第3話 『有田道雄と早見時彦の印象』    全29話。その7。


            3 時刻は十五時三十分。


 ついさっきまで話をしていた春ノ瀬達郎が部屋を出て行ったので勘太郎・羊野・春ノ瀬桃花の三人は少ししてから部屋を出る。するとその引き戸の前には有田道雄修行僧が不気味な笑みを浮かべながらその場に立っていた。

 有田道雄修行僧が意味ありげに春ノ瀬桃花を見ると猫撫で声に変えながら怯える彼女に話しかける。


「親子間での話し合いはもう終わりましたか。何やら春ノ瀬達郎修行僧が血相を変えて早々とこの場を立ち去った用ですが結局は天馬様へ対する信仰を止める事は出来なかった様ですね。まあ、こうなることは最初から分かっていましたけどね。さっきの春ノ瀬達郎修行僧の口ぶりでは、偶然にも天馬様のお姿を見てしまった娘さんの為に直接高田傲蔵和尚に頼みに行くつもりらしいですが、そんな回りくどい事をしなくても春ノ瀬桃花さんを救う手っ取り早い方法がありますよ。彼女が天馬教に入信すればいいのですよ。そうすればいくら罰則や掟に厳しい天馬様も邪見には扱わないはずです」


「有田さん、貴方は引き戸の前で親子の話を盗み聞きしていたのですか。人のプライバシーを盗み聞きするだなんてちょっと関心出来ませんね」


「すいません。これも仕事な物でね」


「人の見張りや監視が貴方の主な仕事なのですか」


「黒鉄さんだったかな、貴方の言いたい事は分かります。ですが脱走を図ろうとする不届き者達を見張るのも私の仕事の一つなのですよ。そうしないとまた心の弱い同胞達がまた無駄な脱走を図ろうとして天馬様の怒りを買って仕舞いますからね」


「だ、だからって監視をしていいという理由にはならないと思いますよ」


 勇気を出して言ったその春ノ瀬桃花の言葉に顔を近づけながら有田道雄修行僧は歪な笑顔を向ける。


「やれやれ、せっかくあなた達親子にいい提案を出してあげたのに、それをわざわざ足蹴にするだなんて何とも勿体ない。そうでしょう、桃花ちゃ~あぁぁん。ヒヒヒヒッ!」


 今まで春ノ瀬桃花をさんずけで呼んでいた有田道雄修行僧の気持ち悪い笑いに春ノ瀬桃花の顔が更に凍り付く。そんな二人の間に勘太郎がすかさず割って入る。


「有田さん、今日はいろいろとお世話になってしまってすいませんでした。ですがそろそろ我々もこの天馬寺を降りたいと思っていますので、あの帰り道を遮断している橋桁を降ろして貰ってもよろしいでしょうか」


「仕方がないですね。お名残惜しいですが上に上がっている橋桁を下ろすとしますか」


 そんな有田道雄修行僧の言葉を遮るかの用に傍にいた羊野が言葉を訂正する。


「まだ日が落ちるには時間がありますし、せっかくですからこのまま天馬寺のある山の頂上の周辺を見て回りたいとは思いませんか」


「いいね、せっかくここまで来たんだし、ここは少し天馬様がお座すとされる天馬寺周辺を見て回るか。春ノ瀬桃花さんもそれでいいですよね」

「は、はい、私もそれで構いません」


 その態とらしい羊野の提案に勘太郎もすかさず乗って見せる。どんな形であれ再びこの地に来る事があるかは正直分からないが、再度この場に来た時の為に周辺を見ておこうと勘太郎は考えたからだ。もしかしたら何らかの理由で再びこの天馬寺に来る事があるかも知れない。その時になって春ノ瀬達郎を連れてこの山から降りられなければ本末転倒である。なのでもしもの為に一応は逃げる為の脱出ルートを確保して置きたいと言うのが二人の共通した本音だろう。

