第3話 『娘の幸せを願う、父の思い』   全29話。その27。


            6


 時刻はもう直ぐ明け方が近い五時二十分。


 山々の間から照らす日の光と同時に頭を上げたその馬マスクの男は、立ち上がりざまに馬のマスクを脱ぎ取ると無造作に地面へと投げ捨てる。


 しばらくの沈黙の後に「う、ううぅ……わ、私は今まで一体何を……?」と言いながら起き上がって来たのは、穏やかな顔をした春ノ瀬達郎その人だった。


 大きく筋肉質だったその体は元へと戻り、いつもの優しげな父親に戻っていた。


「お父さん、昼間のお父さんが戻ってきたんだね。安心したよ。もう心配させないでよ」


 そう言いながら笑顔を作る春ノ瀬桃花に複雑そうな笑みを向けていると、その直ぐ横では勘太郎が羊野に向けて優しく声を掛ける。


「羊野、お前大丈夫か? 今回は随分と酷くやられたな。いつものふかした余裕な態度は何処に行ったんだよ」


「今はそんなボケに突っ込む余裕も無いほどに疲れましたから少しだけほおって置いて下さい」


「依頼人や他の関係のない人達を危険に巻き込んだと言う疑惑は晴れないが、先ずはよく日の出まで耐えたと一応は褒めておこうか」


「恐悦至極ですわ、黒鉄さん」


 そう言いながら倒れ込む羊野を見ながら、今後は春ノ瀬桃花と喜び合う春ノ瀬達郎に足を向ける。


「春ノ瀬達郎さんですよね。良かった、どうやら強欲なる天馬は無事にあなたから引っ込んだようですね。これでもう安心です。俺の知り合いの赤城刑事がいい精神科の医師がいる病院を知っていますから一緒に行って見て貰いましょう。警察に逮捕はされますがきっと精神不安定と病気を理由にそのまま入院することになりますから、その間にきっといい解決方法が見つかるはずです」


 そう言って近づく勘太郎に、春ノ瀬達郎は「来るなぁ!」と叫ぶ。


 その言葉に足を止めていると春ノ瀬達郎が重い口を開く。


「私の狂気は……もう既に私自身が止められない所まで来ています。他の人格達に支配されていたとはいえ、多くの罪の無い人達を天空落下トリックで殺してしまった。これは許されない事です。精神科のお医者さんや高田傲蔵和尚に縋ったり。果てはあのいかれた神様オヤジとか言う私の一部の人格が仲良くしていた謎の秘密組織にまで縋って見たのですが、結局は何も変わりませんでした。だから私は最後に自分自身にケジメをつけたいと思っています」


「ケジメをつけるって何の事ですか? 一体あなたは何を考えているのですか!」


 そう叫んだ勘太郎の声に反応して、父親を抱きしめていた春ノ瀬桃花が春ノ瀬達郎を見ながら不安そうに呟く。


「お、お父さん、どうしたの。ケジメをつけるって……何処かに行くの?」


 そう語りかけた春ノ瀬桃花に、春ノ瀬達郎は優しく穏やかに話かける。


「ああ、お父さんちょっと警察に出頭する前に、待ち合わせていた古い友人と会わないといけないから、ここで大人しく待っていてくれないかな」

「待っているの……ここで?」


「ああ、直ぐに済むから。だからその後で必ず警察に出頭するから、大人しく待っているんだよ」


「うん、ここで大人しく待っているけど、お父さん、直ぐに帰ってきてね」


「あ、ああ……必ず戻るよ。本当に桃花は優しい子だな。なんで俺なんかの娘に産まれてきたんだろうな。これからが不憫でならないよ。ううう……うぅぅぅ……ぅぅ」


「お父さん、もしかして泣いてるの。どうしたの、どこか痛いの?」


「いや、大丈夫、大丈夫だよ。お父さんは平気だから……平気だから。桃花、お父さんはどこにいたって桃花の事を見守っているから……幸せになることをいつも心の底から祈っているから、だからこれから先例え何があっても強く生きて行くんだぞ。いいね、これはお父さんとの約束だ」


