My Everlasting Dear... おまけ

 それは虎が自分の想いに正直に生きると決めてから一ヶ月が経った頃だった。

「虎さ、姉さんと何かあった?」

 いつもと同じように『愛しい人』の宿題をみていた虎に、『弟』の茂斗しげとがそんな質問を投げ掛けてきた。

 虎はそれに「え?」と聞こえない振りをして考える時間を稼ぐと、何故今このタイミングでそんなことを聞いてくるのかと考えた。

 今、部屋の主である『愛しい人』――まもるは勉強の休憩にお茶とお菓子を取ってくると言ってリビングに降りて行って不在。部屋にいるのは自分と一足早く宿題を終えて葵のベッドに寝転がって漫画を読んでいる茂斗だけ。

 先の質問を投げるタイミングはいくらでもあったはずなのに、茂斗は何故か葵が部屋にいない『今』を狙って尋ねてきた。

 虎は『弟』の様子を伺うためにベッドでくつろぐ茂斗へと視線を向けた。すると茂斗は漫画を読む体勢のまま、もう一度同じ質問を投げ掛けてきた。

「だから、姉さんと何かあったのかって聞いてんの」

「何かって?」

「それを俺が聞いてるんだけど?」

 なんのことかな? と、『まだはぐらかせるかもしれない』と僅かなと望みをかけて笑いかければ、漫画を読んでいた茂斗は本から目を離すとじっとこちらを見つめてくる。

 虎はその視線と質問のタイミングから、自分の想いに茂斗が気づいているのでは? と緊張を覚えた。しかし、疑念を抱くも確信は持てない。虎は、今茂斗を問い詰めるにはリスクが高すぎると計算して、嘘と真実を織り混ぜて茂斗の質問に答えることにした。

「最近喧嘩ばかりしてるから心配してくれてるのか?」

「……まぁ、それなりに。てか、心配してるのは俺じゃなくて葵だけど」

 これまでも虎と桔梗は何度も喧嘩はしていた。だがこの一ヶ月、何かと虎に絡んでは喧嘩腰に突っかかり挙げ句手をあげている桔梗に対し、虎は理不尽な暴力に反論することも反撃することもなくそれを受け止めていて、ずっと近くで見ていた茂斗は『あれは喧嘩じゃないだろ』と呆れたように視線を向けてくる。

 そして茂斗と同じく葵もそんな二人を見ていたから、虎が懸念していた通り、愛しい人にも心配をかけてしまったようだ。

「なぁ、何があったわけ? 殴り返さない虎とか超怖いんだけど」

 これって嵐の前の静けさ?

 茂斗の言葉に虎は自分をなんだと思っているんだと苦笑い。俺は女を殴ったりしないぞ。と。

「そうやってしれっと嘘つくのも怖いって。姉さんと殴り合いの喧嘩した回数、教えてやろうか?」

「! 数えられる回数だったか?」

「全然。一〇〇回なんて余裕で越えてるだろうし」

 冗談混じりで突っ込みをいれるものの、茂斗の表情は緩まない。それどころか真面目な面持ちで「それなのにいきなり一方的に殴られてたら誰だって気づくし」と不自然さを隠す気があるのかと突っ込み返されてしまった。

「訳アリならこれ以上は聞かないけど、もう少し分からないようにしてくれよな。そのうち葵に泣かれるぞ?」

「! そうだな。気を付けるよ」

「マジで頼むわ。虎も好きな奴に泣かれるのは嫌だろ?」

「!?」

 『弟』に心配を掛けてしまうなんて『兄』失格だ。なんて力なく笑っていれば、突然落とされる爆弾。

 驚きのあまり茂斗を見れば当の本人は漫画に視線を戻していて、聞き間違いかと自分の耳を疑いそうになる。しかし、確かに聞こえた単語にどうしても自分を疑うことができなくて、虎は「おまえなんで……」と漫画を読み耽る『弟』に喋り掛けていた。

「んぁ? 何?」

「いや、『何』じゃなくて、今―――」

「ああ、虎が葵に惚れてるって話?」

 言葉を選ぶために口を閉ざしたら、あっけらかんと言葉を口にする茂斗。

 虎は自分が今いる場所に思わず前のめりになりながらも手を伸ばし、茂斗の口を塞いだ。

「―――っ、虎、必死すぎ。葵ならまだ戻ってこないって」

「おまっ、何言って―――」

 乱暴に口を塞がれるもすぐに虎の手から逃れる茂斗は、はじめて見る虎の慌てふためいた姿に思わず吹き出してしまった。

「やべぇ。虎もそんな顔するんだ? すげぇ! こんな虎、はじめて見た!」

 声を出して笑う茂斗。虎は頼むから騒ぐなと必死だ。

 きっとこのまま言うことを聞かず茂斗が笑い続けていれば、虎は強行手段に出るだろう。しかしそれは茂斗も分かっているから、まだこみ上がってくる笑いをなんとか耐えて虎の疑問に応えた。

