第186話
考えても考えても良い言い訳は思い浮かばなくて、言葉が出てこない。
黙り込んでしまう僕に焦れたのか、虎君は一歩距離を詰めてくる。まるで死刑宣告前の囚人のような気分だ。
傍に居たいけど逃げたい。相反する想いに僕が身動きが取れないでいると、虎君から伸びてくるのは大きな手だ。
大好きな虎君の手を、この時ほど怖いと思ったことは無い。
思わず身を強張らせ目を瞑ってしまう僕。虎君の手が頬に触れた時、触れられた箇所から伝わるぬくもりに心が揺さぶられた。
「
「何も、ないよ……」
抑揚のない虎君の声。
僕はそれが怒ってるからじゃないって分かってしまう自分が嫌だった。
(『心配されてる』って喜ぶな! 虎君は僕が『弟』だから、姉さんの弟だから心配してくれてるだけなんだからっ!!)
心配をして欲しい。でも、心配してもらったらこんな風に卑屈に捉えてしまう自分が嫌で嫌で堪らない。
僕は頬に触れる虎君の手から逃げるように顔を背けると、「気にしないで」とその隣を横切りその場から立ち去ろうとする。
でも、虎君はそれを許してはくれなくて……。
「! ヤダっ!」
突如掴まれる手首に、一刻も早くこの場から逃げたい僕は過剰に反応してしまった。
拒絶するように手を振り払った時に見えた虎君の驚いた顔に、心臓が痛む。
「葵……?」
「っ―――、ごめん、虎君」
自分が自分じゃなくなる感覚が怖くて、目頭が熱くなる。
でも今この場で泣くわけにはいかないから、必死に耐えて震える声で『暫く一人にして欲しい』って伝えた。
今の僕は虎君の傍にいることも喋ることも苦痛でしかなかったから……。
逃げるように僕が部屋に戻ろうとすると、虎君に呼び止められる。さっき手を振り払ってしまったから、今度は声だけで。
声だけの制止に聞こえない振りをして部屋に戻ればよかったものの、僕は再び足を止めてしまう。
苦しいくせにそれでも虎君の傍に居たいと願う自分の本音が、憐れだと思った……。
「葵、俺は傍にいちゃダメかな……?」
遠慮がちな声も言葉も、嬉しい。愛しい。
でも、嫉妬にドロドロになってしまった心はどうしても虎君の言葉の裏を探ってしまって……。
「どうして? なんでそんなこと聞いてくるの?」
『そこまでして姉さんに点数稼ぎしたいの?』なんて、思わず口から出そうになる嫌味を必死に飲み込むも言葉の棘は無くせなかった。
虎君はただ僕の心配をしてくれているだけなのに、それなのにどうしてこんな風に考えてしまうんだろう……。
「『どうして』って、心配だからに決まってるだろ……?」
「別に虎君に心配してもらうことなんてないよ」
「! そう、かもしれないけど、でも―――、頼むよ、葵。これ以上後悔させないでくれ」
懇願するかのように訴えかけてくる虎君。
何を後悔しているのかと訝しく思って振り返れば、辛そうな表情ながらも笑いかけてくれる虎君に胸が締め付けられた。
「昨日様子がおかしかったのに一人にしてごめん。葵が一人で泣いてたって知って、あの時無理を言ってでも傍に居ればよかったって凄く後悔してるんだ……」
だから後悔しないように傍に居たい。
そう訴えてくる虎君の言葉に、僕の心はぐちゃぐちゃだった。
姉さんのことが好きな虎君。虎君が僕に優しくするのは姉さんの弟だからでそれ以上の意味はない。
そう分かっているのに、優しくされる度に、気遣われる度に、僕だからだと勘違いしてしまう。
大切にされていると、愛してくれていると、夢を見てしまう。
想う気持ちが強すぎて、同時に覚えるのは憎しみに似た感情。
愛する気持ちが行き過ぎて憎しみを覚える人の気持ちが少し分かってしまって自分が怖くも思った。
(もうやだ……。誰か助けて……)
様々な感情が一気に押し寄せてきて、僕はどうすればいいか分からず途方に暮れる。
ダメだと自分を律しないとこのまま泣き崩れてしまいそうだったその時、玄関の方向から声が響いた。
「こんにちはー! 朝早くすみませーん! 葵君起きてますかー?」
「! え……?」
良く通る声に、僕は限界を超えた自分が幻聴を聞いたのかと思った。
でも、驚く僕を余所に「藤原……?」って虎君が眉を顰めたから、この声は幻聴じゃなくて現実のものみたいだ。
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