「うん、わかった、強く生きるよ。お父さんと一緒なら何処でだって強く生きられるから」


「そうか……ではちょっと用事を済ませに言って来るよ。実はあの橋桁の向こうの石階段の前に古い友人を待たせてあるんだ。その友人と少し話をしたら警察に出頭するよ」


 抱きついて離さない春ノ瀬桃花を優しく引き離すと、春ノ瀬達郎は今度は勘太郎の方に向けて言葉を投げかける。その瞬間何故か一人でに橋桁が下へと下がり、石階段へとくだる橋桁の道が完成する。

 鍵はまだ春ノ瀬達郎が持っているはずなのに、なんで誰も触れてないのに一人でに橋桁が降りたんだと勘太郎が考えていると、その疑問に答えるかのように春ノ瀬達郎が独り言を言う。


「私の古い友人が前もってこんな仕掛けを仕組んで置いてくれたんだな。何とも頼もしい事だ。流石に仕事が早い」


「本来は手動式の橋桁にこんな自動式の仕掛けを前もって秘密裏に仕掛けて置く事ができるだなんて、一体あんたが言う古い友人とは何者なんだ。そしてあなたは一体なにをその古い友人に頼んだんだ!」


 そう勘太郎が春ノ瀬達郎に問いかけると、他の信者達の働きで鎮火し掛けている天馬寺の方角から川口警部・山田刑事の二人が急ぎ足で現れる。


「どうした。これは一体何があったんだ。山田刑事、先ずは倒れている早見時彦さんを助けろ。どうやら肩を怪我しているみたいだぞ」


「分かりました。直ぐに取りかかります!」


「よう、黒鉄の探偵に白い羊は無事か」


「俺はともかく羊野の方はあのザマです」


「ふん、あいつが倒れている姿を見たら少しだけ胸がスッとするな」


「それ、警察の警視庁の警部が吐いていい言葉ではありませんよ」


「大体この天馬寺での火事もお前らが仕組んだ事じゃないのか?」


「い、いえ、そんな事はないです……た、多分違うと思います。あれは勝手に燃えたんですよ。ほんと、火の回りは注意しないとな」


「本当か、その話……何だか怪しいぞ」


 疑惑を向けられる勘太郎は直ぐさま話題を変える。


「そ、そんな事よりです。川口警部達は一体どこから来たんですか。俺はてっきり橋桁の先で待ちぼうけを食らっている物と思っていたのですが?」


「橋桁の方は誰かが橋を下ろしてくれないと渡る事が出来なかったから、急遽下の運送用の荷物エレベーターを使ってここまで上がって来たんだよ」


「でも鍵がないとあのエレベーターは起動しませんよね。俺達も人知れず上がってきたから、使用後は起動スイッチは消したはずだし」


「赤城刑事の話ではそこにいる白い羊がこの町の何処かの鍵屋で合鍵を作ったと言っていたらしいから、虱潰しに調べてその違法な仕事をする鍵屋を何とか見つけることが出来たのだよ。そこでまた合鍵を作って貰ったのだ。幸い鍵を作る上での鍵型をその鍵屋はまだ持っていたからな。だからあのエレベーターを使用できたのだ。フフフフ、どうだ白い羊よ。日本の警察の捜査力を舐めるんじゃないぞ!」


「いや、別に羊野だって舐めてはいないとは思うのですが……それでその赤城先輩は一体どこにいるんですか?」


「奴は偽装トラックの件を追って散々探し回っていたからな。今は近くの派出所で休んでいるよ。お前ら、彼女に無理をさせておいてそれは無いだろう」


「確かにそうですね、この短い時間にこの町の何処かに隠してある偽装トラックを見つけてきてくれてとても有り難く思っていますよ。流石は腐っても優秀な警視庁の捜査一課の刑事さんですよ」


「何だか引っかかるような言い方だが、まあこれで彼女も少しは浮かばれるだろう。それで、この状況は一体どうなっているのだ。あの橋桁の方に歩いて言っているのはそこにいる娘さんの父親、春ノ瀬達郎さんではないのか? それでそこで呆けている高田傲蔵和尚は狂人・強欲なる天馬を雇った違法取引をした依頼人だな。つまりは殺人犯の仲間だな。ならその肝心の実行犯でもある強欲なる天馬の方は一体誰だったんだ?」