 そんな勘太郎と羊野の提案に有田道雄修行僧は何やら疑いの目を向けていたが、直ぐに笑顔を作りながらにかやかにその提案を承諾する。


「まあ、いいでしょう。本来は一般の人はこの山に入る事事態認めてはいませんが、他ならない春ノ瀬桃花さんの紹介と言う事で特別にここでの見学を認めましょう。ただし日が落ちる十八時までです。それ以外はどんな事情があろうとこの場にいる事は認めません。そのつもりでいて下さい。この事は私から高田傲蔵和尚に知らせて起きますので、帰る時間になったら私に知らせて下さい」


 そう言うと有田道雄修行僧は素の顔に戻りながら天馬寺の中へと消えて行く。


「何なんだあの人は一体、何やら不気味な人だな。それに何となく春ノ瀬桃花さんを見つめる目に嫌な物を感じるのだが」


「ああ~恐らくはロリコンなのでしょう。いくらモテないからって未成年にそんな視線を向けるだなんてどうしようもない大人ですね」


「おい、羊野、いくら有田道雄修行僧の見る目が春ノ瀬桃花さんをそんな目で見ていたからって憶測だけでそんな事を言う物じゃない。まだそんな性癖を持っているかどうかは分からないじゃないか。大体そんな話をしていたら有田道雄修行僧の行動が嫌でもそんな風に見えてしまうだろ」


「有田道雄修行僧ってそんな人だったのですか。ひいぃ~、何だか怖いです」


「いや、一応有田道雄修行僧の名誉の為にあえて弁護をしますけど、ただ単にそんな風に羊野が思ったと言うだけですからね。本当にそうなのかどうかはまだ分かりませんよ!」


 そんな会話をしながら三人は山の頂上周辺や、人が作った建造物を丹念に見て回る。


「では私は西の方から見て回りますので、黒鉄さんと春ノ瀬桃花さんは東の方から見て回って下さいな。それでは帰りの時刻が近づいたらここに集合しましょう」


「ああ、分かった。お前も余計なトラブルは起こすんじゃないぞ」


「ええ、分かっていますわ。黒鉄さん」


 そう言うと羊野は被っている羊のマスクの位置を微妙に直すと西の方へと歩み始める。


「……。」


 そんな羊野に合わせるかの用に周囲に目を配りながら勘太郎と春ノ瀬桃花が東の方に歩いて行くとその林の木々を抜けた道の先には青空が見える断崖絶壁があり、その端の真ん前にはそこに存在を誇示するかの様に大きな鳥居がド~ンと聳え立っていた。


「物凄く大きな鳥居だな。まるでこの頂上から町の下界を覗いているかの様だな」


「でもこの先はもう行き止まりですよ。見晴らしはいいかも知れませんが柵も無いし近づいたら危険ですよ」


「確かにそうだな。下の景色を見ている時に山の上昇気流にでも巻き込まれたら一環の終わりだからな。しかし、この鳥居の真下にも天馬様の絵が彫り込まれたマンホールの蓋があるな。下水でも流れているのか?」


「黒鉄さん、この後何処に行きますか」


「そうだな。取りあえずはこの足下に道の用に連なる木の板に従って別の道を通って見るか」


 吹き突く風に気をつけながら春ノ瀬桃花と共にその場を離れようとすると勘太郎の胸ポケットから黒革の手帳が強風に煽られて下へと落ちる。

「あ、黒鉄さん、手帳が落ちましたよ」


 その手帳を何気に拾った春ノ瀬桃花は徐に手帳の中身を見てしまうが、その中に挟まれていた一つの写真に目が行ってしまう。

 その写真に写し出されていたのは、まだ小学生くらいの勘太郎と大人の男性と女性の二人に、その勘太郎の隣に並んでポーズを撮る小学生くらいの女の子がしっかりと写し出されていた。


「この手帳から出て来た写真は……まさか黒鉄さんのご家族ですか。この小学生くらいの男の子は幼い頃の探偵さんですよね」


「ああ、その写真はお守り代わりに、いつも手帳に忍ばせて持っているんだ。その一枚の写真しか家族みんなが写っている物が無かったものでね」

「失礼ですけど、黒鉄さんのご家族は?」


「何年か前に家の両親が離婚してからは俺は父親と二人で暮らしていたんだが、二年前のある事件で父親は他界し。母親の方は分からないが、ある風の噂では姉さんの方は交通事故だか病気だかで亡くなったと聞いているよ」


