第19話 幼女と悪の正義
その日は遅くから雨が降りだし、夜半には大雨になっていた。
とうぜんアリスとエスカランティスは、特にアリスの方はこんな裏切り者と一緒に居られるか自分たちは自分の家に帰ると強く主張した。
ヴ・カチャーは止めなかったが、カチャーの親族たちがアリスを止めた。
パラミタに降る大粒の雨は、時を増すごとにひどくなっていく。
カチャーの親族たちがぞろぞろと集まってきて、エスカランティスたちの分もと言って夕食を作り出した頃には、アリスのへそ曲がりも多少は気分を落ち着けていた。
「ふん!誰がこんな裏切り者と仲直りするもんかっ!」
カチャーの家の奥からはこの世の獣人亜属の少年少女、若者に年寄りまであらゆる属性のけもみみ亜人たちがいた。
呼ばれていない客人としてカチャーの家のソファにふんぞり返っているアリスは、当初それがさも当たり前のようにしてじっとしていたのだが、家人たちがせっせと家事をし出すと急に目線を落ち着きなく左右に振り、体をもじもじさせ始める。
「あ、私もなんか手伝おうか?」
「いいよ、あんたはカチャーの友達で、お客様なんだろ?今夜くらいはゆっくりしていきなさいね」
そう言ってアリスをソファに押し付けたのは、歳をとり毛並みはくたびれ、服もその肌もくすんだ色をした、一人の老婆であった。
パラミタ大陸にはかなりの種類の人族がいる。
まずヒューマンにもっとも近いタイプの純血人族。
見た目も人間だし、顔形、瞳の色、髪の毛、背も胴体も高さも何もかもがそのまま人間だと言われても同じ。違うのは言葉や風習、あるいは『どれだけ他の亜人種の血が流れていないか』であった。
純血のヒューマン型人種は過去何千年も前に絶滅したと言われている。
噂によると純血族は、遠く獣族が生存できないはるか北方の森の奥に小さな村を作って暮らしているらしい。
大陸でいちばん多いのは獣亜人族。
多くが森や平原に住む動物たちのどれかに似た器官を持ち、二足歩行をして言語を操り、高度な文明を持ち、集団生活あるいは自身の持っている動物器官に準じた生活サイクルをする。
姿形はどちらかというと通常の人族に似通っているが、一つあるいは二つ以上の動物的特徴を持つ。
神話に出てくるホビットやエルフなどに似た亜人種もいた。
彼らは主に、獣亜人が住めない極端な環境を好んでそこを住処とした。
獣族の血をかなり色濃く受け継いだ獣亜人もいた。毛深くて、口元と鼻が尖り、獣としての身体的特徴を強く感じさせる獣人族だ。
最後に獣族。これは滅んだ。高い知能を持ち、言語も有し、大地や森と意思疎通ができたという。
雑多な亜人種たちがこのパラミタ大陸中に住み、それぞれがそれぞれのテリトリーを侵さないよう住み分けをしていく百年。
そこへ、転生者がやってきた。
種族は人類。立場としては純血人族。
魔法詠唱も武器の扱いも知識も豊富。未知のテクノロジーを駆使してパラミタ大陸中を平定し全土を掌握した。だが転生者のその数は、100人にも満たないごく少数の種族。
それが、パラミタ大陸中の種族間バランスを崩してしまった。
たとえば今目の前で芋を潰してパン状にしているアライグマ種の獣人の女性は、そもそも芋を食べる種族ではなかった。
穀物のスープを調理している年配の大型ネコ族(ヒトの特徴が強い獣亜人。耳毛は毛深くて雪のように白く全体的にふっくらしているが、どの種の獣亜人なのかはわからない)は、そもそも植物を食べない。
だがこれら芋や穀物は、森や山を切り開いて計画的かつ大量に作られた、低所得獣亜人用の食料だった。
もちろん森や山を切り開いたのは獣人や獣亜人たち自身だ。
森や山から追い出されたのも獣亜人たち。
そうやって古くから受け継いできた住処を奪われ、王都の端にある墓場近くの町にやってきて、町を作り、子を産み、育て、死んで次世代へ自分たちの血を受け継がせていくのも、獣人や獣亜人たちだった。
「いただきます」
カチャーの一族全員にスープと今日のパンが行き渡り、全員が揃って声をあげた。
あとはスープ皿にスプーンが走る音、パンを咀嚼する音が、窓の外から聞こえる雨の音を背景にして部屋の中に響いた。
長テーブルの数はざっと四つほど。そこへ互いに向かい合うようにして、30人ほどが席についている。
椅子はもちろんあり物の高いもの。多くは廃材を利用した空のオイル缶だ。
アリスとエスカランティスも、テーブル席の隅っこに並んで座っていた。
ホスト役としてカチャーはエスカランティスのすぐ隣に、アリスから直接殴られない位置に座っていた。
きわめて透き通った色の茶色のスープをスプーンですくい、その小さな口に液体を流し込んでアリスは唸った。
「しょっぱい」
「文句を言うなクソアリス」
エスカランティスの横で黙々とスープをすすっていたカチャーが文句を言う。
すかさずすぐ隣の老女がカチャーの手をはたきたしなめると、カチャーはオホンと小さく咳をしてぱんを握った。