 まだ事の真相を知らない川口警部は、橋桁の方に向かう春ノ瀬達郎を見つめながら勘太郎に聞く。


「川口警部、あの橋の向こう側にある石階段には当然長野県警の警察は配備しているんですよね」


「勿論だ、橋桁が降りたら直ぐにでも突入できるようにな。その数ざっと二十人はいるぞ」


「二十人ですか。なら大丈夫かな」


 そう確信した勘太郎は橋桁の方に歩く春ノ瀬達郎の動向を目視していると、その視線に気付いた春ノ瀬達郎は勘太郎に向けて深々と頭を下げる。


「どうやらもうお迎えが来たようなので、最後にあなたにはお礼を言いたいと思います。黒鉄さん、桃花が持ち込んだこの依頼をなんの疑いも無く引き受けてくれて本当にありがとうございます。しかもその身を挺して桃花を守ってくれた。黒鉄の探偵。あなたはやっぱり桃花が信頼していた通りの人だ!」


「お迎えが来たとは一体どういう意味ですか。達郎さん、達郎さん?」


 勘太郎の制止の声も聞かずに笑顔で応えた春ノ瀬達郎は、まるで迷いを振り切るかのように石階段の下の方へと走り出す。


「あ、お父さん、待って!」


 春ノ瀬桃花がその後を追うように走り出したので当然勘太郎も後を追う態勢を取る。


「羊野、立てるか。俺達も後を追うぞ!」


 そう意気込むと勘太郎は急ぎ走り出そうとするが、羊野は二人の親子が走り去った石階段がある方角を見ながら全く動こうとはしない。

 一体どうしたんだと言う顔をする勘太郎に、羊野は落ち着いた声で話出す。


「黒鉄さん。トリックも正体もばれた狂人の末路は当然知っていますよね」


 その羊野の言葉を聞いた勘太郎は、しまった! と言う顔をしながら咄嗟に石階段の方を振り返る。


「きゃああぁぁぁぁーっ! お父さんが、お父さんが!」


 その動作とほぼ同時に春ノ瀬桃花の悲鳴を聞いたのはその直ぐ後だった。


 達郎さん、どうか無事でいろよ。あのまだ幼い春ノ瀬桃花を一人残して死ぬだなんて事は、この俺が絶対に許さないからな! 例えどんな結末になろうともちゃんと刑務所に入って、罪を償って、最後は自分の娘が待つあの思い出いっぱいの家へと帰るんだ!


 そう危惧しながらも急ぎ駆け付けた勘太郎が石階段で見た物は、余りにも凄惨で残酷な光景だった。

 何故なら石階段に倒れている春ノ瀬達郎の体と、その切り離された頭を抱えて泣きじゃくる春ノ瀬桃花の哀れな姿が嫌でも目に焼き付いてしまったからだ。


「た、達郎さんの首が……く、首が無いだとう、一体どういう事だ?」


「ついさっきまで普通に歩いていたのに……この数十秒の間に一体何が起き、そして春ノ瀬達郎はどうやってその首を切られたんだ?」


 ただならぬ状況に駆けつけた川口警部と山田刑事は、新たな未知の恐怖に緊張しながら周りをしきりに警戒する。


「く、首が無いだとう。まさかまた円卓の星座の創設者でもある・壊れた天秤が送り込んだ新たな狂人の仕業じゃないだろうな? それに約二十人はいた長野県警の警察官達は一体どこに消えたんだ?」


「川口警部、先ずは民間人の身の安全の方が最優先でしょう。あの女の子を何としても保護しないと」


「くそ、春ノ瀬達郎さんが言っていた自分にケジメをつけると言う事は、こういう事だったのか。まさか自分自身の殺害を他の狂人に依頼していただなんて……達郎さん、この後の桃花さんは一体どうするんだよ。桃花は、俺達すらも……誰も叶わなかったあの最強の狂人・強欲なる天馬をその思いで説き伏せる事が出来た勇気ある少女なんだぞ。それも全てはあんたとまた一緒に暮らしたいが為に頑張った事じゃないか。それなのにあんたは死んで現実から逃げるのかよ。それは流石に無いだろう!」


