑しな所は何もなかったそうです。いつも娘の前では優しい父親だったとそう証言しています。つまりそれはあなた達別人格達は皆生まれてから今日に至るまで、春ノ瀬桃花さんの前では何も可笑しな行動は一切見せなかったと言う事を意味しています。夜だけ現れる特殊な多重人格障害に悩まされていた春ノ瀬達郎さんは他の危険な人格達に阻まれて夜は当然自身を保つ事が出来なかったはずです。そのはずなのですが何だか不思議ですよね。では一体誰があの春ノ瀬達郎さんに代わって優しい父親役を演じていたのでしょうか。あなたが色情馬と呼んでいた、危険で歪んだ愛情を持つあの不浄なる天馬でしょうか。或いは馬鬼獣と呼ばれていた、猛獣のような言動と危険極まりない暴力性を持つあの野生なる天馬でしょうか。いえ、いずれも違います。あの春ノ瀬桃花さんを安心させる為に、他の危険な人格達を強制的にだまらせて優しい父親を演じていたのは、強欲なる天馬……いいえ、いかれた神様オヤジと呼ばれている貴方しかいないのですよ。でも貴方はそんな自分をどうしても認めたくはなかった。もしそれを認めてしまったら、自分が主人格に成り代わりたいと言う野望の全ては、実は自分が妻や娘を守り愛したいが為だと言う事になってしまいますからね。主人格と同じ愛と言う感情を抱いてしまったらそれはもう別人格ではなく、ただの本人の気持ちの一部になってしまうのだと貴方は考えている。それは貴方と言う名の人格が消滅するかも知れないと言う事です。そうではありませんか!」


「ワシは主人格でもある春ノ瀬達郎の心から生まれたただの別人格の一つに過ぎない存在だからな。やがて心の改善や何かのきっかけで消えてしまうかも知れない……そんな不安定な存在なのだよ。だからこそ春ノ瀬達郎にも……その娘にも……我の心の内を知られる訳には行かなかったのだ。春ノ瀬達郎は、我の存在が極めて危険だと認識していたからこそ天馬寺に入信してからは夜にはなるべく帰らなかったし。自分の娘との接触も敢えて控えていたのかも知れない。それだけ我ら別人格と春ノ瀬桃花を接触させたくはなかったと言う事だ。まあ、気持ちは分からんでもないし、正しい選択だと思うがな」


「あなた方は中々繊細な心を持っているのですね。何処かの誰かとは大違いです」


 その羊野の言葉に近くで話を聞いていた勘太郎は大きくクシャミをするが、そんな勘太郎に一瞥を送りながら強欲なる天馬は更に話を続ける。


「そして我は事件の現場で我が姿を目撃してしまった春ノ瀬桃花をつい出来心で一度見逃してしまったが、その事件を春ノ瀬桃花が春ノ瀬達郎に伝えた事によって、我は春ノ瀬桃花を殺す決断を示さなけねばならなくなったのだよ。春ノ瀬桃花の命を我が見逃した事で、春ノ瀬達郎がそこから我の本心に気づき行き着く事を何よりも恐れたのだ。白い羊よ、今のお前の憶測のようにな。犯行現場を見た春ノ瀬桃花を今度こそ殺し、自分は恐ろしい多重人格の一人の無慈悲で極めて危険な天馬様だと再認識させる為にな」


「自分の存在を守る為には何としてでも貴方はあの春ノ瀬桃花さんを殺したいのでしょうが、実際の所貴方の心は二つに分かれている。そうではありませんか。一つ目は、貴方を目撃した春ノ瀬桃花さんを殺し、あなたが春ノ瀬達郎さんに成り代わり新たな主人格となるか。二つ目は、春ノ瀬達郎さんに貴方がひたすらに隠していた心の内の全てを知らせ、あなたが欲していた主人格の座を諦めるかです。まあ私の読みとしては、貴方は春ノ瀬桃花さんを絶対に殺すことは出来ないと確信していますがね」