「虎はさ、結構露骨なんだよ。まぁ姉さん達には分からないレベルだから『露骨』って言い方は違うかもしれないけど、でも俺からすればやっぱり『露骨』だな」

「なに、が……」

「だってさ、虎は昔からずーっと葵が一番。最優先じゃん? まぁそれは最初からそうだったし大して疑問にも思ってなかったんだけどさ、一年前かな? 凪に聞かれたんだよ。『しげちゃんはさみしいの?』って。最初はなんのことか分からなかったけど、俺、羨ましそうに葵のこと見てたっぽくてさ」

 まだ小学生にもなっていない小さな女の子に頭を撫でられ慰められたと笑う茂斗は、その時初めて虎にとって自分は『一番の弟』じゃないんだと気づいたらと言う。そして、それが寂しいと感じていた心を理解した出来事だったと言う。

「万年二番の寂しさみたいなのが顔に出てたんだろうな。あの引っ込み思案な凪がさ、小さい手いっぱいに広げて俺のこと抱き締めて『なぎはしげちゃんがいちばんだよ』って慰めてくんの。もう本当、あの時から凪は天使だよな」

「あ、いや、今はそういう惚気話はいいから」

「え? いらない? 凪の可愛さ、聞きたくない?」

 結構神妙な内容の話だったはずなのに、空気が一瞬で違う色に染まる。虎は頭を抱え、本題が済んだらいくらでも聞くからと話を進めるよう茂斗促した。

 茂斗は漫画をわきに置くと「まぁだからかな」と話を戻し、虎に教えた。あれがあったから虎の気持ちに気づいたんだ。と。

「俺と葵は何が違うんだろうって暫く虎を観察してたんだけどさ、顔っていうか目? が違ったんだよ」

「『目』?」

「そう。目。虎が葵を見る目ってさ、父さんが母さんを見る目と一緒なんだよ」

 にやりと笑う茂斗の言葉に、虎はカッと顔が赤くなる。

 茂斗の父が母を見る目。それはとても優しくて暖かくて、愛しさに満ちた眼差し。言葉に出さずとも奥さんを心から愛しているんだなと知ることのできるあの眼差しを、自分がしている、と?

 虎が想いに正直になろうと決めたのは一カ月前のこと。しかし、茂斗はそれより前から気づいていたという。双子の片割れを見る愛しさの篭った眼差しのせいで。

(嘘だろ……。全然隠せてなかったのかよ……)

 完全に隠せていると思っていたのに勘違いだったなんて、穴があったら入りたい程恥ずかしい。

「なになに? もしかして、隠せてると思ってた? すっげぇ顔赤いけど!」

「っ、黙れ、クソガキっ!」

 面白いおもちゃを見つけた子供のような顔で自分の顔を覗き込んでくる茂斗。虎はそんな茂斗を黙らせるために羽交い絞めにしてやった。

「照れ隠しが乱暴すぎだぞ、お兄ちゃん」

「まだ言うかっ!」

「お待たせ! って、何してるの?」

 なおも軽口を叩く茂斗をベッドにのぼってまで締め上げる虎。するとそこにお茶とお菓子を嬉々として運んできた葵が戻ってきて、二人の格好に目を丸くして見せて。

「葵、ヘルプヘルプ! 虎に殺される!」

「! 馬鹿言ってんな! 葵、お茶ありがとうな」

 葵の登場に虎の手から力が抜けていたおかげで、茂斗は言葉の割に余裕の表情。虎はそんな茂斗を解放すると、ベッドを降りて葵に駆け寄った。ベッドを降りる間際に茂斗の頭を一発叩いたのはせめてもの反撃だ。

「暴力反対ー!」

「煩いぞ、茂斗」

 軽口で茶化すものの、茂斗はそれ以上のことは何も言わない。虎は茂斗が自分の想いを他言する気が無いと判断して、苦笑を漏らした。

 葵からは不思議そうな顔をされたが、虎はそんな葵に何でもないと笑って勉強の再開を促した。

 そんな二人を漫画を読みながら盗み見る茂斗は、

(あーあ。幸せそうな顔してら。てかそんな目で見てたらそのうち葵にもバレるぞ、虎)

 鈍い双子の片割れが『兄』の秘めた想いに気づくのも時間の問題だろうと一人笑った。






*






(まさか茂斗にバレてるとはな……。)

 夜も更け、そろそろ寝るかと虎は歯を磨くために階下のバスルームに向かっていた。

 階段を降りながら思い返すのは夕方の事で、想いが駄々洩れにならないよう気を付けようと一人頷きを繰り返す。

(葵に好きになってもらう前に気づかれたらダメだしな)

 そう。葵に自分の意志で好きになってもらいたいから、それまでこの想いを知られるわけにはいかない。

 幸いにも自分の想いを知る人達は皆、この考えに賛同して秘密を共有してくれている。

 それなのに自分がこの調子では、葵本人にバレる可能性が非常に高い。それでは本末転倒というものだ。

 虎は明日からは想いが溢れすぎないようにと気を引き締める。

(いやでも、目はなぁ……隠せる自信がないなぁ……)

 他はともかく、茂斗に指摘された眼差しはどうしよう?