 そう叫びながら身構える勘太郎に、やっとの事で追いついた羊野が荒い息を吐きながら疲れ気味に言う。


「こんな切断めいた殺し方をする狂人は、私が知る限り一人しかいませんわ。おそらくは首切り狂人として有名な円卓の星座の狂人『断罪の切断蟹』だと思いますわ。気をつけて下さい、彼は強欲なる天馬に並ぶくらいに物凄く強いですよ!」


「断罪の切断蟹だとう。奴がこの近くに来ているのか。奴は一体どこにいるんだ?」


 緊張する羊野の言葉に反応するかのように、桃花がいる石階段の横の林の闇の中から真っ黒なライダースーツに黒いヘビメタの革ジャンを羽織った細身の男が現れる。

 その黒いライダースーツを着たその男は左手と右手に二つの大きな大挟みを持ちながら、父親の生首を抱えて泣きじゃくる春ノ瀬桃花の後ろにそっと立ち、その視線を勘太郎達に向ける。


 その姿を見た時、勘太郎はそのライダースーツの男になんとなく見覚えがあった。


 顔の見えない黒のフルフェイスのヘルメットと首から腰まで伸びた赤いマフラーが特徴的なその独特の姿は、最近公園で勘太郎を助けてくれたあの人物だと直ぐに見抜く事が出来た。


「あんたはまさか……あの真夜中の公園で野生なる天馬に殺されかけていた俺を助けてくれたあの時のライダーか。まさかあんたがあの有名な狂人・断罪の切断蟹だったとはな。全く知らなかったぜ。春ノ瀬達郎の依頼で彼を殺害したみたいだが、その娘でもある春ノ瀬桃花は全く関係ないだろう。大人しく彼女から離れるんだ!」


 その如何にも怪しげな黒のフルフェイスを被る謎のライダーに溜まらず近づこうとする勘太郎・川口警部・山田刑事の三人は春ノ瀬桃花の身を守る為にその距離を縮めるが、断罪の切断蟹は下で放心して泣き崩れる春ノ瀬桃花の首元に大鋏を当てながら近づく者達を冷静に牽制する。


「やあ、この前はどうも。二代目・黒鉄の探偵・黒鉄勘太郎だったかな。どうやらあの厄介な強欲なる天馬を無事に弱体化させて弱らせる事が出来たようだな。でもかなり危なっかしく、そして奇跡的な勝利だったがなぁ。ここにいる春ノ瀬桃花が上手くやらなかったらお前らは完全に負けて殺されていたぞ。それに白い腹黒羊、久しぶりに会って見てみたらなんだあのザマは、一対一であのまま強欲なる天馬と戦い続けていたらお前は先ず勝てなかったんだからこの敗北を生かして更なる経験を積むがいいぞ。俺がお前を戦う相手に相応しいと認めた時は、こちらから正式に狂人ゲームの果たし状を送らせて貰うよ。白い腹黒羊よ、お前に俺の人体切断トリックが果たして見抜けるかな!」


「何を偉そうに一方的に話ているのですか。あなたの単純な人体切断トリックなど、直ぐに見破って貴方を断頭台に送って差し上げますわ。少しばかりナイフ術で腕が立つからって調子に乗るな。この蟹味噌やろう!」


「なんか久しぶりに会ったのに凄く傷つくわ。せっかくお前の素顔も見れたと言うのに、ちょっと毒舌が過ぎると思うんだけど。でもお前、噂にあったように本当にその素顔は白かったんだな。髪の毛の色も白だし、まさに白い羊だな。こんな美人さんだったのならもうちょっとお近づきになって置くんだったかな。勿体ない事をしたぜ」