「だ、黙れ……っ!」


「そして極めつけは春ノ瀬桃花さんが天馬寺で捕まったその数分後に黒鉄さんに掛けてきた春ノ瀬達郎さんの電話の件です。なぜあなたはあの意味の無い春ノ瀬達郎さんの電話を許したのですか? あの通報がなかったのなら私達は急ぎここに来る事は無かったし、貴方は今夜の内に春ノ瀬桃花さんを誰にも邪魔されること無く殺害する事が出来たはずなのです。でもそうはしなかった。あなたはまたワザと春ノ瀬達郎さんの心の支配を一時的に解除しましたね。そうしなけねばあの春ノ瀬達郎さんが春ノ瀬桃花さんの危機を知り、私達に電話をして助けを求める事はなかったでしょうからね。だからあなたは心の奥の深層心理では春ノ瀬桃花さんを誰かが助け出してくれる事を心の何処かでは願っていたのですよ。そうではありませんか」


「黙れ、黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れー黙れぇぇぇーぇ! 黙らぬかあぁぁ! 殺すに、殺すに決まっているだろう。我が存在意義を守る為には春ノ瀬桃花と言う存在がどうしても邪魔なのだ。主人格でもある春ノ瀬達郎の全てと言うべき春ノ瀬桃花の命を奪い。その後は絶望し自我が崩壊した春ノ瀬達郎の全てを我が物としてくれるわ!」


「そうですか。ではそんな貴方の心の思いの全てが春ノ瀬桃花さんに知られる事で、貴方の存在が本当に消えるのかどうかを一つ試して見ましょうか」


「な、なんだとう? ま……まさか」


 その羊野の言葉と共に次に起きる展開を理解した強欲なる天馬は咄嗟に春ノ瀬桃花の方を振り返る。そこには閃光弾の光から回復した春ノ瀬桃花が落ち着いた顔をしながらゆっくりと強欲なる天馬の方に歩いて来ていた。


「お父さん……お父さんだよね……一体ここで何をしているの。もうお家に帰ろうよ。ここは暗いし何だか寂しいよ」


「黙れ、黙らぬか! 我がお主の父君では無い。我は天馬様の化身強欲なる天馬だ。間違えるでは無いぞい、小娘よ!」


「いいえ、やっぱりお父さんだよ。だってあの夜の時に桃花を助けてくれたもう一人のお父さんだって私には何となく分かるから」


「な、なんだとう……そんな事が分かるはずがあるまい。あの主人格でもある春ノ瀬達郎ですら、周りの誰かからその存在を教えて貰わなけねば自己の認識すら出来なかったと言うのに、適当な事を言うではないぞい!」


「分かるよ、だって同じ家に住んでいた、たった二人っきりの家族なんだから」


「う、うぐ!」


 そのなんの迷いも無い春ノ瀬桃花の言葉に流石の強欲なる天馬も思わず行き詰まる。それだけ心に響く真っ直ぐとした言葉だったからだ。


 春ノ瀬桃花は強欲なる天馬の前まで来ると更に話を続ける。


「五年前、お父さんが天馬寺の修行僧になってから半年が過ぎたころ。高田傲蔵和尚と大事な修行があるから一週間は絶対に家には帰れないと言って天馬寺に出かけていたあの時。私がインフルエンザに掛かって38.5度の熱で苦しんでいた真夜中に行き成り家に帰ってきて私の看病を始めた時があったでしょ。あの時のお父さんは無口でやる事なすことが全て不器用だったけど、私を心配して一生懸命やっている事がけは子供ながらに理解は出来ていたから、特に可笑しいと思ってはいなかったわ。そしてその目の前にいるお父さんがお昼に会っているいつもの優しいお父さんでは無いと言う事も何となくは分かっていました」


