My Everlasting Dear... 第13話

 自分に正直に生きると決めてから初めて迎える朝は、いつもよりもずっと清々しいものに思える。

 虎は愛しい人とその双子の片割れを初等部に送った後、無言のまま後ろを歩く桔梗を気にしながらも学校までの道のりを眺めた。

(まだ不安とか恐怖とかそういうのはあるけど、でも、嘘を吐かなくていいってこんなに楽だったんだな)

 もうずっと自分の心と身体を偽っていてそれが『普通』になってしまっていたから気が付かなかったが、自分は随分と『自分』に無理を強いていたようだ。

 問題はまだ残っているが、一朝一夕でどうにかなるものでもないと割り切って『今』を生きることにしよう。

(まぁできるならこっちの問題はさっさとどうにかしたいんだけどな……)

 『こっちの問題』とは、後ろを歩く桔梗の事。

 朝から一言も口を開かない桔梗に、両親はもちろん家族想いの弟達もとても心配していた。

 通学途中もずっと姉を気遣っていた愛しい人を想うと、虎はまもるの為にも早くいつもの桔梗に戻ってもらわないとと背後を伺った。

「……まだ怒ってんのか?」

 桔梗の頑固さは実の兄妹のように育った虎もよく知っている。そして彼女がとても家族を大切にしていることもまた知っていた。

 だから桔梗の怒りがたった一晩で昇華できるとは思っていないし、暫くこの怒りは無くならないだろうとも分かっていた。きっと普通なら怒りが治まるまで見守るのが一番だと思われるところだろう。

 しかし虎はあえて口を開き、桔梗を振り返った。それはもう一つの彼女の性格を知っているからだ。

「本気で怒ってるなら無視してくれていい。でも、引っ込みがつかなくなってるなら、ちょっと話をしないか?」

 足を止めた自分に遅れること数歩、桔梗は俯いたまま足を止める。虎は怒りが治まらなくて黙っているなら先に歩けと桔梗を促したが、彼女は立ち止まったままだった。

(ったく……。世話の焼ける奴だな……)

 素直じゃない『妹』に虎が零すのは苦笑い。

 一歩足を踏み出し桔梗に歩み寄ると、虎は俯いたままの桔梗の頭にポンっと手を乗せた。

「本当、悪かった。お前が怒るのも無理ないって思ってる。……でも、茂さんや葵達にはいつものお前でいてくれないか? 俺のせいでお前が家族とギクシャクするのは正直、辛い」