「あ、それ、セクハラですか。セクハラですよね。裁判で訴えますよ」


「だから久しぶりに会ったのにその喧嘩越しの言い方はやめろよ。今日はお前らとは事を構えるつもりはないんだからさぁ!」


 その二人の馴れ合いの言葉から察するにどうやら二人は知らない中では無い用だ。


 昔の旧友を懐かしむ素振りを見せる断罪の切断蟹に勘太郎は勇気を出して話かける。


「何故、桃花さんの父親、春ノ瀬達郎を殺したんだ。やはり狂人ゲームに敗れた者を処刑しに来たのか?」


 その質問にむっとしたのか、切断蟹は勘太郎に向けて声を荒げる。


「ふざけんなよ黒鉄の探偵。俺は強欲なる天馬こと春ノ瀬達郎のたっての願いで彼を殺したんだよ」


「な、なんだとう。やはりそうだったのか。夜にだけ現れる強欲なる天馬の頼みなら分からなくもないが、昼の顔を持つ春ノ瀬達郎は普通の一般人だ。その春ノ瀬達郎と一体どうやって知り合ったんだ?」


「どうやらあの強欲なる天馬の記憶が断片的に春ノ瀬達郎にも流れていた用だな。そこから俺と連絡を取る情報を見つけたらしいな。まあ、今となってはあの強欲なる天馬が無意識的に流していた情報とも読み取れるがな。あの馬人間は心の奥底では自分を止めてくれる誰かを待っていたのかも知れないな。そうでなかったら普通は俺と会う情報など絶対に取れる訳がないんだ!」


 春ノ瀬達郎が既に自らの殺しの依頼をこの断罪の切断蟹に頼んでいた。その事実を改めて確認した勘太郎は、春ノ瀬達郎に二回目に会った時の言葉を思い出す。


『天馬様を何とかする目処がついた』と。


 その言葉こそが、断罪の切断蟹がここへ来た理由の全てだったのだ。


「そうか、お前がここに来た大体の理由はわかったが……取りあえずは動くな。断罪の切断蟹、春ノ瀬達郎を殺したお前の罪は何も変わりはしない。だからお前は絶対に逃がさないぞ!」


 必死に凄みながらも弾が全く入っていない黒鉄の拳銃を構える勘太郎に、断罪の切断蟹は覚悟を込めた声で言い放つ。


「いいのかよ黒鉄の探偵。そいつを撃った瞬間、この強欲なる天馬の娘の頸動脈が切れて大量の血が噴き出すぜ!」


 そう言いながら断罪の切断蟹は春ノ瀬桃花の肌に這わせるかのように、その首元に大鋏を合わせる。

 声の質や姿形からして二~三十代の男性と言った所だろうか。春ノ瀬桃花の首元に大鋏を突き付ける断罪の切断蟹に、春ノ瀬桃花はまるで白昼夢でも見ているかのように力なく微笑みながら両手に持っている父親の生首を見せる。


「お、お父さん……お父さんが……こんなになっちゃった。ねえ、これ……一体どうしたらくっつくんだろう……早くしないと……お父さんが死んじゃうよ。どうしよう、どうしよう!」


 震える声と手でそう訴える春ノ瀬桃花に対し、断罪の切断蟹は厳しい口調で言い放つ。


「おい、強欲なる天馬の娘、お前の父親はもう死んだんだ。この俺が首を切断して殺した。この事実はどんなに現実を拒否したって代わりはしないぞ。一度死んだ者はもう二度と、どんな事をしたって戻っては来ないのだからな。潔く諦めるんだな!」


「お父さんが死んだ。違う、違うよ。お父さんはまだきっと生きてるよ」


「それに今お前がしなけねばならないのは泣き崩れる事でも現実拒否をして白昼夢の世界に逃げ込む事でもないだろ。そうだ、この俺を恨むことだ。お前の父親をこんな姿にしたこの俺が憎いだろう。憎くて憎くてたまらないだろう。だったら地の果てまで追いかけて来て、この俺を捕まえにこい! お前があの強欲なる天馬の……いや春ノ瀬達郎の娘ならそれが出来るはずだ。俺はお前の挑戦をいつでも待っているぞ。お前には俺に復讐する権利が充分にあるのだからな。だから下を向かずに……先ずは立ち上がれ、春ノ瀬桃花よ!」


