第75話

「そういえば、部屋はどうするか決めた?」

「ううん。まだ。……というか、全然考えてなかった」

 階段の真ん中で喋ってるのはなんだか間抜けだなって言う虎君に促され、僕はとりあえず自分の部屋を目指して足を進める。

 一日経って気持ちは浮上してるし、もう部屋に入ることができるだろうって思いながら歩く僕。虎君もいるし、大丈夫。って。

 もしかしたら、この恐怖は時間が解決してくれるかもしれない。でも、それでもやっぱりこの先今の部屋で暮らすことには抵抗があって、早く引っ越し先を決めないとって焦る。

「どの部屋にしようかなって考えようとは思うんだけど、考えてると別の事思い出しちゃって……」

 力なく笑う僕を虎君は「昨日の今日じゃ仕方ないよ」って励ましてくれる。そして、気持ちが沈むぐらいなら考えなくていいって言ってくれる。

「ありがとう、虎君。……でも、ずっとこのままってわけにはいかないし、ちゃんと考えるね」

 甘やかしてくれる虎君の言葉に流されたいって思うものの、このままだとその虎君に多大な迷惑をかけることは目に見えてる。

 一人で部屋に入れないとか、一人で眠るのが怖いとか、絶対ことある毎に虎君を呼び出しそう。

 きっとそんな僕のわがままを虎君は笑って聞いてくれるだろう。最初は。

 でも、それは本当に最初だけで、何度も何度も繰り返したら流石の虎君も怒るに決まってる。僕はそれが怖かった。

(虎君に嫌われたらって考えるだけで心臓痛いんだもん)

 大好きなお兄ちゃんに嫌われたら……。なんて、もしもでも考えたくない。

 僕は悪い考えを頭から追い出す様に首を振った。

「! こら、危ないぞ」

「あ……、ごめんなさい……」

 想像の中の出来事で落ち込みたくないって必死になりすぎたせいで僕は廊下の壁にぶつかりそうになっていた。自分の家だからって油断しすぎたみたい。

 虎君、絶対呆れてるだろうな……って振り返ったら、呆れると言うよりも心配そうな顔してて、なんで? って思わず口から疑問が零れてしまった。

「俺が不用意に話振ったからだろ? 必死に考えないようにしてたのに、悪かった」

「! ち、違うよ!? 今のはそういうのじゃなくて、ただこのままの状態だったら虎君に嫌われちゃうからしっかりしないとって思ってただけだから!!」

 凄く僕を心配してくれる虎君の顔は辛そうに歪んでて、慌てる。

 心配かけてごめんなさい。って。むしろ全然違うこと考えてて僕こそごめんなさい。って。

「俺がまもるを嫌いになるって何? そんなことあるわけないだろ?」

 何度も言ってるけど、そんな未来は何があっても来ないから。

 そう言ってくれる虎君。僕はもらった言葉に嬉しいのと申し訳ないのとで変な顔をしてしまう。

「でも部屋が決まるまで僕、絶対虎君を頼っちゃうよ? そんなの困るでしょ?」

「なんで? 困るわけないだろ?」

「え……。だって僕、一人じゃ部屋にも入れないんだよ……?」

 僕の言葉に虎君は心底驚いた顔をする。流石の僕もそれにはちょっと戸惑った。

(虎君、僕の事本当に分かってる? きっと虎君が思ってる以上に甘えただよ?)

 一緒に部屋に入ろうとか言われないって思ってる? 怖いから一緒に寝ようなんて子供っぽい事は言われないって思ってる?

 もしそうだとしたら、甘いよ。僕はあの茂斗しげとにですら泣きつくつもりだったんだからね?

「自分の部屋に入るだけなのに呼びつけられるとか嫌でしょ?」

「いや? というか、俺は葵が新しい部屋に引っ越すまで暫く泊めてもらうつもりなんだけど?」

「! えぇ?!」

 確認する僕に投げかけられるのは思いもよらない言葉で、何その話?! って僕は虎君に詰め寄る。

 すると虎君は興奮する僕を宥めながらも、昨日の夜に父さんと母さんに話はつけてあるからってまたびっくりさせてくる。

「な、なんで?! なんでそんな話になってるの!?」

「『なんで』って、あんなことがあって心配だからに決まってるだろ。確かに夜には茂さんも陽琥さんも家にいるから安心は安心だけど、でもずっと葵についていられるわけじゃないし」

 今は葵を一人にしたくない。

 そう告げる虎君は至極真面目な顔をしてて、本気で僕の心配をしてうちに泊まることにしたんだって分かった。

 伝わるのは大きすぎる虎君の『愛情』。

 僕は身体から力が抜ける感覚を覚えた。

「僕、虎君のこと頼ってもいいの……?」

「頼ってくれないと困る。俺が心配性の過保護な兄貴みたいになる」

 遠慮がちに、でも期待を込めて尋ねたら、虎君は頼って欲しいって頷いてくれる。そのために俺はここにいるんだよ。って。

(虎君って、凄い……。不安、無くなっちゃった……)

 本当は頭の片隅に恐怖に震える自分がいることは分かってた。でも、見ないようにしていた。僕は被害者じゃないんだから。って。

 けど、虎君はそんな怖がりな僕も丸ごと受け止めてくれる。『怖がってもいいんだよ』って言うかのように。

 虎君の優しさは、無意識のうちにピンと張ってしまっていた緊張の糸を緩めてくれる。

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