「うぐぐぐ……っ!」


「でもそんなのは関係ないです。だってお父さんはお父さんでしょ。私を心配して駆けつけてくれた、いつもと変わらない優しいお父さんじゃないですか。日中のいつも桃花の事を心配してくれる優しいお父さんと、夜はいつも陰から桃花の事を見守ってくれている無口で断固なお父さんだけどここぞという時は率先して人知れず助けてくれる不器用なもう一人のお父さん、でもやっとそのお父さんに会うことが出来た。お父さん、もうこんな所に隠れてないで一緒に元ある私達の家に帰ろうよ。大丈夫だよ、どっちのお父さんも消えたりはしないから。桃花は二人のお父さんをちゃんと受け入れますよ。私を危険から守る為にワザとこの天馬寺から遠ざけていた昼のお父さんと、そのお父さんの思いと私から逃げていたかたくなで不器用で本当は凄く優しい私だけのお父さん……幾多のいろんな夜を越えて、やっと会うことが出来た」


 春ノ瀬桃花は小さな両手を広げながら目の前にいる強欲なる天馬に抱きつこうとするが、その行為を強欲なる天馬が奇声を上げながら止める。


「黙れ……黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇーっ、黙らぬかあぁぁ! 殺す、今すぐに殺す。白い羊と黒鉄の探偵と……私の心の中にいる春ノ瀬達郎よ、これから行う無慈悲な行為をちゃんとその目で見ているがようぞ。今すぐに春ノ瀬桃花を殺し、我の心の中に娘に対する愛や優しさなどと言う低俗な思いなどは一切無い事をこの杖棒で示してくれようぞ!」


 そう断言すると強欲なる天馬は春ノ瀬桃花に向けて両手に持っている木の棒を豪快に構えるが、そんなあからさまな脅しにも春ノ瀬桃花は一向に引く気は全くないようだ。

 春ノ瀬桃花は、それでもお父さんを信じていると言う思いを込めながら神に祈るかのように両手を胸の当たりで組ながら、そっと目を閉じる。


「言い覚悟だ、では死ねい、春ノ瀬桃花あぁぁ!」


「やめろ、強欲なる天馬。お前は自分の娘でもあるあの春ノ瀬桃花を本当に殺すつもりか!」


 そう叫びながら二人の元に割って入ろうと走り出そうとする勘太郎だったが、強欲なる天馬から繰り出された上段の突きは何故か春ノ瀬桃花の眼前でぴたりと止まる。


「カカカカカッ、いい度胸では無いか。まだ幼いながらも中々肝っ玉が座っているでは無いか。だが次は、次こそははずさんぞ! でやあぁぁぁぁーっ!」


 そのかけ声と共に今度は上からの凪で春ノ瀬桃花の頭をかち割ろうと木の棒を振り下ろすが、その二撃目は彼女の左横の地面へと叩き込まれる。


「ち、力み過ぎて思わず手元が狂ったわ。だが今度はそうはいかんぞ!」


「い、行かんぞって……お前?」


 そんな勘太郎の困惑を余所に強欲なる天馬から繰り出される無数の凪の連打が上から横から下からと棒立ちになっている春ノ瀬桃花の身に襲い掛かるが何故かその全ての攻撃はただ立っているはずの春ノ瀬桃花には全く当たらず、周りにいた勘太郎・羊野・早見時彦氏はその光景を静かに見守る。だがそんな状況を少し離れたところで見守っていた高田傲蔵和尚が怒りの声を上げる。


「なにを、何をやっているのだ強欲なる天馬よ、遊んでいるんじゃないぞ! 早くその小娘を始末するのだ。そして早くワシを助けろ!」


「くそぉぉぉ、当たらぬ、当たらぬぞ。何故この小娘の体に我の攻撃が当たらぬのだ。分からぬ、理解できぬわ!」


「その答えは簡単ですわ。あなたの正体を知った春ノ瀬桃花さんは貴方を認めて……そんなあなたも春ノ瀬桃花さんの思いを認めたからですよ。貴方自身はまだその事に気付いてはいないようですけどね」