「あ、ごめんなさい。私……余計な事を聞いてしまって」


「いいよ、別に隠している事でも無いしな。そんな事よりだ。なんか向こうの木々の方から人の声が聞こえないか?」


 その勘太郎の言葉に意識を集中した春ノ瀬桃花はその示した方向に耳を傾ける。


「確かに……誰かは知りませんが微かに人の気配がしますね」


「よし、声のする方向に行ってみよう」


 そう言うと勘太郎と春ノ瀬桃花は声のする方向へと歩き出す。


 視界を塞ぐ木々を抜けると開けた目の前には、一人の男が手に持った棒を振り回しながら何かの鍛錬にいそしんでいる様だった。その荒々しい見た目と山伏の様な服装から、どうやらこの男もまた天馬寺で修行をしている修行僧の一人の様だ。

 両手に持つ長い木の棒を前のめりにだらりと下げながらまるで四足歩行の獣の様な動きで棒術の突きを繰り出すその戦闘スタイルは、まさに野生の動物をそのまま連想させるような独特な歩行術だ。


 勘太郎はその男が振るう棒術の凄さと独特の動きに魅了され、自ら歩み寄る。


「凄いですね、それは一体なんの武術ですか。つい見とれてしまいましたよ」


 その何気に話し掛けた勘太郎の言葉にその山伏の様な男は鋭い視線を向けながら警戒気味に反応する。


「なんだお前達は見掛けない顔だな。さては新人の信者か、外から来た訪問者だな」


「あ、申し遅れました。私は市役所から来た黒鉄勘太郎と言います。こちらにいる春ノ瀬桃花さんの父親がここの修行僧らしいのでその関係でお邪魔している次第です。ちゃんと見学の許可も取っているので安心して下さい」


「春ノ瀬……春ノ瀬ねえ……あ、そうか、そこの子供は我らが同士でもある、あの春ノ瀬達郎修行僧の娘さんか。そう言えば何回かこの天馬寺周辺で見かけた事があるぞ」


 マジマジと春ノ瀬桃花の顔を見たその修行僧は、少し状況を理解したのか自分の名前を語りだす。


「俺の名は『早見時彦はやみときひこ』(四十歳。)高田傲蔵和尚よりこの天馬寺での治安と警護を任されている。高田傲蔵和尚からの信頼も熱い、正に神に選ばれた武闘派の修行僧だ!」


「武闘派ですか。確かになんか物凄い修行をしている用ですね。それはもしかして棒術の修行ですか」


「ああ、そうだ。いつでもこの天馬寺で高田傲蔵和尚に仇なす不届き者を征する為にこうやって日や修行にいそしんでいるんだよ」


「ここの主でもある高田傲蔵和尚を慕っているのですね」


「当然だ。高田傲蔵和尚こそ神の声を聞き、迷える人間達を導く代弁者だ。その神に選ばれた人間を不届き者達から守るのは当然だろ。その尊いお役目を任せられたこと事態に俺はいつも神に感謝しているよ」


 その早見時彦と名乗る修行僧の話ぶりからして、この男もまた天馬教を信仰するかなりの信者だと見受けられる。そう感じた勘太郎はこの人物からいろいろと情報を聞き出そうと慎重に語りかける。


「なるほど、なら早見さんはここでの修行の年数も長いのですか」


「俺はあの春ノ瀬達郎修行僧とほぼ同期だからな。なのでざっと五年くらい前かな」


「五年ですか」


「ああ、あの高田傲蔵和尚が二年前に神の声を聞き開眼される以前から俺と達郎修行僧は共にこの天馬寺で修行していたんだよ。それ以前から高田傲蔵和尚は人徳者だと俺は思っていたからな」