 桔梗の心を傷つけないよう、できる限り穏やかな口調で言葉を綴る虎。俺のことは無視してくれていいから頼む。と。

 その虎らしくない『懇願』に桔梗は声を震わせて「なんでよ……」と呟いた。

「ん? 何が?」

「なんで、虎が謝るのよっ……」

 ああ、また謝らせてくれないのか。

 虎は自業自得とはいえ『妹』に何度も拒絶されるのは辛いなと桔梗に気づかれないよう自嘲を漏らした。

 だがしかし、桔梗は決して『謝罪を拒否』しているわけではなかった。

「私が悪いのに、謝らないでよっ……!」

「! 桔梗……」

 ぎゅっと握り締められた彼女の手は、震えていた。

 俯いたまま言葉を必死に紡ぐ桔梗。きっと顔を上げたら素直になれないのだろう。彼女はとても照れ屋だから。

 桔梗は必死に自分の心を伝えようとしてくれている。ならば自分にできることは、その言葉をすべて聞いてやる事だ。

 虎はただ黙って桔梗が納得する言葉を出し切るのを待ってやる。紡がれるのは昨夜の暴言に対する謝罪の言葉と、信用してもらえなかったことへの自己嫌悪だった。

 桔梗は涙を堪え、何度も謝ってくれた。『異常』だなんて思ってないから。と。虎が良い『お兄ちゃん』だってちゃんと分かってるから。と。

「もういい。もういいよ……。俺はお前にそんな風に謝ってもらえるような奴じゃないんだから……」

「! 違うっ! 私が悪いの! 私が、自分の事を棚に上げて虎を傷つけたか―――」

「違わないって。……大丈夫、自分が『普通』じゃないってことは俺自身よく理解してるから」

 涙目で見上げられたら、弱い。

 虎は苦笑を濃くして、登校前に泣かないでくれと言いながらまた桔梗の頭を撫でてやる。気持ちはちゃんと受け取ったから。と。

 しかし桔梗はダメだと声を荒げ、自分の頭を撫でる虎の手を振り払った。

「虎はそんな風に思っちゃダメなの! 私が、私のせいなんだからっ! だから、だから!」

「どうしたんだよ? 落ち着け、な?」

「虎、私の事、殴って!」

 思い詰めた桔梗の表情に嫌な予感がしたが、その予感は残念ながら見事的中してしまった。真顔で詰め寄ってくる桔梗に、虎は「待て待て待て」とストップをかける。

 だが、桔梗は一度決めたら梃子でも動かない頑固者。「お願い」と必死に乞われてしまって、こうなった桔梗を止めることは虎にはできない。

 しかしいくら本人が望んでいようとも年下の女の子を殴るなんてこと、できるわけがない。まして相手は愛しい人の姉。背景がどうであれ、葵は悲しみ、下手したら自分を軽蔑するかもしれない。

(無理無理。葵に嫌われるとか、絶対無理だ)

 好きになってもらおうと思っているのに間違いなく逆効果。

 虎は己の為にも「無理だ」と桔梗を押し離した。

「どうして!? 殴ってくれないと私の気が済まないのっ!!」

「そ、そんなの知るかっ! つーか冷静に考えろ! 男が女に手をあげるとかそんなクズみたいな真似できるわけないだろうがっ!」

 殴れと詰め寄ってくる桔梗と、殴れないと桔梗を押し退ける虎。その攻防はしばらく続き、他の通行人は何事かと不審な目を向けてくる。

(このままじゃ埒が明かない)

 人目もあるし、このままではダメだ。でも、だからと言って手をあげるなんて真似したくない。

 虎は繰り返す問答に次第に苛立ちを覚え、そして「いい加減にしろ!」と声を荒げてしまった。

「っ、なによっ、何よっ! 虎の馬鹿!!」

 ビクッと震えた桔梗の肩に、やってしまったと一瞬焦った。

 だが苛立ちを覚えていたのは桔梗も同じだったようで、虎の怒鳴り声に我慢の限界を迎えたのか、桔梗は怒鳴り声と共に手を振り上げ、思い切り平手打ちしてくれた。

「ってぇ……」

「! あっ……」

 身構える間もなく打たれた頬。虎が顔中に走る痛みに顔を顰めれば、桔梗はまたもパニック状態に陥ったのか「虎が悪いんだからっ!」と大声で責任転嫁して脱兎のごとく走り去ってしまった。

 一人残された虎はその一瞬の出来事に呆然。しかし、自分から逃げるように走る桔梗の後ろ姿に、何故か笑いが込み上がってきた。

「あーあ、本当、勘弁してくれよ」

 なんて、口ではそんなことを言いながら、虎の心を満たすのは何とも穏やかな感情。

 きっと意地っ張りな桔梗はまだ暫く素直になれないだろうと『妹』を分析しながら、それでも事態は好転していると思うから、後は成り行きに身を任すかと歩き出す。

 打たれた頬はまだジンジンと痛むが、何故かもうしばらくはこのままでいいと思ったりして、自分の変化にまた笑えた。

「虎、おっはよー!」

「! 朝から元気だな、お前は」

 相変わらず背後から突進してくるのは海音かいと。何も変わらない親友を苦笑交じり振り返れば、「その顔どうしたんだよ?」と先ほど桔梗に殴られた頬を指摘された。

「ああ、これな。実は昨日、桔梗にバレてさ」

「! マジか! それで殴られちゃったわけか!」

「まぁそんなところだな」

 あーあ。と声を漏らす海音は「でも虎が無抵抗で殴られるとかレア過ぎじゃね?」と茶化してくる。罪悪感ってやつ? なんて笑いながら。

「うるせぇよ。てか、やばっ、遅刻だっ!」

「え? マジで?」

 何気なく時間を確認すれば、ホームルームが始まるまで後五分。優等生を貫いている虎は海音を置いて走り出した。

「ちょ、虎! 親友を置いてくなよ!」

「黙って走れ、バ海音」

 背後から聞こえる海音の声に笑いながら走っていれば、前に見える桔梗の後ろ姿。

 虎は更に力強く地面を蹴ると、「走れ! 遅刻するぞ!」と桔梗を追い抜き不敵に笑った。

「! ま、待ちなさいよっ! 一人だけ間に合うとか、ずるいわよ!」

「虎、待ってくれよー! 俺、走るの嫌いなんだって!!」

 インドア舐めんな! と騒ぐ海音と、汗かくじゃない! と怒りながらも追いかけてくる桔梗。

 虎はそんな二人に笑うと、今日から始まる新しい世界に迷いを捨てて飛び込んだ。

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