 下で倒れている羊野の言葉の意味に一瞬油断した強欲なる天馬は、自分の腹の辺りに優しく飛び込んで来る春ノ瀬桃花に優しく抱きしめられる。


「は、離せ。我から離れぬかあぁぁ!」


「おとうさん……もういいよ、一緒に警察に行こうよ。私も一緒について行ってあげるから。殺してしまった人にちゃんと頭を下げて罪を償おうよ。それまで私……ず~といつまでも待っているから。お父さんのことを見捨てずにちゃんといつまでも待っているから……だから、だから……またいつかあの家に帰ろう。今度こそ手をつないで……一緒に」



『こ……殺せぬ。どうしても殺せぬ……情けなや……情けなや……ぐぬぬ!』



 その言葉を聞いた強欲なる天馬の手から持っていた木の棒が地面へと転がり落ちる。そうこの瞬間強欲なる天馬こといかれた神様オヤジは、春ノ瀬桃花に完全に負けた事を認めるしかなかった。


「そうか、春ノ瀬桃花……いや我が娘よ……お前は我が想像するよりも優しく……そして強く成長していたのだな。五年前は酷い泣き虫で甘えん坊なだけのただの小娘だったのにな。なんとも不思議な物だな」


「お父さん?」


「ついに我はお前を殺す事が出来なかった。それが我の弱さであり、認めたくは無かった思いだったのかも知れぬな」


「違うよお父さん。それは弱さではなく人が誰もが持つ優しさと言うんだよ。少なくとももう一人のお父さんにもそれはあった。だから私はほっとしたんだよ。もしなかったら私はそのまま殺されても別に構わないと思っていたから。でもそうはならなかった。やっぱりお父さんはお父さんだよ。私の信じた大好きなお父さんだよ」


「ふ、大好きなお父さんか。そんな優しい言葉を貰える日が来るとはな。一生無いと思っていたわ。ただ我は主人格の春ノ瀬達郎と同じように誰かに我の存在を認めて欲しかったのだ。だからこそ妻や娘に愛されている春ノ瀬達郎に密かに嫉妬していた。だがその思いを認めてしまったら、我が余りにちっぽけで惨めで弱い人間だと言う事になってしまうではないか。だから敢えて春ノ瀬達郎の全ての人格を思いを否定しなけねばならなかったのだよ。だがその頑なに隠されていたその思いを白い羊と黒鉄の探偵が暴き、我が娘にその事を理解されようとはな……我は何とも滑稽で不徳の至す所と言った所だな」


 そういいながら強欲なる天馬はその大きな手でそっと春ノ瀬桃花の頭を撫でる。頭をなでる強欲なる天馬の手には優しさと慈愛の思いが詰まっているように勘太郎には見えた。


「五年前、お前の看病の時に思わず頭を撫でた時があったが、最後の最後にまたこうやって撫でる事が出来るとは、まったく可笑しな物だな。結局我が追い求めていた理想の幻想とは、まさにこういう事だったのかも知れぬな。その事に今この場で気付くとは……ふがいなく滑稽でならないぜ。全く神様も意地悪な転回を用意してなさる。カカ、カカカカカッ!」


 強欲なる天馬は悲しそうに高笑いをしながら空に向けて高らかに春ノ瀬達郎に話しかける。


「春ノ瀬達郎よ。我はこれで引っ込むが、本当にこれでいいのだな。我は我が娘に負けてしまったのだから、後の決断は全てお前に任せるとしよう!」


 夜明けが近い星空にそう叫ぶと、強欲なる天馬はその馬のマスクを近づけながら最後に春ノ瀬桃花をジッと見る。


「我が娘よ、最後にお前と話が出来て本当に良かったぞい。これからもつらいことや悲しいことがあるだろうが、強く生きて行くがよいぞ。ではさらばだ!」


 そう告げると強欲なる天馬は「ヒヒッイイイイーン! ヒヒッイイイイーン!」とまるで暴れ馬のような奇声を上げながら、その場に倒れ込むのだった。

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