「ほら、このパンをちぎってスープに浸して食べるんだ」
「たしかにすごく濃い味付けだけど、パンに浸してもだいぶしょっぱいかもしれんな」
「はは、ここらじゃインフレでキャベツの葉っぱ一枚買うのにも札束が十冊くらい必要だからな。けど塩だけは、公社のおかげでいつでも定価で買えるのさ」
「なるほど、塩が具の代わりになってるのか」
エスカランティスは別の意味で唸りながら、塩スープに浸した黒茶色いパンに見入った。
隣のアリスは、口元をシワだらけにしながらスープをすすった。
「このパンも普通のパンとは違う、トウモロコシの粉で作ったパンだな?」
「半分くらいはトウモロコシ、残りの半分はニクビキソウとガンゾウの種を挽いて作った偽物の小麦。サラダに合わせて食べる肉は、さっき肉屋で買ってきた本物の肉だ」
エスカランティス、アリス、カチャーの前にはそれぞれ三つずつ皿が並べられている。
一つはカチャーの教えてくれた塩スープ、一つは焼けた薄いパン、もう一つは淡い緑色をした平形の草の上にどろっとしたピンク色のゼリーのようなものが載っていた。
エスカランティスは、このような形の「肉」を初めて見て驚いた。
「ポーキンズの肉屋は他の肉屋に比べてすごく高いんだが、そのかわりに濃い肉を売ってくれるんだよ。今日みたいな日でなきゃ、こんな上等な肉は食べられないぞ。ほら、こうやって食べるんだ」
カチャーはサラダの葉っぱの先に肉をつけて、口の中に放り込んだ。
「ま、あたしはサラダなんか食べないんだけどね。パンにつけたり、スープに混ぜてもうまいぞ」
「あーブラザー。私は、こんなファッ◯に上等な肉を食べにおまえの家に来たわけじゃないんだぜ。なあカチャー、おまえいつからこんなケチな生活してるんだ?私たちは成功したんじゃないのか!?このフ◯ッククソ野郎な世界でひと旗上げるために、あの銀行で私たちは命をかけたんじゃなかったのか!?!?あンとき私が殺◯たファック野郎は、いったいいくらの意味があったんだ!?」
「いったろアリス」
カチャーが虚ろな目で、スープに映り込む自分の顔を見ながら答えた。
「この世界は、すべてがおかしくなっちまったんだ。その肉一つで、札束が十個必要だ。あの時おまえが担いでたカバンの中に札束が十冊。つまり、てめえの盗んだカバンいっぱいのカネと、おまえが今食ってる肉は、同じなんだよ」
「◯ァック!!!!!!」
アリスはナイフとフォークを両手にそれぞれ持ったまま、机を激しく叩いて突っ伏した。
「あれだけ頑張って生きてきて、死ぬ思いして脱獄して、稼いで、稼いで、賭けに出て、その結果がこのザマか!?ああ!?ファッ◯!◯ァック!!ファアアアアァア◯ック!!!!!」
ダン!ダン!とアリスは激しく机を叩いた。
テーブルの隅に座る子供の獣亜人が、……もしかしたらアリスよりは年上かもしれないが……残り少なくなったスープ皿の中身をスプーンでこすりながらアリスを見る。
しばらくしてまた室内が静かになると、雨の音と、カチャーの親戚と言われる獣亜人たちの皿を擦る音や咀嚼音が響くようになった。
「おかわり、いるか?」
アリスがしょっぱいスープをほとんど口にしていないのを知って、カチャーがさっさと食えという催促も兼ねてアリスに声をかけた。
「クソクラエだ! こんなところでグズグズしてられるかっ!!!!おいそこのでっかいの!」
アリスはエスカランティスを振り返ると、髪の毛と服の襟首のところを一緒に掴んで自分の口元まで引き込んだ。
「……いますぐ出るぞ。おめえはこんな憂鬱なセカイに満足かッ!?こんなしみったれたセカイの隅で陰鬱になって、セケンに哀れみを買って少しばかりの同情を買うのでこのセカイを許せると思ってるのかよああ?私ゃこんなんじゃ満足できねえ、満足できないんだよ!!」
アリスはエスカランティスの顔面を食べかけのパンの上に押し付けた。
「ぶほっ!?ブホ、い、息、くるし……」
「さあ生きてるって実感を感じさせろよ。おまえが苦しむのを私に感じさせることができれば、私は生きてるって実感が持てるんだ、ほらとっとと息を吸ってみろ!!」
エスカランティスは幼女アリスに頭を押さえつけられながら、口の端っこで息をした。
「す、スゥー」
「吐け!!!」
「ぶふぉぉぉぉっ」
「生きてるか?生きてるな!……いいことを思いついた!」
アリスは押さえつけていたエスカランティスの頭から手を離し、目を輝かせる。
「ぶへっ!ペッペッ!急になんてことするんだアリス……」
「こいつァいい!今日の私は冴えてるな、オイ!出かけるぞでっかいの!」
「出かける?出かけるって、何しに?」
「決まってんだろ。このセカイに巣食う極悪人をぶっ◾️しに行くんだよ!正義は遅れて現れるってな!!」
アリスは高笑いすると、皆が唖然としているなかでテーブルに片足を乗せ、雨が止みつつある窓の向こうを指差した。
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