 どうやれば想いが眼差しに篭るのを抑えられるのか。そんな事を考えながらもリビングのドアに手をかけた虎。

 しかし、ドアを開く前に奥から話し声が聞こえて、虎は思わずノブから手を放してしまった。

 それは何故なら、声の主が桔梗だったから。

(あいつ、まだ起きてたのか? 静かだからもう寝てるかと思ってたのに……)

 今日は夕食後に一度も絡まれていないから、てっきり今夜は疲れて早々に眠りについたのだろう思っていたが、どうやらそうじゃなかったようだ。

 葵が眠るまで共にリビングにいた虎は、自分が部屋に戻ってから桔梗は自室から出てきたのかと理解し、顔も見るのも嫌だと思われるようになったのかと少しの悲しみを覚えた。

(まぁ仕方ないか……)

 許せないと思いながらも自分の想いを黙ってくれているのだから、桔梗には感謝しないと。

 そう思っているのだが、やはり長年兄妹のように一緒にいた相手だから、できることなら想いを認めて欲しいと願ってしまう。

(なんて、それは無理か)

 桔梗は彼女なりに精一杯譲歩してくれている。自分はそれに感謝し、満足しなければ。

 虎は聞こえる『妹』の声に、桔梗が眠るまで待とうと自室に戻ろうとした。だがその時、僅かにだが自分の名が聞こえた気がした。

(いや、盗み聞きはよくないだろ)

 部屋に戻ろうとした足が、止まる。

 すぐに立ち聞きはよくないと自分に言い聞かせ『部屋に戻れ』と自分自身に命令したのだが、何故かどうしても気になってしまって、桔梗には申し訳ないと思いながらもリビングのドアに聞き耳を立ててしまった。

「そんなに悩むなら、謝ればいいだろう? 虎なら許してくれると思うぞ?」

(この声は、陽琥ひこさんか……)

 桔梗の話し相手を知って、心臓が痛くなる。

 一体どんな愚痴を話されているのだろう。と。

 しかし、続いた言葉は愚痴ではなくて……。

「許してくれるって分かってるから、謝れないのっ。陽琥さんも知ってるでしょ? 毎日毎日突っかかる私の事、虎は一度だって怒ったことないんだよ?」

「ああ、知っている。……虎は自分に負い目があるようだから桔梗の怒りを甘んじて受け止めているんだろうな」

「それなの! それが、私、嫌なのっ……。私が酷い事言っちゃったせいで、虎、自分の気持ちが『異常』だって思っちゃったのに……」

「そんな風に後悔しているのなら、毎日毎日突っかからなければいいだろう?」

「それも分かってる! 分かってるけど、もう無理だよ……。今更素直になんてなれないよ……」

「何故だ?」

「毎日毎日ちょっとしたことに怒って怒鳴って殴っちゃってるんだもん……。虎だってもういい加減鬱陶しいって思ってるよ……」

「そんなことはないだろう」

「そんなことあるのっ! だって虎、全然反応してくれないもん!! 反応するのも面倒だって思われちゃってるに決まってるよぉ」

「ああ、泣くな泣くな。今此処に先輩が入ってきたら俺がヤバくなるだろう」

 陽琥の困ったような声の後に桔梗の涙声が聞こえて、虎はグッと手を握り締めてた。

 怒りを受け止めてやるのが桔梗の為だと思っていたが、それが間違いだったと今の話を聞いて思い知らされた。

 桔梗はただ突然突き付けられた現実に戸惑い、素直になれなかっただけ。それを怒りと勘違いしていた自分が許せない。

 虎は桔梗を思いやって取った行動が全て裏目に出ている現状に唇を噛みしめ、リビングを離れた。

(あのバカっ、鬱陶しいって思ってる相手に俺が好き勝手殴らせるわけないだろうがっ!)

 何年傍で自分を見てきたんだとわき上がってくる怒りとやるせなさ。

 虎は階段の途中で頭を抱え、覚えた怒りに自己嫌悪。

(違うっ……その言葉を言わせたのは俺だ……)

 いつもの桔梗なら、あんな風に思わないはず。

 それなのにあんな言葉を口に出したということは、それだけ彼女の心が追い込まれていたということだ。

 虎は後悔と自己嫌悪に、自分が葵を愛してしまったせいだと一瞬だけだが思ってしまう。

 勿論すぐにその考えを振り払い、自分の想いは『間違い』ではないと言い聞かせた。葵を愛している自分を否定するな。と。

(そうだ。俺が自信がないから、ダメなんだ……)

 この唯一無二の『想い』に自信がないから、いろんな人を巻き込み、傷つけてしまうのだ。

 虎は深く息を吐くと、心に問いかける。譲れないものはいったい何なのか。と。

(譲れないものなんて、決まってる)

 そう、それは初めから決まっている。自分にとって今までもこれからも変わることのない『想い』こそ、譲れないものなのだ。

 虎はもう一度深呼吸をすると、葵を想う。

(大丈夫。もう、大丈夫だ。自信がないなんて、もう二度と思わないし、思わせない)

 たとえ他の誰を不幸にしたとしても、もうこの『想い』を否定することは二度とない。

 虎は静かに前を向くと、改めて足を踏み出し歩き出すのだった。

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