蒼き人たち。

八原デュカ

Season1

第1話 イブ

 女神はこの世に何をもたらしたのだろうか。


 世の中は頽廃してしまっている。悪人は傲慢な生き方をする。そしてそれらは弱者を苦しめる。何がそうさせてそうさせたのか誰も分からない。『死者の書』の世界が現実なら大半の人間が心臓と羽が釣り合わず、そのまま化物の口へ運ばれていくだろう。


 ある青年は十七歳にも関わらず団地で一人暮らし、そして学校に行かずネジ工場だとか、ダンボール工場とかで生計を立てている。でもそうでもしないと生きていけないのだ。ただでさえこの筒のような管理塔の外は化物がうろついている。余裕などないのだ。

 こんな俺に『羽月命はづきめい』なんていうやたら綺麗な名前、誰がつけたのだろうか。

 「おい!何ぼけっとしとる」

 「あっ、すみません…」

ダンボール工場のヒゲをはやしたリーダーに怒鳴られる。

 「お前みたいな出来損ないをわざわざ雇ってやってるんだ。ちゃんとしろちゃんと」

と、持っているバインダーを手でパンパンと叩いた。

 「はい…すみません」

 リーダーは眼鏡をくいと上げ、そのまま大股で向こうへ歩いていった。

 命は霞んだ目を擦り、山のように積まれたダンボールの枚数を数える。終わりの見えないような作業をしていると、どうして自分はこんなにも無力なのかと思えてくる。


 仕事が終わり、ダンボール工場を出た。作り物の青い空が広がっている。いつ見ても不自然な空だ。ところどころに線が入っており、まさに人工物であることを彷彿とさせる。最新技術で外にある本物の空と連動しており、映像の太陽と映像の月が外と同じ配置で現れる。その太陽は今、空の中央で光っている。ちょうど正午あたりといったところか。

 今、自分の目に映る全ての物が『人工物』なのだ。そう、仕組まれた世界なのだ。それを当たり前のように捉えてしまっている自分に恐ろしく感じるのだ。

 十二分ほど歩いて自宅である団地の前に着いた。白い長方体が幾千も建っている。

 【W棟 308 羽月】

と書かれた古びた表札の横のドアを開ける。部屋に上がると一直線にベッドに向かい、横たわる。腕で目を覆い、黄昏れる。ベッドとパソコンだけしかない閑静な部屋に、ドロドロとした空気が流れていく。       

 (何故こんなにも窮屈なんだ)

考えたところでどうにもならないことは分かってる。しかし、色々な雑念が引っ掛かっている。

 

 「ピロン」

 コンセントに繋ぎっぱなし、電源入れっぱなしのパソコンの通知が鳴った。いつもベッドのすぐ横に置いている。『イブ』という組織が運営する『裏ネット』でニュースや情報をすぐに確かめられるようにするためだ。今の日本の政権を握る『管理政府』の情報は信憑性が薄い。

 巷で人気の歌手やモデルなどは全て管理政府のマネキン人形だという説明を受けたことがあるが、本当だろうか。どちらにせよ管理政府を信用したくないのは変わらないが。

 また、理由は分からないが管理政府は情報統制をしているらしく、そのため外界の正規の情報は一般的に出回っておらず検閲によって許可されたものだけが世間の目に触れる。いわば知る権利が存在していない。


 イブや裏ネットの存在を知ったのはつい最近のことである。五月のある日に誕生日を迎えた次の日に役所から封筒が届いた。

 役所の窓口の一つの『調査科』に行きなさいという内容の書面が入っていた。十七歳以上の国民は年に一回、この科に行くことが義務付けられているらしい。

 そこでは健康診断や簡単なアンケートなどを受けさせられた。後日結果を聞きにいった僕は息を呑むほど驚いたのを覚えている。調査科の担当の男性から最初にこんな事を質問された。

 「あなたは、管理政府に不信感を抱いてますね?」

 僕はとても怖かった。役所は管理政府が運営しているのでこの質問に正直な返答をすれば粛清されるのではないかと思った。

 「はい、あります」

 でも僕はこう答えた。何かが背中を押したような気がしたからだ。すると

 「ありがとうごさいます。我々はイブという組織です。管理政府ではございません。今から話すことは一般的には知られていませんので誰にも話さないようにして下さいね」

 この瞬間、自分の抱いていたモヤモヤした感覚が少しだけ抜けた気がした。強張っていた肩が砂のようにじわじわと砕ける感触だった。

 そこでイブという組織の存在、管理政府が何をしているのか、そしてイブが管理する裏ネットや調査科での健康診断やアンケートの目的などの一切を話された。

 調査科の行っている健康診断は表向きの理由であり、実際はコンピューターで脳の内部を読み取り、管理政府にどんな思いを抱いているかを検査している。そこで不信感を持っていたなら先程のような質問をして、「はい」と答えたのなら裏ネットの利用権を与え、イブの方針に賛同する協力者を得ている。そもそも管理政府に納得しているという結果が出たなら、検査結果は報告しないのだという。

 そして裏ネットの利用者IDが記載された紙を渡され、そしてこのことを誰にも話さないことを約束する契約書にサインをした。

 裏ネットの利用は任意だが、外界の情報を入手できると知り、登録した。


 命は通知画面をクリックし、裏ネットのサイトにアクセスする。そしてゆっくりと起き上がるように裏ネットのサイトが起動する。

 画面には最初に利用IDを入力する『ログイン画面』が出てくる。入力ボックスの上に『イブ』のロゴが表示されている。心臓を模したような、不思議なロゴだ。

 命はそこに慣れた手付きでIDを入力し、ログインボタンをクリックする。すると画面に外界についての情報がありありと現れる【2039年度イブ採用試験のお知らせ】   【古代文明の存在、英国の調査隊が解明】

【米、新型ミサイルの開発を開始】

【連合自衛隊マアト遠征、死者五十二人に】

【国連事務総長「絶望的な状況」】

画面の一番上にはイブの採用試験の広告が表示されている。年に一度、この時期に募集をかけているのだ。

 パソコンには募集要項が表示された。

 【イブは世界で唯一の対アメミット及び対管理政府組織です。以下の条件に当てはまる方のみ採用します。】

 『アメミット』。その言葉を聞くと、いつも背筋が凍りつく。

 三年前、東京に突如出現し人々を食い殺した化物の俗称。

 アメミットは手当たり次第人々を喰い殺した。その貪り食う姿は無慈悲で、人々は小さな水風船のように砕け散った。

 その惨劇のあと、日本列島はアメミットの住処となり、全土が立入禁止区域になった。そして日本を含む十六ヶ国がそのような状況となり、自ら『救世主』と名乗る管理政府の言いなりになっている。

【募集条件】

【・十七歳以上の者】

【・生命の危険にも怯えない者】

【・世界平和に対する関心がある者】

 画面のさらに下には募集要項が表示された。

 命は工場の作業着に付いている胸ポケットから財布を取り出した。中を見ると全財産である三千円が礼儀正しく入れてあった。

 募集要項に目をやると下位部隊の受験料は三千円。また他の部隊と比べて倍率が低め。もしかしたらイブに入隊できたら何かが変わるかもしれないし、変えれるかもしれない。このまま当たり障りのない人生で終わるより、世界平和に少しでも貢献した方が自分のためだと命は思った。


 命は心を決め、画面に従って手続きを進めた。そして最後に【応募】というボタンが出てきた。冷たい手でマウスをクリック。

 【ありがとうございます。応募が完了致しました。八月一日、午前四時に管理塔第七港に受験票を持って集合となります。会場は日本列島静岡県のイブ本部となります。】

 と、画面に表示された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る