第1話 『白い羊の狂人』         全28話。その11。


            4


「ぎゃあぁぁーっ。だ、誰か助けてくれ!」


 な、なんだ……何をそんなに騒いでいるんだ。てっ言うか……一体何が起きているんだ?


 思考が徐々に回復する中、誰かの悲鳴で意識を取り戻した勘太郎は、自分の置かれている状況を思い出し思わず立ち上がる。

 起き上がる時に感じた背中の痛みから察するに、どうやら勘太郎は数秒間ほど気絶をしていたようだ。


 せ、背中が痛い。まさか俺はあの対峙した男に倒されたのか。


相手の男に掴み掛かろうとした所までは覚えているのだが、そこから先の記憶が無い。恐らくは柔道の技か何かで豪快に投げ飛ばされたのだろう。


「くそ、まさか一対一の勝負ですら相手に不覚を取ってしまうとは、相変わらず情けない」


 情けない気持ちを抱きながら、勘太郎は先程自分を投げ飛ばした蛇マスクの男の方に視線を向ける。するとそこには包丁を持って迫る羊人間と蛇マスクの男との壮絶な……いや、一方的な攻防の姿があった。

 どうやら蛇マスクの男は羊野の攻撃を何とか紙一重でかわしている用だったが、あっと言う間に間合いを詰められ追い詰められる。その体は生まれたての子鹿のように震え、相手の殺意と死の恐怖に怯えている用だった。


 蛇マスクの男は息絶え絶えになりながらも何とか手に持った鉄パイプを構える。


「く、来るな。俺に近づくなあぁぁー!」


「ホホホホホっ、もう終わりですか。でもまだ降参とかはしないで下さいよ。やっと楽しくなって来た所なのですから。もっとです……もっと私と遊んで下さいな!さあ、どこから切り落として欲しいですか。腕ですか、足ですか、お腹ですか。それとも目玉に突き刺して欲しいですか?さあ、好きな箇所を選んで下さい。私、あなたのご希望に応える用に精一杯努力しますから」


 道徳や罪悪感をまるで感じていない羊野に対し、蛇マスクの男はついに持っていた鉄パイプを地面に投げ捨て両手を上げる。


「わ、わかった、降参するからもう止めてくれ。命だけは助けてくれ!」


 余りの恐怖に震えながら泣き崩れる蛇マスクの男は、目の前にいる羊野では無く、少し離れた場所で見ている勘太郎に向けて命乞いをする。

 どうやら羊野の異常さに気付いた蛇マスクの男は、このまま羊野に命乞いをしても助けて貰えない事を知り、その仲間でもある勘太郎に助けを求める事にした用だ。


 まあ~蛇マスクの男としても、遊び感覚で包丁を振り回す異常な羊の狂人に殺されるかも知れないのだから、なりふり構ってはいられないだろう。


「あ、あんたは、このいかれた羊人間の仲間なんだろう。頼むから俺にこの羊の化け物を近づけさせないでくれ!お、俺達もあんたらを本気で殺す気なんて最初から無かったんだよ。ただ少しぶちのめして怪我をさせてくれと……あいつに言われたから、だからやったまでの事だよ!」


「どういう事だ。一体誰がそんな事を言ったんだ」


 勘太郎は蛇マスクの男に近づくと、男が被る蛇のマスクを強引に引っ剥がす。その剥がされたマスクから出て来た男の顔は、まだ二十代後半くらいの青年の顔だった。

 見た感じはここら辺にいる素行の悪い村の若者と言った感じだろうか。その彼が半べそを掻きながら、勘太郎と羊野の二人に襲いかかった理由を語る。


「お、俺は、ここの村の青年団に所属している若者の一人だが。昨日の夜、俺達は話し合いという名目で公民館を借りて酒盛りをしていたんだが、その時現れたある人物にこの話を持ち掛けられたんだよ。『明日この村に来る二人のよそ者を病院送りにしてくれたら金は弾む』と言われてな。実際前金はすごい額を貰ったから小遣い稼ぎには丁度いいと思って、みんなでその案に乗ったんだよ。その怪しげな依頼を頼んできた奴もかなり危なそうな奴だったから犯罪の片棒を担ぐのはどうかとも思ったんだが、いつも暇を持て余している悪ガキの俺達に取ってこの仕事はエキサイティング(興奮的)でスリリング(戦慄的)な体験ができる面白い遊びだと思ったから敢えて参加する事にしたんだよ。そう思って襲撃したんだが、でも……まさかその一人がこんなに強く、しかも頭のいかれた羊人間だったなんて。もし知ってたら絶対にこの仕事は受けなかったぜ。もっと楽に弱い人間をいたぶって遊べると思ったからこの仕事に参加したのに、ついてないぜ!」