「人徳者ですか。あの高田傲蔵和尚が? それでその五年前以前は貴方は何をしていたのですか」


「俺か。この天馬寺に入信する以前はある中小企業でしがないサラリーマンをしていたんだが、営業の途中たまたま訪れたあるセミナー会場であの高田傲蔵和尚の説法を聞いたのだよ。その人を引きつける希望に満ちた話に俺は直ぐさま入信を希望したと言う訳だよ。正に運命の出会いと言う奴だな。俺はあの高田傲蔵和尚に会うべく生まれてきたのかもしれないな。因みに春ノ瀬達郎修行僧の方は以前は建築士の仕事をしていたらしいぞ」


「早見修行僧が元サラリーマンで、達郎修行僧の方は元建築士ですか。さようですか」


 彼の考えが全く理解できないと言った感じで軽く返事をした勘太郎は、直ぐさま話題を帰る。


「あ、話題は変わりますが、少し行った先の断崖絶壁に大きな鳥居があったのですが、あれは何なのですか。興味本位で断崖絶壁の下を見に行ったのですが吹き付ける風も強いしとても立ってはいられませんでした。しかも断崖絶壁の先にはフェンスも無いしとても危険ですよね」


「ああ、あの鳥居にはむやみに近づくんじゃないぞ。出ないと天馬様のお力であの世に引っ張られるらしいからな」


「あの世にですか」


「ああ、なんでもあの鳥居は天馬様が天界から天馬寺に来る為の通り道なのだそうだ。だから天馬様が入れる用に断崖絶壁の前に鳥居があるだろ。だから逆にあの鳥居に人が近づいたら外に吸い込まれてあの世に行ってしまうという噂だ」


「何だか嫌な噂ですね」


「そんな神聖な場所だからこそ当然フェンスはついてはいない。そんな事をしたらまるで天馬様の通り道を塞ぐ形になってしまうからな。因みに天馬様の通り道は他に三箇所あるんだが。入口の橋桁がある北門鳥居。そして今俺達がいるこの近くにある東門鳥居。そして最後は一般の信者達が暮らす建屋がある西門の鳥居だ」


「三つの鳥居ですか。その何れかの範囲に朝からいないとされる信者が隠れているのかな?」


「さあな。その逃げ出した信者の事は分からないが、案外もう天馬様のお力で裁かれているやもしれんぞ」


「ここから抜け出したいのならできれば一緒に連れて帰りたいと思っているのですが」


「それを高田傲蔵和尚と天馬様が許す訳がなかろう。規則は規則だし、掟は掟だ。この天馬寺に入信した時からもう既にその覚悟は出来ている物と思っていたのだがな。俗世に未練があるのはまだまだ修行が足りない証拠だ!」


「そうですか。じゃ俺達はもう少しこの敷地内周辺を見て回りたいと思いますので、これで失礼させて貰います」


「あの~っ、それじゃ~私も失礼します。修行頑張って下さい」


 勘太郎と同じくその場を離れようとする春ノ瀬桃花に、早見時彦修行僧は最後に声を掛ける。


「あ、そうだ。春ノ瀬達郎修行僧の娘さん、きみは父親から何か聞いているかね」


「何かって、何をですか?」


「例えば、ここでの門限の話とか」


「門限ですか。確かお父さんや有田道雄修行僧に日が落ちる前にこの山を降りる用にとしつこく言われました」


「その決まりはちゃんと守った方が身の為だぞ。我々信者達でさえ夕方の夜の十八時を過ぎれば誰一人としてこの天馬寺の宿舎からは一歩も外へは出ないのだからな」


「出ないってどうしてですか?」


「夜は室内での修行の時間になっているしそう言う規則だと言う事もあるが、やはり一番の理由は夜は天馬様の歩き回る活動時間だからな。俺も実際に見たことはないが、もし一度でも天馬様のそのお姿を見てしまったら、その時は無条件でその神の力で天空へと舞い上げられ地上へと叩き落とされるらしい。なので日が落ちる前にこの山を降りる事をお勧めするよ」


 春ノ瀬達郎修行僧の娘さんと言う事もあり少し警告した早見時彦修行僧は、直ぐに目線を逸らすとまるで何事も無かったかの用に直ぐさま棒術の修行に勤しむのだった。

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