「わ、分かりました。いつか……貴方を必ず捕まえに行きます。必ず……絶対にです。断罪の切断蟹さん!」


「そうだ、その息だ。いい答えだ!」


 震えながら出た春ノ瀬桃花の言葉に断罪の切断蟹が納得していると、そのやり取りを聞いていた勘太郎がすかさず横槍を入れる。


「いいや、桃花が動く必要はないぜ。今ここで俺がお前を捕まえてみせる。断罪の切断蟹!」


「お前のその熱い気迫と正義感、俺は決して嫌いではないが、黒鉄の探偵、今のお前に俺を捕まえる事は到底無理だぜ! 大体俺の手の中には春ノ瀬桃花と言う人質がいることを忘れている訳ではないだろうな」


「くそ、卑怯だぞ。春ノ瀬桃花を離せ!」


 緊張感を漂わせながら睨み合う勘太郎と断罪の切断蟹の二人に、羊野は気の抜けた声でこの真剣勝負に口を出す。


「あ、その断罪の切断蟹と言う狂人は、巨悪な犯罪者や罪人以外は殺しは一切しないと言う変わり種の狂人ですから、多分春ノ瀬桃花さんがその大鋏で殺される心配はないと思いますよ。悪人は例えどんな手段を用いても殺してもいいと言う思想と、歪んだ絶対正義が彼の心情ですからね」


「お、お前、余計な事を言ってこの戦いに水を差すなよ。仕方が無い、もう仕事も済んだ事だし、ここは大人しく引くとするかな。個人的にはあの高田傲蔵和尚の首も刈って行きたい所だが、あいつはほっといても自滅するから手を出すなとの壊れた天秤からの要請だから、今回は見逃してやるよ。ではさらばだ!」


「待て、逃がすと思っているのか!」


「ハハハハ、無理はするなよ黒鉄の探偵。弾数ゼロの拳銃じゃ俺とは戦えないぜ!」


 そう叫んだ断罪の切断蟹は右手に持っている大鋏を前に突きだすと、まるで空を切るかの用に大鋏をチョキンと切る真似をして見せる。


 その三秒後、ゴォォゴゴゴゴゴゴゴゴゴーッ! と言う何かが倒れて来る音と共に大きな大木が勘太郎と断罪の切断蟹との視界を奪う。その大きな大木の枝や葉を跨ぐ事が出来なかった勘太郎・川口警部・山田刑事の三人は石階段を塞ぐ大きな杉の木の大木によじ登ると、もう春ノ瀬桃花の前には断罪の切断蟹の姿は何処にも無かった。


「くそ、前もって現場の下見の際にでも、めぼしい大木に切り込みを入れていたか。勿論逃走経路を確保する為にな。そして俺達はまんまと逃げられたと言う訳か。でも今は春ノ瀬桃花の身の安全を確保できただけでも良しとするかな。他にいなくなった警察官達の行方は見つかりましたか、川口警部!」


「ああ、見つかったぞ。皆石階段を外れた林の奥の草むらの方に移動させられて眠らされていたみたいだぞ。二十人もの数の警官を手加減しながら簡単に叩きのめせるとは、恐ろしい戦闘技術を持った狂人だぜ!」


 その後、直ぐに春ノ瀬桃花の元へと駆けつけた勘太郎に、傍にいた川口警部と山田刑事が直ぐさま動き出す。

 そしてエレベーターで上から上がって来た他の警察官達や石階段の下から登ってきた待機中の警察官達とが合流した時、天馬様が操る謎の天空落下殺人事件の幕がついに降りようとしていた。


 高田傲蔵和尚はその騒がしい光景を石階段の頂上から見つめながら跪き、全てが信じられないとばかりに震えながらうわごとを繰り返す。


「ば、馬鹿な……馬鹿なあぁぁ。あの完全無欠の強欲なる天馬が破れるとは未だに信じられない。あの黒鉄の探偵にも白い羊の狂人にもその圧倒的な力で勝っていたのに、一体何故こうなった。そう全てはあの小娘のせいだ。あの一人の小娘の為にワシは全てを失ったのだ。おのれ……おのれ……これで終わりだああぁ……全てがお終いだああぁぁぁ!」


 絶望に泣き崩れる自業自得の高田傲蔵和尚を石階段の下から見上げながら、これからは高い塀の中でゆっくりと懺悔をしながら本当の天罰を自身の身で受けろと、勘太郎は思うのだった。

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