「でもいたぶられるのはどうやら貴女方の方の用ですわね。そしてその代償は勿論貴方達の命で支払ってくれると言う事ですね。死の遊戯に付き合ってくれて本当に有難う御座います。と言った所でしょうか。ホホホホホホーッ!」


「うわわわっわわーぁぁぁ、嫌だ。助けて、 助けてくれ! 自首する、自首するから命だけは助けてくれ。お願いだ、俺はまだ死にたくはないんだぉぉぉ!」


 恐怖に怯える男の顔を見つめながら、勘太郎は羊野の前に割って入る。


「もうその辺でいいだろう。止めろ、羊野。これ以上追い詰めると肝心の話が聞けなくなるだろう」


「このまま拷問ごうもんすればいいじゃないですか」


「お前なぁ、そう言う訳には行かないだろう。この日本では法律的に拷問は禁止なんだぞ、知らなかったのか」


「ええ、そんな法律は知りませんね」


「ふざけんな、お前後で説教だな」


 羊野をいましめた勘太郎は、静に男の顔を覗き込むと優しい声で尋問じんもんをする。


「それで、お前達に襲撃を頼んだその男に見覚えはあるのか」


「見覚えも何もその男は俺達と同じ用に蛇のマスクを被っていたから顔は分からないし、声も妙に機械で変えていたから分からないよ」


「ボイスチェンジャーか何かを使っていたのかな?」


「それは分からないけど、そいつは自分の事を大蛇神様の遣いだと言っていたよ。何だか見るからにうさん臭いコスプレ野郎だったから最初は話を信じなかったが、その蛇男が行き成り『この話を断ったら大蛇神様の呪いでお前達を祟り殺す』とか言い出した物だから、みんなこの依頼を引き受ける事にしたんだよ。本当だぜ」


「ここに来てやっと犯人の存在を臭わせる貴重な証言が聞けたぜ。これは新たな新証言だぞ。何せ大蛇事件に関わりがあるかも知れない人物が向こうから来てくれたのだからな。と言う訳で、お前らのことはまだ警察には通報しないでおくから。だから自らの足で交番に行って自首をするんだ。自分の罪を悔い改め更生する気があるのなら、少しだけ情けをかけてやるよ。君たちはまだ若いし、いくらでもやり直しは出来るだろうからな」


「ああ、わかった。ちゃんと自首するし、約束は必ず守るよ。絶対にだ!」


 内心助かったとほっとする若者の横に、邪悪に歪む顔を近づけながら羊野が言葉で釘を刺す。


「別に自首なんかしなくてもいいんですよ。その時は私が自ら出向いて確実に貴女方を殺して差し上げますから。私、約束を破る人は……嫌いですから」


「ひいイイイイイイーぃぃ! 自首する!絶対、何があっても絶対に自首するから、命ばかりはお助けをぉぉぉぉぉ!」


「じゃ仲間を連れて、とっとと帰れ!」


「は、はい。今すぐ帰ります。ひいイイイイイイーぃぃ!」


 勘太郎の『帰れ!』と言う言葉を聞くとその男は、倒れている仲間達を助け起こしながら、逃げる用にその場を後にする。

 そんな彼らの必死な姿を見送りながら、羊野は抜き身になっている両手の包丁を(両太股に備え付けてある)さやへと戻す。


「いいのですか、逃がしても。彼らは蛇使いの仲間かも知れませんよ」


「いや、それは無いだろう。奴らはただの捨て駒だよ。つまり村の悪ガキ共を使ってその大蛇神の蛇使いとやらは、俺達に警告をしに来たんじゃないかな。『この大蛇事件には関わるな。そしてこの村から出て行け!』的な感じでな」


「なるほど、蛇使いが用意した脅迫まがいのデモンストレーションと言った所でしょうか。もしそうならもっと生きのいい獲物を用意して欲しかったですわ。これじゃ流石に不完全燃焼ですわ。獲物が余りに弱すぎて、実際誰も包丁で切り刻めませんでしたし……」


「ははは、不完全燃焼ね。あれだけ一人で暴れておいてよく言うぜ。それに切り刻むとか言うな。そんな言葉、誰かが聞いてたらどうするんだよ。流石に通報されるだろうが。周りはかなり暗くなって来たから今日はもう宿の方へ戻るぞ」


 そんな不謹慎な言葉を互いに交わしながら勘太郎と羊野は、今夜泊まる宿屋の方へと足を向けるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る