恋しい人 第14話

「何泣きそうな顔してんの。これから教室行くんだから、ほら、そんな顔しない」

「べ、別に泣きそうな顔なんてしてない」

「はいはい。そう言う強がりは笑えるようになってから言ってね」

 振り返った慶史に頬っぺたを摘まれ、ぐにっと口角を持ち上げられる。

 僕が痛いと訴えると、慶史はしょうのない僕に苦笑を浮かべ、大丈夫だよって手を離した。

「最初の一週間」

「え?」

「最初の一週間さえ気を抜かなければ大丈夫だから」

 にっこり笑う慶史の言葉の意味が分からない。

 僕が眉を顰めて表情だけでそれを伝えれば、慶史は僕の肩を叩いて「行くよ」と先を歩いてしまう。

 姫神君と肩を並べて歩く慶史の背中に言い知れぬ不安を感じる。でも、声を掛けることができない。それは何故だろう……?

(なんで『一週間』? その先は……?)

 心臓がドクドクと鼓動して呼吸が浅くなる。

 これ以上考えてはだめだと思考の破棄を求める理性の声が聞こえたけど、僕は先を考えずにはいられなかった。

(もしかして、慶史、もしかして……)

 口からは悪態ばかり漏らす慶史。でも、本当は凄く優しくて友達想いだってこと、僕は知っている。そして慶史が自分をとても汚い存在だと思ってることも知っている……。

「マモ、気をつけろよ」

「! え? 何……?」

 頑張って平静を装う。悠栖は僕の頭をポンポンと叩いてちょっぴり困ったように笑った。まるで僕の考えていることは分かっているよと言いたげに。

 悠栖は何も言わない。いつもの悠栖ならこういう時絶対黙ったりしないのに。

「悠栖、何か知ってるの……?」

「分かんねぇ。でも、俺と朋喜がちゃんと見張っててやるからそんな顔すんな」

「慶史君が望まないことは僕達がちゃんと阻止するから、ね?」

 慶史に聞こえないように小声でそう伝えてくれる二人に僕は唇を噛みしめ、頷く。

 悠栖も朋喜も慶史の過去を知らない。でも、慶史の抱える傷の存在をなんとなく察しているだろう。

 慶史の奔放な生き方を良しとしなくとも黙って見過ごしていたのは、自分達が踏み込めない過去があると気づいていたからだろうか。

 二人は慶史がこれ以上傷つかないよう傍で守ると言ってくれた。

 それがとても心強くて、とても嬉しくて、僕は辛いと思う心に今は耐えようと決意した。

「……内緒話は終わった?」

「別に内緒話なんてしてねーよ。マモが俺らの心配ばっかして自分の心配してないから注意してただけだって」

「えぇ? 葵、まだそんなこと言ってるの? この前言ったよね? もしかして忘れたの?」

 悠栖の嘘の答えに慶史は足を止め振り返り、僕を睨む。

 姫神君の手前、明確な言葉を避けてくれたものの、目が物語っている。先輩以外に襲われたいの? と。

「忘れてないよ。大丈夫。……ちゃんと僕も気を付けるね」

「本当に気を付けてよ? 自衛してくれないと最悪のことが起こるんだからね?」

 念押しされ、気圧されながらも頷く僕。正直僕をどうこうしたい人なんていないと思うけど。

 すると慶史と同じく引き返してきた姫神君は「そんなにヤバいのか?」と不安を覗かせていた。

「入寮してから結構その手の話聞いてるんだけど」

「寮の部屋の鍵は絶対に掛け忘れるなよ。外出する時も」

「できるだけ背後にも気を付けていた方が良いよね。人気のないところには一人で立ち入らないことも大事」

 慶史のアドバイスに朋喜が続く。悠栖は二人のアドバイスに深く頷いていて、三人とも寮でも気を付けていることが分かった。

 姫神君は顔を顰め、「俺、男だぞ……」と呟く。悠栖から何度も聞いた言葉だ。

(もしかして姫神君って……)

 頭に過った一つの可能性。それは悠栖と同じかそれ以上に同性の恋愛に否定的かもしれないというもの。

「男でも穴があるじゃん」

「慶史君、言い方」

「あはは。ごめんごめん」

 絶対にわざとだろうと僕達は慶史の意地悪にちょっぴり呆れる。

 でも姫神君はますます顔を顰めて「ゲイの巣窟かよ……」と嫌悪感を露わにする。

(やっぱりそうだ。よかった。虎君と付き合ってるって言ってなくて……)

 仲良くなりたいけど、もし僕に同性の恋人がいると知ったら、姫神君は僕と仲良くなりたいと思ってくれない気がする。

 うっかりカミングアウトしそうになった僕を止めてくれた慶史には感謝だ。

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