マルスの女たちⅠ 扶桑の郎女(いらつめ) 【ノーマル版】

ミスター愛妻

マルスの女たちⅠ 扶桑の郎女(いらつめ)

第一章 富田沙織の物語 盆踊り

さようならなんて、云わせない


 富田沙織は優等生、気配りも出来て成績も上位、ただ華がない。

 どことなく引っ込み思案で、他人の目を気にする……

 清楚な感じではあるが、野暮ったい。


 クラスの委員長としては、うってつけではある。

 そんな富田沙織が、ある日を境に激変した。


 他人の目など気にしなくなり、侍女のようにある女に従っている。

 が、この女を狙って、周囲の女は虎視眈々でチャンスを狙っている。

 その上この女は、すぐにほかの女に手を出す困ったチャン。


 しかも不思議に、出会いの場がやってくる……

 お目付役でもある沙織としては、今日もまずい状況を何とか切り抜けたが、もっとまずい状況に落ち込んでしまった……


     * * * * *


 その日、富田沙織は似合わない行動に出ました。

 クラスメートの吉川美子を、銀ブラに誘ったのです。

 吉川美子は嬉しそうに、

「それは嬉しいお誘いですが……」

 と、言葉を濁した。


 吉川美子は、今をときめくナーキッドの関係者。

 鈴木智子が、クラスメートに問い詰められて、白状したわけで、オディールの者なら皆知っている話。


 帝国政府が護衛として、近衛師団を動員して、送り迎えをしていることが、この話を事実と証明しています。

 この日も、迎えの車が待っているのです。


「こっそりと裏口からでて、何食わぬ顔で校門が閉じる五時までに、戻ってくればよろしいのでは?」

 富田沙織の提案に、乗っかった美子さんでした。


 アリスさんとアテネさんも誘って、麹町駅から東京メトロ有楽町線で銀座一丁目駅へ。

 オディール女学館の生徒は、放課後、このあたりなどには、まず、いません。


 目立つ事このうえなし、それでも美子さん、委細構わず楽しんでいます。


 富田沙織は、その美子の横顔を、瞳に焼き付けるように、じっと見ています。


 あっという間に四時半、必死で学校の裏口に戻り、何食わぬ顔で五時に下校したのです。


「楽しかったですわ、ではごめん遊ばせ」

 そういうと、沙織は家へ帰って行きます。

 ……さようなら……と、小さく呟いて。


 美子さん、突然に、

「アリスさんとアテネさん、先に帰っていてくれない、私、少し用事を思い出したの」

 相変わらずの我儘を、炸裂させています。


 迎えの車に乗ると、鈴木商会本店へ向かうように、言っています。

「さようならなんて、いわせないわよ、沙織さん」


 沙織が家に帰ると、父親が肩を落として座っていました。

「お父さん、私が妓楼で働くわ、そのお金で、なんとか家を立て直して」

 

 母親が、

「そこまでしなくてもいいのよ、ただね、私たち、この家を出なくてはならないの」

「皆で働きましょう、一昨日話した通り、沙織もオディール女学館は退学してもらうけど、我慢してね」


「分かっているわ、今日、お友達とは、それとなくお別れしてきたわ……」


 そんな時、電話がなりました。

「富田ですが……はい、主人と代わります」

「あなた、鈴木順五郎とおっしゃる方からです」

 

「はい、融資を?ありがとうございます、オーナーのご指示?私はオーナーにあった事はないのですが……」

「家の家業を評価されての事、なるほど、鈴木商会の子会社が条件、それはかまいませんが……」


「南アジアはもう駄目でしょう……」

「たしかにビルマのアンダマン海に面した、テナセリム地方には富田の支店があり、ドリアンなどの、マレー半島のトロピカルフルーツを取り扱っています」

「分かりました、種子をかき集めるのですね」


 富田家は、南アジア専門の、農産物の小さい輸入商社、富田貿易合資会社を経営しています。

 南アジアの核戦争で、主力の南アジア産農産物が輸入出来なくなり、資金ショートを起こしたのです。


 電話を置くと、父親は家族に向かって云いました。

「破産はしなくて済む、鈴木商会が子会社になることを条件に、融資してくれるそうだ」


「でもなぜ?鈴木商会といえば、先ごろナーキッドの日本総代理店にもなった、世界的な大会社じゃないですか?」

 息子の富田康夫が、疑問を表明します。


「なんでも、オーナーの直接の指示だそうだが、これ以上の詮索はするなと、総支配人は云われている」

「では、今の電話の相手って……」

「鈴木順五郎氏は鈴木商会の総支配人、直接かけてこられた」


 こうして、富田貿易はナーキッドの傘下に入り、富田家の危機は、あっさりと回避されることになったのです。


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